第八話 「キミは、誰?」
――辺りも暗くなり、このまま進むのは危険だと判断すると森の中に入り込んで一夜を過ごすことに。
木々を集めて火を熾して城から奪った食料で腹を満たし、それぞれ身を寄せ合って木の皮を弾く炎を見つめた。時々ザワッと風に木々が騒ぎ、その度に女中達が怯えた眼差しで振り返って辺りを見回していたが、それも最初のうちだけ。次第にこの空気に慣れて、みんなと同じようにただじっと炎を見つめだす。そんな中、彼女達よりもか弱いだろうエレインは一切怯む様子もなく、逆に冷静すぎる程だ。
「……大丈夫ですか?」
スコットが上着を脱いで、隣りにいるエレインの膝にそっとかけた。着替える間もなく寝間着のままだった彼女に女中達が上着は用意して持ってきてはくれたが、それでも夜風は寒いだろう。
気遣うスコットに、エレインは笑みを向けた。
「……ありがとう。……寒くないですか?」
「わたしは大丈夫です」
スコットに笑顔で頷かれ、エレインは申し訳なさそうな笑みで「……ありがとう」と再び小さく礼を告げて炎に目を戻した。
ピートが枝を折って炎の中に投げ入れる、その行動のみで、あとは誰も動かないし、誰も口を開かない。しばらく静かな時間が過ぎていたが、しびれを切らしたティモがお酒を持って来て、「……気晴らしに」と、それぞれに回した。飲める者はそれをひと口ふた口と喉に通し、次に回す。エレインの元にも回ってくると女中の一人が「……いけません」と軽く注意して取り上げようと手を伸ばし、エレインは子どものような拗ねた笑顔で酒瓶を彼女から遠ざけた。
「……ひと口だけ……」
そう断って少し口に含み、深く息を吐く。
「……お召しになってもいいのですか?」
ロバートが不安げに訊くと、エレインは女中に酒瓶を取り上げられながら微笑んだ。
「少々なら平気です……。……それに」
穏やかな笑みで炎を見つめ、言葉を続ける。
「不謹慎ですけど……、追われる身でありながら、私、とても落ち着いているんです。……こんな森の中、何も持たずに入り込んで、こうして焚き火に当たって……」
「あ、不便ですね」
ピートが慌てて気遣うが、エレインは笑顔で首を振った。
「……安らいでいるんです。……これが自由って事なのかしら。……今、とても幸せです。皆さんと一緒にいることが……とても……」
柔らかい口調の節々からは確かに不安さよりも心地よさが伝わってくる。炎のせいか、顔色も良さそうだ。
カーシュは膝を抱えたままエレインを見つめ、そして焚き火の炎に目を戻した。
――どうなるんだろうな、これから……。
クレアはボンヤリしていたが、「ふ、あぁぁ」と大きく口を開けて欠伸を一つ。スコットが「はしたないですよ」と注意するが、目を擦り、隣りにいるジョージの膝の上に頭を載せて寝転んだ。――いつもと同じ光景だ。
ジョージが優しい笑みを浮かべながら頭をそっと撫でていると、そのうちクレアの力が抜け、誰よりも先に眠りに就いてしまった。
気持ちよさそうな寝息を立てる姿に、エレインは呆れ気味な笑みをこぼした。
「……本当に寝付きのいい子。こんな森の中なのに。……いつもそう?」
「……よく寝ます」
と、ジョージは小声で答えながらクレアの頭を撫で続け、髪の毛を解かす。
「昼寝も得意だ」
ピートはそう口を挟んで苦笑し、野宿は初めてだろう彼らを見回した。
「こんなところだが……少し眠った方がいい。見張りはしておくし、この森の中じゃ追っ手は来ないだろうから。……安心してください」
エレインは頷くと、傍で寄り添い合う女中達をそっと窺った。
「……あなた達もお眠りなさい。……今日は大変な一日だったものね。……疲れたでしょう」
地面との間に敷いているローブを引っ張って彼女達の寝床をと用意するエレインに、女中達はすぐに首を振った。
「エレイン様の方こそ」
「エレイン様、お休みください」
「……私もすぐに寝ます。……さぁ、お休みなさい」
彼女達の肩を撫で、微笑み労う。そんなエレインから、ティモはカーシュへと目を移した。
「お前も寝ろよ。……今日はよく頑張ったな、見直したぞ」
「俺が鍛えたからな」と、ピートが得意げに胸を張る。だが、当のカーシュは視線を落とすと悲しげに小さく首を振った。
「……ごめん。……俺」
「いいや。お前は正しいことをしたと思う」
気持ちを察してか、ティモは真顔で遮る。
「クレアちゃんだって、帰ろうって言ってくれるのを待ってたんだろ、きっと。お前は勇気があるよ、ホントに」
「けど、国王が……」
言葉を切らして不安げな目をジョージに向けると、彼は小さく息を吐いて焚き火を見つめた。
「……どうだろうな。……そればかりは何かが起こらない限り……」
「……起こった後じゃ遅すぎませんか?」
カーシュは戸惑い、焦りを露わに身を乗り出した。
「もし、もしまたみんなに危害が加えられたら、俺……」
「その時は戦えばいいんだ」
ピートはお酒をくいっと飲み、口元を手の甲で拭った。
「お前はいいと思ったからやったんだろ? ……クレア様も同じ。帰りたいと思ったから出てきた。……俺はお前達の意思を尊重する。何かが起こったら、その時はこの腕を奮ってやるから安心しろ」
自慢げに右腕の力こぶを見せるが、カーシュは何も言えずにまた視線を落とし、強く膝を抱える。
スコットは彼らの話しに興味を示すことなく、対面側、眠るクレアの寝顔を見つめて笑みをこぼした。
「……やっぱり、クレア様がいるのっていいですね」
場違いな嬉しそうな声に、ピートは「はあ?」と呆れてため息を吐いた。
「のんきなヤツだなぁ。現状を理解してるのかねぇ……」
「もちろん。元に戻りました」
笑顔で答えられ、ピートは「……わかっちゃいない」と力無く項垂れる。
ロバートは、ずっとクレアの頭を撫でるジョージへと目を向けた。
「国王に変化がなければいいが……。念のためにもしものことを考えておかねばな」
ジョージが頷くと、カーシュはゆっくり顔を上げて彼を窺った。
「これからどうなるんでしょうか……」
いつまでも不安の色を浮かべて呟くように問いかけるカーシュに、ジョージはクレアの頭を撫でながら首を振った。
「……どうなるかは、わたしにもわからない。……ただ、これで完全に国王軍と敵対することになったのは確かだろう。そのための力も必要だということも。……ベルナーガスの動きには注意しよう。このまま何事もなく済むとは思えない……」
「……そうですよね……」
「……今は体を休めろ。……体力を温存するのも大切なことだぞ」
助言に逆らうことなく、カーシュは「……はい」と素直に返事をして青草の上でゴロンと仰向けになった。
――クレアを呼んだときは何も考えていなかった。こんな事になるなんて、微塵も。
今更ながら、自分の無責任な行動につくづく嫌気が差す。いつもいつもそうだ。後から後から迷いが生まれてきて。
考えてもどうすることも出来ないのはわかっているが、すぐに考えてしまう。それだけ“敵”を恐れているのだろう。
しばらくボンヤリと夜空を見上げ、パチパチと木の皮を弾く焚き火の音を子守歌に、カーシュはゆっくりと目を閉じた。眠れないと思っていたが、スゥーッと頭が空っぽになり、すぐに眠りに就いてしまう。自分が思っている以上に体は疲れ切っていたのだ。クレアの次に寝入ってしまったカーシュに大人達は苦笑しつつ、彼らもそれぞれに体を休めた。
朝になれば、また今とは違う景色と出会うだろう。その景色と向き合うために――。
「……、……っ、……っ!」
段々と息苦しさに襲われて目が覚め、ガバッ! と体を起こしたカーシュはゼェゼェと荒々しく呼吸をした。悪夢でも見てしまったのか、とにかく苦しかった。眠気なんてすぐになくなり、呼吸を整えていると、気配を感じて辺りを見回した。
明るい太陽の下、すでにみんなが起きて、こちらを見て笑っている。
「……寝癖かっ?」と、慌てて髪を指で解かそうと腕を上げた時、ポロ……と地面に木の実が落ちた。ちょうど鼻の穴に入るほどの大きさだ。
カーシュは顔をしかめてそれを指で摘み持つと、一人一人を見て「……あれ?」と瞬きをした。
「ジョージさんと……クレアは?」
「顔を洗いに行ってる」
ピートが焚き火の跡を踏み潰しながら答える。
「この先に小川があるんだ。……お前も顔を洗ってきた方がいいぞ」
顎をしゃくった彼の表情がおかしい。笑いを堪えているような……。他のみんなもそう。女中達がクスクスと顔を背けて笑っている。エレインも苦笑気味だ。
なんとなく嫌な予感がして頬を撫でた。すると、ザラッと土の感触が――。
ティモが吹き出し笑うと同時に、恥ずかしさで一杯になりながらも「あのガキーっ!」とカーシュは眉をつり上げ、“土パック”をした顔で急いで小川へ向かった。
「――目が……重い。ショボショボする」
「……腫れてますからね」
「なんで? ボク、誰かに殴られた?」
「……いいえ。……たくさん泣いたから目が疲れたんです」
「……。顔、変?」
渋そうに眉を寄せるクレアにジョージは苦笑して腰を下ろすと、向き合った彼女の腕をそっと掴んで濡れタオルで顔を優しく拭った。
「……変じゃありませんよ」
「ホントに? 絶対に?」
「……ええ。いつもと同じ、かわいらしいです」
クレアは体をフラフラさせながら「へへへっ」と嬉しそうに笑う。
ゆったりと流れる小川から少し離れた木陰の下、ジョージは濡れタオルを裏返して、クレアの目元を軽く拭いながら小さく切り出した。
「……すみませんでした……」
突然謝られ、クレアは「ん?」と瞬きをして首を傾げた。
「何が?」
「……あなたを置いて行こうとして……」
優しく顔を拭う手は止めず、申し訳なさの中に悲しみを含ませて目を細め、元気のない声で告げる。そんなジョージにクレアは表情を消していたが、間を置いて笑みをこぼした。
「ボクが残るって言ったんだよ? ボクがジョージ達を追い出そうとしたんだから、怒られるのはボクの方だと思う。ごめんね、ジョージ。許してくれる?」
「……わたしは怒ってなどいません。むしろ、あのままクレア様を残して行こうとした自分が情けないほどです……」
「そんなことないよ。ボク、ジョージは偉いと思う」
真顔で大きく頷かれ、ジョージは少し顔をしかめた。
「……なぜですか?」
「だって、ジョージは寂しがり屋さんだモン」
平然とした言葉にジョージは手を止め、タオルを下ろしてクレアを見つめた。
「……寂しがり屋?」
「そうだよ」
「……、わたしがですか?」
「うん」
「……スコットではなくて?」
「ジョージだよ」
クレアは苦笑して手を伸ばし、無表情に首を傾げて問う彼の髪の毛に付いている埃を摘んで取った。
「スコットはね、泣き虫さん。ピートは頑張り屋さん。ジョージは寂しがり屋さん」
「……わたしが寂しがり屋?」
「うん。気付かなかった?」
「……そんなつもりはありませんが……」
「ジョージは寂しがり屋さんだから、ピートとスコットも一緒に追い出したの」
ジョージは口を閉じたまま、微笑むクレアを見つめた。
「ボクはお母さんいるからいいけど、ジョージは独りぼっちになっちゃう。なのに、寂しがり屋さんなのに平気なフリしてた。ジョージは寂しいの我慢して、ボクの言うことを聞こうとした。だからね、ジョージは偉いんだよ」
「……」
「でもね、それじゃジョージがかわいそうだから。だからピートとスコットもジョージと一緒にしたの。ジョージを一人にしちゃ駄目なの。ピートとスコットもね、ちゃんとわかってると思うよ」
「……、……」
「けど、もうボクが傍にいるからね。寂しくないよ」
ニッコリ笑って、背伸びをして頭を撫でる。サワサワと小さな手が行き来する頭上をそのままに、ジョージはしばらく間を置いて笑みをこぼした。
「……ありがとうございます」
「追い出しちゃったこと、許してくれる?」
頭から手を除けて首を傾げるクレアに、ジョージは少し笑った。
「……どうしましょうか?」
「許してっ」
「……ピートとスコットにも謝ってくださいね」
「はーい」
愛想良く返事をして腕を伸ばすと、ジョージの首にしがみつくように回して抱きついた。
「もう、一緒にいるからね」
穏やかな声にジョージは笑みを浮かべ、クレアの背中に腕を回す。
――その光景を物陰から眺めながら、カーシュは近寄ることも出来ずに立ち尽くしていた。話し声はよく聞こえない。出て行ってもなんて事はないはず。しかし、あの二人だけの景色がとても似合っていて、それを崩しちゃいけないような気がした。
……顔を洗うのは後にしよう、そう思ってそこから後退しかけたとき、パキッ……と小枝を踏みしめてしまった。「うっ……」と息を止めたが、そんなことで誤魔化せない。
ジョージは顔を上げると、分が悪そうに硬直しているカーシュを見て苦笑し、クレアを離して立ち上がった。
「……喧嘩はしないように」
クレアは首を傾げて振り返り、カーシュを見て「……プッ」と吹き出した。
「あはははっ! カーシュの顔おもしろーい!!」
指差し笑われ、カーシュはハッと思い出した。……そうだった。“普通の寝起きの顔”をしてるんじゃなかった。
カーッ! と顔を赤くすると、眉を吊り上げて出て来た。
「お前な! 人が寝てる間に!!」
「だって起きなかった。起きない方が悪いんだ」
ケロッとした顔でそっぽ向かれ、「……こいつぅ!」とカーシュは目を据わらせた。一発頭にゲンコツを落としたいが、ジョージがいるとそれが適わない。手を出したところで“斬り殺される”とは思えないが、それでも彼の存在は恐怖だ。
「くそーっ」と、不快さをそのままに小川で顔を洗って身を整えている間、遠く背後から「お寝坊さーん」とクレアに馬鹿にされる。川の水を掛けてやろうかという思いを留まらせながら、苦笑気味に待つジョージと三人でみんなの元に戻った。
「ボクってさ、どうなっちゃう?」
「どうとは?」
「みんなに怒られる?」
「それは……そうでしょうね」
「やっぱりかぁ」
ピートに肩をすくめられ、クレアはため息混じりに口を尖らした。
一番サイズ的にマシなカーシュの服を借りてドレスを脱ぎ捨て、みんなで一緒に朝食を取っている。
「けど、ボクが悪いんじゃないよ。……ボクを呼んだカーシュが悪いんだ」
しれっとした顔で名指しされたカーシュは、パンをかじる手を止めてズゥーンとまた落ち込みだした。
ピートは苦笑すると、俯いて落ち込み続けるカーシュに追い打ちをかけようと「あっかんべー」と舌を出すクレアの隣り、木の実を砕くジョージへと目を向けた。
「とにかく、一刻も早くウェルターに戻るか。みんなとも話し合わないとな」
「カーシュのせいだ。カーシュのせいでまた大変なことになっちゃうんだ。あーあ、みんなにも怒られちゃうよー」
「いい加減にしなさい」
と、おもしろがるクレアにスコットが対面から眉を吊り上げて注意する。
「カーシュが呼んでくれなかったらどうなっていたと思うんですか?」
「ボクお姫様。国は平和。みんな幸せ」
なんでもない顔で淡々と答えられ、スコットはじっとりと目を細めた。
「……わたし達とは離れ離れになってたんですよ? それでもよかったんですか?」
拗ねるように問われ、クレアは「んー……」と視線を上に向けて考えるとニッコリと笑った。
「別にどうでもいいよ」
ガーンッ! と、スコットはショックを受けてふらつき、頭をガックリと落とす。
クレアは愉快げに笑い、カーシュとスコットを交互に見て「ウソウソっ!」と手を振った。
「冗談だよ冗談! カーシュに呼んでもらって、ボク、すごく嬉しかったよ。スコット達とまた一緒にいられて、すごく嬉しい。ボク、やっぱりみんなと一緒がいいや!」
いつもと同じ元気のいい彼女にティモは苦笑して一息吐くと、口元を手の甲で拭うジョージを真顔で窺った。
「ウェルターに辿り着くまで何事もなければいいんですけど……」
「……そうだな。早急に向かおう」
「今日、ボク、お馬さんのトコに乗ってもいい?」
クレアが隣のジョージを見上げるが、「危ないから駄目よ」とエレインに軽く注意されて「ぶーっ」と頬を膨らませる。
エレインは「……困った子」とため息を吐くと、軽い食事を終えて早々に片付けを始めるスコットを目で追った。
「……よく、こういう事をしていたの?」
「ええ、そうですね。長居する時は自分達で即席の小屋を造っていましたし」
「……すごいわ。……私も、そういうところに住んでみたい……」
憧れんばかりの吐息を漏らすエレインに、「住めるよ」とクレアが笑顔で口を挟んだ。
「一つ、ウェルターの近くにあるモンね。カーシュとナナの新居になってるけど」
「違うって言ってるだろっ」と、カーシュはピートを間に身を乗り出して素早くクレアの頭を軽く叩いたが、キョトンとしているエレインに気付いて「あっ、す、すみません」と慌てて元の場所に腰を下ろした。
エレインは「ふふっ」と愉快げに笑う。
「いいんですよ……。私のことは気にしないで、いつものように」
「そうだぞカーシュ。いつものように、ボクのこと、お嬢様って呼んでいいんだぞ」
頭を撫でながらもクレアが顎を上げて高飛車な態度を見せると、「……誰がそう呼んでたよ?」と、カーシュは目を据わらせた。
みんなが食事を終わらせると、ゆっくりする間もなく片付けを終え、ウェルターへと向かう準備をする。そんな中、クレアは馬に負担をかけないようにと少しでも荷物を軽くするカーシュに近寄った。
「ねぇカーシュ」
「……なんだよ」
チラっと横目を向けただけで、荷物を整理する手は止めない。クレアはそんな彼を目で追いながら笑顔で切り出した。
「遅くなったけど、呼んでくれてありがとう」
カーシュは少し手を止めかけたが、「……別に」と無関心を気取って再び荷物を探った。
「どうってことないだろ。それに……どうなるかわからなくなったし」
「それってさ、どうなの?」
訝しげに問われたカーシュは手を止めて振り返ると、キョトンとした顔で首を傾げた。
「どう、って?」
「カーシュはボクが戻ってきて嬉しいの? 嬉しくないの?」
拗ねているのかなんなのか――。口を尖らせつつ少し頭を斜めに傾げて訊くクレアにカーシュは顔をしかめた。
「今はそういうことを言ってる場合じゃないと思うぞ?」
「戻ってきて欲しいからボクを呼んだんじゃなかったの? ビクビクしたいからボクを呼んだの?」
「……それは……」
「ボクは呼んでくれて本当に嬉しかったよ。戻りたいって、すごく思った。だから我慢するのやめた。……ボク、戻ってこない方がよかった?」
じっと見上げながら寂しげに訊く。彼女の声が聞こえたみんながこちらを振り返って窺いだした。
カーシュは少し戸惑って目を泳がせていたが、「……はあ」とため息を吐いて肩を落とすと首を軽く振った。
「戻ってきてよかったよ。……戻ってきて欲しくて呼んだんだから。後のことなんか何も考えなかったけど……、でも、後悔はしてないから」
言い終えると、照れ隠しするようにさっさと荷物を分ける。そんな彼にクレアはキョトンとしていたが、間を置いて笑みをこぼした。
「ありがとう。……ボク、またキミと会えて嬉しいよ」
カーシュは少し目を見開いて顔を上げたが、その頃にはクレアはジョージの元へと歩み寄り、「準備は出来た?」と問いかけていた。その姿を見つめ、嬉しいやら恥ずかしいやら、笑みを浮かべたいがそれを隠して、また荷物に目を向けて手を探った。
手分けして不必要な荷物をまとめて置き、穴を掘って埋め、そして馬車に乗り込むとウェルターへと向かう。森の中でも、出来るだけ馬が通りやすそうな所を選び先へと進んだ。
山道だとさすがに誰かとすれ違うことはないが、それでも用心は怠らない。
クレアは揺れる馬車の中、隣りに寄り添うジョージを見上げた。
「ボク、ウェルターに戻ったら救世主を捜すね」
「……救世主?」
対面からエレインが首を傾げると、ジョージが国王を元に戻すために必要な人物だと説明する。その後でクレアは意気込みを露わに拳をグッと上げて見せた。
「ボクじゃないと見つけられないんだって。だからボク、がんばって捜すんだ!」
「すごいでしょ!?」と問うような笑顔に、エレインは不安げな笑みを浮かべた。
「……気を付けなくちゃ駄目よ? 無理はしないでね?」
「はーい」
「この返事の時はちゃんと聞いてません」
と、スコットが目を据わらせて教える。――と、馬車の揺れが収まり、車輪の音も緩やかになってきた。明らかにスピードが落ちているようだ。車内のみんなが「何事?」と顔を見合わせている間に馬車が完全に停止し、状況を伺うためジョージが外に出た。
「……どうした?」
御者席に歩み寄ってピートとティモを見上げると、二人は道の先を顎で指してそれを答えにした。――道の先がぬかるんでいる。
「この辺は沼が多かっただろ。……迂闊に飛び込むと、偉い目に遭いそうだ」
ピートは手綱を席に置いて地面に降り、沼かどうかを確かめるためにそこに向かう。馬車の窓が開いて中からクレアが「どうしたの?」と顔を突き出すと、ジョージは彼女を振り返って首を振った。
「……中にいてください。……湿地帯です。危ないですから」
クレアは慌てて顔を引っ込めて窓をピシャリと閉め、すぐにスコットにしがみついて胸に顔を埋めた。怯えて背中に回した腕に力を入れるクレアを安心させようと、スコットは彼女をそっと包んで「よしよし」と背中や頭を撫でる。
カーシュは訝しげに外に出てドアを閉め、ジョージの傍に立つと辺りを見回した。
「沼ですか?」
「……迂闊に先には進めないな。……かといってここで止まると、クレア様にはよくない」
ぐるりと見回すジョージの目が沼を捉えている。カーシュもそれに気付くと、軽く息を吐いて肩の力を抜いた。
「引き返して、別の道を捜しますか……?」
「……考えるか……」
腕を組んで視線を落としていると、道の先から戻ってきたピートが顔を上げたジョージに困惑げに首を振った。
「駄目だな。向こうにもある」
と、道としては開けている右側を指差して続ける。
「この辺は危険地帯だ。進むなら用心して進まないと。いけると思って進んだらハマっちまいそうだ」
「……引き返した方がよさそうか?」
「けど、そうなると馬車が通れる道は大きな山道だろ? あそこは主流になってるから兵士と遭遇する確率が高くなってくる。それでもいいなら引き返すが……、もし馬をやられたら、俺達だけならいいが、エレイン様には大きな負担になるぞ」
馬車の中に聞こえないように声を潜めると、ジョージも深刻そうに眉を寄せた。
「……なんとかこのまま進むことは出来るのか?」
「時間はかかるけどな。怪しいと思ったらとにかく止まって確認して進むしかない。歩き保って進んだ方が早いか……」
「だったら俺、先に歩きますよ」
カーシュが二人を交互に見上げて自分の胸に手を置く。
「俺が歩く方に来てもらえばいいし」
「お前が沼にハマったらどうすんだ?」
「その時は助けてください」
真顔ながらもすがり見上げられ、ピートは少し笑ってポンと肩を叩いた。
「よし、じゃあ、道案内は任せた。疲れたら交代するからな」
カーシュは「はい」と頷くと、早速馬の前に向かい、歩く先を確認しながら足を進めていく。ピートは御者席に乗ってティモの隣に腰掛け、ジョージは車内に戻った。
ゆっくりと動き出した馬車の中、スコットはクレアの背中を撫でながら隣に座ったジョージを窺った。
「どうしました?」
「……沼地が多くてな、迂闊には進めないんだ」
そう答え、スコットにしっかりとしがみつくクレアの頭を撫でた。
「……大丈夫ですか、クレア様」
「なんだかジメジメしだした……」
スコットの胸に顔を伏せたままの言葉は聞き取りにくいが、やはり、声の節々が震えて怯えているようだ。
「……湿地帯ですからね。……眠られますか? その方が気にならずに済みますから」
「……うん……」
スコットにしがみついたまま、顔も上げられず、小さく頷くだけで動かない。
ジョージは「……代わろう」と、クレアの脇に手を入れて抱え上げると自分の膝の上に載せて抱きしめた。クレアも、しっかりジョージにしがみついて胸に顔を埋める。その様子に、女中達は心配げな顔でスコットを窺った。
「……クレア様、どうなさったんですか?」
「体調でも悪いのですか?」
「ああ、ちょっと……水が怖いもので」
クレアのずれた服を伸ばして整えながら答えるスコットに、彼女達は顔をしかめた。
「……水が?」
「水が溜まっていたり、湿気が多いと嫌がるんです。……怖がるだけならいいんですが、酷くなると意識を失ってしまうので」
「……なんてこと……」
「かわいそうに……。水が怖いなんて……」
女中達が悲しそうな目を向ける中、間に挟まれているエレインは、クレアの背中を撫でるジョージを見つめた。真顔ながらも、どこか問い詰めるようなその視線に、ジョージは気付いていながらも何も答えることはなく、ただ、クレアを抱きしめ、背中を優しく撫で続けた。
【――俺の声が聞こえるか? ……キミは覚えているかな? 小鳥をいじめて怒られて……。俺が泣いていた時、キミは慰めてくれた。「泣かないで」って、そう言って……。あの時、キミがいてくれて俺は救われた。たくさん元気をもらった。――俺は、キミの力にはなれないかもしれない。でも……。――俺のこと、もう、忘れた? ……俺はもう、キミの中にはいないのかな? ……俺はキミの傍にいる。キミを見ている。……忘れないで。キミが辛くなった時、苦しくてどうしようもない時、一人じゃないって感じてくれ。……俺を呼んで】
「……」
クレアはボンヤリと目を開けた。
一瞬、ここがどこなのかわからなかったが、微かな振動で馬車に乗っていたことを思い出した。
周りでは誰の声も聞こえず、車輪の音と、馬の蹄の音のみ……。
クレアはダランと伸ばしていた腕に力を入れて、ジョージの服をしっかりと握った。
「……起きましたか? ……もうすぐ湿地帯を出ますからね」
そうジョージの声が聞こえ、背中を優しく撫でられる。
とても気持ちのいい感覚。安心出来る心地よさ――
クレアはボンヤリとどこかを見つめた。
「……ボク……誰のことを忘れてるんだろう……」
小さな声に、スコットはジョージと向き合いもたれているクレアの背中を見つめて訝しげに眉を寄せた。
「……かわいそうだな……。呼んであげたいな……。けど……ごめんね……。キミが誰なのか……わからないんだ……」
ゆっくりと閉じたその目から涙がこぼれたが、みんなの死角になっていたため、誰も気付かない。
「……ごめんね……泣かないでね……、ボク……キミのこと、忘れたくないよ……、……忘れたく……ない……、……」
不意に力が抜け、ジョージはクレアを支えて引き寄せた。そのまま静かな寝息を立てる音が聞こえ、スコットは顔をしかめたままでジョージを窺った。
「今のは……寝言?」
「……だな」
ジョージが返事をすると、ロバートは対面の端側から不思議そうに首を傾げた。
「奇妙な寝言だな……。まるで誰かと話しをしていたような」
「ええ」
エレインも訝しげに頷く。
「おかしな夢でも見ていたのかしら……?」
ジョージはクレアの背中を撫でるだけで何も答えない。沈黙を貫く彼に、スコットは誰も気付かないようなため息を鼻から吐いた。
――その後、だいぶ時間をかけて湿地帯を抜けると、結局最後の最後まで歩き続けたカーシュを乗せ、遅れを取り戻そうと馬車を猛スピードで走らせた。
車内に戻ってきたカーシュは、ジョージの腕の中でずっと眠っているクレアにため息を吐いた。
「根性座ってますよね、ホントに」
呆れているのか、それとも不快なのか。
目を据わらせる彼に女中の一人が笑った。
「本当に仲がよろしいんですね。クレア様も、カーシュ様には気を許しておいでですし」
カーシュはキョトンとした顔で瞬きを数回繰り返していたが、なんだかこっ恥ずかしくなってきて、サッと目を逸らした。その仕草にも女中はクスクスと笑う。
スコットは車窓の外の流れる景色を見つめ、森の向こう側を注意深く眺めた。
「そろそろウェルターの領域ですね。……ここまで来て国王軍がいないということは、ウェルターには危険が迫っていないということでしょうか」
「……それはなんとも言えないだろうが……」
ジョージはクレアを抱き直し、彼の隣から同じように車窓へと目を向けた。
「……とにかく、早急に国王軍に対しての対策を練らないとな」
「そうですね」
ここまで来るとウェルターは近い。馬車のスピードが更に上がり、車内の揺れも激しくなると、みんな、隣りの人にぶつからないようにと体に力を入れて踏ん張る。それから時間を要することなくウェルターの街並みが見えてきて、馬車がそこに向かった。
御者のピートは手綱を握りながらウェルターの門へと向かっていたが、そこに誰かが立っているのが見え、馬のスピードを落とす。
「ベルナーガスの馬車だから警戒してるっ」
隣りで同じく門番を確認したティモが車輪の音に掻き消されないよう少し大きめに告げると、「ああっ……」とピートは手綱を引っ張った。
「無事なようで安心したぜっ。国王軍に先を越されたらたまったもンじゃないからなっ」
「そうですね!」
馬のスピードが落ち、門番が誰だかわかるような距離まで近付くと、ピートは馬車をゆっくり門の傍で停め、ティモと一緒に地面に降り立って門番の元へ駆け寄った。車内でも「ウェルターに着いたな」と確認し合い、ドアを開けてそれぞれが外に出る。
ジョージは抱えた状態のクレアの背中を撫で、耳元で小さく声をかけた。
「……クレア様、ウェルターに着きましたよ。……起きてください」
軽く背中を叩く。……だが、クレアは動かない。
ジョージは少し顔をしかめるとクレアを抱き直し、みんなが降りて空いた座席に彼女を横たえた。
「……、クレア様?」
――目を閉じたまま、ピクリとも動かない。
ジョージは彼女の顔をじっと見つめ、頬を撫でた。
「クレア様……、クレア様っ?」
ジョージの焦るような声に気付いて、外に出ていたカーシュは車内を覗き込んだ。
「ジョージさん?」
ジョージは舌を打つとクレアの体を横抱きし、カーシュを除けて外に出た。カーシュは驚いて「えっ?」と目を見開き、ジョージの横に並んで彼を見上げた。
「ど、どうしたんですかっ?」
「クレア様の意識がない!」
その声にエレイン達みんなが振り返るが、
「ち、ちょっと待ってくれ!! そりゃどういうこった!!」
ピートの大声に、今度は門前へと目を向けた。ピートは、焦り気味に門番の男達を見回して身振り素振りで話しをしている。
「何言ってんだっ! ちゃんと事情を説明するから!」
「どうしたっ?」
ロバートが訝しげに駆け寄ると、ピートの隣り、ティモは困惑げに彼を振り返った。
「それが……俺達を入れることは出来ないって……」
ロバートは顔をしかめて不快そうな男達を窺い、街の中から現れるみんなを見回した。
「どうしたんだ。一体何が……」
「どうしたもないだろ、ロバートさん」
街の誰かが怪訝げに言葉を発した。
「今朝方、ベルナーガスから兵士が来たぞ。泣きながら」
ピートは「はぁっ?」と顔をしかめた。
街人達の多くは蔑むような目でピート達を見ている――。その時にふと気が付いた。彼らの多くは、家族を失った街人達だ。悲しみに暮れて、なかなか家から顔を出せなかった彼らが、今、“壁”になっている。
「あんた達、ベルナーガスで何をしてきたんだ」
「なにって……。国王の化けの皮を剥がしてきたんじゃないか!」
「化けの皮を剥がれたのはあんた達なんだろ」
街人の誰かが指を差した。その先にはクレアを抱えたジョージと、その傍に立つエレインがいる。
「国王を裏切ったんだってな。そのせいで国王は心に傷を負ったそうじゃないか」
ピートは「ち、ちょっと待て!」と焦りを露わに身を乗り出した。
「これには訳が!」
「訳も何も今こうして妃様までここにいる! あんた達、俺達を利用して国王を騙し、妃様をさらったのか!?」
「なんのことだそりゃ!」
「待て待て!!」
戸惑って顔をしかめるピートの横、ティモは困惑げにみんなを見回して腕を上げた。
「俺の話しを聞け!! 俺の言うことなら聞けるだろ!!」
彼は歴としたこの街の人間だ。ピートよりも信頼はあるだろうとの期待から前に出てみたが、
「お前もロバートも荷担したそうじゃないか!」
そう野次のような声が奥から響き、ティモは「あ!?」と愕然と目を見開いた。
「兵士達が俺達に用心しろって教えに来てくれたんだぞ! このままいいように利用されるなって!!」
「な、なに訳のわからないことをっ……!」
戸惑うティモを横に、ピートは「えぇい!!」と、街人達を睨むように見回した。
「このままだとまた国王が爆発しちまってヒドイ目見るかもしれないんだぞ!! 国王はまだ元に戻っちゃいねぇんだ!!」
その言葉にみんなは静まり返った。ピートは「よしっ、これでわかってもらえたか」と鼻からため息を吐いて頷くが……
「今までそうなってきたのはお前らが原因じゃないか……っ」
誰かの悔しげな声に、ピートだけではなく、ティモもロバートも、みんなが「……え?」と顔を上げた。
「国王を傷付けておいて! 裏切っておいて!」
「国を救うだと!? 国を破滅に向かわせていたのはお前らだ!!」
「国王様はもう疲れ切って、俺達に逆に同情されてるぞ!! お前らに利用されてかわいそうにって!!」
「そもそも王子を殺そうとしたのはお前らだってな!!」
「お前達が不幸の原因だったんじゃないか!!」
あちこちから罵声が飛び交い、ピートもティモも勢いに押されて何も言えない。
カーシュは戸惑いながら怒る街人達を見回し、ナナの姿を探した。――だが、そこには彼女の姿はない。代わりにオリバーを見つけ、困惑げにじっと見つめると、視線に気付いた彼は悲痛な顔で軽く首を振った。「今はどうすることもできない。みんなを押さえきれない」、そう目が訴えている――。
カーシュは焦るようにジョージを見上げた。ジョージは様子を見ていたが、クレアを抱えたまま足早に門前に近寄った。
「……わかりました。……わたし達はもう、ここには戻ってきません」
彼の言葉にピートもティモも、みんなが振り返る。
ジョージは、静かになった街人達を見回した。
「……一つ、頼みがあります。誰か、強心剤を持っていませんか? ……持っていたら分けてください」
その言葉にピートは目を見開き、ジョージの腕の中、グッタリとしているクレアに駆け寄って顔を覗き込んだ。スコットも同じように駆け寄ると、クレアの手を握り、悲痛な表情で息を飲む。
「……クレア様っ? ……クレア様!!」
大きく声をかけても目を覚まさない。ピートは街人達を振り返って慌てて身を乗り出した。
「誰か早く強心剤を!! 手遅れになっちまう!!」
すがるような声に街人達は顔を見合わせ、そして――
「その子は国王の子じゃないんだろ。妃とジョージの子だってな」
突き放すような言葉が聞こえて、スコットはカッ! と顔を紅潮させて突っかかった。
「そんなことを言っている場合ですか!! 死にかけているんですよ!!」
「元はと言えばその子の誕生が国王を破滅に導いたんだ! 助ける義理はない!!」
誰かの声に、みんなが「そうだ!!」と、大きく同意する。
「その子さえ生まれなければ平和だったんだ!!」
「お前らは俺達みんなを騙してきた! 善人ぶって!!」
「家族を返せ!!」
「お前らがみんなを殺したんだ!!」
「あんた達のせいでみんなが死んだんだぞ!!」
険しさを露わに口々に叫く街人達は、今までとはまるで別人のよう。いや、富豪達に乗っ取られていたときに逆戻りしているようだ。
再び闇が包み込んでしまったかのような騒然とした光景に、カーシュは愕然と目を見開いた。
――どうして……、どうしてこんな……。
ピートは「……くそ!!」と戸惑い、焦りでうろたえジョージを窺った。
「どうすんだよ!! ……このままじゃ!!」
ジョージはクレアの服を握って考え込んでいたが、何か思い出したかのように顔を上げてピートを見た。
「……迷いの森に行こう」
「……、えっ?」
「……ホリーなら助けてくれるかも知れない」
「そうか!!」
と、ピートは目を見開いて急いで馬車へ向かう。
「行くぞ!! 乗れ!!」
急かすその声に、ティモは悔しげに歯を食いしばり、困惑しているロバートを連れて馬車に戻った。スコットも「……行きましょう」と、悲しげに顔を歪めるエレインと女中達を引っ張る。
ジョージは、こちらを睨む街人達を見回した。
「……短い間でしたが、ありがとうございました。……皆さんが幸せであり続けることを祈っています……」
そう小さく告げて頭を下げ、背を向けて歩いていく。途中、カーシュとすれ違い、「……行くぞ」と声をかけた。
カーシュは俯いて唇を震わせ、拳を握りしめると、グッと顔を上げてみんなを睨んだ。
「……俺は負けない!!」
大きな声が辺り一面に響き渡る――。
ジョージは彼の背後で足を止めた。だが、振り返ることはない。
「俺は今でもこの人達を信じて付いていく!! この人達しか国を救えない!! ……この人達が最後の望みなんだ!!」
彼の大きな声に、街人達は一瞬怯んで目を見開いた。
「俺は城で起きたことを見た!! ……お前らは何も見てないだろ!! 何も見ていないのに……俺達の言うことより兵士の言うことを信じるのか!! みんなを傷付けてきた奴らを信じるのか!!」
段々と悔しくなってきて声が震え、力を込める体が、険しく歪む顔が熱くなってきてカーシュの目から涙がこぼれた。
「この人達がどんな思いをしてきたか何も知らないのに!! 何も知らないうちから敵視するのか!! 話しひとつも聞き入れちゃくれないのか!! ……お前ら、がんばれって言ってくれたのは嘘だったのかよ!!」
悲しげな声で叫ぶたびに、赤く染まっている頬の上を涙が伝う。街人達の表情に戸惑いが浮かぶが、それでも誰一人、何もしない……。
カーシュは涙を拭うこともせず、キッと眉をつり上げて顔を上げた。
「クレアやジョージさん達を蔑むなら、俺は……お前達を絶対に許さない!!」
グッ! と拳を力一杯握りしめて声を振り絞る。……背を向けたまま俯いていたジョージは、間を置いて、クレアを抱えたまま彼の肩を掴んだ。引っ張るわけでも、押さえつけるわけでもないその手が離れると、カーシュは右腕でグイッと涙を拭い、ジョージと一緒に、みんなに背を向け歩き出した……――。
「……脈拍が弱くなっている」
ロバートがクレアの首元を確認して戸惑い目を泳がせた。
――迷いの森の前。
馬車では進めずここからは歩いて進むことになり、「……俺が担ごう」とピートがクレアを背中に抱えた。
ジョージは、心配げにクレアの背中を撫でるエレインを窺った。
「……大丈夫ですか? 今から少々歩かなければいけませんが」
「私は平気です。それよりクレアを……」
「……わかっています」
ジョージは、赤い目で森の奥を睨むカーシュを振り返った。
「……カーシュ、任せることになるが……大丈夫か?」
カーシュは彼を見上げて強く頷いた。
「絶対、ホリーの所まで連れて行きます」
そう断言して、傍にいるピートの背中で動かないクレアを見つめ、垂れている腕を撫でた。
「……がんばれよ。もう少しの辛抱だからな」
「……よし、行こう」
ピートの言葉で、カーシュは先頭を歩き、みんなが彼の後を追った。
【……俺を呼べるかい?】
……キミは誰?
【俺? さぁ、……誰だろうな?】
……、ボクの知っている人?
【ああ。知っている人だ】
……仲良くしてた?
【してたよ。……覚えてないか?】
ゴメン、全然覚えてない。
【そうか……。残念だけど仕方ないな】
……キミが救世主さん?
【救世主? ……俺、そんな風に呼ばれてるのか?】
違うの? そうじゃないの?
【どうだろうな……。救世主って言われるほどのことが出来るのかわからないな……】
じゃあ違うのかな。……そう言えば、ここ、どこ? あれ? ジョージ達は? どこ?
【ここにはいない】
どうして? ……ボク、捨てられちゃった?
【そんなことない。ジョージはそんなことをするヤツじゃないだろ?】
……うん、そうだね。
【今はちょっと離れているだけだ】
……ねぇ、キミ、どこにいるの? 姿を見せてよ。
【見えないのか? ……俺からはキミが見えるのにな】
どうやったらキミが見えるようになる? ボク、やってみるから教えてよ。
【どうやったら、か。そうだな……多分、キミが俺を思い出してくれたら、じゃないかな】
んー、じゃあ思い出す方法は?
【方法……。俺を忘れてしまったところに行けば……】
キミを忘れたところ? どこ?
【知りたいか?】
うん。そしたら会えるんだろ?
【男言葉はよせよ】
……スコットみたいだっ。
【女の子だろ? そういう言葉を使うもンじゃない。ちゃんと女の子らしくしないと。……ジョージもピートも甘やかすから……】
ジョージ達のことを知ってるの?
【ああ、知ってるよ】
ふうん……。キミ、不思議君だね。
【……あのさ、そういう、救世主だとか不思議クンだとか、訳のわからない呼び方をするからいつまで経っても俺が思い出せないんだよ】
じゃあ、どうやって呼ぼう?
【だから思い出せ】
思い出せないんだから教えろ!
【……。ジョージ達の教育方針を疑うな……】
思い出して欲しいんだろっ?
【男言葉を使うな】
……。思い出して欲しいんでしょ? だったら名前を教えて。
【教えてもいいけどさ、だとしても俺を思い出せないぜ?】
……どうして?
【俺達、本当の名前とは違う名前で呼び合っていたから】
そうなの?
【そうだよ。だから、俺のことを思い出してくれないと俺のあだ名も思い出せないんだ。……キミだけが使っていたあだ名をな】
あだ名か……。うーん……。
【闇雲に考えても思い出せないだろ】
ゼゼダくん!!
【適当に言うな。……ゼゼダってなんだよ?】
ぶーっ。……それよりさ、ボク、早く救世主さんを見つけて国王をどうにかしなくちゃいけないんだよ。
【ああ、わかってる。……状況は悪いな】
そう?
【……キミはまだわかってないんだ】
キミは知っているの?
【……知っている。……なぁ】
ん?
【俺を思い出せそうか?】
どうだろうなぁ……。思い出してあげたいんだけどなぁ……。
【雑念が多いからな、キミは】
ザツネンってなに? ……あ、キミ、どこに住んでるの?
【ほら、それだよそれ。すぐに考えてる事がコロコロ変わってさ。集中力がないって言うか……。もう少し落ち着いてくれればなぁ】
落ち着きなさいって、よくスコットから言われるよ。
【だろうな】
……キミ、ボクに喧嘩売ってるのか?
【一言言わせてもらうけどな、俺が知っていたキミは、もっとお淑やかで大人しくて、女の子らしいかわいい子だったんだぞ?】
じゃあボクじゃないんだよ。
【そうかもな】
失礼だな! ボクだってちゃんと女の子らしくできるんだぞ!
【わかったわかった。……大丈夫なのか、キミはホントに。言葉を交わす事に段々心配になってくる……】
ねぇ、キミを思い出して、キミはどうなるの?
【……キミの傍に行くんだよ】
ボクの傍?
【ああ。キミの傍に】
なんで?
【……キミを助けるために】
ボク、困ってないよ?
【……それか。そうだよな、困ってないと、俺に助けて欲しいなんて思わないよな】
うん、だって、ボクにはジョージ達がいるからね。
【そうだな……。でも、いざというとき、必ず俺が必要になる】
自信満々だね。……ジョージ達がいるのに?
【そうだ。キミは必ず俺が必要になる。……いいか? その時俺を呼ぶんだ】
だから、キミの名前を知らないよー。
【思い出せるから。きっと思い出せる】
うーん、がんばるよ。
【がんばれ。……、キミに会えることを楽しみにしてるんだからな】
ホントに?
【ああ。……ずっと楽しみにしてたんだ。会えることを】
……へへへっ。
【だから……早く俺を思い出して呼んでくれよな】
うん! わかったよ!
【……あ、一つ忠告を】
なに?
【……間違った扉を開けるなよ】
へ? ……扉?
【扉は一つじゃない。たくさんあるんだ。……間違った扉を開ければ大変なことになる。……いいか? 俺の名前を呼ぶんだ。決して他のものを呼ぶな。……キミの一声で世界の運命が大きく変わるぞ。……忘れるな】
先頭を足早に歩いていたカーシュは足を止めた。日が暮れかけ、森がオレンジ色に輝くその中、真顔で辺りを見回して確認する彼の目が留まった。
「……変わった」
呟くようなその声にジョージとピートも同じく辺りを見回し、背後を振り返った。確かに歩いてきた道が先程とは違う――。
「……大丈夫か?」
ジョージが訊くと、カーシュは頷き再び歩き出した。その彼の後をみんなが追うが、女中達と後ろを歩いていたエレインは、足を止め、深く息を吐いた。その姿を視界の隅で捉えたジョージは、カーシュに「……頼んだぞ」と声をかけ、エレインに近寄って顔を覗き込んだ。
「……大丈夫ですか?」
「……ええ、大丈夫……」
息を切らしながらも、なんとか笑顔を取り繕う、あまり顔色のよくない彼女を見て、ジョージは背中と足に手を伸ばし、抱き上げた。
「ジ、ジョージ……」
横抱きされたエレインは戸惑い、彼の肩に手を置いた。
「私は歩けるから。……重いわ、疲れてしまう」
「……平気です」
そう断って歩き出す彼の後を、女中達もすぐに追う。エレインは何も言えず、躊躇いながらもジョージの肩に顔を寄せた。
スコットは深く息を吐いて、夕暮れ時の空を見上げた。
「……辿り着けないようなら、どこかで野宿しないと」
「その前にちゃんと着くさ。だろ、カーシュ」
ピートに問われ、カーシュは振り返ることなく真っ直ぐを見つめたまま頷く。
ロバートは、肩を落として元気なく歩くティモにため息を吐いた。
「諦めろ。もうどうすることも出来んだろ」
「……みんながあんなに簡単に騙されるなんて……」
ティモは歩く足元を見下ろし、目を細めた。
「……たった数日、……その間にこんなことになるなんて。……はぁ……」
悲しげな言葉を聞きながら、カーシュは少し顔を上げた。――なにか匂いがする。そう気が付くと、足早に歩いていた足を走らせていた。
低木の枝を避け、長く生えた雑草を蹴り、そして……
「……ホリー!!」
薪を小屋に運び入れようとしていたホリーは「ん?」と顔を上げ、笑みをこぼした。
「カーシュじゃない! あらあら、また来たの!?」
「助けて欲しいんだ!!」
悲痛な顔で駆け寄ってくるカーシュと、彼の背後からぞろぞろと現れた団体にホリーは「……はっ?」と顔をしかめた。
ボク、どうなってしまうと思う?
【どうって?】
よくわからないことだらけなんだ。……ボクね、ブラッドなんだよ。……あ、ブラッドって知ってる?
【ああ、知ってる。ベルナーガスの王子だ。……国王に殺されかけた】
それ、ボクなんだよ。ボクがブラッドなんだ。
【そうなのか? ……おかしいだろ、ブラッドは男、キミは女の子だ】
そう。……ボク、なんで女の子になったんだろ。なんでだと思う?
【なんでだと思う?】
ボクが訊いてるんだぞ。
【男言葉】
……。だってボクは男だったんだから。男言葉を使って何が悪いんだ。
【けど今は女の子だろ】
……めんどくさいなぁ……。
【……キミはどう思ってるんだ? なぜ……女の子になったと思う?】
んー……。女の子になりたかったのかなぁ。全然覚えてないからわからないんだよなぁ……。
【そうだな】
……、ボク、ジョージの子ども?
【ジョージの? それはどうだかな。俺にはわからないよ、そんなこと。……その方がいい?】
どうかなぁ。……どうでもいいかも知れない。
【だろうな。……そんな関係なんて、どうでもいい事さ。どうなろうと、ジョージは変わらずキミの傍にいる。ただそれだけだからな】
……うん、そうだね……。
【キミはキミのままでいればいいさ。それが自然なんだから。……深く考えることはないよ。いずれ、全てに答えが出る。……その時、悩めばいい】
……、悩まなくちゃいけないことがあるの?
【……そうだな。いけないことがあるな……】
どんなこと? どんなことで悩むの?
【……。キミは逃げるのが上手いな】
……、……え?
【色々と理由をこじつけて逃げるのが上手いんだ】
そんなことないよ。ボクは物凄く強いモン。
【ほら、それもだよ】
……。
【そうやって強いフリしてちゃいけないんだぞ。じゃないと、いざっていう時、誰かに助けてくれって言えなくなるからな】
キミとか?
【そう、俺とか】
けど、ボク強いんだよ。
【だからそれをやめろって】
ホントだモン。
【……あのな、強い人間が、ただ湿ってるからって怖がって気絶すると思うか?】
……。あれっ? ボクっ、気絶してるの!? って事は、これは夢!?
【夢というか、なんて言えばいいか……。……そうじゃなくて、だからキミは強い訳じゃないんだ。気を失うほど怖いなら、どうしてその前に怖いって言わなかったんだ。馬車を止めて引き返してくれって、どうして言わなかったんだ】
……だって、我慢できるって思ったんだモン。
【我慢ができるから強いとか、誰かを倒せるから強いとか、……強さを勘違いするなよ】
うー……。
【腕っ節が強いだけのヤツなら五万といる。……いいか? 必要なのはそんな強さじゃない。……キミに必要なのは、勇気を持つ強さだ】
……、勇気?
【キミはよく言うよな? その勇気は受け継ぐって。けど実際はどうだ? キミが受け継ぐのは勇気じゃない。相手の気持ち、感情だけだ。勇気は受け継いでいない】
……。
【いいか? キミはそう言うことで勇気を手に入れたいだけなんだ。人の勇気を自分のものにしたつもりだったんだ。じゃあ、キミは一人になった時、何か大きなものに囲まれた時、どうやって勇気を呼び起こす?】
……、……ボクは……。
【キミは普通の子に比べれば強い。けど、それは生まれ持っての才能じゃない。そうやってジョージ達に鍛えられたからだろ? その時に逃げていたら、キミは強くはなれなかったはずだ。じゃあ、何かから逃げるキミは強くなれると思うか? 逃げ続けているのに、どうやって強くなれる? 鍛えられていないのに、どうやって強くなる? ……本当のキミは、指一本で崩れてしまう、脆い砂の人間なんだよ】
……、……。
【勇気を持つ強さを得るんだ。……逃げるんじゃない。……それを得た時、キミは芯から強くなれる。絶対に】
……ボク、……強くなれるかな……。
【……なれるさ】
……ホントに?
【ああ、俺が保証する。……俺がそうだったから】
キミが……?
【そうだよ。だから、キミもきっとそうなんだ】
……どうして?
【……、それはな――】
「……」
ゆっくりと目を開けた。霞んだ視界だったが、複数の声が耳に入ってくる。
「よかった! 薬が効いたみたいだ!」
「ありがとう、ホリー」
「ったく……。あなた達、助けを求めるだけしかできないの?」
やっと目の前がはっきりと見えるようになると、クレアはボンヤリ見回した。
「……ここ……、……どこ……」
「ホリーの家だよ」
カーシュが顔を覗き込んで教える。だが、クレアはやはりボンヤリしたまま。
「……、……あの人は……?」
「あの人?」
「ボクの……友達……。……、ううん、違う……。……ボクの……、……」
クレアはうっすらと口元に笑みを浮かべて目を閉じた。
「……ボクの……、……お兄さんだ……」




