第15話 代償と、専属鍛冶師の同行宣言
特殊合金製防壁十枚、推定被害総額二十億円。
探索者協会の地下訓練施設に響き渡った黒瀬さんの言葉は、災害級魔物の咆哮よりも遥かに鋭く俺の胸を貫き、先ほどまで新たな愛剣を手に入れた喜びで満たされていた心を、一瞬にして底の見えない絶望へ叩き落とした。
魔王城へ乗り込んだ時でさえ、これほど逃げ出したいと思ったことはない。二十億円という金額は、現代へ帰還して間もない俺には現実感を持って理解できないほど巨大でありながら、絶対に自力では払えないという一点だけは、嫌になるほど明確だった。
「……分割払いは可能でしょうか」
『何年かけるつもりですか!』
「配信を頑張れば、もしかしたら」
『そういう問題ではありません!』
防護壁越しにも伝わってくる黒瀬さんの怒気に押され、俺は反射的に背筋を伸ばした。異世界では国王を相手にしても堂々と意見を述べ、魔王軍の将軍から脅迫されても一歩も退かなかったというのに、現代社会では弁償という言葉だけで簡単に膝を屈しそうになる。
法律と金銭は、剣で斬れないぶん魔物より厄介なのかもしれない。
「請求する必要なんてないわ」
そんな俺を庇うように前へ出たのは、粉塵の中でも平然と《黒天》の刀身を調べていた朱音だった。彼女は防壁の残骸へ一瞥を向けると、壊れた設備よりも自分の剣が無傷であることの方が重要だと言わんばかりに、淡々とした口調で言葉を続ける。
「今回の試験は御剣重工と探索者協会の共同研究として正式に申請しているし、施設の損害も契約上は研究開発費で処理できるはずよ。それに、天城湊が全力に近い斬撃を放った際、既存の防壁では十枚重ねても耐えられなかったという記録には、それ以上の価値がある」
『事前に壊れる可能性を説明してください!』
「説明したら止めたでしょう?」
『当たり前です!』
朱音は悪びれる様子もなく言い切り、黒瀬さんは観察室の向こうで額を押さえていた。どうやら彼女は最初から、防壁が破壊される可能性を理解した上で試験を強行したらしい。天才と呼ばれる人間は、多かれ少なかれ常識より好奇心を優先する傾向があるのかもしれないが、その後始末へ巻き込まれる側としては笑えない。
「朱音さん、もしかして俺が防壁を壊すと思っていました?」
「壊すとは思っていたけれど、十枚全部を抜くとは思っていなかったわ。正直、少し感動してる」
「俺は請求書が来るかもしれない恐怖で震えています」
「その程度で震えるなら、私が一生面倒を見てあげてもいいけど?」
「それはどういう意味ですか?」
「専属契約の話よ。それ以外に何があるの?」
朱音は何でもないことのように答えたものの、その頬には僅かな赤みが差しており、こちらの反応を窺うように視線が揺れていた。俺が異世界にいた頃にも、王族や有力貴族から専属騎士にならないかと誘われたことはあったが、目の前の少女が口にする専属という言葉には、雇用関係だけでは説明しきれない響きが混ざっているように感じられる。
もっとも、その意味を深く考えるより先に、黒瀬さんが訓練施設へ入ってきた。防護扉が開くと同時に吹き込んだ風が粉塵を押し流し、崩壊した防壁と両断された魔物の姿が改めて露わになる。彼女は惨状を眺めて長いため息を吐いたあと、仕事用の端末を俺へ差し出した。
「損害の件は後ほど協会と御剣重工で協議します。それより天城さん、緊急で確認していただきたい依頼があります」
画面に表示されていたのは、政府と探索者協会の連名による調査要請だった。東京都西部に新たに出現した未登録ダンジョンで、周囲の魔力濃度が急上昇し、先行調査へ向かった探索者たちとの連絡が途絶えたという。さらに、入口付近で観測された魔力反応は、渋谷第三ダンジョンに現れた災害級魔物と酷似しているらしい。
「俺に調査へ行ってほしいと?」
「正式には、協会の特別調査隊への同行要請です。あなたが異世界で得た知識と戦闘能力を、今後発生する可能性がある異常事態への対策に役立てたいとのことです」
俺は画面に映る未登録ダンジョンの写真を見つめた。森の中に開いた巨大な裂け目の奥では、赤黒い光が脈打つように明滅しており、その色は災害級魔物の胸部に埋め込まれていた核と酷似している。偶然とは考えにくく、もし同じ何者かが複数の迷宮へ干渉しているのなら、放置すれば昨日以上の被害が出る可能性もあった。
「分かりました。行きます」
「私も行くわ」
俺が答えた直後、朱音が迷いなく割り込んできた。
「危険ですよ」
「《黒天》の実戦データを取るのは、製作者である私の仕事よ。あなたが無茶な魔力を流して剣に異常が起きた時、現場で対処できるのも私だけ。それに――」
朱音は俺の腰に収められた《黒天》へ手を添え、何かを確かめるように指先で鞘をなぞったあと、真っ直ぐに俺を見上げた。
「私が造った剣で戦うあなたを、誰より近くで見ていたいの」
その眼差しに宿る熱は、職人が武器へ向ける興味だけではなかった。
こうして俺は新たな剣を携え、その製作者である天才鍛冶師と共に、異常発生した未登録ダンジョンへ向かうことになった。
それが、この世界へ帰還した俺にとって、初めて誰かと挑むダンジョンになるとも知らずに。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。
応援が次回更新の励みになります!




