01-05. ぬいぐるみとドーナツ
商業地区へ入ると、行き交う魔導車の数がいっそう増した。
縦横に整然と区画された広い道は、どこも平坦に整備されている。
その上を、私たちの車も滑るように進んでいく。
(ほう。ミリアリアの生きる時代は、随分と平和なのだな)
窓の外には、身なりの良い人々の往来が絶えず続いている。
前世では、陸も空も海も竜が頂点として君臨し、魔物が跋扈するのが常であった……はずだ。
時が流れたというより、まるで別の世界に来てしまったような錯覚を覚える。
ひと際広い直線を進むと、やがて屋上に大きな時計塔を構えた白亜の建物が見えてきた。
車はそのまま、建物の裏手にある静かな入口へと吸い込まれていく。
どうやら、限られた客のみを迎え入れる場所のようだ。
(なるほど、これがVIP待遇というやつか)
車が止まり外へ出ると、待ち構えていた人々が深々と礼をして私たちを迎えた。
「まずはお買い物だね」
フェリシアが楽しそうに微笑む。
さらに、リヒドがこう付け加えた。
「今日はミリーの好きなものをなんでも買っていいと、父上と母上から言われている」
兄の言葉に不覚にも心が浮き立つが、ふと、この時代の物価を知らないことに気づく。
(……まあ、あの屋敷の広さを考えるに、子供の買い物くらい可愛いものだろう)
ほんの一瞬の不安を隅に追いやり、私は期待に胸を躍らせて扉をくぐった。
「わあ、可愛い小物がたくさんあるよ、ミリー」
用意された車椅子に身を預け、店内の様子を眺めた。
最初に訪れたのは、いわゆる娯楽品が並ぶ店だ。
棚には色とりどりの小物をはじめ、絵描きの道具や遊戯の品々、煌びやかな装飾品にいたるまでが所狭しと並んでいる。
思わず目移りして時間を忘れてしまうであろう、心躍る空間だ。
しかし、店内に他の客の姿はどこにもなかった。
私の体調を案じた両親が、この一角を貸し切りにしたのだという。
なぜそんな特別扱いが可能かと思えば――ジルハイム家はこの地を治める領主であったからだ。
(……道理で。あの屋敷の広さはそういうことか)
人混みで私が疲れないようにとの、家族なりの気遣いなのだろう。
まあ、少々過保護が過ぎる気もするが。
「ミリー、これなんてどう?」
フェリシアが差し出してきたのは、愛らしいウサギのぬいぐるみだった。
ぬいぐるみ――それは、布の中に綿を詰め、動物を象った玩具。
正直、用途のよく分からない代物である。
現代の人間は、この無機物にペットと同じように名付けをしたり、夜一緒に添い寝したりするらしいのだが、私にはその意義が理解できない。
「そうですね…………もう少し、見てみたいです」
ミリアリアの記憶を紐解けば、ぬいぐるみは好きだったようだ。
だが、それはあくまで幼子の感情だ。
精神的に成熟した今の私には、その魅力が理解しがたい。
とはいえ、何も買わないのも不自然だろう。
(適当な妥協点を探すしかないか……ん??)
私は「それ」の存在を見逃さなかった。
「あれは!?」
気づけば私は、無意識に車椅子の車輪を回していた。
勢いよく「それ」に近づき、思わず立ち上がって、「それ」を引っ掴む。
頑丈そうな鱗の意匠、反り返った大きな角、そして剥き出しの鋭い牙。
「竜……なのか?」
荒々しいはずの体躯は丸みを帯び、天を駆ける翼は愛らしく小さく畳まれ、すべてを見抜く両眼は優しくこちらを見つめている。
覇者の威厳も、生物の頂点たる威容も微塵もなかった。だが――。
「こ、こ、こここ、これが……!」
これが「可愛い」という感情なのか!?
そうか、なるほど、ああ、なるほど……!
わかる、わかるぞ。
私は今日、一つの真理を悟った。
竜としての重厚感を残しつつ、柔和に昇華された……いや、そうじゃない。
可愛いとは、理屈ではないのだ。
どのような見た目になろうとも、竜という存在は、私の魂と共鳴するのだな。
「えっ!? ミリー、それがいいの?」
「はい、これがいいです!」
むしろ、これ以外に選択肢など存在しない。
「本当に……それでいいのか?」
ん?
意気揚々とした私の返答に対し、兄と姉の反応は随分と微妙だ。
どうしてだろう、こんなに愛くるしいのに……。
ああ、そうか!
私は『亜竜病』という、肉体が不気味に竜化する病に二年近く侵され続けていたのだ。
彼らにしてみれば、私が竜に対して恐怖や忌避感を抱いていると思うのが当然なのだろう。
くっ、ミリアリアとしての正解はウサギに違いない。
だが、しかし――。
「これがほしいです!」
半ば二人を説得するような形で、私は無事に「竜のぬいぐるみ」を手に入れた。
ふぅ、勝ったぞ。
会計を済ませた竜が、晴れて私の所有物となった。
よし、現代の慣習に則って、さっそくお前に名を授けてやろう。
そうだな……この黒を帯びた鱗に、雷光のように眩い翼。
ならば名は「デステマ」だ。
遥か太古、大地に君臨した魔神が一つ。
黒き雷を纏い、『雷帝』の二つ名を冠した竜の名だ、喜ぶがいい。
「まあ、ミリーが喜んでいるなら、いいのかな……」
二人の困惑を余所に、私は満足げにデステマの頭を撫でた。
その後も買い物を続け、三人でお揃いの装飾品を買うことになった。
さらに本屋へと足を運び、娯楽小説という本を数冊買ってもらった。
いつの時代も書物は良いものだ。
とはいえ、全部子供向けではあるのだが。
そして最後に、建物の最上階にある飲食店で休憩することになった。
「わぁ……!」
賑わう店内の個室にて、運ばれてきたのは「ドーナツ」という食べ物。
真ん中に穴の空いた、奇妙な形状をしている。
私はこれとの対面を心待ちにしていた。
話には聞いていたし、ミリアリアの好物だという知識もあった。
もちろん味も「知っている」。
だが「今の私」が実際に口にするのは、今日が初めてなのだ。
一般的な店では手づかみで食べるようだが、ここは高級店らしく、銀のナイフとフォークが添えられている。
では、いざ実食しようではないか。
ドーナツの半分はチョコレートという黒い蜜でコーティングされ、その上には真っ白なクリームが鎮座していた。
私はすっとナイフを入れ、一口大に切り分けると、慎重に口へと運んだ。
(…………っ、あま……い!)
強烈な甘さが口いっぱいに広がる。
「ふふぅ、おいしい……!」
至福の味わいに思わず頬が緩む。
屋敷での食事は、私の体調を気遣って甘味が厳しく制限されていた。
これほどまでに「甘い」と脳が震える食べ物を口にするのは、いつ以来だろうか。
ああ、今世では初めてか。
次の一口はどの部分を食べようか迷っている私を、兄と姉が温かく見守っていた。
「ミリー、おいしい?」
「はい、とっても!」
なるほど、ミリアリアの好物だというのも深く理解できる。
「はは、相変わらず、ドーナツを前にすると目が変わるな」
……あぅ。少し子供っぽすぎただろうか。
だが、こればかりは仕方がない。
魂に刻み込まれた「ドーナツへの愛」が、私の心を激しく揺さぶるのだから。
うーん、これならすぐにペロリと平らげられそうだ。
「あ、ミリー。半分こしようね。全部食べたら夕食が入らなくなっちゃうから」
「えぇ!?」
ぐぅ……なんたる無念。
ど、どうする?
プレーンな部分もいいが、チョコレートのより甘い部分も捨てがたい。
……きれいに半分にするか?
うぐぐ、悩む。
早く成長して、思う存分ドーナツを貪れるようになりたいものだ。
思いがけない贅沢と楽しさに満たされ、私たちは深い満足感とともに帰路についた。




