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第1話 元勇者、履歴書に「魔王討伐」とは書けない

 俺は、異世界を救った。


 これは比喩でも誇張でもなく、本当に世界を一つ救ったのだ。


 魔王軍によって滅亡寸前まで追い詰められた人類を率い、王国最強と謳われた騎士団長と肩を並べ、千年を生きるエルフの大賢者から魔法を学び、最後には神代より存在していた魔王を聖剣で両断した。


 その戦いによって大陸には平和が戻り、俺の名は歴史に刻まれた。


 人々は俺を英雄と呼び、子供たちは俺の活躍を真似て木の棒を振り回し、国王は望むなら爵位でも領地でも、美しい姫君でも与えると言ってくれた。


 そんな俺が、十年ぶりに元いた世界――日本へと帰還した結果。


「それでは、こちらの履歴書に学歴と職歴を記入してください」


「……職歴」


「はい」


「……」


 俺は今、駅前のコンビニでアルバイトの面接を受けていた。


 人生とは、分からないものである。


 目の前では、店長らしき中年男性が営業スマイルを浮かべながら、机の上に置かれた履歴書を指先で示している。

 俺はボールペンを握ったまま、真剣に悩んだ。


 学歴。

 県立高校一年次、失踪(中退)。


 職歴。

 異世界アステリオン王国王宮騎士団・特別顧問。

 勇者パーティー前衛兼リーダー。

 魔王討伐。

 世界救済。


「……」


 駄目だ。

 どう考えても不採用になる。

 いや、それ以前に『前衛兼リーダー』なんて書いた日には、即座に警察か精神科へ通報される。


「どうしました?」


「ああ、いえ。少し、自分の波瀾万丈な人生を振り返っていただけです」


「はあ……」


 店長の営業スマイルが若干引きつった。

 まずい。このままでは面接官との間に築かれつつある信頼関係が、魔王城の崩れかけた床くらい脆く崩壊してしまう。


 俺はこれ以上変なことを口にしないよう唇を噛み締め、当たり障りのない内容を書き終えると、そっと履歴書を差し出した。


 名前は、天城湊あまぎ・みなと

 二十六歳。

 独身。

 職歴、なし。


 俺が異世界で過ごしていた十年間は、この世界でも同じように十年が経過していた。

 つまり、十六歳の高校一年生だった俺は、こちらの世界では『行方不明者』として扱われ、十年後にひょっこり帰ってきた現代版の浦島太郎になっていたのである。


 両親は泣いて喜んでくれた。

 俺も泣いた。本当に泣いた。魔王を倒した時より泣いた。

 十年ぶりに食べた母さんの肉じゃがが美味しすぎて号泣し、それを見た父さんまで泣き始め、最終的には家族三人でテーブルを囲みながら、意味も分からず泣き続けた。


 そこまではよかった。

 問題は、その後である。


 十年ぶりに日本へ帰ってきた俺は、一つの重大な事実に気づいてしまった。

 勇者として身につけた能力が、現代日本では絶望的なほど役に立たないのだ。


 いや、もちろん戦える。身体能力だけなら、異世界にいた頃とほとんど変わっていない。

 鉄の鎧を着たまま百メートルを数秒で駆け抜けられるし、巨大な岩を素手で軽々と持ち上げることもできる。剣さえあれば、魔物の軍勢だって一人で更地にできるだろう。


 だが、冷静に考えてみてほしい。

 現代日本のどこで、そんな暴力的な能力を使うというのだ。


 面接官に、


『特技は何ですか?』


 と聞かれて、


『ドラゴンを単騎で討伐できます』


 と答えて採用される職場があるだろうか。


 ない。少なくとも求人サイトの『未経験歓迎』の項目には存在しなかった。


 魔法だってそうだ。

 俺は炎を生み出せる。けれど、百円ライターなら百円で買える。

 水も生み出せる。しかし、蛇口を捻ればタダ同然で出てくる。

 夜道を照らす光魔法だって、スマートフォンのライト機能で完全に代用できてしまった。


 俺が異世界で死線を潜り抜け、十年かけて身につけた血と汗の結晶が、現代文明の力によって次々と『百円から数万円程度』で代替されていく。


 正直、かなり悲しかった。

 科学文明、強すぎるだろ。こっちは命懸けで習得したんだぞ。


「なるほど。高校中退ですか」


「はい」


 店長の一言によって、俺はあっさりと現実へ引き戻された。


「その後、十年間の空白がありますが……」


「諸事情がありまして」


「具体的には?」


「少し、遠いところに」


「海外ですか?」


「まあ、海外よりは……かなり遠いですね。パスポートも通用しないレベルの」


「……?」


 危うく異世界と言いかけた。

 俺は必死に誤魔化したものの、店長の表情からは明らかな警戒心が感じられる。


 当然である。

 高校一年生で突然失踪し、十年間消息不明。そして突然帰ってきた二十六歳の無職。

 自分で言うのも何だが、怪しさの役満である。


「ちなみに、レジの経験は?」


「ありません」


「接客業は?」


「ありません」


「発注作業は?」


「未経験です」


「パソコンは使えますか?」


「……文字を打つ程度なら」


「エクセルは?」


「エクセル……? 古代の精霊魔法か何かですか?」


「なるほど……」


 店長が静かに履歴書を机へ置いた。

 その冷徹な仕草だけで分かってしまった。


 魔王と戦った時より勝ち目がない、と。


 ※ ※ ※


 ――その三十分後。


「くっ……!」


 俺はコンビニの外で、行き場のない拳を震わせていた。

 負けた。完全敗北だった。

 魔王にすら勝ったこの俺が、時給千百円のコンビニバイトの面接で、ものの見事に叩き落とされたのだ。


 最後に店長から向けられた、あの腫れ物に触るかのような同情的な眼差しが脳裏に焼き付いて離れない。


「世界を救った勇者が……コンビニのレジ打ちにすら就けないのか……」


 異世界の仲間たちが見たら泣くだろう。

 特に直情径行な騎士団長のガルドなんて、その場でコンビニへフルプレートの鎧姿で攻め込みかねない。


『勇者殿を不採用だと!? 貴様、この御方がいかなる偉業を成し遂げたか理解しているのか!』


 と大剣を振り回す光景が容易に想像できる。


 だが、ガルドはいない。ここには俺一人しかいない。

 そして現代社会では、魔王討伐経験よりレジ打ち経験の方が圧倒的に評価される。


 恐ろしい世界だ、日本。


 俺は深いため息を吐き、駅前を歩き始めた。

 平日の昼間にもかかわらず、人通りは多い。高校生らしき若者たちはスマートフォンを眺めながら楽しげに笑い、スーツ姿の会社員は足早に駅へ向かっている。


 十年前とは違う。けれど、どこか懐かしい。

 異世界へ召喚される前、俺もこの世界で普通の高校生として生きていたのだ。

 毎朝満員電車に乗って学校へ行き、授業中は眠気と戦い、放課後には友人たちとコンビニへ寄る。あの頃は退屈だと思っていた日常が、異世界では何度も、それこそ血を吐くほど恋しくなった。


 だからこそ、帰還した直後は思ったのだ。


 今度こそ普通に生きよう、と。


 戦争も、魔王も、世界の命運も関係ない。就職して働き、給料を貰い、休日には好きなことをして、いつか結婚でもできたら最高だ。

 そんな、どこにでもある普通の人生を送りたかった。


「まあ、まずは就職しないと何も始まらないんだけどな……」


 俺はスマートフォンを取り出した。

 これも帰還後、両親に泣きついて買ってもらったものだ。


 最初は使い方がまったく分からなかった。指でガラス板を触れば動くという事実に驚愕し、電話どころか映像まで手元で見られると知った時には、異世界の大賢者ですら卒倒するんじゃないかと思った。


 今では、どうにか基本操作くらいはできる。

 俺は求人サイトを開こうとして――。


「あれ?」


 ふと、画面の動画共有サイトにおすすめとして表示された『ライブ配信』が目に入った。

 何かの実況配信らしい。若い男がチープな鉄剣を握り、薄暗い洞窟の中を歩いている。


『はい、というわけで今日は「渋谷第三ダンジョン」の十階層攻略やっていきまーす!』


 俺は路上で完全に足を止めた。


「……ダンジョン?」


 聞き間違いかと思った。

 しかし、画面に映っているのはどう見ても地下迷宮だ。

 荒削りの岩壁。怪しく揺れる松明の炎。曲がりくねった不気味な通路。


 そして次の瞬間、奥から緑色の醜悪な小鬼が這い出てきた。


 ――ゴブリンだった。


「ゴブリン……?」


 見間違えるはずがない。

 異世界で一番最初に出会い、一番多く狩った、憎むべき魔物の基本種だ。


 俺は慌てて周囲を確認し、近くにあった公園のベンチへ駆け込んで腰を下ろした。

 食い入るように画面を見つめる。


『おっと、ゴブリン三体ですね。まあ、今の僕のレベルなら余裕でしょう!』


 配信者の青年がへっぴり腰で剣を構える。

 画面の右側には、目にも留まらぬ速さでコメントが流れていた。


『きたあああ!』

『三体は普通に囲まれたらアウトだろ』

『逃げろ!』

『いや、ヒカルなら余裕っしょ』

『同接二千人突破!』


 俺は目を見開いた。


 なんだ、これは。

 なぜ日本にゴブリンがいる?

 どうして現代の東京にダンジョンが存在している?

 俺が異世界へ行っていた十年の間に、一体何が起きたんだ?


 困惑する俺の目の前で、あまりにも拙い戦闘が始まった。

 青年がゴブリンへ大振りの一撃を放ち、なんとか一体を斬り倒す。


 だが、その背後。

 死角から別のゴブリンがニタニタと笑いながら棍棒を振り上げた。


「あ、馬鹿! 背後だ、右にステップを踏め!」


 思わず声が出た。

 青年は言われて気づいたわけではないだろうが、慌てて振り返る。しかし、動作が遅すぎる。


 鈍い音を立てて棍棒が肩へ直撃し、青年の身体がみっともなく吹き飛んだ。


『やばい!』

『逃げろ逃げろ!』

『救助隊呼べ!』


 コメント欄が一気に加速する。

 俺は眉をひそめた。


「いや、待て……」


 ゴブリン三体。

 ただそれだけだ。


 異世界なら駆け出しのF級冒険者でも、基本さえ押さえていれば十分にソロで処理できるレベル。

 何より、ゴブリンには明確な弱点と習性がある。


「ゴブリンは生まれつき右目が悪い。だから、奴らの右側へ回り込んで喉元を狙えば――」


 画面の中で、青年が痛みに顔を歪めながらも立ち上がった。

 俺の願いが届いたわけではないだろうが、青年は這うようにゴブリンの右側へ回り込む。


 よし。それなら確実に勝てる。

 俺はそう確信した。


 次の瞬間。


 ゴブリンの棍棒が、見事な精度で青年の顔面を捉えた。


「……」


 俺は黙った。

 画面の向こうでは、青年が鼻血を噴き出して悲鳴を上げている。

 ゴブリンは、驚くほど元気いっぱいだった。


「右目……普通に見えてるな」


 どういうことだ。


 アステリオン大陸のゴブリンは、生態的に右目の視力が極端に低い。だから右側から仕掛ける。それが冒険者の常識中の常識だった。

 しかし、目の前の日本のゴブリンにはまったく通用していない。


 俺は顎に手を当て、唸った。

 

「まあ、世界が違うんだ。当然、魔物のルーツも違うか……」


 しかし、問題ない。

 俺は歴戦の勇者だ。ゴブリンの弱点が異世界と違う程度で狼狽えたりはしない。


 そこから俺は、スマホを狂ったように操作し、関連動画を次々と調べ上げた。


 そして一時間後。

 

「火属性が弱点じゃない……!? むしろ脂が乗ってて、火をつけると興奮するタイプか!?」


 二時間後。

 

「オークが普通に豚肉を共食いしてる……!? あいつら、同族嫌悪のプライドはどうしたんだ!?」


 三時間後。

 

「スライムに物理攻撃が効くだと……!? 核を壊さなくても、叩くだけで霧散するのか!?」


 さらに夕方。

 

「ドラゴンが……重力のせいで飛べない? ただの巨大なトカゲ扱いなのか……!?」


 俺はベンチで頭をがっくりと抱えていた。


 違う。

 何もかもが、俺の知っている『魔物』と違う。


 姿や名前は似ている。

 だが、俺が異世界で十年間戦い続け、身体に叩き込んできた『魔物の生態学』や『弱点知識』は――。


「絶望的なほど、何の役にも立たない……!」


 思わず夕焼けの空を仰いだ。


 神様。あんまりだろ。

 俺は命懸けで魔王を倒したんだぞ。

 少しくらい『異世界の知識で無双』させてくれてもいいじゃないか。


 がっくりと肩を落としながらも、俺はスマートフォンを操作し続けた。


 ダンジョン。

 探索者。

 配信。

 ランキング。

 広告収入。

 投げ銭。

 企業案件。


 調べれば調べるほど、信じられない情報が溢れ出てくる。


 どうやら俺が異世界へ召喚された約三年後、この世界各地に謎の『ダンジョン』が出現したらしい。

 内部には魔物が存在し、人間はダンジョンへ入ることで、特殊な『スキル』に目覚める場合がある。


 そして現代では、それを生業にする『探索者』という新職業が確立されていた。


 中でも若者の憧れの的となっているのが、『ダンジョン配信者』。


 命懸けでダンジョンを攻略し、そのスリル溢れる様子をリアルタイムで配信する。

 人気配信者ともなれば、その年収は余裕で『億』を超えるというのだ。


「億……円?」


 俺は画面を二度見した。

 間違いではない。億だ。


 異世界では王様から山ほど金貨をもらったが、現代日本の一般家庭に生まれた無職の俺にとって、それは雲の上どころか、大気圏外レベルの大金である。


 俺は改めて画面を見る。


 ダンジョン。

 魔物。

 戦闘。

 配信。

 そして、正当な『富』。


「…………」


 俺は静かに考えた。


 現代社会ではゴミのように役に立たないと思っていた、俺の能力。

 剣術、魔法、極限状態での戦闘経験、死線を潜り抜けた判断力。


 確かに、コンビニのレジ打ちには使えない。

 会社員にも向いていない。

 履歴書にも一行たりとも書けない。


 だが――ダンジョンなら?


「……これ、俺のための仕事なんじゃないか?」


 ドクン、と心臓が大きく鳴った。


 俺は元勇者だ。

 魔物の知識は役に立たない。魔法体系も少し違うかもしれない。この世界のダンジョンについて、俺は今、何も知らない素人だ。


 しかし――『戦うこと』、そして『生き残ること』。


 その一点においてのみ言えば、俺はこの世界の誰にも負けるつもりはなかった。


 俺はスマートフォンの画面を見つめる。

 そこでは先ほどの青年が、救助隊によって無事に救出されていた。

 コメント欄には、温かい労いの言葉と『投げスーパーチャット』が飛び交っている。


 俺は小さく呟いた。


「ダンジョン配信、か」


 悪くない。

 いや、むしろ最高だ。


 異世界では世界を救った。

 だが、俺の手元には何も残らなかった。

 名誉も、財産も、共に戦った仲間も、すべてをあちら側に置いてくるしかなかった。


 なら今度は、自分のために戦ってもいいだろう。


 女神に選ばれた『勇者』としてではなく、何者でもない一人の男――『天城湊』として。


「決めた」


 俺はベンチから立ち上がった。

 夕暮れの街を見渡す。


 すれ違う人々は、俺の正体を知らない。

 当然だ。この社会にとって、俺はただの二十六歳無職。高校中退、職歴なし、資格なし。バイトの面接にすら落ちた、社会の底辺を漂う男。


 だが、それでいい。

 ここから始めればいい。


「今度は、この世界で成り上がってやる。一人のダンジョン配信者として」


 ※ ※ ※


 熱い決意を胸に秘めた俺は――その翌日。


「……ダンジョン配信をするには、『探索者免許』が必要?」


 探索者協会のピカピカな受付窓口で、俺は完全に石化していた。


「はい、そうです。まずは筆記試験と実技試験を受けていただきますね」


「ひっ、筆記試験」


「はい。ダンジョン関連法規、魔物生態学、応急救護、配信ガイドラインなど、全百問です」


「…………」


 受付嬢がにこやかな営業スマイルで、一冊の分厚い参考書を差し出してきた。


 厚い。

 ものすごく厚い。


 魔王城の構造図面より、エルフの古代魔法書より、圧倒的に分厚い。


 恐る恐る、最初の一ページ目を開いてみる。


『問一。国内ダンジョン法第二十二条に基づき、D級探索者が許可なく侵入できる階層、およびその際の罰則を答えよ』


「……」


 俺は静かに本を閉じた。

 そして、協会の高い天井を仰ぐ。


「異世界の経験、本当に何の役にも立たないじゃないか……!」


 元勇者が現代で成り上がるまでには、想像以上に長い『お勉強』の時間が必要になりそうだった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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