第九話 今、キミの名を呼ぶ!
「……気分はどうですか?」
問い掛ける静かな声に振り返ることなく微笑み、緑葉を揺らす木々を見上げた。
「だいぶ楽よ。……ゆっくり休ませて頂いたから」
――早朝の森の中。朝焼けの優しい光が枝の隙間を縫って降りてくる。
女中達を起こさないように散歩に出かけたエレインの後をジョージが静かに追ってきた。
……昨夜、一度目を覚ましたクレアはまた眠ってしまった。それから目を覚ますことはなく、「大丈夫だろうか?」と皆で心配をしていたが、脈拍も正常に戻ってきたところを見ると、後は安静にしていれば大丈夫だろう、とロバートの見解。その言葉を信じ、それぞれ体を癒すように深い眠りに就いた。
ジョージは眠ることが出来ず、ずっとクレアを抱き支えていたのだが、顔を下を向けていたせいか、起きていることにエレインは気付かなかったのだろう。静かに小屋を抜け出していった。
エレインは朝靄のかかる木々の間をゆっくりと歩きながら辺りを見回し、小さく切り出した。
「あなたは薄々気付いているわね……」
「……そうですね。ピートとスコットもわかっているでしょうが……その事を今までゆっくりと話したことはありませんでした」
「……そうよね。……私もそう。……訳がわからないし、突き止めるのも怖い。……いなくなってしまいそうで……」
「……わたし達も同じです。……失いたくはありませんから」
「あの子が知ってしまったら……あの子はどうなってしまうのかしら……」
のんびりと踏み出す足下、朝露できらきらと輝く枯れ葉を踏みしめながら、背後の気配を振り返ることなくエレインは悲しげに目を細めた。
「……本当に、ブラッドの代わりとして、あの子は……」
「……今のわたし達に出来るのは、せめて傍にいて護ってあげることだけでしょう……」
エレインは足を止めて、距離を開けたところで同じく止まったジョージを振り返った。
「ひとつ……訊いても?」
「……なんですか?」
「……、どうしてあの子を、私達の……」
戸惑い言葉が途切れ、少しずつ視線を落としていく彼女を見て、ジョージも同じように視線を地面に向けた。
「……本当にかわいい子なんです」
聞き取りにくいほどの小さな声に、エレインはゆっくりと顔を上げた。――太陽の光がちょうど彼に当たっていて、真っ白い服が輝いて見える。
「……ブラッド様の時とは少し違って……。……今のあの国王の子だというのが、わたしには耐えられないんです。……あの国王に我が子だと言われてしまうのが……。なんだか、あの子まで汚れてしまいそうで……」
「……、あなたは優しい人ね」
エレインは微笑み、足音を立てることなく近寄った。
「いつもそう。誰かのためばかりを考えて。……疲れないの?」
「……疲れることはありません。それに……わたしの優しさなど、代わりなのですから」
「……」
「……わたしはその事に目を伏せている、ただの弱い男です」
「……。代わりではないわ」
エレインはジョージの前に足を止めると、顔を上げた彼の目を見つめた。
「代わりではありません。……あなたを城から追い出そうと決心したとき、どれだけ苦しかったか……。本当はとても……とても辛かった。……どんなにあなたに早く出逢えていればよかったかと……。……どんなに心が痛かったか……」
「……」
「……あなたは私に優しさと温もりを与えてくれた。……私に生きる力を与えてくれた。……もう、……もう偽りたくはありません。私は……心からあなたを愛しています」
ジョージは目にうっすらと涙を浮かべるエレインを見つめ、そっと頬に手を寄せた。その感触にエレインは目を閉じ、愛おしむように自分から頬をすり寄せて目を開け、彼を見上げる。
しばらく見つめ合い……ジョージは頬から手を離した。
エレインはそれ以上何もしない彼に腕を伸ばして背中に回し、しっかりと抱きしめて胸元に顔を寄せた。
「……、少しだけ……このままでいてください……」
「……」
「……ほんの少しだけ……」
「……覚えてない」
ピート達は「はぁ?」と顔をしかめた。
ホリーの家の広間――。
朝食の香りが漂う部屋の中、クレアがボンヤリと目を覚まし、すぐに「大丈夫かっ?」「なんの夢を見てたっ?」とみんなで問いかけるが、彼女は「うーん……」と訝しげに腕を組んで考え込んだ。
「全然覚えてないよ、ボク。誰かとお喋りしてたような気はするんだけどな……。お話しの内容が思い出せないんだ」
ピートはガックリと頭を落とし、その横でカーシュは肩の力を抜いて苦笑する。
「そんなことだろうとは思ったけどさ。まぁ……、目が覚めただけでもよかったよ」
「んー、誰と話してたんだろうなぁ。すごく大切なお話をしてたはずなんだけど……」
怪訝に考え込んでいたが、ふと顔を上げて、自分を取り囲むみんなを窺った。
「そういえば、なんでホリーのトコにいるの? ウェルターは?」
みんなは気まずそうに目を見合わせ、ピートがため息混じりに昨日のことを話し聞かせた。ウェルターのみんなが国王軍の配下に付いたことを――。
クレアは大人しく話しを聞いていたが、段々と不愉快げな表情を浮かべだし、最終的には納得いかなげにみんなを見回して睨んだ。
「それでノコノコ逃げたのか?」
「逃げたんじゃない。お前が危なかったから急いでたんだぞ」
カーシュがふくれっ面で反論すると、クレアはツンと顎をしゃくった。
「じゃあ、あとでウェルターに行こう。ボクが話しをするよ」
「無駄だよ、クレアちゃん……」
傍で話しを聞いていたロバートが軽く首を振った。
「街人達を納得させるのは難しいだろう……。今は何を言っても無駄だ」
「でも、このままじゃ駄目だろ。放っておいたらまた国王にいじめられちゃうぞ」
「……その時にならないとわからないさ」
壁にもたれ、ティモがどこかを見ながら口を挟む。
「何を言っても聞かなかったんだ。……後はなるようにしかならないだろう」
「……、ボク、なんか納得出来ないよ」
諦めるような空気を漂わせるみんなに、ムスッと頬を膨らませる。
「あら、起きたの?」
仕切の布が開き、ホリーが入ってくると、クレアは彼女を見上げてにっこり笑った。
「よーっ、ホリーっ」
「元気で何よりね。……と言いたいところだけど、あなた、あんまりみんなに迷惑をかけるんじゃないわよ」
「わかってるよーっ。ホリーは口うるさいっ」
「そんなこと言ってると、またお風呂直行させるわよ?」
クレアの顔から血の気が引き、すかさず近くにいたカーシュにしがみつく。
「ボク、お風呂行かない!」
「じゃあ言うことを聞きなさい。ここの主は私なんだからね」
クレアは、目を細めて「ふふん」と意地悪く笑うホリーを悔しそうに睨む。
カーシュはクレアにしがみつかれたまま、朝食を運んでくるスコットを見上げた。
「ジョージさんと妃様は?」
「お散歩でしょう」
その言葉にクレアは目を見開いてカーシュから離れると身を乗り出した。
「ボクも行きたーいっ!」
「その前に顔を洗いなさい」
ホリーに睨み注意され、クレアは「べーっ」といたずらっ子そのままに舌を出す。――結局、ホリーに襟首を掴まれてズルズルと引きずられ、奥から「キャアァーッ!!」と悲鳴が上がり、みんなはビクッと肩を震わせた。その声に驚いたのだろうジョージとエレインが戻って来ると奥から半べそ気味にクレアが現れてすぐにジョージにしがみつき、ホリーはしめた顔でニヤリと笑いながら朝食の準備を再開した。
食卓には全員が座れないため、広間の床に座って輪になり食事を取ることになり、それぞれのペースで進める。
「ボク、どうしたらいいだろうね」
クレアは手作りのパンをかじって口の中を空っぽにすると、隣りでスープを飲むジョージに目を向けた。
「救世主さん、どこに行けば見つかるだろ。わかんないね」
「……そうですね。……なにか情報があればいいんですが……」
「老婆に会った?」
ピートが訊くと、ホリーは食事の手を止めて首を振った。
「出てきていないわ。静かなものです。……カラス共を除いて」
「老婆を捜すにも、見えないんじゃなぁ……」
「だからカーシュを囮に」
「なるか」と、カーシュは言葉を遮りクレアを睨む。
ロバートは空になった食器を持ったままジョージを窺った。
「あとで今一度、話しを整理したいのだが……。よろしいかな」
「……わかりました」
「ボクも参加? ……お散歩したいなー」
クレアが拗ねて口を尖らせると、ジョージは苦笑し、頭を撫でた。
「……では、食後に少し歩きましょうか。その後でお話しをしましょう」
「うんっ」
笑顔で頷いて、対面のエレインを窺った。
「一緒に行くっ? お母さんっ」
みんなは顔を上げた。エレインも「え……」と少し驚いたような感じだったが、「……なにか変なこと言った?」と首を傾げるクレアを見て、間を置き、恥ずかしそうに微笑んだ。
「……そうね、一緒に行きましょうか」
「うんっ。親子三人一緒だねーっ」
愉快げな声にピートは「ゲホゲホッ」と咳き込み、スコットは「ああもう……」とイヤそうに顔を逸らす。
気まずい雰囲気で目を逸らすみんなに気が付いたクレアは「?」と首を傾げてジョージを見上げた。
「ボク、おかしな事言った?」
ジョージは少し笑って頭を撫でた。
「……いいえ、なにも」
「……、あ!!」
クレアは思い出したように目を見開き、ウロウロと、戸惑いを露わにジョージとエレインを見た。
「じゃあボクっ、……ジョージのお嫁さんになれない……」
ショボンと寂しげに俯く、そんなクレアにエレインは困り、食器を置いて取り繕うような笑みを浮かべた。
「クレア、あのね……」
「でも!」
と、クレアはすぐに気を取り直して顔を上げる。
「ボクのお父さんなら、もうずーっと一緒って事だよねっ? それならいいかーっ! ボク、誰のトコにもお嫁さんに行かなければいいんだーっ!」
嬉しそうに胸にしがみつかれ、ジョージは笑いながらクレアの背中を撫で、エレインも「……困った子」と苦笑した。みんなが同じような表情……とは限らない。
ホリーは呆れてため息を吐いた。
「あなた、相変わらず平和な頭をしているわね」
「ホリーがひねくれてるんだよ」
ジョージから離れた途端、平然と嫌みったらしく言われたホリーは目を据わらすが、深く息を吐いて改めてクレアを睨んだ。
「そんな悠長なことを言ってる場合じゃないってことよ」
「ユウチョウ?」
「ここにいる人達、何もしないし何も言わないけど、あなたが本当にジョージさんと妃様の子どもだったらオオゴトよ。わかってるの?」
「なにが?」
カク、カク、と、首を左右に傾けるクレアに、ホリーは「ったく……」と呆れがちなため息を鼻から吐き、真顔を向けた。
「ウェルターの人達はその事で怒ったわけでしょ? 騙されたって。ウェルターの街人だけだと思う? 他のみんなからも蔑視されてしまうわよ。そしたら、それこそどこにも味方はいなくなるんだから。それがどういうことかわかってるの? ……ノーマン狩りと一緒よ」
「ボク、逃げ切れてたから平気だよ」
「あなた一人の問題じゃないでしょう? 妃様は体を壊してるし」
「あ、私の事なんて」
慌てて何かを言おうとしたが、ホリーはそのまま言葉を続ける。
「女中の子達は家事しかできないし」
「何かお役に立てることがあれば」
と、彼女達も焦って何か言おうとしてホリーが遮った。
「限られた戦力でどこまで何が出来るか。真面目に考えないと、破滅するわよ」
ホリーの脅しにクレアは目を据わらせて頬を膨らませたが、ロバートも「彼女の言う通り」と同意する。
「大勢に太刀打ち出来るほどの力がないのは事実。救世主を捜すにも情報を得る場所がない。……少々困難ですな」
「意地悪ババァを捜すよ」
クレアはそれでも真顔で切り出した。
「意地悪ババァなら何か知ってるかも知れない」
「どうやって捜すんだよ?」
カーシュが目を据わらせた。
「俺は囮にならないぞ」
「だったらボクが囮になる」
「あのな……」
「平気だよ。ボク、強いか」
【強さを勘違いするな】
クレアは言葉を切って、キョトンとした顔で辺りを見回した。キョロキョロと、何かを捜すその様子にピートは首を傾げた。
「どうしました?」
「今……、誰かの声が聞こえなかった?」
「いいえ、何も」
「……空耳かな?」
顔をしかめつつ耳を触っていたが、特にそれ以上何も起こらず、気を取り直して話しを続ける。
「意地悪ババァを捜そう。出てこいって呼んでたら出てくるよ、きっと」
「根拠のないことを」
スコットはため息を吐くと、真顔でロバートを窺った。
「ウェルターはどうします? このままにしておくんですか?」
「……。わたし達にはどうすることも出来んだろう」
寂しげに俯くロバートを見て、クレアは「……あ」とカーシュに目を向けた。
「ナナは? ナナはどうしてる?」
カーシュは視線を落とし、「……さぁな」と小さく首を振った。
「どうしてるだろうな……。会うことが出来なかったし。みんなと同じようになってるかも知れない……」
「ナナだぞ? あのナナだぞ?」
クレアは不可解げに顔をしかめる。
「ナナがボク達を嫌いになるわけないよ。ナナはボク達を待ってる。絶対そう」
断言するが、ピートとカーシュは複雑だ。――ジョージとエレインのことを知ったら、例え嘘でも、クレアが二人の子だと聞いたら平気でいられないだろう。
そんな不安をよそに、クレアはジョージを見上げた。
「ボク、ナナを迎えに行く。ナナはきっと待ってる」
「……そうですね。……しかし、ウェルターで彼女を捜すとなると街人達から反感を買う恐れがありますよ」
「いいよ。ボクはナナの方が大事だ」
真剣に頷くクレアに、エレインは「……どなた?」と質問する。
「ボクの親友だよ。カーシュのお嫁さん」
「違うって言ってるだろっ」
カーシュはすぐに身を乗り出して睨むが、クレアは「べー」と愉快そうに舌を出した。
「ボク、こういうトコに住みたいな。森の中。静かなんだけど、たくさん遊べるの。動物もたくさんいるし。絶対、退屈しないよね」
先頭を歩きながらクレアは細い木の枝を振り、楽しそうに喋る。食事が終わり、話しをする前にクレアが望む散歩をしている。
「みんなで一緒に住もうよっ。でね、毎日お祭りするの。ピートは喜ぶよ、お酒が飲めるから。ボクもたくさん踊るんだ。朝までやるんだよ」
笑顔を絶やすことなく、背後から付いてくるジョージとエレインを振り返った。
「ねっ、いいと思わないっ?」
笑顔で問われ、二人は少し笑った。
クレアは、木の枝でベシベシと長く生えた草を叩き歩く。
「そうしよう! みんなでここに住もう! きっと楽しいよ!」
想像を膨らませて無邪気さを露わにする、そんなクレアの背中を見てエレインは微笑んだ。
「……ホントに楽しい子」
ジョージも「……そうですね」と、低木を避けながら笑みをこぼした。
「……国王軍に狙われていることを忘れてしまいそうなくらいです」
「ふふ……、本当ね。あの子といると、元気になれるわ」
「……ええ。……気持ちが穏やかになります」
「ほんと……」
言葉を交わしながらクレアの後を付いていくが、「いたっ」と言う声に二人は顔を上げ、しゃがみ込んでいるクレアに慌てて駆け寄った。
「クレア様っ?」
「どうしたのクレアっ」
心配そうに腰を下ろして顔を覗き込むと、クレアは顔を歪めて二人を見た。
「……草で切っちゃった」
「……見せて」と、エレインは細い指でクレアの手を取り、彼女の右手人差し指の傷を確認し、ハンカチを取り出して微かにあふれる血を拭った。
「……深くはなさそうですね」
ジョージに続いて「……ええ」とエレインは傷口を押さえたまま、真顔でクレアに目を向けた。
「気を付けなくちゃ駄目よ? いい?」
「……帰って消毒だけでもしましょうか」
「えーっ、もう帰るのっ?」
クレアは不満そうに頬を膨らました。
「もう少し散歩したいっ」
「……駄目ですよ。なんの草で切ったかわからないんですから」
ジョージが首を振ると、エレインも同意して頷いた。
「ちゃんと消毒をしなくちゃ駄目。お散歩はその後でね」
クレアはじー……と、息の合う二人を見つめた。
「ジョージとお母さんって、どうやって好きになったの?」
唐突な質問に、二人はしばらく硬直して言葉を失くす――。
クレアは「ねぇねぇっ」と、興味津々に身を乗り出して交互に見た。
「どこで知り合ったのっ? いつっ? どんなふうにっ?」
気遣うことなく次々と訊いてくるクレアにエレインは戸惑うような笑みを見せるが、ジョージは苦笑した。
「……わたしがエレイン様に心を奪われたんですよ」
そう言う彼をエレインは少し目を見開き見上げ、クレアは「へーっ」と目を見開いて頬を赤くして……顔をしかめた。
「ボクとお母さん、どっちが好き?」
「クレアっ……」
いい加減にしなさい、と注意しようとしたエレインより先に、ジョージは微笑んだ。
「……お二人とも同じくらい想っているので比べることは出来ません。……クレア様もエレイン様も、わたしの大切な人ですから」
クレアは「へへへっ」と嬉しそうに笑い、嬉し恥ずかしそうなエレインを見上げた。
「お母さんはジョージのどこが好きなの?」
「……そうね……」
エレインは少し考え、微笑んだ。
「きっと、クレアと同じ所よ」
「さすがボクのお母さん! だよねだよねー!!」
妙に一人で納得され、エレインはおかしそうに笑い、ジョージも少し笑った。
その頃、小屋の前では……――
「……クレアは本当にジョージさんと妃様の子どもなんですか?」
カーシュの突然の質問にも関わらず、ピートは「うーむ……」と考え込んだ。
太陽の下、二人で剣術の稽古をしている最中――。
「二人の、なぁ……」
「その……、ホントに……愛し合ってたんですか?」
「そうだなぁ……」
ピートは剣を地面に突き刺し、額の汗を太い腕で拭った。
「愛し合っていた、と言えるのかどうなのか……」
「……って?」
「ジョージもエレイン様も互いに想っていたのは確かだ。とは言ってもそれは密かなもので、関係があったかというと……それは疑問だな」
「……クレアは……」
「ジョージの子どもじゃないだろ。……俺もそこまで突っ込んだことは聞いちゃいないが」
「じゃあ、どうしてジョージさんは……」
「血は繋がっていなくても、ジョージにとっちゃぁ愛する人の子どもは我が子同然、そんなとこだろ」
「……なんか深いですね」
「大人の世界をナメるなよ」
「……」
カーシュは剣を下ろして小さく息を吐き、水で渇いた喉を潤すピートを見上げた。
「お二人は未だに……」
「だろうな」
「……どちらが好きになられたんですか?」
「あ? そりゃ決まってるだろ、エレイン様の方だ」
「……やっぱりですか……」
「ジョージはくそ真面目なヤツだからな。エレイン様がどんなに素敵な人だろうと、惚れてしまっても一線を越えるような馬鹿なことはしない」
「でも好きになったなら……」
「それを押さえることが出来てしまうヤツなんだよ、ジョージは」
「……信じられないですね。エレイン様の方からアプローチして来てるんだから、俺だったら何も躊躇わないけどな」
「そこが違うんだよ」
「何がですか?」
「相手のことがいかに大切か、そうじゃないか」
「……。え?」
「エレイン様は王女で、しかもその時は王子もいた。……気持ちに流されてしまったら自分はおろか、エレイン様も破滅させる恐れがある。どちらかが気持ちにストップかけなけりゃどうなる?」
「……」
「だからジョージは耐えてたんだよ、ずっとな」
どこか遠く、森の方を見つめるピートに、カーシュは少し視線を落とし、目を上げた。
「……辛かったでしょうね……」
「そりゃそうさ。惚れた相手が悪かったと言えばそれまでだが」
「……。クレアは二人の子どもだと思ってるでしょ? このままでいいんですか?」
「それは俺達が言う事じゃないだろ。ジョージとエレイン様の問題だ。二人がそうしようって決めりゃそれでいいし、……クレア様には後でちゃんと話しをしようって事になるかも知れないしな。どっちにしろ、あの二人のことに関しちゃ誰も入る隙がないだろ。大きな問題でもあるし」
「そうですね……」
カーシュは深く息を吐き、少し伏せた目で地面を見つめ、そろっと顔を上げた。
「……昨日、クレアが言ってたお兄さんて……」
言葉を続けようとした時、耳に何かの音が聞こえ、「ん?」と空を見上げた。
――たくさんの鳥達が、群れをなして飛んでいく。
ピートも空を見上げて顔をしかめた。
「なんだ、ありゃ。渡り鳥か?」
「いえ、渡り鳥じゃないですよ。……どうしたんだろ、あんなにたくさん。なんだか何かから逃げてるよう……な……」
二人は間を置いて顔を見合わせた。
「まさか……ですよね……」
カーシュの戸惑うような言葉に、ピートは「……おいおい!!」と地面から剣を引き抜き、慌てて小屋の方へと走った。
散歩を続けていたクレアはふと空を見上げた。――鳥達が群れをなして飛んでいく。
「鳥さんもみんなで散歩ーっ」
彼女の楽しげな言葉に、ジョージとエレインも空を見上げ、エレインは「……おかしいわね」と、訝しげに眉を寄せつつ、軽く頬に手を当てた。
「あんなにたくさん……。……隣りの森で何かあったのかしら……」
言葉を耳に留めながらジョージは少し顔をしかめ、辺りを見回し、耳を澄ました。木々が邪魔になって遠くをよく見ることは出来ないが……。
「……クレア様、こちらへ」
静かに呼ばれ、クレアはテテテッと走り寄った。
ジョージは辺りの気配に集中しながら腰を曲げ、見上げるクレアの頭に軽く手を置いた。
「……小屋までの道は覚えていますね?」
「うん」
「……走って戻ってください」
「ジョージとお母さんは? 一緒に戻らないの?」
「……クレア様、いいですか?」
ジョージは腰を下ろして首を傾げるクレアの視線に目を合わせ、彼女の腕を掴んだ。
「……この様子だと、多分……何者かが森に進入してきたのでしょう」
エレインは少し目を見開き、冷静なジョージを愕然と見つめた。
クレアはキョトンとしていたが、次第に事情がわかってきたのか、その表情を真顔に変える。
「ヤバイって事だね?」
「……そうですね」
「大丈夫だよ。ボク、やってやるから」
「……意気込むのは結構。しかし、わたしはエレイン様を避難させなければいけません」
「私のことなら気にしないでっ……」
エレインがジョージの肩を掴み、焦りながらも真剣に首を振った。
「私よりもクレアをっ」
「駄目だよ」
クレアは言葉を遮ってジョージに目を戻した。
「ボクのことなら心配ない。それより……絶対お母さんのことを護って」
「……わかりました。……クレア様も急いでピートとスコットの所へ。いいですね?」
「うん」
クレアは大きく頷いて、心配げなエレインを笑顔で見上げた。
「また後でね、お母さん」
「……クレア、本当に大丈夫? ……本当に……」
「平気平気っ」
元気よく返事をすると、エレインは間を置いて腰を下ろし、引き寄せ抱きしめた。
「……ケガのないようにね。……絶対に後で……」
「うん。お母さんも気を付けてね」
互いに抱きしめ合い、そして離れると、クレアはジョージを見上げた。
「……それじゃ、ボク、行くよ」
「……気を付けて」
「うん」
強く頷くと、躊躇うことなく背を向けて走り出した。
エレインはその背中を心配そうに見つめながら腰を上げ、同じく腰を上げて背筋を伸ばすジョージを見た。
「負担になりたくありません。……いざというときは私を見捨ててください」
真剣な表情で告げるが、そんな彼女にジョージは微笑んで見せた。
「……クレア様との約束です。あなたを護ります」
「ティモ! いいか!!」
「キミ達は奥に隠れて!」
「妃様が……!!」
敵意を感じたことで小屋の中は大騒動になるが、ホリーは一人、壁際で腕を組み、深く息を吐いた。
「こうなるだろうとは思っていたけど、……ああ、ホント嫌になる……」
ブツブツと愚痴をこぼす彼女を放って、ロバートは女中達を部屋の奥へと押しやりながら剣を用意するピートを焦りの色で振り返った。
「クレアちゃん達がっ……」
「探しに行きます!」
カーシュが剣を手に顔を上げた。
「そんなに遠くには行っていないはずだから!」
「頼むぞカーシュ!」
ピートが願い出ると、「行ってきます!」と、カーシュはすぐに小屋を出て行った。その背中を見送ることなく、武器を手に「……よし!」と意気込むと、ピートはスコットとティモを振り返った。
「準備は出来たか!? 行くぞ!」
「外には出ないで!」とロバートに告げ、三人は小屋の外へと赴いた。
その頃――
クレアは木々を避けて走っていたが、「……んっ?」と顔をしかめ、足を止めて辺りをキョロキョロと見回した。
なんか道が違うような……。……、あれ? ……迷っちゃった?
「……ここにいてください」
大木の根本にくぼみを見つけ、人間一人が隠れるスペースが充分にあることを確認すると、そこにエレインを導き入れた。
エレインは躊躇い、足下に注意しながらそこに入り込んだが、不安げにジョージを振り返り見上げた。
「私を置いて、早くピート達の所に」
「……そういうわけにはいきません。……ここでじっとしていてください。……どうなろうと、絶対に出てこないように」
「私にも出来ることはっ? なにかっ……出来ることがっ……」
焦りの色を濃くして顔を歪める彼女にジョージは微笑んだ。
「……わたし一人で充分です」
「……」
「……失礼」
一言断って、上から低木の枝をかけようとした時、エレインはジョージの服を掴み、引き寄せてキスをした。しばらくその状態が続き、エレインは離れると、目に一杯の涙を浮かべてジョージを見つめた。
「……ご武運を……」
ジョージは微笑み頷くと、くぼみに枝を乗せ、そこを隠した。
小屋から少し離れた場所、森との真ん中に位置する広い原っぱに、ピートとスコットとティモが立った。辺りは静まり返り、動物達の姿すら見えない。
ピートは剣を地面に突き刺し、いつでも引き抜けるようにと注意深く森の中を見つめていたが、背後、小屋のドアが開く音が聞こえ、草を踏み潰す音が近付いきて「……ん?」と訝しげに隣に立つ気配を窺った。
「……中に入ってろ。危ないぞ」
スカートのまま、ザクッ! と自前の剣を地面に突き刺して腕を組み、仁王立ちしたホリーは、注意を受け入れることなく鼻から深く息を吐き、不愉快げに顎を上げた。
「何を言ってるの。ここは私の領域よ。……土足で踏み込んでくるような奴らに負けるもんですか」
血の気の多い性格なのか、森を睨む横顔にピートはため息を吐いた。
「……護ってやれないぜ?」
気遣いを見せる彼に、ホリーは「ハッ」と鼻で笑った。
「どこの誰だった? 私にホウキで叩かれて悲鳴を上げてたのは?」
「……そうだったっけな?」
ピートは苦笑するが、その表情も、すぐに真顔になった。
――遠く、木が伐採される音が聞こえる。耳障りに近い雑音も。それが複数名の人間たちの声だとわかるのに時間はかからなかった。
「危ないと思ったら退けよ。……いいな?」
「女を舐めてもらっちゃ困るわ。……これだから男は嫌いなのよね。自信過剰で図々しいったらありゃしない」
ため息混じりに首を振るホリーの言葉を聞いていたが、スコットは顔を上げ、剣を握った。
「……来ましたよ」
「くそっ……!」と、カーシュは人の影を見落とさないように走った。
確かこっちの方に行ってるはずなのに!! ……どこなんだ!!
ジョージ達三人を捜すがどこにもいない。早く見つけてピート達の所に戻りたい所だが……。
ジョージがいるからクレアもエレインも大丈夫だろうとは思うが、もしエレインに何かあったら……ジョージは落ち着いていてもクレアが何をしでかすか!
カーシュは邪魔な低木を避けながら走り続けていたが、不意にその足を止めた。
――人の影。しかも一人や二人じゃない。大勢だ。
木の影に隠れようと咄嗟に思ったが、「あそこだ!!」という声に舌を打った。
……どこまで出来るかわからない。けど……負けられない!!
その頃――
どこ!? どこどこ、ここどこ!!
どこを見ても景色が同じに見える。どこを走ってもみんな同じ。
クレアは走り保ってキョロキョロと見回しながら、心の中でべそを掻いた。
わかんないよ!! どうしよう!! ……ジョージ!! お母さん!! どうしよう!! 助けてー!!
それでも走る足を止めなかった。走ればそのうち“どこかに出る”と思っていた。そう、どこかに――。それがまさか、敵陣に突っ込むことになるとは思っていなかった。
人の影が見え、「ピート達だ!!」と嬉しさ一杯で走り、「ピートー!!」と大声で言ったその時に気が付いた。こちらに走ってくるクレアの姿に、兵士達も「え!?」と怯む。
クレアは「うげ!!」と驚き、走り寄っていた足にブレーキをかけ……かけてそのまま突っ込み、「こンのヤロぉー!!」と、焦る兵士達に殴りかかった。
ジョージは静かに二本の剣を引き向き、ゆっくりと深呼吸をした。そんな彼の前に次々と兵士達が現れ、ジリジリと近寄ってくる。
ジョージは剣を構えると、いつでも襲いかかってくる準備が出来ている彼らをじっと見つめた。
「……事情をお聞かせ願おうか。なぜここに?」
静かな声で伺う彼を兵士達はにじり寄りながら睨みつけた。
「……貴様のおかげで国王様が病に耽られた!」
「国王様を騙し苦しめ……!!」
「貴様だけは許せぬ!!」
怒りを露わに剣を構える兵士達に、ジョージは深く息を吐いた。
「……何を言っても聞き入れはしないか……」
そう呟くと兵士達を冷めた目で見つめ、軽く剣を振った。
「……これより先、一歩も通すわけにはいかない。……キミ達に恨みはないが、先に進もうなら遠慮なく斬り捨てる」
ガキィ……ン!! と、刃物が触れ合う音が響き、斬りつけられ、傷を負った者達が次々に倒れて呻き声を上げる。そんな彼らを踏み潰すように襲いかかってくる兵士達に、ピート達は怯むことなく剣を奮った。ホリーも同じく、隙をついて小屋に近付こうとする兵士に向かって容赦なく剣を向け、“叩く”。
小屋の中では、ロバートに護られ、女中達が震えて涙をこぼしていた――。
スコットは次から次へとやって来る兵士達を相手にしながら、汗を流してピートを振り返った。
「ジョージ達のトコに行った方がいいです!! ここでこれだけならジョージ達の方には!!」
ピートは舌を打った。
けど、今ここを離れたら……!!
そう悩んでいたその目の前でティモが腕をやられ、「ティモ!!」と一声上げ、すぐに駆け寄った。
「うおぉぉーりゃぁー!!」
ピートは豪剣を振りかざし、倒れたティモの前に立つ。
「しっかり!!」
スコットもすぐに加勢に駆けつけ、ピートと共に連携で兵士を倒していく。
ホリーは襲いかかってくる兵士を力一杯叩き、息を切らしながら「次はっ?」と振り返った、その時……背中に何かが滑った。
ピートは目を見開き、「くそ……!!」とすぐに駆け寄った。
「ホリー!!」
ガクンッ、とひざまづいた彼女にトドメを刺そうとする兵士に向かって剣を向け、それを目一杯の力で投げた。スパッ……と兵士の首が飛び、血の雨が降る。その下で、ホリーは力無く地面に俯せに倒れた。
ピートは急いで彼女に駆け寄ろうと足を向けたが、武器を待たない彼は兵士達にとって格好の餌食だ。一斉に襲いかかられるその姿を遠目から見たスコットは「……くそぉ!!」と大きく叫んだ。
カーシュは「嘘だろ!!」と、上手く木々を利用して逃げつつ、追ってきた兵士を斬りつけた。
「全員倒してやる!」と心の中で思ってはいても、現実、そう簡単にはいかない。
……無理だろ!! そんなに大勢相手にするのは!!
「こっちに逃げたぞ!!」
「あっちに回れ!!」
そう言って兵士達がどんどん追ってくる。
……たがか俺一人に対してそこまでやるか!?
子ウサギ一羽に対してライオン多数。――そんな状況だ。
自分の弱さも情けないが、兵士達にも腹が立つ。
「くそっ!!」と、必死で走り抜けていたその時、「こンのヤロぉー!!」と言う聞き慣れた声に顔を上げた。
……クレア!!
怯んだ兵士から順番に急所を狙い殴り倒し、短剣を抜くと容赦なく足を斬った。
素早く動くクレアに兵士達は剣を振り上げ下ろすが、木々が邪魔になって思うように彼女を狙えない。
「なんなんだお前らは!!」
クレアは怒りで眉を吊り上げて兵士を押し倒し首元を斬った。
「国王の命令か!? そうなのか!!」
兵士達は誰も何も答えずに剣を奮ってくる。クレアはスレスレで攻撃を避けつつ、時に逃げ、時に襲いかかった。だが、減ることのない兵士の数――。
……きりがない!! ……みんな……!!
「チッ……」と舌を打って走り逃げていたが、開け放たれた目の前、「……原っぱか!」と、思いながら飛び出したクレアは目を見開き足を止めた。
……川!!
慌ててUターンしようと振り返った彼女に兵士が剣を振り上げる。驚いて後退し、それを避けたつもりが微かに腹を切った。「つっ……!」と顔を歪めて後ろによろけ、それでも襲ってくる兵士達に果敢に挑む。剣を振り上げて斬りかかってきた兵士のその切先をギリギリで避け、開いた胸元に短剣を突き刺して蹴り、そのまま次の兵士に向かって回し蹴りを二発食らわせた。
クレアは息を切らし、背後を見た。
川……!
一瞬、目眩を起こしそうになったが、次々にやってくる兵士を見てなんとか気を取り直す。……だが、恐怖心には勝てない。川の流れる音が不思議なほどに耳の奥に響き、煽られて心音が速くなる。呼吸が苦しくなって、表情にも余裕がなくなってきた。――その時
「クレア!!」
クレアに気を取られる兵士達を後ろから斬りつけ、カーシュが走ってやってきた。
彼の姿を見て、クレアは少し安心したようなホッとした笑みを浮かべつつも、すぐにギロッと睨み付け不快さを露わにした。
「遅いぞカーシュ!!」
「ジョージさんは!!」
「どこか!!」
そう投げやりに答えながら、尚も斬りかかってくる兵士を避け、逆に殴ってよろけた隙に斬りつける。カーシュは流れる汗をそのままに、剣を交え、触れ合う剣先を弾きながらクレアに駆け寄った。
「ピートさん達と合流しないと!!」
「できるならやってる!!」
クレアは怒鳴るように答えて大きく息を切らした。
二人が揃ったことで兵士達の動きが変わった。今までは一人だったから余裕で襲いかかってきたのだろう。二人になり、彼らは用心してジリジリと近寄ってくる。
――しばらくお互いの間に10数メートルの距離ができ、出方を窺いだす。
クレアとカーシュは肩で大きく息をしながら背中を合わせ、三十人程はいるだろう兵士達から目を逸らすことなく彼らを睨んだ。
「……、ピート達はっ?」
「お前を探しに来たからっ……わからないっ……」
「くそっ……、なんなんだ、この人数っ」
こうしている間も、次から次へと森の中から兵士が現れ、斬りかかる隙を狙っている。
カーシュは構える剣の柄を握りしめて舌を打った。
森の方は兵士達に占領されている。ここで運良く森の中に逃げることが出来たとしても、必ず兵士に遭遇するだろう。
――膠着状態が続くわけはない。このままじゃあ二人共やられてしまう……。
「……、おい、クレア」
「なんだっ」
「……お前はすぐにピートさん達と合流しろ。ここは俺がなんとか引きつけるから」
「一人でどうするってんだ。……敵うわけないだろ、こんなにたくさん」
「言ってられない。ここは俺に任せて、お前は先に行け」
「……どうやって行けって言うんだ、囲まれてるのにっ」
兵士達から目を逸らすことなく睨み付けながらやけくそ気味に吐き捨てると、カーシュはチラッ……と森とは逆の方に目を向けた。
「……、渡れ」
「えっ?」
「あそこの川を渡るんだ」
「出来るか!!」
真顔のカーシュを振り返ることなく大声で怒鳴ると、兵士達の方がビクッ! と驚き、すかさず剣を構えた。
「知ってるだろ! ボクはっ!」
「出来る」
にじり寄る兵士達を睨みながら言葉を遮ると、クレアは威勢をなくし、少し顔を歪めた。
「……出来ないっ……」
「やれば出来る。……勇気を出せ」
「……出せない」
悔しげに、怯えるように答えながら目に涙を浮かべた。
「……そんなことするくらいなら……ここで」
「思い出せ」
カーシュは兵士達から目を逸らすことなく、間合いを計りながら続けた。
「お前は元々湖が好きだったんだろ? ……大好きだったって聞いた。……怖くないんだ、本当は。……お前が怖いのは水じゃない」
「……」
「……助かっただろ? ジョージさんが助けてくれたんだろ? ……勇気を出せ。……きっと今度も助かる。……お前は生き延びる」
「……」
クレアは、剣を構えて近寄ってくる兵士を見た。――視界が歪み、心音が更に速くなる。
「……駄目。出来ない。……出来ない」
「……クレア」
「ボク、無理だ。……水に入ったら……、ボク……消えちゃう……」
「……」
「……消えるよ……ボク……。……いなくなるよ……」
「……」
カーシュは剣を握っていた手を緩めた。
「……じゃあ、俺が捕まえててやる」
クレアは顔を上げてカーシュを見た。それと同時にカーシュはいきなりクレアの手を掴んで引っ張り、川に向かって走り出す。クレアは突然のことに仰天し、「カ、カーシュ!!」と、短剣を手放して目を見開いた。
「息を止めろ!」
そう言ってカーシュはクレアを抱き寄せると、そのまま彼女と一緒に川に飛び込んだ。
「追え!! 急げ!!」
「対岸だ!!」
水飛沫を上げて川に入った二人を兵士達が追いかける。
ゴボゴボッ! と気泡が立ち、カーシュはクレアを抱えて足の付かない川を泳ぐ。「プハッ!」と川から顔を出すと、クレアが水に沈まないようになんとか頭を上に向けた。彼女は力無く目を閉じている――。
「クレア!! ……しっかりしろ!! ……負けるな!!」
グッタリとした彼女の体を必死に抱え、流れに逆らえず沈みそうになりながらも泳ぐ。そんな彼を、岸から兵士達が飛び込んで追ってくる。中には剣を矢のように飛ばしてくる者もいる。
カーシュは水を飲み、「ゲホッ!!」と咳き込みクレアを抱きしめた。
「ク……クレア……!! ……ク!!」
ザシュッ! と、飛んできた剣が体をかすった。
カーシュは顔を歪め、一瞬クレアの体を離しそうになって強く抱きしめた。
「……クレア……!!」
川の力に逆らえず流され続ける。
兵士達が二人に迫ってきた時、カーシュはクレアを抱いたまま「ゴボッ……!!」と川に沈んでしまった。目を開け、必死で川の上に顔を出そうとしたが、クレアがそのまま沈もうとする。「くそ!!」と引っ張り上げようとした彼の目に、すぐそこまで泳ぎ迫る兵士の手が見えた。
――このままじゃ、もう……。
カーシュは踏ん張って、クレアの体に付いている、有りとあらゆる重りとなるものを外した。
せめてお前だけでも……。……きっと助かる。……信じてる……。
軽くなったクレアの体がフワ……と浮く。
カーシュは、目を閉じたままのクレアの手を掴み、顔を見つめた。
……死ぬなよ、こんなところで……。
軽くクレアの唇にキスをして、彼女の体を突き放すように力一杯、押しやった。川の流れも伴って遠くにすぐ流れ、浮いていく。
カーシュはそのままでいたが、やって来た兵士に頭を掴まれて川底に沈められ、口と鼻から、肺の中の空気を全て出し切ってしまった――。
【……勇気を出す時だ。強さを証明しろ。……俺を呼べ。……さぁ、俺を呼ぶんだ!!】
――ジョージは顔を上げた。……突然、遠くに光の柱が立ち上った。
兵士達も驚いて怯み、そちらを振り返る。
一本の光の柱は空を突き抜け、音もなく消えた。
一瞬のことにみんながしばらくボー然と立ち竦んでいた……。
カッ……!! と眩いほどの光が迸り、兵士も、スコットもピートもティモも顔を伏せた。
「……ホリィー!!」
ピートの声が響き、その後、フッ……といきなり光が止んだ。
何がなんだかわからずみんながうろたえる中、ピート達は唖然とした。
やられたはずのホリーが立っている。いや、地面から微かに離れたところで……宙に浮いている――。
ホリーは閉じていた目をゆっくりと開け、無表情な顔で、ボー然としている兵士達を見回した。
「……立ち去りなさい……」
そう静かに言うが、声が彼女の物じゃない。
近くにいた兵士が「……この女!!」と、いきなり斬りかかった。スコットがすぐに走り寄ったが、兵士はホリーに触れるその前に、ドンッ! と、壁にでもぶつかったようにして背中から地面に倒れ込んだ。その光景に、スコットは唖然とし、足を止めた。
ホリーは痛みで顔を歪める兵士を見下ろすと、ゆっくりと手を挙げた。
「あっ、わ……!」
焦る兵士の体が宙に浮く。バタバタと足を動かすが、もう地面には戻れない。
「ヒ、ヒィ!! や、やめろ!! ……お、下ろせ!! 下ろしてくれぇ!!」
怯える声で訴えるが、ホリーはそれでも無表情に手を挙げ続けた。みんながその光景を凝視し、空に浮いていく兵士の行く末を見つめる。……いや、目が逸らせない。
兵士はバタバタと手足を動かし、精一杯の抵抗をしていたが、目を下に向けると同時に「ヒッ……!」と小さく声を上げた。ボンヤリと足下の地面が揺らめき、影ができるとポッカリ穴が開いた。――その奥は何も見えない。ただの暗闇だ。
ホリーはその穴を見下ろすと、荒々しく息を切らしながら涙をこぼして震え上がり、声も出ないまま頭を左右に振る兵士を見た。
「……下ろせと言ったわね?」
「……っ! ……!!」
「……願いを叶えてあげましょう……」
兵士は大きく目を見開いてガクガクと震えた。……時、突然重力がなくなり、「うあぁぁぁー!!」と、そのまま穴に飲まれた――。
ホリーは兵士の形すら残さない穴の方を見ていたが、ゆっくりと顔を上げ、他の兵士達へと目を向けた。……無表情の顔に、冷ややかな視線で。そして、ス……と手を挙げると、ゆっくり手招きをした。
「……闇に飲まれたい者はおいで……――」
川の水が光と共に沸き上がり、兵士達は「……!?」と顔を伏せた。
川の中にいた多くの兵士達は、光の柱と共に上空に投げ出され、無抵抗なまま地面に叩き付けられてしまった。ドスンッ、ドスンッ! と、次々に地面が響き、それが止むと、生き残った兵士達は、光の止んだ目蓋の向こう、降り注いでくる川の水に戸惑いながら顔を上げた。……そして愕然とする。
――ブラッドは、ゆっくりと地面にクレアを横たえた。その傍に、真っ白い衣装をまとった女性が同じくカーシュを横たえる。
「……そいつは大丈夫か?」
「……ええ、息はあります。気を失っているだけでしょう……」
ブラッドはゆっくりと深呼吸をすると、唖然とする兵士達を睨み、腕を振り上げた。
「俺はブラッドだ!! ベルナーガスに戻って国王に伝えろ!! ブラッドがその命を討つ為に戻ってきたと!!」




