第十話 遠い未来を夢見てた…
「状況は?」
「……落ち着いたものだと言いたいところですが……荒れていますね」
「修復は?」
「……当分は無理でしょう。……時間を要します」
「ちょっとでもクラウディアを連れてくればよかったかな……」
「……そのようなことが許されると?」
「特別に」
「……無理です」
ホリーの家から少し離れた空いた場所。ブラッドは白い衣装に身を纏う女性・セスを不愉快そうに睨み付けた。
――兵士達が怯えて逃げ出した後、しばらくしてジョージがエレインを連れて戻ってきた。
「あの光はっ……?」
無事を確認し合う前にそう問いかけるが、出迎えたピートはそれに答えなかった。
「それよりホリーが……! な、なんだかおかしいんだっ、……間違いない! ホリーが呪い士だ!」
興奮気味に目を見開いて告げるピートの様子に、ジョージとエレインは訳がわからずホリーに会ったが、本人は至って普通。
「あ、無事だったわね!」
と、笑顔で出迎えてくれた。……が、すぐに顔をしかめた。
「……クレアは? ……カーシュは? 一緒じゃなかったの?」
不安げな彼女の言葉でピート達も気付き、ジョージとエレインも、ここに戻ってきているものだと思っていただけに愕然とした。急いでみんなで手分けをして探しに行こうとした時、見知らぬ少年と女性がクレアとカーシュをそれぞれ抱えてやってきたのだ。
意識のない二人をすぐに小屋に運び入れたものの、誰もこの少年と女性に声をかけられないまま――。
ブラッドは腕を組んで、拗ねるように口を尖らせた。
「ちょっとくらい、いいだろ」
「……あなたの言うちょっとは、私にとって多大です」
「ン、せめてこいつらをどうにかするくらい、いいだろ?」
死亡して地面に倒れたままの兵士達を顎でしゃくった。
「このままにしてるわけにはいかない。不衛生だ」
「……」
セスはため息を吐き、トントン、と、地面を爪先で叩いた。すると、しばらくしてボコボコッと地面が至る所で盛り上がり、ズブズブ……と遺体が地面に引きずり込まれるようにいなくなる。その様子にブラッドは苦笑した。
「そう。それでいいんだ」
「……こんなことをやっている場合ですか」
トントン、と再び地面を足で叩くと、至る所に開いてしまった穴に土が盛り上がり、跡形もなく閉じてしまう。
「……様子では……微かに第二の扉が開いてしまったようですよ」
「予想はしてた。けど……思っていたほど酷くない」
「……私は、弾みで完全に開いてしまうことが恐ろしいと言っているんです」
「わかってる」
「……でしたら、早急に手を打ってください」
「そう急ぐなよ。“あっち”の時間経過は遅いんだ。のんびりしている時間はないけど……」
ブラッドは、小屋の窓からこちらをこっそりと覗いて、目が合うと「……はは」と微妙な笑みを見せるピートを見てセスに苦笑した。
「事情を説明しないと、気味が悪いはずだろ?」
「……説明など必要ですか? ……今は最優先にするべき事があるはずですよ」
「俺が説明しておく。その間に、お前はベルナーガスを見てきて欲しいんだ」
そう願い出て、そっと窺う。
「……、ギーナレスはいけそうか?」
「……問題はないようですね。失われてはいません。……扉が開いたと同時にヴィヴィールが数名、入り込んできてしまったようです。……すでに守護状態に入っていますね」
無表情で頷かれ「……そうか」とホッと一息吐く。
「じゃあ……他の街も。異常がないかを確かめておいてくれるか?」
「……わかりました」
セスは表情一つ変えずに背中を向けるが、しばらく間を置いてブラッドを振り返った。
「……決して、私がいない間に馬鹿なことはしないでくださいね?」
「しないしない」と苦笑気味に首を振ると、セスはため息を吐いて、そのまま歩き出し、ボンヤリと消えてしまった――。
ブラッドはしばらくそのままでいたが、ゆっくりと辺りを見回し、青い空を見上げて深呼吸した。
……戻ってきた。……本当に……戻ってきた、か……――
肩の力を抜いて再び辺りを見回すが、気配を感じて振り返った。いつからいるのか、小屋の表、少し離れた場所から窺っているジョージと目が合い、間を置いて取り繕うような笑みを向けた。
何を言っていいのかわからなかったが、とりあえず……
「……どうも、……こんにちは……」
と、上目遣いでそっと挨拶をしてみた。それが思っていた以上にこっ恥ずかしく、すぐに目を逸らすが、ジョージはじっと見つめて優しく微笑んだ。
「……ブラッド様、ですね?」
そう問われ、「……なんでわかったんだろう?」という疑問と、けれど、名前を呼んでもらえた事が嬉しくて、でもそれを表現出来ず、ポリポリと頭を掻いて恥ずかしそうに苦笑した。
「そう……、ブラッド。ジョージ……だよな」
「……はい。……お久し振りです」
「う、うん。……久し振り……」
……なんか変な感じだな。そう思いながら戸惑い、目を泳がせていたが、
「……大きくなられましたね」
という声に「……え?」と、顔を上げてジョージに目を戻した。
「……とても小さかったのに……」
懐かしそうな視線に、ブラッドは間を置いて苦笑した。
「俺も、もうテラスタだし」
「……?」
「あ、十七、……って、言うんだっけ?」
顔をしかめて言い直しながら、そっぽ向いてまずそうに眉を寄せた。
「こっちの言葉、ちゃんと勉強し直さないとな……。ああ、くそ。なんで言い方って万国共通じゃないんだ……」
ブツブツ不愉快っぽく呟いていると、ジョージが少しおかしそうに笑い、その笑顔を見てブラッドは頭を掻きつつ恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
「……ジョージはあんまり変わらないな。昔の面影が残ってる。なんとなくだけど……覚えてる」
そう言って、小屋の窓から覗き見するピートとスコットを見て笑った。
「あの二人も変わらない」
ジョージは苦笑して歩み寄った。
「……色々お話しを聞かせください。……わたし達にはまだわからないことが多いのです」
「だろうと思ったよ。……あの子達は? 目を覚ました?」
「……いいえ」
ジョージが首を振ると、ブラッドは服の間から液体の入った小瓶を取り出し、中身を目で確認してからジョージに投げ渡した。
「飲ませて。すぐ目を覚ますはずだから」
ジョージは受け取った小瓶からブラッドに目を戻した。
「……これは?」
「元気の出る気付け薬。怪しいものじゃないから大丈夫だよ」
笑顔で答えるブラッドから再び小瓶を見つめつつ小屋に戻りかけ、彼を振り返った。
「……一緒に入りませんか?」
「いや、俺はいいよ。……話しが聞ける状態になったら呼んでくれ」
「……わかりました」
ジョージは笑顔で首を振る彼をそのまま残していったん小屋に入る。
「やっぱりブラッド様かっ?」
焦りを浮かべて詰め寄るピートに、ジョージは頷いた。
「……間違いないな。……戻ってきたんだ」
「信じられん……」
ロバートが愕然とした表情で呟いた。
「一体……どうなっているんだ……」
「……その話しは」
ジョージはエレインの膝の上、目を閉じたままのクレアの顔を軽く支え上げた。
「……クレア様が目を覚ましてから、ゆっくり聞くことにしましょう」
小瓶の蓋を開け、中身を見て軽く匂いを嗅ぐと、液体をクレアの口に注ぎ込んだ。
「……カーシュにも」
残りを差し出すと、ピートがカーシュにそれを飲ませる。
ホリーは椅子に座ったまま、それぞれを窺いつつ腕を組んで顔をしかめた。
「なんだかワケわからないわね」
「それはあなたもですよ」
と、クレアの顔を覗き込んでいたスコットが訝しげに眉を寄せた。
「アレはなんだったんですか?」
「だから、私は覚えてないの」
迷惑そうに、ホリーはため息を吐いた。
「私の方が聞きたいわよ。……やられたと思ったら生きてるし。兵士を地獄に落としたって言われるわ、ティモの傷を治したって言われるわ」
フルフルと首を振りながら肩をすくめる。
エレインは「……あ」と、目を見開いた。膝の上に乗せているクレアの頭が微かに震えた。
「クレア? ……クレアっ?」
「おいっ、カーシュも!」
二人同時に「う……」と顔を歪めて目を開け、みんなは覗き込むように身を乗り出した。
クレアは眉を寄せ、しばらく間を置いて「ゲホゲホッ!!」と大きく咳き込んだ。ジョージが体を支え起こし、エレインが慌てて彼女の背中をさするが、
「カ、カーシュ!! カーシュが!! 溺れっ……!! 助けっ!!」
焦るように手足をばたつかせる、その後に、今度はカーシュが「ゲホゲホッ!!」と大きく咳き込み、
「クレア!! クレアが……!! ゲホ!!」
と、同じように大きく声を上げた。
「おいおいしっかりしろ!!」
ピートはカーシュを抱き、背中を叩いた。
「しっかりしろ! もう大丈夫だ! 助かったんだぞ!」
二人は「ゼェゼェ……」と息を切らし、虚ろな目で辺りを見回した。
「……ボ、ボク……」
「……俺、……あれ……?」
「……、ここ……」
クレアは呼吸を落ち着けながらボンヤリとみんなを見回し、ホリーに目を向けると間を置いて顔をしかめた。
「……ここ、……地獄?」
「人の顔見て決めないでくれる?」と、ホリーは目を据わらせる。
クレアはゆっくりと辺りを見回してこの場所を確認し、ホッと肩の力を抜いたが、涙を浮かべながらも微笑むエレインと目を合わせるなり「……あ」と戸惑いの色を浮かべた。
「……。お母さん……」
「……クレア……大丈夫?」
「……うん……」
申し訳なさそうに頷くと、エレインは涙をこぼしてクレアを抱きしめた。
「……よかった……、……よかった……」
クレアも間を置いて「……うん……」と抱き返す。
カーシュはまだ困惑げに辺りを見回し、安堵のため息を漏らすピートを窺った。
「……俺、一体……」
「ああ、助けられたんだよ」
「……誰に?」
その問いに誰も答えなかったが、クレアは「……あ!!」と大きく声を出すと、エレインから離れて辺りを探した。
「どこ!! どこ!?」
みんなの背後、部屋中を見回す姿に「な、なに? どうしたの?」とエレインが戸惑い問うと、クレアは探る目を留めることなく告げた。
「ブラッド!!」
カーシュはその言葉に少し目を見開いてクレアを振り返った。
「ブラッドは!? どこ!?」
「……外ですよ」
ジョージが答えると、今まで気を失っていたとは思えないほどの元気で立ち上がり、すぐにドアに向かった。同じくカーシュもその後を追う。
バンッ! と、小屋のドアを開け、キョロキョロと探していたクレアは沈みかける太陽を背中に立つ少年に目を留めた。
少し離れた場所、森を眺めていたブラッドは振り返ると、間を置いて微笑んだ。
「……目を覚ましたか」
クレアはしばらく彼を見つめ、パッと笑みをこぼして駆け寄り抱き付いた。
「ブラッド!! ……ブロディー!!」
ブラッドは少し笑ってクレアの背中に腕を回した。
「……ああ、俺だよ」
「信じられない!! 会えるなんて!!」
嬉しさを爆発させて彼から離れ、ピョンピョン跳ねながら笑顔で見上げた。
「ボク、ちゃんと見える!?」
「ああ」
「ボク、ちゃんと触れる!?」
「ああ」
「ボク、ちゃんと!」
「落ち着け」と、クレアの額に手を当て押しやる。
クレアは頬を膨らまして、ため息を吐くブラッドの手を掴み下ろし、睨み上げた。
「ヒドイ!! ボク、会えたの嬉しいのに!!」
「俺も嬉しいって。……けど落ち着け」
「会えるなんて思ってなかったよ! ホント、信じられないーっ!」
興奮を抑えきれず、クレアはブラッドの手を握ってブンブンと左右に振った。
「ねぇねぇ! 遊ぼう! たくさん遊ぼうっ! 一緒にお話ししようっ!」
「わ、わかったから……」
詰め寄るクレアに苦笑しつつ、「やれやれ……」とため息を吐いて、顔を上げた。
――小屋の方にみんなが立っている。その中からエレインが呆然とゆっくりと近寄ってきて、ブラッドは背中を伸ばした。
クレアは無表情で見つめ合う二人を交互に見て、エレインを見上げるとニッコリと笑った。
「お兄ちゃんだよ」
ブラッドは、じっと見つめるだけのエレインから少し視線を逸らし、躊躇い、それでもなんとか笑顔を取り繕った。
「……ただいま……」
その言葉にエレインは顔を歪めると、涙を流してブラッドを強く抱きしめた。ブラッドは一瞬、驚いたように目を見開いたが、自分より若干低いエレインに少し悲しげに微笑み、間を置いて彼女を抱き返した。
その傍でクレアは二人を見上げ、優しく微笑んでいた。その笑顔がカーシュには痛かった――。
「死んだのかなんなのか、俺にもよくわからなかったよ」
……日が暮れ、夜の静寂が訪れた。小屋の外に火を熾し、みんなでそれを囲んでいる。
夜食を済ませてから、ブラッドはそれぞれの顔を見ながら話しをし出した。
「あの時……国王に湖に投げ込まれてさ、ワケわからないままで。……気が付いたら知らない人に拾われてた。言葉も通じないし、何がなんだかさっぱりわからないままで。しばらくは泣いて過ごしてたよ」
「泣き虫だ」
クレアに指差し馬鹿にされ、ブラッドは彼女を睨んだ。
「それを言うならキミもだろ。ビービー泣いてたじゃないか」
「泣いてないっ!」
「泣いてました」と、スコットに鋭く口を挟まれ、クレアは分が悪そうに目を据わらせる。
ピートは耳を傾けながらお酒を飲んでいたが、「ん?」と、ふと何かに気が付いてブラッドを窺った。
「ひょっとして、王子の所からこちらの様子が?」
「見えてたよ。……と言っても、時間を戻したりして覗いていた程度だけど」
「……、王子のいた世界とは……」
「こことは全然違う世界。名前はフェルナゼクス。不思議な所だよ。おもしろくて……楽しかった。けど、異変が起き出して――。……いろいろやっているうちに、こっちの世界とつながることが出来てさ。それで様子を見てたんだ」
「国王を変えてしまったもののことはご存じですか? その……フェルナゼクスと言う所の……王、とかですか?」
スコットが訝しげに訊くと、ブラッドは軽く首を振った。
「いいや、違う。はっきりとした正体は掴めなかったけど……、……かわいそうな奴、かな……」
少し考えるように斜め下に視線を向けて呟く、そんなブラッドに、エレインは俯き、意を決して顔を上げた。
「ブラッド、……国王があなたに手を掛けてしまった理由……、……わかってる?」
どこか悲しげに、けれど気持ちを強く切り出すエレインに、ブラッドは「……ああ」と返事をした。
「あの頃はわからなかったけど……今はなんとなくわかるよ。……ジョージのことが好きだったんだろ? それは子どもの頃からなんとなく気が付いてたけどさ。……別にいいと思うよ、俺は。……あの時の状況からじゃ仕方ない話しだ」
「……状況?」
ロバートが顔をしかめて繰り返すと、ブラッドはエレインに目を向けた。勧めるような視線を感じ、エレインは深く息を吐いて俯き、重い口を開いた。
「王に見初められ妃となり……幸せでした。王はとてもお優しい方でしたし、私にはもったいないくらいで。王と二人、これから幸せを築いていくのだと、私はそう未来を夢見て、幸せな想像ばかりを膨らませて。……王族の方々は、早く後継者をと望んでおられました。けど、なかなか子宝に恵まれず……。そんな中、やっとブラッドが生まれたんです。本当に嬉しくて、嬉しくて。……でも、次第に私から離れていくんです……。側近も国王も……ブラッドも……」
小さく話しながら、エレインは寂しげに視線を落とした。
「みんながブラッドを中心として動き……。ブラッドがかわいかったのは私も同じ。私もみんなと同じようにブラッドに接したかった。けど、仕来りだとかで、男の子には女親の教育は必要ないのだと。それで……ブラッドには三人の護衛が付き、彼らが発育や、教育をも見守ることに。……私は益々孤独になり……女の子が欲しくなったんです。男の子だと取り上げられてしまうのなら、せめて女の子をと。でも、それもなかなか……。段々と精神的にも弱くなり……、その時に、ジョージに助けられたんです……」
そう言ってエレインは顔を上げ、じっと聞いているだけのジョージに目を向けた。
「孤独に追い込まれていた私に、いつも優しく声をかけて、様子を見に来てくれて……、主である国王に忠告までしてくれた……。王は、あなたに言われてやっと気が付いたのよ? ……けど、その時にはもう私は……密かにあなたを愛していました」
ジョージは少し視線を落とすが、エレインはそのまま、目をみんなに向けて言葉を続けた。
「……それから国王は私に気を遣ってくれるようになりました。……そしてブラッドが三つの時、ようやく二人目を宿し、私は女の子であることを楽しみにしていました。……早く生まれてきて私の傍にいて欲しかった。女の子を楽しみにしてた……。そして……生まれた。……、けど……、泣いてくれなかった……」
エレインの顔が紅潮し、目に一杯の涙が浮かぶ。
「泣いてくれなかったの……。何をしても……息をしてくれなかった……」
ピートとスコットは視線を落とし、カーシュは目を閉じて歯を食いしばった。
ホリーはゆっくりとクレアを見た。……とても冷静な顔をしている――。
エレインはこぼれた涙を拭い、鼻をすすって話しを続けた。
「……生まれてきたのは女の子で……、……クラウディアって名前を……」
「……、その子は……ジョージ殿との?」
ロバートの問いにエレインは首を振った。
「いいえ。ジョージとは一切の過ちはありません……。彼はただ、私の心を支え続けてくれていただけだったんです……。……クラウディアを亡くした後もずっと……。……その頃からでした、……王のご様子がおかしくなりだしたのは……」
鼻をすすり、話しを続ける。
「……あまり気にしなかったんです。王とも話しをする時間がなく……私を避けているようでしたから。そんな時に、今度はブラッドが……」
再び涙がこぼれ、エレインは手で口を覆った。
「ジョージ達も城を追い出され、もう……、もう何を頼ったらいいのか、何をどうしたらいいのかわからないまま……」
肩を震わせて泣く、エレインの背中をブラッドは優しく撫で、ジョージを見た。
「俺はまだ小さかったし、大人達の事情なんてよくわからなかった。ただ漠然と、母さんとジョージは仲がいいなって思ってた」
ジョージは間を置いてブラッドに目を向けた。
「……あなたの護衛に付き、ただ、それだけのことだと思っていました。主立った生育や学業はスコットが、護身術についてはピートが、わたしはお目付役、ただそれだけ。……目付というのは、王子に関わるすべての人を把握しなければなりません。その時に、妃様の様子がおかしいことに気付き、ご相談を受けることに。……その時にはわたしも妃様に想いを寄せていました。しかし、それは叶わぬ事。打ち明けることはありませんでした」
「あの時のことは覚えてるか? 俺が湖に投げ込まれたとき……」
「……ええ。王子と二人で散歩がしたいと国王がおっしゃって……。疑問には感じましたが、親子での時間を大切にされたいのだろうと、その時は深く詮索はしませんでした。……なのに王子を湖に。影から見ていたわたし達は驚き……ショックでした。……わたしはすぐに湖に飛び込み、あなたを失いたくない一心で助け上げたんです。……湖から上がると、国王はわたしを見て言いました。王子は死んだ、だから護衛は必要はない。城から立ち去れと。……そのまま国王とは会わず仕舞いでした。……助け上げた王子を急いで介抱しなければと……見た時に気が付いたんです。……王子にしては体が小さかった。しかし、着ている洋服が王子のものだったため、深く考えずに、女中の元を尋ねてすぐに蘇生を。……息を吹き返し、安心したのも束の間、助け上げたのが女の子だとわかり……」
ジョージは深く息を吐いて軽く首を振った。
「……考えてもわかりませんでした。もう一度、湖に潜りもしましたが、王子らしき姿は発見できず……。原因を追及したかったのですが、王子の葬儀が行われてしまって。……遺体もないはずなのに、なぜそのようなことが出来るのか、不信感を募らせ、抗議したわたし達は、城から追い出されました。……途方に暮れることなく、わたし達はとにかく三人で女の子の面倒を見ることにしたのです」
「その時、……女の子を助けた時、思ったことは?」
ブラッドに問われ、ジョージは間を置いて切り出した。
「……王子の代わりに……死んでしまったはずの第二子が出てきてしまった、……そう思いました。……妃様は女の子を望んだ。その思いがそうさせたのかと。……わたしが死なせてはならないと強く思うと同時に、代わりにクラウディアが誕生したのだと」
「そうだな。……不思議な話だけど……そう思うよな」
深く息を吐くブラッドに、ピートは顔をしかめた。
「それで……王子はさっきどこから」
「俺はクラウディアに呼んでもらったんだよ」
「……クレア様に?」
ピートが益々顔をしかめ、ブラッドは苦笑した。
「俺、湖の散歩によく行っていたこと、覚えてるか? 実は……クラウディアに会いに行ってたんだ」
ピートとスコットは顔を見合わせ、訝しげな表情をした。
「ヘンかも知れないけどさ、俺……、湖の中にクラウディアがいたのを見たんだ。妹だとは気付かなかったけど、かわいい女の子が湖から俺に声をかけてきておとぎ話を聞かせてくれて。それが楽しくて、その子が大好きになって。いつかちゃんと会えるといいなって話しまでして。……けど、あの時、俺が湖に投げ込まれたときに立場が逆になった」
ブラッドはゆっくりと視線を地面に落とした。
「……ここに戻る前、フェルナゼクスにある宝玉から、こっちの様子を見てた。……この世界に戻るため、切っかけが必要だったんだ」
「扉、ですかな?」
ロバートが真顔で訊くと、ブラッドは「そうだな……」と小さく声を漏らした。
「ただ、違う世界を行き来するためには、大きな力と、そして、引き合う力が必要になる。……俺は、この世界との繋がりがクラウディアしかないって、知った。クラウディアに呼んでもらうしか、俺がこの世界に戻る術はなかった……」
言いながらゆっくりと視線を落とす、そんな彼の雰囲気を感じてか、スコットはすぐに身を乗り出した。
「わたし達は誰一人、ブラッド様のことを忘れてはいませんでしたよ。クレア様がいましたが……クレア様はクレア様。あなたはあなたで、わたし達にとっては大切な方だったんですから」
「……ありがとう。そう言ってもらえるだけで、十分に嬉しいよ」
真剣に訴えるスコットに、ブラッドはか細い笑みを見せ、吐息と共に言葉を続けた。
「クラウディアに呼んでもらうことで、俺との繋がりが出来、道が開かれる。……けど、そのために利用しなければいけなかったのが水だった。……俺達はお互いのことを、水を通してでしか知らない。俺のことを思い出してもらうには、俺と繋がってもらうためには、お互いが共通する場所、水に近寄らなくちゃいけないのに……クラウディアは水に近寄れなかった。……クラウディアは冥界から誕生した。水と冥界には繋がりがある。冥界での記憶がなくても体がそれを覚えていて、だから……冥界に戻ることを怖がって水には近付けないでいたんだ」
カーシュはゆっくりと目を開けた。
『水には……お化けがいるんだよ……。すごく怖いお化け……。お化けがボクを引っ張るの。……グイグイ引っ張るんだ。すごく、……すごく怖い顔して……ボクを沈めようとするんだ……』
『ボク、無理だ。……水に入ったら……、ボク……消えちゃう……。……消えるよ……ボク……。……いなくなるよ……』
……そういうことか――
ふと思い出した状況に、カーシュは目を細めて俯く。
ブラッドは、無表情に膝を抱える足下を見つめているクレアに目を向けた。
「呼んでくれるか不安だったけど……クラウディアは呼んでくれた。助けてくれって」
「……そうなんですか?」
スコットが首を傾げると、クレアは「んー……」と微妙な笑みを向けるだけ。思い出せないでいる彼女に、ブラッドは苦笑した。
「あの時は必死だったみたいだからな。……そいつを助けたい一心で」
と、顎をしゃくられたカーシュはその気配に顔を上げ、「……俺?」と瞬きをした。
「お前がクラウディアの扉を開ける鍵になったんだ」
カーシュはみんなからの視線を受け、戸惑い目を泳がせるだけ。そう言われても、記憶にないことだから返事も出来ない。
ブラッドは少し間を置いて深く息を吐いた。
「なんにしろ……おかげでクラウディアは生きたいって強く願い、その思いが記憶を呼び覚ましたんだ。……それまでに俺は何度も呼んでくれって頼んでいたから……俺を呼んでくれた。……そして、今がある」
ブラッドの言葉が終わると、ティモは額を抑えて深く息を吐いた。
「なんだか……気の遠くなりそうな話しで……」
「そうそう」
ホリーは思い出したように切り出した。
「みんなが言うんです。私がおかしかったって。……知ってます?」
「ああ。フェルナゼクスとの扉が開いた瞬間に、フェルナゼクスにいた奴らが少しこっちに出てきたんだ。俺の味方の奴らなんだけど、みんなの危険を察知して勝手に行動したんだろうな。まだそこら辺にいるよ」
「……人の体を勝手に使うなんて」
ホリーが不愉快そうに目を据わらせ、深く息を吐くと、ジョージは苦笑するブラッドを窺った。
「……王子が、クレア様の捜していた救世主……と、いうことで間違いはないんでしょうか? ……だとしたら……どのように国王を元のお姿に戻すんですか?」
「……。つまり……国王の心に宿る闇を殺すのさ」
「……殺せるのですか?」
「ああ。……殺せる」
そう頷いて、ブラッドは真顔でみんなを見回した。
「ということは、俺はベルナーガスに挑まなくちゃいけないって事だ。……だから近々、総攻撃をかける」
「総攻撃と言っても、ここには……」
ロバートが不安げに戸惑うと、ブラッドは微笑んだ。
「わかってる。……さっきも言った通り、フェルナゼクスから何人か応援が紛れ込んでるから、そいつらの力を借りるよ」
「じゃあ、国王軍なんて簡単に?」
「そういうわけにも行かなくってさ」
「……え?」
「ここと同じように、ベルナーガスの方にも何かが起こっているはずなんだ。……扉が開いた時の影響は大きいからな。……対抗出来る何かを手に入れてると思ってもおかしくない」
「……大丈夫なんでしょうか? ……わたし達にはもう、味方はいませんが……」
「まぁ……なんとかしなくちゃってコトだよ。……ただ、負け戦にだけはしたくないし。……それは絶対だ」
真顔で頷くブラッドにみんなはどこか不安さを滲ませる。ブラッドはそんな彼らに構うことなく一息吐いた。
「今、いろんなトコを様子見て回ってるしさ、その報告を聞いてから色々考えてもいいと思う」
ブラッドはそれだけ言うと「……いしょ」と立ち上がり、クレアを見下ろした。
「ク……レア」
呼ばれたクレアは顔を上げた。
「ちょっと来てくれ。……二人で話しがしたい」
少し間を置いて立ち上がったクレアを、ジョージが見上げた。
「……一緒に行きましょうか?」
「……、ううん、いいよ。……ブラッドと二人でいい」
クレアはジョージに微笑み首を振り、小屋の裏手に回るブラッドの後を追った。そのまま誰かを振り返るわけでもなく歩いて行く二人の背中を見送り、ピートは深く息を吐いた。
「……重傷って感じだ。あんなクレア様、初めてだぞ。……いいのか? 強引に付いていった方が」
「失礼でしょ。王子がクレアと二人でって言ってるんだから」
ホリーが呆れ気味に遮るが、ピートは戸惑いを露わにみんなを窺った。
「けど……もし何かヤバイ話しだったら? その事を後で教えてくれるとは思えないぞ?」
「……、ヤバイ話しって?」
カーシュが訝しげに問うと、ピートは目を泳がせて押し黙る。――が、
「……戻ってしまう……」
みんなはエレインへと目を向けた。彼女は赤く腫らした目をボンヤリと地面に落としている。
「……ブラッドが、こっちに戻ってきたように……、……クレアも……」
カーシュは少し眉を動かして、小屋の裏に回る二人の背中を振り返った。
――小屋の背に隠れ、ブラッドは「んーっ……」と大きく背伸びして深く息を吐いた。
「……こっちはいいな。なんか……さっぱりしてて。フェルナゼクスもいいトコだったけど……」
遠い夜空の向こうを見上げ、笑顔で懐かしむように切り出す。
「おもしろいところだったよ、本当に。なんて言うかさ、……おとぎ話の世界さ。本物の魔法使いだっているんだぜ。妖精も。不思議が一杯で……退屈はしなかったよ」
クレアは背を向けたまま話す彼の背中を見つめた。
「正直言って、フェルナゼクスに居着くつもりでいたんだ。……こっちから迷い込んできたことなんか、本当に忘れてた。……友達もたくさんいたし、普通に暮らしてたから。本当に普通に……。……、あそこで、遠い未来を夢見てたんだ……」
「……」
「なんて事のない夢だけどさ、……平凡に楽しんで、誰かを好きになって……。……そいつと一緒になって子どもが出来てさ、魔法を教えたり……とかさ」
「……、……」
「……いろんな夢が叶うところだった。……楽しくて……」
弾んでいた声も、段々と語尾が小さくなる。
クレアは俯くブラッドの背中を見て、悲しげに微笑んだ。
「……好きだったんだね、……すごく」
「……、……かもな」
「なのに……、戻ってきたんだね……」
「……。この国のみんなが苦しんでるトコを見たのは、ほんの少し前だった。それまで俺は……フェルナゼクスのヤボ用に走り回ってたからさ。……この国がヤバイ事になってるなんて……さ」
「……」
「戻っていいのかどうなのか、すごく考えた。……でも、……戻らなくちゃいけなかったんだ。……俺には、何かを決めることは出来なかったんだ……」
ブラッドは、ゆっくりとクレアを振り返った。
「……。覚えてるか? 俺が言ったこと。……いつか迷うって」
真顔で向き合う彼を見て、クレアは間を置き頷いた。
「……迷うなら、今ここで迷って……一つの道を選んで欲しい」
「……、……」
クレアはゆっくりと視線を落とす。そんな彼女を前に、それでもブラッドは言葉を続けた。
「……キミは川の中でも相当迷っていたよな? その迷いで冥界の扉が微かに開いてしまった。……そこからやってくるヤツは手に負えなくなる。……もし完全に開いてしまったら、この世界は飲み込まれてみんなが息絶える。……そうなったら元も子もない。……だから……、はっきりとした決断を下して欲しいんだ」
ブラッドは間を置き、真剣な表情で告げた。
「……全てを元に戻す必要がある。つまり……どういうコトかわかるな?」
クレアは彼を見上げ、また少し視線を落とした。
「……決断……出来なかったら?」
ブラッドはゆっくりと腰に携えていた剣を抜いた。……金色に輝く、綺麗な剣を。
「冥界の扉が開くようなら、……その前に、俺はキミの命を絶つ」
「……だと思った」
「……」
「……、嫌いだよ、ブロディなんて……」
しゃがみ込んで背中を丸めると、悲しげに地面を見つめる。その姿をじっと見下ろし、ブラッドは剣を直して近寄った。
「……わかるよな? ……どちらにしても選択の道はない。……だろ?」
「……。そうだね……」
ブラッドは腰を下ろして、寂しそうな目でクレアの肩に手を置いた。
「……俺は……みんなを助けたいんだ」
クレアはじっと地面を見つめ、「……うん……」と頷いた。段々とその目に涙が浮かぶ。
「……そうだね。……ボクも、同じだよ……」
「……、ああ。……そうだな……」
「……、……大丈夫だよ。……ボク、強いから……」
「……ああ……。……そうだな……」
「……うん……」
頷くと目から涙がこぼれ地面に染み込んでいく――。クレアはその跡を見つめると、目を閉じ鼻をすすり、間を置いてゴシゴシッと腕で目を拭ってスックと立ち上がった。
「決めた!!」
ブラッドは、強い眼差しで夜空を見上げるクレアに目を向けた。
「ボク、キミと一緒に国王を倒すぞ!! そして、この国のみんなを幸せにするんだ!!」
グッと力強く拳を握りしめる。
ブラッドは悲しげに微笑み、ゆっくりと腰を上げると一息吐いた。
「……キミに協力する」
「当たり前だ!」
睨み言われてブラッドはため息混じりに目を据わらせた。
「男言葉はやめろって」
「文句があるならジョージ達に言え! それに、ブラッドのその格好! スカート履いてそっちこそ女の子みたいだ!」
「フェルナゼクスじゃこれが普通だ。独身の男はアシルナを纏って、女はキレスを着る」
「ワケわかんないことを言うなっ」
強気のクレアにブラッドは「……ったく」と再度ため息を吐いて腰に手を置き、軽く首を振った。
「あの愛らしいクラウディアはどこに行ったんだ」
「ここ!」と不愉快そうに大きく手を挙げられ、ブラッドは少し笑うと、クレアの頭を撫でて小さく微笑んだ。
「……本当に、……キミに会いたかったんだ……」
クレアはブラッドを見上げてニッコリ微笑んだ。
「ボクもだよ」
「……ああ」
頷いて、クレアを抱き寄せ頭に頬を寄せる。クレアもブラッドを抱き返した。
「……お帰り、ブラッド……」
「……、ただいま……。……。今まで……ありがとうな……」
「……ボクの方こそありがとう、……戻ってきてくれて……、お兄ちゃん……」
お互いしっかりと抱きしめ合っていると――
「……押すな……」
「いて……」
と、小屋の影から小さく聞こえ、二人は振り返った。地面には数名の影が……。
ブラッドはため息を吐いて、離れたクレアを見下ろした。
「……最後まで頼むな、……救世主」
クレアはブラッドを見上げ、「……うん」と笑顔で頷いた。その時、「うあっ!」と、小屋の影からカーシュがいきなり躓くように出てきて、二人の視線を浴びると「な、何するんですかっ」と顔を赤くして隠れようとする。だが再び突き押され、結局隠れたくても隠れられないまま。
ブラッドは深く息を吐くと、キョトンとしているクレアに目を戻した。
「……あいつとはただの友達だったよな?」
「そうだけど、なんで?」
「……、兄貴として訊いておかなくちゃいけないだろ」
「そんな必要ってあるの?」
「ある」
「よくわかんないよ」
訝しげに首を傾げられ、「……、ならいいけどさ」と、慌てふためくカーシュにため息混じりに近寄った。
カーシュは、一歩一歩、近寄ってくるブラッドを見て息を詰まらせた。……すでにピートとスコットとティモは遠くに走って逃げている。
「……、カーシュ、だっけ?」
「……はい、……そうです……」
相手が“何者”かわかっているだけに、なんとなく恐縮してしまう。
ブラッドは、首を縮めて目を逸らすカーシュをじっと見て、窺うように顔を近付けた。
「わかってるだろうな?」
脅すような低い声に、カーシュは「……え?」と背中を仰け反らした。
「クラウディアに指一本でも触れてみろ。……俺がここに戻ってきたからには容赦しないぞ」
カーシュは睨むブラッドに息を詰まらすが、「ち、ちょっと……」と困惑げに小さく首を振った。
「お、俺は……別に何も……」
「絶対だな?」
「……絶対……に」
自信なさげに返事をする。
ブラッドは俯くカーシュに再びため息を吐くと、そのまま横を通って歩いていった。カーシュはその背中を見送り、クレアの方に目を向けた。クレアは「……何してるの?」と言わんばかりの不思議な表情で首を傾げている。
カーシュは戸惑って目を逸らしていたが、なんとか気を取り直し、歩幅を狭く、クレアに近寄った。
「……なんか……、ゴチャゴチャでよく……わからないことばっかりだな」
「カーシュはピートと同じくらい飲み込み悪いからなー」
「……。誰がだよ」
ムスッとした表情で睨むと、クレアは少し笑った。
「けど、ボク達、助かってよかったね。死んだと思ったのにね」
「……そうだな。……助からないと思ったよ」
「川に入れ、なんて無茶言うしさ」
「仕方ないだろ、川の方しか逃げ道がなかったし」
「カーシュがジョージみたいに強かったら逃げなくて済んだんだぞ?」
「……悪かったなっ、弱くてっ」
眉を吊り上げそっぽ向く。ふてくされた様子にクレアはまた笑った。
「生きててよかったね、ホント」
カーシュは「……まぁな……」と、ゆっくり頭を戻し、夜空を見上げるクレアに目を向けた。
――とても穏やかな表情をしている。
「……、なぁ?」
カーシュは躊躇いがちに視線を逸らし、小さく問いかけた。
「……ブラッドと……なんの話しを?」
クレアは「ん?」と夜空からカーシュに目を向けた。
「力を合わせて国王を倒そうって話しだよ」
「……それだけか?」
「そうだよ」
「他は?」
「他って?」
「……他だよ」
「だから、他って?」
顔をしかめながら首を傾げると、カーシュは少し間を置いて言葉を切り出した。
「つまりさ、……国王を倒した後……、どうなるんだ?」
「平和になる」
キョトンとした顔で即答され、カーシュは内心苛立ちながらも「そうじゃなくてっ」と眉をつり上げる。クレアはクレアで「何も間違ってないのにー」と口を尖らせた。
「カーシュは何が訊きたいんだよー?」
うっとうしそうに訊かれたカーシュも、苛立ち気味に訊いた。
「だからっ、お前はどうなるんだって事だよっ」
「……どう?」
「ちゃんとここに残るんだよなっ?」
身を乗り出し、文句でも言うようなカーシュにクレアは苦笑した。
「なんだ、それ?」
「残るんだよなっ?」
「残って欲しい?」
「真面目に!」
「真面目に、残って欲しい?」
笑顔で首を傾げられ、カーシュは言葉を詰まらせると「……ふん」と無愛想にそっぽ向いた。
「別にっ。……どっちでもいいけどっ」
「かわいくないぞ。残って欲しいならそう言え」
腰に手を置いて目を細めるクレアに「誰が!」とカーシュは顎を上げて腕を組み、笑い飛ばした。
「俺には関係ないことだろっ」
「……、ふうん」
クレアは口を尖らせて鼻で返事をすると、再びゆっくりと夜空を見上げた。
――拗ねてしまったのかなんなのか。それ以上何も言わなくなってしまったクレアになんとなく心苦しさを感じ、戸惑いながらも声を掛けようと考えた、その時……
「……もし、カーシュがいなくなる、ってなったら……、ボクは、すごくがんばって止めるよ」
その言葉にカーシュは少し眉を動かした。
クレアは穏やかな笑みを浮かべて夜空を見つめている――。
「……大切な親友だからね。……どこにも行かない方がいいって……ボクはそう言う」
バクンッ、と心臓が高鳴った。――痛かった。だが、どうしたらいいのかわからず、彼女から逸らした目がウロウロと動き、混乱する頭が何よりも先に素直さを隠してしまった。
「……俺は……お前とは違う……」
カーシュはゆっくりと視線を斜め下に向け、間を置いて聞こえるか聞こえないかの小さな声で言った。すると、クレアは「ふふっ」と笑みをこぼした。
「そりゃそうだね」
クレアは笑顔のまま、俯くカーシュを振り返った。
「明日、ナナを迎えに行こうよ」
突然誘われて、カーシュは顔を上げると「……ああ。……そうだな……」と、ぎこちなく笑ってみせた。
「ボク……、ナナに会いたいから」
「……そうだな……」
「カーシュは会いたくない?」
「会いたいけど……」
「それが本音だ」
クレアはにっこりと笑い、また空を見上げた。その姿をカーシュはじっと見つめる。
――なんとなく、泣きたい気分だった。ものすごく息苦しいのを、必死で隠していた。
しばらく言葉が途切れ、クレアは大きく背伸びをして息を吐き、カーシュを笑顔で振り返った。
「国王を倒してホントに平和になったら、なにしたい?」
唐突な質問に、カーシュは戸惑いながらも少し考え、「……さぁ」と首を傾げた。
「あんまり……考えたことない」
「つまんないなー。希望もなくてそれでよく生きてるもンだよ」
「……放っとけ」
「ボクが決めてあげようか?」
ニッコリ笑顔で言う。
「とりあえず、カーシュはナナと結婚するんだ」
「……、勝手に決めるなよ」
「んでね、子どもを作るの。たくさんがいいなー」
「あのなぁ……」
「んでー、その子どもはカーシュより強くなるんだよ」
「勝手に想像するな」
「だって、何も決めてないんだろ?」
「だからってその通りにするかっ」
「いーじゃん。ナナと結婚だよ。ボクの予想は的中するんだ」
「絶対そんなことはない」
「なんで?」
「それは、……、……別に」
「別に別にばっかり!」
拗ねるように目を逸らすカーシュに、クレアは頬を膨らまして地団駄踏んだ。
「カーシュは退屈! おもしろくない!」
「……悪かったな、おもしろくないヤツで」
「ピートに遊んでもらおうっと。……ブラッドに遊んでもらおう!」
楽しそうな笑顔で飛び跳ねる。無邪気な様子にカーシュは深く息を吐き、視線を落としていたが、再びクレアへと目を向けた。
「……、なぁ?」
「んー?」
「……ここには残らないつもりなのか?」
小さく問いかけるカーシュに、クレアは微笑んだ。
「知りたい?」
「……、一応……念のために」
「じゃあ教えるね。ボクはここには残らないよ。冥界ってトコに帰るんだ」
普通に答えられて、カーシュは表情を消し、口を閉ざしてしまう。硬直する彼に、クレアは少し笑って首を傾げた。
「なに? なんで黙るの? ボク、おかしな事言った?」
「……なんか……、……なんで……、そんな……、……」
「そんな?」
「そんな簡単に……、……。みんな、すごく心配して。……心配してるのに」
「そんなに心配してるの?」
クレアは「んー……」と考え込むように視線を上に向け、カーシュに目を戻して近寄った。そして、腕を伸ばして彼を抱きしめる。
“心配かけてごめんなさい”の合図――。
カーシュは視線を泳がし、悲しげに地面を見つめて抱き返した。
「……、本当に……ここには、もう……」
「残らないよ」
「……。……どうしても……」
「残らないよ」
「……、……」
「残らないよ」
問い掛ける間もなく返されて、カーシュは悲しげに顔を歪めると、クレアをギュッと強く抱きしめた。
「……行くな。……ここに残れよ。……ここに残って……みんなと一緒にいよう。……みんな一緒にさ……。……いよう……」
息苦しいほどに抱きしめられ、耳元で聞こえる掠れた声に、クレアは彼の背中に回した手でそこの服を掴み、小さく笑みをこぼした。
「……ボクの親友」
「……」
「ボクはここには残れないんだ。……変えられないんだ」
「……そんなのどうにかなるかも知れない。……なんとかなるかも知れない。今までだってなんとかなったし、きっとその時も」
「カーシュ」
「……」
「……残れないんだよ。……元に戻さなくちゃ。……そのためにブラッドは戻ってきた。……ボクも、元に戻らなくちゃいけないんだ」
まるで優しく言い聞かせるよう。その声に、カーシュは少し息を震わせた。途端に鼻の奥が痛くなって、顔中が熱くなって……。
クレアは、息をする度に震えるカーシュの背中をポンポンと、優しく叩いた。
「……ありがとう、カーシュ。……キミの勇気は、ボクが受け継ぐよ」
「……俺には、勇気、なん、か、ない……」
息を詰まらせ、その度に言葉も突っかかる。
「そんな、の、なかった。なかった、んだ……。……必死な、だけだったんだ……」
「……それでいい。……それでいいよ。……うん、それでいいんだ」
慰めるような声と背中を撫でる感触に、カーシュは息を詰まらせながら腕の中のクレアの頭に頬を寄せた。
「……、俺。……俺、お前が……」
「親友」
「……」
「……キミは、ボクの大切な親友だ。……これからもずっと。……いつまでも、ボクの親友だよ」
カーシュの目からポロポロ涙がこぼれ、クレアの髪の中に伝う。
クレアはグッと奥歯を噛み締めて息を詰まらせると、しっかりと彼を抱きしめた。
「……がんばろうね」
「……っ……、……」
「……この国に平和を取り戻すために……ボクはここに来たんだ。……ボクが……救世主なんだよ」
「……、……っ!」
「……がんばろう。……ボク達の手で、この国を変えるんだ」
クレアはゆっくりと腕を離し、彼の顔を見ることも、言葉を掛けることもせず、横を通って歩いていく。遠離る気配を感じながら、カーシュは顔を歪めて大粒の涙をこぼし、ガクンッとひざまづいて額を押さえ、項垂れた――。
「……」
出てきたクレアを目で追って、ブラッドは小屋の壁から背を離したが、顔を下に向けたままの彼女に何も言えず、そのまま小さな背中を見送った。
しばらくしてゆっくりと小屋の後ろへ回ると、遠く、背中を丸めて項垂れたまま、小さく声を漏らすカーシュを見てやはり声がかけられず、彼を一人、静かにそこに残した――。




