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第一話 ボクが変えてみせる

 ――確か、時間帯は昼のはず。

 真上近くに登っている太陽も見放した、薄暗くて湿っぽい、悪臭漂う路地裏……。“空席”を見つけると、背中を丸めて座り込み、生気のない目で一点を見つめる。周囲にいるみんなが同じ様子だ。黒く汚れて体臭も酷く、表に出れば誰も近寄ろうとはせず遠回りで避けられてしまう。

 ここは、街の中でも路上生活者達が一際多く潜んでいるところ。綺麗に着飾った者達は、彼らを“ノーマン”と呼んでいる。ノーマンは、家も家族も、財産と呼べる物何一つ持たない、ただ、死を待つだけの浮浪者だ。

 その昔はノーマンなんていなかった。物乞いはいたが、それでも彼らには人権もあったし、何より街人達が優しく接してくれていたものだ。――今はそんな面影すらない。ノーマンの死体なんて、一歩道を間違えればその辺に転がっている。悪臭が酷いと誰も近寄れず、下流階級の者達が名指しされるまま、渋々森に捨てた。腐敗した遺体には獣も近寄ることなく、いずれ土に還る。――繰り返し、繰り返される日々。

 何故こんなことになってしまったのか、時を遡ること十数年前……。

 ここ、ベルナーガス領に属するウェルターは豊かな貿易の街だった。森に囲まれ、片隅には湖畔が広がり、人々には恵まれた環境と生活が与えられて旅人達の宿り木としても人気の高い街だった。ウェルターだけではなく他の街も同様、ベルナーガスに住む民のほとんどが幸せだったのだ。

 しかし、事態は急変した。「娯楽を禁ずる」という令状が配布されてから。

 あらゆる遊技が禁止された。酒もバクチも、読書も唄も。人が楽しいと思えるもの全てが取り上げられてしまった。その行動が兵士に見つかれば、即絞首刑が待っている。

 そんな条令を国民達が素直に受け入れられる訳はなく、多くの者が城を訪れて理由を問い質したが、明確なものは何ひとつ告げられず「王のめいだ」と追い返されるだけ。団結して猛反発もしたが、それは結果として大量虐殺へと姿を変えてしまった。

 更に、多くの女性達が犠牲になった。容姿の綺麗な者、知能の優れている者、人に特別な感情を抱かせる者。若い女性のほとんどが連れ去られ、その際、彼女達の家族や知人が必死に止めようとした。「なぜ女達を!?」と涙ながらに訴えた。だが、やはり「王のめいだ」としか答えは返ってこないまま……。どんなに引き留めようとしても、国家の権力には逆らえずに彼女達を失ってしまった。

 ただの庶民が鍛えられた兵士に立ち向かえるはずはない。なんとか匿っても抜き打ちの調査で見つかることもある。その時は、同居の家族達みんなに罪が着せられ、街人達への見せしめとしてその場で処刑される始末。

 楽しみを奪われた挙げ句、妻や娘を奪われ、男達は孤立してしまった。優しさを持つ女性の存在が少なくなれば、自然と空気は重くなり、活気は失われる。

 理由もわからぬままに迎えてしまった闇の時代――。

 あまりにも酷い状況下、国の変貌に皆は口を揃えて言った。「国王・ゼフィスは悪魔に魂を売り渡したんだ」と。

 事実は誰にもわからない。ただ、はっきりしているのは、今がまさしく暗闇の時代だということ。

 生き甲斐を無くした者の多くは、ノーマンとなって朽ち果てていく――。

「……おい、小僧」

 虚ろな目でどこか遠くを見る、ノーマンの中でも若い少年は、声をかけてきた男にゆっくりと目を向けただけで返事はしなかった。

 男は彼に近寄ろうとはせず、ジロジロとなりを見て考え込み、ニヤリと笑って顎をしゃくった。

「仕事をくれてやる。来い」

 少年は口を噤んだまま、精気のない顔で立ち上がると歩き出した男について行く。その様子を、頭から被る布越しにじっと見つめるノーマンが一人――。項垂れているノーマン達に囲まれた中、汚れた壁際に背中を丸めて座り込んでその場に馴染んでいるクレアは、角を曲がっていなくなってしまった少年の背中の残像を消すように目を逸らして足下へと移した。

 ……ムシズが走る世の中だ。ああして、顔立ちのいい男の子は綺麗にされて、女性の代わりにと金持ちの道楽共に売られる。この状態はもうずっと続いている。“ムシズが走る”なんて、今更と言えば今更。自分だっていつどうなるかはわからない。この数秒後だって――。

 力なく俯くと、ため息混じりに肩を落とした。

 ……ここは相当酷いな。街の大きさに比例してるのか、ノーマンの数も多い。……逆も然り。道楽共の数も半端じゃない。

 「ヘンなヤツに絡まれないうちに隠れるか」と、のんびりとした動きで立ち上がり、若い肌を隠すための大きなボロ布を頭から引っ張って背中を丸める。すると、背中に担いだ荷物がコブになり、端から見たらその姿は老人その者。あとは杖でもあればいいが、生憎、ささくれた木の棒しか持ち合わせていない。布を巻いた手で木の棒を掴み持ち、足腰悪そうに、危なっかしい足取りで歩き出した。

 路地裏から出る前にたくさんの足音が聞こえ、そして表に出ると、見えなくても通行人達の嫌がる雰囲気が伝わってくる。たまに、「出てくるな!」と、誰かに物を投げられたり、蹴られたり――。とにかく、ノーマンの格好をしていると同じ人間として扱ってもらえないのだということが痛い程わかる。それだけノーマンが差別され、本当に死を待つだけの存在なんだと理解できる。この時代を呪いたくもなる。

 クレアは、誰にも気付かれないよう身を縮め、出来るだけ隅を歩いていった。






「……冗談じゃない。もう懲り懲りだ……」

 力なく項垂れて首を振る男に、みんなが同意して頷いた。

「金と自由の為とはいえ、これじゃ俺達はまるで……殺戮者じゃないか。兵士達でもこんなことはしないぞ?」

「……けど断れば」

「わかってる。わかってるけど……考えてみろ。彼らは生きている。……あんな姿でも、だ」

「お前の気持ちはわかる。みんながそうだ」

「けど、ここでイヤだと言ってみろ。……俺達だけじゃなく、女房や子ども達までが巻き添えになる」

「……やるしかないんだ。俺達に決定権はない。……従うしかない」

 気まずい雰囲気の中、「……くそ」と、誰かが悔しげに吐き捨てた。

 狭いリビングに集まってきた男達の会話を壁を挟んで聞きながら、この家の住人、ジョナサンの妻のサラは、「……どうしたの?」と小声で訊いてきた一人娘のナナの背中を真顔で押した。

「……あっちに行ってなさい」

「……、パパ達、どうかしたの?」

「なんでもないのよ。……ほら、部屋に戻って。大人しくしていなさい」

 何も教えようとはせず優しい笑みを向ける、そんな母親に文句も言えず、ナナは「……はい」と小さく返事をして二階の自室へ向かった。

 ……いつもそう。私には何も教えてくれない。私はもう十八歳よ? 子どもじゃないのに……。

 外に出してもらえないまま、もう十年近く、ほとんどの時間を部屋で過ごしている。遊びたい盛りに遊べずに、わがままを言って両親を困らせたこともあった。けれど、今なら理解できる。外に出て兵士に見つかれば、間違いなく殺されてしまうだろうということを。

 特別外見が綺麗なわけではないし、知識も教養もない。しかし、“若い女”というただそれだけで何をされるかわからない。

 二件隣りのベータも見つかっていなくなってしまった。あの子、男の子に変装してたはずなのに……――

 部屋に入って壁際に位置するベッドの端に座り落ち着くと、じっと足下を見つめた。

 私もいずれ見つかってしまう。時間の問題ね……。

 叫きたくても出来ない。誰にも助けを求められない。誰も助けてくれない。両親でさえ、日々の生活に怯えている。

 気持ちが沈み出し、憂鬱になりかけたとき、「コンッ」と、外壁に小石が当たるような音が聞こえて顔を上げ、耳を澄ませた。しばらくすると「ココンッ」と二回音が鳴り、ナナは急いで窓辺に行ってカーテンを開けた。

 路地裏沿いにある連家の一軒、その二階、彼女の部屋まで伸びる大きなパイプを伝い登って来た少年が、窓の向こうにいる。

 ナナが笑みをこぼしてガラスに手を付くと、少年も笑顔で彼女の手に自分の手を合わせ、笑いかけてきた。

「元気?」

「私は元気。……カーシュは? 元気にしてた?」

「俺は元気だよ」

 窓ガラスを挟んでの小声は聞き取り難い。だが、それでも二人は話しを続けた。

「パパ達が何か大切な話しをしているの……。知らない?」

 そっと訝しげに問うと、カーシュは「……ああ」と笑顔を消して俯いた。

「……ノーマン達を殺すって……話しだと思う……」

 悲しげな小声は聞き取り難い。だが、そう耳に届いたナナは愕然と目を見開いて息を飲んだ。

「殺す、って……、……一人?」

「いや、……全員、って……聞いた」

 か細い声にナナは目を見開き、泣き出しそうな表情で軽く首を振った。

「そんな……、なぜ? みんなが何をしたって言うの? ここにいるノーマンの人達はみんな大人しくしているし、悪い事なんてしてない。知ってるおじさんだっているし」

「街が汚いからって。……綺麗にしようって、父さん達が話してた……」

 訴えるように身を乗りだしていたナナは、そう言葉を遮られると視線を落とし、間を置いてカーシュに目を戻した。

「カーシュのお父さんは……」

「……俺の言うことなんか、聞いてくれない」

 言葉を濁して訊くと、カーシュは悔しそうにどこかを見つめ、奥歯を噛み締める。振り絞るような掠れた声に、ナナは「そう……」と視線を落とした。

 自分の家柄と違い、カーシュの家は父親が大富豪だ。それ故、彼自身も何不自由なく生活できている。子を思う親の気持ちはどの家庭も変わりないだろうから、カーシュが頼めば父親も聞き入れてもらえるものだと思うのだが……。

 カーシュは、言葉を切らして寂しげに俯くナナをそっと見つめた。

「ノーマン達がいなくなれば、次に狙われるのは……ナナ達のような人になる」

「……そうね。まるで狐狩りみたい」

 自分で言って鼻で笑う、諦めにも似た笑みをこぼす彼女に、カーシュは真顔で告げた。

「逃げよう」

 小声ながらも力強い声に、ナナは「……え?」と驚いたように目を見開き、焦りを浮かべて小さく首を振った。

「何言ってるの? そんな馬鹿なこと……」

「そういう人達がいるんだ。逃げて、森の中でひっそりと暮らしてるって人達も。……俺達もここから逃げて、森で静かに暮らそう?」

 身を乗り出して訴えるように誘う。真剣なカーシュを見つめていたナナは、ゆっくりと視線を落とした。

「……無理よ」

「ナナ」

「だって、カーシュを巻き込めない。……あなたはこのままでいれば普通に生きていけるのよ? ……私に関わっていたらあなたまで」

「……幼馴染みだろ?」

 カーシュは元気付けようと少し笑ってみせた。

「小さい頃から一緒だったじゃないか。なんでも一緒にしてたじゃないか。……このままナナを放っておけない。それに、俺はこんなトコ、イヤなんだ」

 ナナは目に涙を浮かべてカーシュを見つめた。息が震えて、目頭が熱くなっていく。

「カーシュ……」

「……逃げよう。俺、なんとかするからさ。父さんの力を利用して情報仕入れて、住めそうなトコとか、食料調達できるかとか、調べておくから」

「……」

「絶対ナナを自由にしてやるよ。それで昔みたいにさ……、また、楽しく暮らそう?」

 笑顔で相槌を問われ、ナナの顔が一気に紅潮して目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。

 声を殺して俯き泣く、そんなナナに、カーシュは触ることの出来ない彼女の顔に手を伸ばし、そ……とガラスを撫でた。

「一緒に行こう。……新しく、人生をやり直すんだ」






 カラーンと蓋の開いた空き缶の中に何かか投げ込まれ、「お金か?」と覗き込んでみたが、ただの金属製のゴミ。汚れたマントを頭から被って老ノーマンに化けているクレアは「ケチ!」と心の中で吐いた。

 物乞いをするノーマンは少なくはない。彼らの真似をしながら、どこからか流れてくるだろう“情報”を待っていたが……どうやら当てが外れたようだ。これ以上待っても、何も得られそうにない。

 クレアは老人の素振りでゆっくりと立ち上がり、顔を隠したまま、背中を丸めて壁伝いに歩いた。

 ――そろそろ日も暮れ出す。

 脇道を見つけてそこに入り込み、人の気配がないことを確認してから背負っていた荷物を下ろすと、汚れた鞄の中から鞘に収まった短剣を取り出して腰に携えながら深く息を吐いた。

 ……なんだか不気味だな。表を歩いてたのは金持ち達ばかり。一般庶民の姿がほとんどなかった。……何か起きそう。何事もなくここからいなくなりたいけど……。

 鞄を背負い、ボロ布を頭から被ると、誰かの家の壁に背中を付けてじっと座り込む。

 ……暗くなって、みんなが寝静まったらこの街を出て行こう。これ以上ここにいても“情報”は掴めそうにない。

 それまでしばらく眠るか、と目を閉じた。熟睡は出来ないが、目を閉じてじっとしているだけでも体力は回復する。だが、結局そのまま「ZZZ……」と眠り続け、どのくらい時間が経ったか――。

 ふと目を覚まして顔を上げると、周りはだいぶ暗くなっていた。誰にも叩き起こされなかったということは、死体だとでも思われてしまったか。まあ、それはそれでラッキーだ。

 ――そろそろ、いい頃合いだろう。

 大きく欠伸をして、「さて、行くか」と、気を取り直して荷物を抱えた直したその時、ふと気が付いた。

 やけに静かだ。そう感じたクレアは、辺りを見回し、闇に目を懲らした。

 ……おかしいな。こんなに静かだなんて。

 雑音すらない闇夜に自分の耳がおかしくなったのかと思ったが、そうでもないらしい。

 ――どこか遠くで走り回る足音と人の悲鳴が聞こえた。とても微かで、言葉にもならないような声。まるで、口を塞がれた状態で襲われているような……。

 ノーマン狩りか? ……くっそーっ。

 クレアは舌を打って立ち上がった。似たような状況を、過去数回体験したことがある。これに巻き込まれると、ノーマンになってる自分にも災難が降りかかるのは必至だ。少数ならば止めに入ることは可能だが、耳を澄ます限り、あちこちから“微かな音”が聞こえてくる。――状況は最悪だ。

 ヘタしたら街が封鎖されて出られないかもしれない。さあ、困ったぞー。

 背中の鞄を抱え直し、どちらに逃げようか、キョロキョロと左右を窺った。

 こういう時に限ってジョージ達は来ないんだから。いーっつも「一人で行動しないように」ってうるさく言うくせに。

 ため息を吐きながらも、「……よしっ」と意気込んで走り出す。

 この格好じゃ、どの道疑われるな。……せめて顔は隠すか。

 頭から被るボロ布を顔に巻いて目元だけを露わに角に来ると、壁に背を付けて向こうの様子を探り、人の気配がないことを確認してから暗闇の中を走った。

 その頃……――

「さ、早くっ」

 窓ガラスの枠を壊して外し、手を伸ばして誘導する。

 ナナはカーシュに掴まり、明かりの付いていない部屋を振り返った。

 ……さよなら、ママ、……パパ。……ごめんね。

 誰にも別れを告げることなく出て行くことを決心したナナは、悲しみを飲んでグッと唇を噛んだ。

 この夜、ノーマン狩りを隠れ蓑にカーシュと二人で街を離れることにした。

 パイプを伝って地面に降り立つと、カーシュは辺りの様子に警戒しながらもナナをしっかり抱きしめた。久しぶりの感触に、ナナも息を詰まらせてカーシュを抱き返し、鼻をすする。

「……隣り町との間に大きな森がある。捨てられた狩猟小屋があるから、しばらくそこで身を隠そう」

「……うん」

 もう一度しっかり抱きしめ合い、「……行こう」と手を繋いで走り出す。ナナは家の方を振り返り、何も言うことなくカーシュに導かれるまま走った。

 途中、何度か男達に出会ったが、カーシュがナナを隠して上手く誤魔化してくれた。「あっちにノーマンがいたよ」と。ナナが見つかっても、「父さんの所に連れて行かなくちゃいけないから」と、急いでその場から逃げた。

 ナナはカーシュに全て任せて闇夜に隠れ走っていたが、所々で倒れているノーマン達に目を逸らし、息を詰まらせた。

 ……どうしてこんな事になってしまったんだろう。十数年前までは幸せだった。カーシュともたくさん遊んだ。街のみんなが親切で優しくて……とても楽しかった。大人になってもそれは続くと思っていたのに。永遠に幸せだと疑わなかったのに……。

 涙がこぼれそうになるが、それをグッと耐える。と、その時、カーシュの足が止まり、ナナも顔を上げて足を止めた。

 ――細い路地裏、目の前に数人の男達が松明を手に立っている。その中の一人が、息を切らす二人を見て顔をしかめた。

「カーシュ、どこに行く気だ? ……その女は?」

「……、この子を父さんのトコに連れて行かなくちゃいけないんだ。明日の余興だって。早く連れて行かないと怒られるから」

 背丈のほとんど変わらないナナを背後に回して押し隠し、取り繕うような笑みを浮かべて告げるが、男は「……おかしいな」と訝しげに眉を寄せた。

「ギルフォイルさんにお前を捜してこいって頼まれたんだぞ? ノーマン狩りをやってるって勘違いをしてるみたいでな。そんなことをやらせるなって怒られちまった」

 ため息混じりに肩をすくめられ、カーシュはピクッと瞼を震わせた。何かを隠している――。そんな彼の空気を感じ取ってか、一歩前に出た男は見透かそうと目を細めた。

「……そいつ、ナナじゃないのか?」

 街人たちみんなが顔見知り同然だ。幼い頃の記憶しかないだろうが、面影でわかったのだろう。

 カーシュは怯えて硬直するナナの手を背後でギュッと握り締め、真剣な表情で男達を見回した。

「……見逃してくれ。俺達、この街を出ていくから」

 心臓をドキドキさせながら必死な様相で訴えるが、男達は顔を見合わせて首を振った。

「何言ってるんだ? 許されるわけがないだろ?」

「そんなことをしてみろ。お前まで殺されるんだぜ?」

「親父さんがなんて言うか」

「ナナを置いてお前は家に帰れ。今日のことは秘密にしておいてやるから」

 厄介ごとに巻き込まれた、と言わんばかりの呆れ顔でため息混じりにジリジリと近寄って手を伸ばしてくる男達に、ナナは肩を震わせて「……っ」と息を飲んだ。

 ここで捕まれば、ナナは……――

 カーシュはグッと奥歯を噛み締めてナナの手を強く握ると、なんの言葉もなく彼らに背を向け、ナナを引っ張り走り出した――。

「こっちだ! 逃げたぞ!!」

 男の大声に、クレアは「チッ」と舌を打った。

 コソコソと隠れて逃げていたが、出回っている人数が半端じゃなく多い。しかも、豪華な家の二階からは金持ち達が、「あっちだぞー」「こっちに逃げたぞー」と、おかしく笑いながら指示を出す始末。

 なんてトコだ!! こんな酷いトコは初めてだぞ!! みんなどうかしてる!!

 心の中で怒鳴っていたが、今はもうそんな余裕もない。後ろからドタタッ! と男達が追いかけてくる。

 街の外れまで行けば、なんとか壁を乗り越えて外に出られるかも。あとは……なるようになる!

 頭からすっぽりと被ったボロ布が飛ばないよう、端を掴み、必死で走り続けていたが――

「……!?」

 裏路地の角を曲がったところで、ちょうど同じように遠く対面の角を曲がってきた誰かが目に映った。「ヤバイ!」とUターンしようとしたが、後ろからはすでに追っ手が……。「ど、どうしようか!!」と困惑していたが、向こうから走ってくるのはどうやら“狩人”ではなさそうだ。泣いている少女を少年が懸命に引っ張っている。“小汚いノーマン”を見ても無視するように走り去ろうとしたが、“そいつ”を追ってきた男達の存在に気が付くと、足を止めて舌を打った。

 ナナは息を詰まらせ泣きながら、焦るカーシュに赤く腫らした涙目を向けた。

「カ、カーシュ……、もう、行ってっ……」

 突き放すように彼の手を振り払うナナに、カーシュは目を見開いて振り返った。

「何言ってるんだ! ここまで来て……! ここで捕まったらナナは!!」

「私はこうなる運命だったの。……もう、いいの」

 涙を一粒こぼすと、愕然とした表情で自分の腕を強く掴み息を震わせるカーシュを見上げ、微笑んだ。

「最後にカーシュに会えた。……それだけで、もう充分。……ありがとう。今まで本当に……。いつも私を支えてくれて……本当にありがとう……」

 ポロポロと大粒の涙をこぼしながらも懸命に礼を告げる。

 カーシュは悲しげに目を見開くと、泣き出しそうに顔を歪めてナナを強く抱き寄せ、頭に頬を擦り寄せた。

「いたぞ!!」

 クレアを追っていた男達と、カーシュとナナを追って来た男達に挟まれ、クレアとカーシュはそのどちらをも睨み見回す。

 男達はジリジリと近寄り、今にも彼らに飛びかかろうと間合いを計りだした。その殺気走った雰囲気を感じ取ったのか、ナナは諦めるように目を閉じた――。

 カーシュは脱力するナナを抱きしめたまま、歯を食い縛り、男達を睨み付けた。

「……お前らこんなことでいいのか!?」

 路地裏に声が響き渡り、跳ね返ってくる。

「やりたくもないことをやって!! 罪もない人を殺して!! ……こんな時代に飲まれるまま飲まれていいのか!? 夢も希望もなくしたのか!?」

 訴えるように男達を睨むが、声は震えている。粋がっているだけだとわかる様子に、男達は容赦なく数歩、にじり寄った。

「どうしてなんだ!! ……どうして誰も立ち上がらないんだ!! どうしてこのままで諦めるんだよ!! ……俺はこんなのはイヤだァ!!」

 最後は泣き声に近い。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 ナナは、訴えるたびに力が強くなる腕の中、涙をポロポロとこぼしてカーシュに強くしがみついた。

「――よく言った」

 隣りから聞こえた声にカーシュは少し目を見開くと、汚い生地に身を包む背の低い誰かを見た。

「その言葉を待っていた。……キミの勇気は、ボクが受け継ぐ」

 ナナは、ゆっくりとカーシュの肩から顔を離して目を開けた。その時、ようやく傍に立つ見知らぬ誰かの存在に気付いたが、背丈も声も、子どもその者だ。

 クレアは顔をさらすことなく、腰から鞘に収めたままの短剣を引き抜いた。

「ナナ、って、言ったっけ?」

 突然名指しされ、ナナはカーシュから離れることなく肩を軽く震わせて「は、はい……」と小さく返事をした。

「こんな時代だけど……諦めるな」

「……」

「こんなにいいヤツが傍にいるんだから。生きてかなくちゃ」

 力強い口調に、ナナは軽く鼻をすすり、カーシュの服を握りしめていた手の力を緩めた。

 クレアはジリジリと近寄る男達を窺い、目元だけ見える顔をカーシュに向けた。

「戦える?」

「……いや、……あまり……」

 戸惑い目を泳がせながら曖昧に答えると、クレアは鼻でため息を吐いた。

「仕方ないな……。じゃあ、ナナとしっかり壁にくっついてて。何があっても動いちゃ駄目だよ。……あ、ボクがやられたら逃げてね?」

 グ、グ、と、体を包んでいる布の奥で肩を回しているようだ。

 やる気満々の“誰か”に、カーシュは困惑げに唾を飲んで、顔をしかめた。

「キ、キミは……いったい」

「ボク? ……なんて言えばいいのかなぁ……。んーと……」

 視線を上に向けて考えている間に男達が近距離にまでにじり寄ってきて、クレアはボロ布の裾を肩にかけ、足下に余裕を作った。

「強いて言う言葉が見つからない。考えておけばよかったなぁ……」

 拗ねた口調で呟いていたが、存在を完全に無視されて苛ついた男が、一人、クレアを捕まえようと走って来た。驚いたカーシュは、慌ててナナを抱き寄せて壁に背を付け、彼女をかばう。

 クレアは「よっ」と、手を伸ばしてきた男の体の下に潜り込んでスルリと避け、通り越したと同時にジャンプして彼の後頭部に素早く手刀を振り落とした。男は「うっ!」と小さく呻いて、無抵抗なままドタッと地面に倒れ込む。それを目の当たりにした狩人達は、地面に降り立って背を伸ばすクレアを唖然とした様子で見つめ、一歩後退しつつどよめいた。

 クレアは、「……あ!」と、男達と同じように唖然としているカーシュを振り返り見上げた。

「ボクね、騎士って言われたかったんだっ。だから騎士にする! すっごく強い騎士ね!!」

 見えている目元が楽しそうに垂れている――。愉快げな声に男達はムカッ! と眉をつり上げ、「……何話してんだ!!」と言わんばかりに一斉に飛びかかってきた。

 クレアは真顔で彼らを見回し腰を低くすると、ダンッ! と素早く駆けだした。

 ただのノーマンだと思っていた者がいきなり素早く動き回り、男達は一瞬、何事かわからず怯んだ。その隙を見逃すことなく、クレアは鞘に入ったままの短剣を握りしめ、それを彼らのミゾオチ狙って突き押していく。いくらクレアが小さいとは言っても、ミゾオチを鋭い短剣の鞘で突かれてはたまったモンじゃない。男達は「ウッ!!」と、お腹を押さえて次々とひざまづいた。鍛えられていない庶民では、いくら大の男でもこの程度でしかない。それでも襲いかかろうとする者には、クレアは容赦なく腹部や顔面に回し蹴りを食らわせ、倒していく。

 バタバタと簡単にやられていく男達に、壁際から微塵たりとも動くことができずに固まっていたカーシュとナナはボー然とした。背丈も体格も、男達より遙かに小さくて、声を聞く限り子どもだ。その子が次から次へと男達を倒している――。信じがたい光景だ。

 クレアは、お腹や足や、痛むところを押さえながら地面に倒れて唸る男達を見回し、残り、後退りする男達へと目を向けた。相変わらず目元しか見えないクレアに彼らはゴクリと息を飲んだ。だが、ここで退くわけにもいかないのだろう。数人が、ス……と、赤黒く汚れたナイフを引き抜いた。それを捉えたクレアは目を細め、「そっちがそのつもりなら」と、短剣を鞘から引き抜こうとした……が、目の前にふわりと影が降り立ち、その手を止めた。

 ――真っ白い衣服をまとった、長身で細身の男だ。

 小さい足音と同時にクレアの前に立ちはだかると、「ど、どこから現れたんだ!?」とどよめく男達をじっと窺い、クレアを見下ろした。

「……お怪我は?」

「遅いよーっ」

「……申し訳ございません。ピートの情報が遅れました」

「ピートめぇっ」

「……ここはわたしに任せてください。……表でスコットが馬を留めています」

 あくまでも冷静なジョージに、クレアは「……わかった」と、ふてくされた口調ながら素直に頷き、壁際で硬直しっ放しのカーシュとナナを振り返った。

「途中まで一緒に来る?」

 二人は顔を見合わせ、考える間もなく頷く。

 クレアは「よし」と笑みを見せ、人数を数えるように男達へと目を向けているジョージを見上げてクイクイと服を引っ張った。

「あんまり痛めつけないでね、普通の人達だから」

 ジョージは苦笑しつつ頷いただけで何も言わない。クレアは全てを任せ、「行こうっ」と、カーシュとナナを導き走り出した。男達はすぐにその後を追おうとしたが、ジョージが立ち塞がって後を追えない。立ち向かおうとナイフを向けると、彼はゆっくりと腰から二本の長剣を引き抜いた。

 ――少しカーブした細い刃。夜なのに、月明かりも遮られた暗い路地なのに刃が輝いている。

 その刃先を見て、男達の顔からサッと血の気が引いた。

挿絵(By みてみん)



「クレア様! ……、誰です?」

 カーシュの案内で抜け穴からなんとか街を出て森に入る手前。二頭の馬が引く荷台の御者席に座るスコットはクレアと共に走ってきた見知らぬ少年と少女に顔をしかめた。

 クレアはボロ布を引っ張り脱ぐと、「乗って!」と、カーシュとナナをむき出しの荷台に乗せてスコットを見上げた。

「一緒に連れて行くよ! 早くして!」

「ジョージはっ?」

「任せてる!」

 クレアはそう答えて御者席に飛び乗った。スコットは「また騒ぎを起こしてっ」と、呆れがちに馬の手綱を握ったが、「フンフン」と鼻を動かすなり隣りに座ったクレアを睨み付けた。

「臭いですよ! どうして匂いまでノーマンになる必要があるんですか!?」

「いーから早く出せ!!」

 バシッ! と力一杯腕を叩かれて「いてっ」と首を縮め、ふてくされながら手綱を弾いて馬を走らせる。

 馬の駆け足の音、車輪がガラガラッと回り続ける音を耳にしながら、騒々しかったあの街から遠ざかっていく――。森に入ると、荷台の上、クレアは深く息を吐いて肩の力を抜き、寄り添って互いの無事を確認し合うカーシュとナナに目を向けた。

「大変だったねー。それで……えーと、行く当ては?」

 二人は顔を見合わせ、間を置いて困惑げに首を振った。

「どちら様なんです? お友達にでもなったんですか?」

 スコットが手綱を操りながら振り返ることなく伺うと、クレアは「ううん」と鼻で返事をした。

「さっき会ったんだよ」

 アッケラカンとした声にスコットは「……さっきって」と呆れ気味に肩を落とす。そんな彼を気にすることなく、クレアは続けた。

「ノーマン狩りで追われてて……。ノーマンには見えないね? なんで追われてたの?」

 思い出したように途中で顔をしかめると、問われたナナは寂しげに俯いて口籠もり、そんな彼女の代わりに、カーシュは気落ちした表情で静かに答えた。

「ナナはずっと隠れてたんだ。見つかったら……やばいから。……けど、そんな生活なんて、もう……。だから、一緒に逃げようって。ノーマン達に夢中になるだろうから、今夜がいいと思ったんだ……。なのに……」

 段々と悲しげに視線が落ち、言葉尻が小さくなる。どこか重い空気だが、クレアは「ふうん……」と、興味なさげに鼻から息を吐き出した。

「まぁ、どちらにしてもキミ達は危険な目に遭っていたよ、きっと」

「――そうかもしれない。……でも、あのままあそこにいたら……」

 カーシュは言葉を切って口を噤んだ。険しさを醸し出す彼に、クレアはそれ以上何かを訊くこともなく、御者席の方に身を乗り出してスコットの太腿に顔を乗せ、だらけた様子で見上げた。

「ピートはぁ?」

「残っていますよ。……、どうするんですか、そのお二人は」

「ここで降ろす訳にもいかないよ」

 そう返事をして太腿から頭を除け、背を伸ばすと、スコットの隣り、ピッタリと寄り添うようにチョコンと座った。

「それはそうですが……。けれど、ずっとお連れするわけにもいかないでしょう」

「……スコットってさぁ、性格をジョージと入れ替えたらぁ?」

 怪訝そうに横目で見上げると、スコットは手綱を操りながら一瞬だけキョトンとした顔をクレアに向けた。

「どういう意味ですか?」

「優しい顔して冷たい事言うんだモン。ジョージは冷めた顔してるけどすごく優しい。二人とも、見た目と中身のギャップが激しいんだよね」

「……わたしは冷たくしているわけではありませんよ」

 と、スコットは拗ねて口を尖らした。

「先々のことをよく考えて助言しているんですから」

「はいはい、わかってる」

 無愛想な返事をして聞き流す。そんなクレアの態度にスコットは目を据わらせるが、何も反発はしない。

 カーシュは小汚い格好のクレアと、一見、貴族紳士風のスコットの背中を交互に見て首を傾げた。

「あの……、キミ達は一体……」

「ん? あ、ボク達? えーと……」

 振り返り考え込むと、また背を向けてスコットを見上げた。

「なんて言ったらいい?」

「そうですねぇ、旅の者って言っておいた方が無難じゃないですか?」

 クレアは、「こう言ってるよ」と、振り返ってそれを答えに肩をすくめた。

 ……旅の者、なんて嘘に決まっている。本当にそうかもしれないが、“普通の”旅の者ではないだろう、と、カーシュとナナは互いに目を見合わせた。ただ、深入りする気は毛頭なく、それ以上、話しを続けることはしないが。

 ――月明かりだけを頼りにしばらく森の中を走り続けると、木々の間からボンヤリ灯火が見え始めた。

 スコットが手綱を引っ張って馬のスピードを抑える中、クレアは「よっ」と、荷台の方に移動し、大人しく俯いているナナを見て、カーシュに目を向けた。

「キミ達って、夫婦?」

 唐突な質問に二人は少し顔を赤くしただけ。その様子で、クレアは「あ、違うんだ」と笑った。

「でも、そのつもりなんだよね? いいなー、ボクもいつか恋人が出来るかなぁ」

「その、ボクって言葉遣いを直してノーマンにならなければいつか出来ますよ」

 口を挟んだスコットの嫌みを含めた言葉に、クレアはムスッと頬を膨らませた。

「ボクはボクなのにーっ!」

「女の子がボクなんて言っててどうするんですか。……再教育するにしても言うこと聞かないし」

「ボク、このままのボクを好きになってくれる人がいい」

「いませんよ、そんな人は」

 はっきりと断言され、クレアは口を尖らした。

 スコットは手綱を引っ張って「ドウッ」と馬を止め、丸太で出来た小屋の前に馬車を止めた。クレアが荷台から飛び降りると同時に、物音に気付いたのだろう、小屋から図体の大きな、無精ヒゲを生やした男が現れた。

「クレア様! ……無事でしたかっ……!」

 安堵のため息を吐いてやってくるピートを、クレアは腰に手を置いて睨み上げた。

「もう少しで危なかったんだからねっ、わかってるっ?」

「す、すみません、何しろ急な情報で」

「ボクが死んだら真っ先にピートを呪い殺すからーっ」

 愚痴混じりに拗ねると、ピートは「ハハハ……」と苦笑してクレアの頭を撫でる。大きな手のひらで頭をすっぽり覆われ、クレアは首を縮めて「……へへへっ」と嬉しげに笑うと、腕を上げ、ピートの手を握った。大きな手の太い指を握って絡め遊ぶ無邪気なクレアにピートは笑っていたが、ふと、馬車に乗ったまま、じっと窺っているカーシュとナナに気付いて「……誰だ?」とスコットに目で問いかけた。

 スコットは馬の手綱を木に縛りながら肩をすくめた。

「クレア様が連れてきたんです」

「追いかけられてたんだよ。一緒にだったし、ついでに連れてきたの」

 薪でも焼べていたのだろう、汚れている指先を擦り落としながらアッケラカンとした様子で報告するクレアに、されるがままのピートは「ついでに、って」とため息を吐いた。

「人助けはいいですけど。もう少しご自分の立場をわきまえてくださいよ……」

「ボクの立場?」

 クレアはピートを見上げて首を傾げ、「あ!」と、楽しげに目を見開いて彼の手を離し、ピョンピョンとジャンプしながら両腕を上下に振った。

「ボク、騎士になる! 強い騎士!」

「なれるわけないでしょうが」と、スコットが目を据わらせる。

 クレアは不愉快そうに頬を膨らませたが、すぐに気を取り直して荷台の上のカーシュとナナを振り返った。

「降りておいでよ。お腹空いたし、一緒にご飯食べよ? スコットのご飯はおいしいんだよ」

 人懐っこい笑顔で誘われ、カーシュとナナは戸惑いつつも顔を見合わせて荷台から降りた。その直後、森の奥から蹄の音が聞こえ、ナナは「……っ?」と目を見開きカーシュにしがみつく。

 暗闇の中からボンヤリと白い影が浮かび、次第に人の形となって黒い馬に乗ったジョージが現れた。彼が馬を止めて降り立つと、クレアはすぐに近寄って回りを一周し、血の痕がないことを確認してから見上げた。

「誰も傷付けなかった?」

「……少し脅したら逃げ出してしまいました。……ノーマン狩りも中断されたようです」

「よかった」

 クレアはホッと肩の力を抜いた。

「今回はちょっと狩人の数が多かったしね。ボク一人じゃ止められないって思ってたんだ。……ちょっとでも、ノーマンさんたちが助かってよかった」

「……そうですね」

 ジョージは笑みをこぼしてクレアの頭を撫でていたが、カーシュとナナに目が止まると、労うように馬の喉元を撫でるクレアを見下ろした。

「……先程、一緒にいたかと……」

「うん。追いかけられてたから助けたの。……連れて来ちゃ駄目だった?」

 そろっと上目遣いで伺うと、ジョージは間を置いて微笑んだ。

「……そんなことはありませんよ。……どんなときにでも、人を思いやる心は失ってはいけません」

 落ち着いた優しい声で応え、クレアの頭をそっと撫でる。

「……小さな切っかけがいずれ大きな結果を残す。……クレア様はご自分が信じた道を歩んでください」

 クレアは「……へへっ」と嬉しそうに笑うと、ピートとスコットに「べーっ」と舌を出した。「ジョージはボクの味方!」と言わんばかりの態度に、二人は不愉快そうに目を据わらせる。

 ジョージは馬の手綱を木に縛ると、それぞれを窺うカーシュに目を向けた。

「……紹介は?」

「あっ、いえっ……」

 カーシュは慌てて首を振ると、内心ドキドキしながら、真っ直ぐ背を伸ばして突っ立つ、緊張しているっぽいナナを手で差した。

「彼女はナナ、……俺はカーシュです」

「……わたしはジョージ。……ピートにスコット。……クレア」

「はい……」

 クレアが名前を連発していたので顔と名前はすぐに一致する。カーシュは、それぞれに小さく笑みをこぼして挨拶にすると、遠慮がちにジョージを見上げた。

「あの……、あなた達は一体……」

 戸惑うような、どこか訝しげな彼の問いかけに、ピートとスコットは目を見合わせてジョージの出方を窺う。ジョージはじっと黙っていたが、カーシュの傍で大人しくしているナナに向けて口を開いた。

「……街で耳にしましたが、話しによると……彼と逃げ出したとか」

 ナナは顔を上げ、「……はい」と隠し立てすることなく、真顔で小さく返事をした。

「……あなたの存在は、秘密になっていたのですね?」

「……そうです。ずっと、隠れていました……」

「ご両親が匿っていた、ということでよろしいですか……?」

「……はい……」

 悲しげに視線を落として返事をすると、ジョージは、心配げに、慰めるようにナナの肩を抱くカーシュに目を向けた。

「……知っているだろう。……法を犯した者、または幇助した者はいかなる理由があろうと罰せられる」

 静かな声にナナは焦りを含めた戸惑いの目でジョージを見上げ、カーシュは愕然と大きく目を見開いた。二人の視線に何か答える訳でもなく、ジョージはクレアを見下ろした。

「……あの街は、もはやわたし達の手には負えません。貧富の差が明確すぎると中和することは容易ではなく、むしろ、乱すことで状況は悪化します。……このまま放置しておく方が、皆の生存率は高いでしょう」

 意味を悟ったナナは顔を歪めて紅潮させると、一気にあふれ出した涙を隠すように両手で目を覆った。そのまま肩を震わせてすすり泣きだしたナナに、クレアは目を細め、真剣な眼差しでジョージを見上げた。

「ナナの親は?」

「……今回のノーマン狩りが失敗に終わり、その責任を誰が負うか。……生存率の低い、貴重な女性である彼女が生き残っただけでも幸運だと、今は酌むべきです……」

「……。スコット、ナナを休ませてあげて」

 スコットは頷くと、「さあ……こっちへ」と優しく声をかけ、カーシュの代わりに泣いているナナの肩を抱いて小屋へと導き連れて行く。

 カーシュはその背中を心配げに見送り、ジョージへと目を戻して、数歩、近寄った。

「ナナのおじさん達……」

「……彼女がそそのかしたのだと、キミの父親らしき富豪が言っていた」

 変わらぬ口調で告げられたカーシュは大きく目を見開いた。どこか愕然とした、ショックを隠せない彼にジョージは更に続ける。

「……彼女のご両親は、匿っていたことは認めたが、最後の最後まで、あの子は何もしていないと言い続けていた。……このまま見逃してやって欲しいと懇願していた。……街の者は、誰の言葉に従うと思う?」

 カーシュは悔しげに俯くと、地面を睨み付けて拳を強く握りしめ、それを震わせた。怒りを抑えているのか、悲しみに震えているだけなのか――。その理由を問うことなく、ジョージは彼に近寄り、軽く肩に手を置いた。

「……時代のせいにするしかない。……今は彼女の支えになることに集中しろ。……失くしたものは戻らない。今あるものもいつ失くなるかわからない。……全てを一からやり直すつもりで、彼女を支えろ」

 表情も口調も変えることなく、責めることもなくそれだけ言って小屋に向かうが、途中で足を止めてクレアを振り返った。

「……後で体を綺麗にしましょう。……病気にかかってしまいますよ」

「はーい」

 手を挙げてかわいく返事をすると、ジョージは苦笑気味にそのまま小屋へと入った。

 ピートはずっと俯いているカーシュを見て、腕を組み、深く息を吐いた。

「辛い気持ちはわからないでもないが……、ジョージの言う通り、あの子と人生をやり直すことだ」

 諭すような声にカーシュは目を細め、更にギュッと強く拳を握る。

「……けど、……俺の父さんが、ナナの……」

「お前のトコが金持ちだったのなら、少しは予想してただろ?」

「……」

「予想が的中した。……それだけさ」

 険しい表情のカーシュの目にじんわりと涙が浮かんできた。それを隠そうともせず、じっと地面を睨み付ける彼に、ピートはため息を吐きつつ、近寄って肩をポンポンと優しく叩いた。

「あの子を生かしたかったんだろ? ……お前の願いは叶った。ただ、願いを叶えるためにはどんな時にでも何か犠牲が必要になってくるものなのさ」

「……」

「あの子を幸せにしてやりな。それがせめてもの償いだろ」

 再度ポンポンと肩を叩き、小屋に戻る。そんなピートの背中を見送って、クレアは一粒涙をこぼしたカーシュに首を傾げた。

「……それはなんの涙?」

「……」

「悔しい涙? 悲しい涙?」

 カーシュは服の袖で目元を拭い、そのまま目を隠す様に腕で覆った。

「……わからないよ。……自分が……情けないんだ……」

「どうして?」

「……ナナのおじさん達を……」

「でも、キミが助けたかったのはナナだろ?」

「そのためにおじさん達が犠牲になるなんてっ……、……そんなの……」

「ボク、思うんだけどさ」

 クレアは、少し背中を丸めて声を震わせるカーシュの前に歩み寄り、腕で隠したままの顔を見上げた。

「ナナは、いつか見つかって殺されるかもしれなかったんでしょ? いずれそうなるってわかってたから、キミはナナを助けたんだよね?」

「……ああ……」

「じゃあ、もしキミが知らん振りしてたらどうなってただろうね?」

「……」

「ナナは酷い目に遭って殺される。ナナの両親も罰を受けて殺される。……キミがナナを助けなかったとしても、親は殺されていたんだよ」

「けどその前に助けることが出来たかもしれないっ。一緒に逃げることだって!」

 目元を腕で隠したまま、声を震わせながらも懸命に吐き出した。

「こっそり逃げ出せばおじさん達にも迷惑かけないと思ってたのに……! こんなことになるなんてっ……、こんなっ……」

「結果論だよ、キミが言ってることは」

「……」

「ナナを助けたかったんでしょ? キミが一番大事なのはナナでしょ? そのナナはここにいる。ナナは助かった。キミはもっと前向きになるべきだよ」

 責める訳でも諭す訳でもない彼女の言葉。だが、気持ちが荒んでいる現状、どんな言葉も不愉快でしかない。

「……キミに何がわかるって言うんだ……」

 軽く鼻をすすって小さく漏らす、苛立ちを含めた言葉にクレアは口を尖らせて腰に手を置いた。

「あ、それって失礼な言い方だ。あのね、確かね、そういうのを被害妄想って言うんだよ。ピートが前に言ってたモン。……あれ? セキニンテンカンって言ってたっけ? ん? ピートじゃなくてスコットに言われたんだっけ?」

 自分で言って首を傾げる、本気か冗談かわからないクレアの態度に、真面目に付き合えなくなったカーシュはガクッと肩の力を抜いた。

「……キミらはなんなんだよ、一体……」

 嫌気が差して、ため息混じりに訊いた。何度も問いかけたが、全てさらりと流されてしまい、はっきりとした答えは一度も返ってきていない。

 クレアは、ゴシゴシと腕で目元を拭うカーシュに深く息を吐いた。

「ボクの名前はブラッド。ブラッド・デロルト・ベルナーガス」

 カーシュはピタ……と硬直すると、間を置いて腕を下ろし、真っ赤な目と顔を曝してクレアを見た。――とても不可解そうな表情で。

「……、え?」

「知らない? ベルナーガス」

「……。ベルナーガスは……」

「そうだよ。王家だよ」

「……え?」

「知らないの?」

「ち、ちょっと待ってくれ」

 キョトンとした無邪気な表情で告げられたカーシュは焦り、再びゴシゴシと目元を拭ってから何かを否定しようと首を振った。

「キミ、さっき、確かクレアって呼ばれてたろ。それに、ブラッドって……、確か十年くらい前に……」

 言葉を濁すと、「みたいだね」と、意味を悟ったクレアはアッケラカンと肩をすくめる。

 あまりにもさっぱりしすぎて、カーシュは訝しげに眉を寄せた。

「それだけじゃない。ブラッドは……王子だろ」

「実は男じゃなくて女だったんだ」

「……。わからない……」

「生きてたの」と、クレアは何かを証明する様に両腕を大きく広げる。

 カーシュはしばらく何も言えず、混乱気味に顔をしかめて考えていたが、結局、何も答えが見つからなかったのだろう、額を抑えてまた首を振った。

「……嘘だ。そんな……、王子だか姫だか……、なんでこんなトコ……」

「それはちょっと訳ありでね」

「……王子は死んだんだぞ? 国が喪に服して……。俺ははっきり覚えていないけど、話しは聞いたことがある。その頃から国王は変に……」

 クレアが寂しそうに地面に目を向けたのを視界の隅に捉えてカーシュは少し眉を寄せ、言葉を切らす。戸惑う空気を感じたクレアは、顔を上げるとなんでもないことのように小さく笑った。

「ボクは死んだコトになってるけど、生きてたんだ。……あ、けど、これは秘密ね」

 愛嬌のある笑顔で鼻に右手人差し指を当てるクレアにカーシュはポカンとしていたが、ハッと目を見開くと同時に身を乗り出した。

「国王のトコに戻ったらっ……。そしたらきっと国王も喜んでさっ、また元のようにっ」

「喜ばないよ」

「国王はキミをすごくかわいがってたんだぞっ? そうだったんだろっ? あっ、……そうか! ベルナーガスで強靱な護衛を三人も付けたんだって話しを聞いたことがあるっ。あの人達がっ」

「ボクはその国王に殺されかけたんだ」

 少し興奮気味になりかけたカーシュは瞬間的に表情をなくした。一瞬、耳を疑った。

 呆然と、困惑げに目を泳がす彼に、特に気遣うこともなくクレアは苦笑して首を振った。

「残念。ボクが戻ることで何かが変わるならとっくに戻ってるんだけどさ、そういうワケにもいかないらしいんだよね」

「……嘘、だろ?」

 そっと伺うと「ホントだよ」と即答された。だが、そう簡単に信じられる話しでもなく、カーシュは焦るように身を乗り出して腕を広げた。

「そんなっ……。確か王子は事故でっ」

「事故じゃない。国王がボクに手をかけたんだ。……ボクは、殺されかけたんだ」

 真顔で答えたクレアの目が真っ直ぐ自分を見ている。その目から逃れることができず、カーシュは少し悲しげに眉を寄せた。

「……男の子じゃ……なかったから、か……?」

「さぁね。……ギリギリで助かってジョージ達と逃げたんだよ。ボクはずっと意識をなくしてて……目を覚ましたのがそれから二年後だったかな。昔のことは全然覚えていないけど……逃げるしかなかったらしい」

 クレアは少し視線を落とすが、すぐに笑顔に戻って腰に手を置き、胸を張った。

「けど、今は逃げないぞ。ボク、強くなったし」

「……」

「絶対国王を元に戻すんだ。あんな風になったのには何か原因があるはずだから。だから絶対ボクが変えてみせる。誰もやらないならボクが真っ向から挑む。……それがボクの使命だ」

 カーシュは唖然としていたが、グッと力強く拳を作るクレアの様子に「はは……」と取り繕うような笑みを浮かべた。

「……そうか……、キミの強さがわかってきた……」

「ほんと? ボク、強い?」

「じゃあ……ジョージさん達……」

「ジョージとピートとスコットはボクの護衛。ボクが生まれた時から一緒にいるんだって。スコットがお勉強とか教えてくれて、ピートが剣術とか教えてくれて。ジョージはたっくさん優しくしてくれる。それに、三人とも強いんだよ。一番強いのはジョージだね。かっこいいだろ?」

 にっこりと笑って相槌を問うクレアに、カーシュは、ゆっくりと足元から頭のてっぺんまで見て、少し疑うような目で窺った。

「……ホントに王子……じゃなくて姫?」

「ホントだよ」

「……、……」

「ホントだってば」

「その……姫がなんのためにこんなトコに。国王を元に戻すなら、こんなトコにいないで、もっと……」

「手がかりを捜してるんだよ。国王がどうしてあんな風になってしまったのか」

「ン、キミが知らないんじゃ、誰も……」

「そうとは限らない」

 不可解げに軽く首を振ったカーシュに、クレアは腕を組んで真顔で続けた。

「当時、ボクはまだ四つだった。何も知らないし……わからなかったし。けど、あの時、一部を除いて城の人間が総入れ替えされたらしいんだ。その時の人達を捜し出せば、何か手がかりがあるかもしれない」

「それで……見つけたのか?」

「何人かはね。けど、有力な情報は無し」

「……」

「ただ、変な話しを聞いたんだ」

「……、変?」

「この辺りにまじながいるって。その人を捜せば何かわかるかもしれない。この森の近くに住んでるって聞いたもンだから、ウェルターで情報仕入れようと思ってノーマンに化けてたんだけど……あの有様だよ」

 やれやれ、と、残念そうに肩をすくめて首を振ると、カーシュは「……マジナイシ」と言葉を繰り返し、真顔で視線を落として考え込んだ。

「……呪い士かどうかわからないけど……、迷いの森に誰かがいる、って話しは聞いたことがあるな……」

「ホントに!?」

 クレアは嬉しそうに目を見開いて身を乗り出す。

「どこどこ!? 迷いの森ってどこ!?」

「迷いの森はすぐ隣りだよ。けど……その人の居場所はわからない」

 急かすようにジリジリと近寄られ、一歩、二歩と身動ぎながら答えるが、クレアに「ブーっ!」と不満げに口を尖らせられ、カーシュは鼻からため息を吐いた。

「迷いの森だから仕方ないだろ。子どもの頃は、森に深く入り込むのは危険だって言われていたし。……それに、その人に会うと魂を奪われるって、変な噂もあったから」

「おもしろーいっ。よし! 会いに行こう!」

 笑顔でピョンピョン跳ねて大きく頷く。楽しげな様子にカーシュは呆れて目を細めた。

「魂を抜かれるんだぞ? 怖くないのか?」

「怖くないね! だって、ボク、強いモン!」

「……へぇ、そう」

 自信満々に胸を張られ、深くため息を吐くが、ふと、顔を上げた。

「王子……、姫って事……、誰彼しゃべっていいのか?」

 遠慮がちにそっと訊くと、クレアは「ん?」と、キョトンとした顔を見せた。

「ホントはいけないけどね」

「……、俺にしゃべったけど?」

「あぁ、だって」

 クレアはニッコリと笑った。

「キミ、言ったろ? こんなのは嫌だって。ボクも、おんなじ」

 カーシュは少し表情を消した。――本心は本心だ。でも、あの時は必死だった。何を言ったのかもよく覚えていない状況だっただけに戸惑いもあるが、けれどそれよりも、クレアの笑顔にどこか心が緩むのを感じた。“同じ意思を持った人”、そうわかったからかもしれない。でも、それは悲しい現実でもあるという事だ――。

 そんなカーシュの気持ちを見抜くことなく、クレアは笑顔で続けた。

「こんな時代、嫌だよね。でも、誰もそんなこと言わない。キミはね、誰も言わないことを言った。だから、ボク、キミを信じる。キミの勇気は、ボクが受け継ぐ。そう決めたんだ」

「……、俺の、勇気?」

「そう!」

 クレアは「ヘヘヘッ」と笑って、真っ直ぐな目でカーシュを見上げた。

「キミ、ナナのこと、頼んだぞ?」

 カーシュが顔を上げて真顔で力強く頷くと、クレアも「よしっ」と頷き、ニッコリと笑顔で右手を差し出した。

「ボクの秘密を知ったキミは……ボクの友達だ。よろしくねっ」

 彼女の小さくてふっくらとした手を見下ろして、カーシュは苦笑しつつ握手を強く交わした。

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