第五話 理由を言えるなら…
ウェルターのロバート宅にて、客間に集まったみんながじっと押し黙っている――。
木製の長テーブルの片側にロバートとティモとカーシュ、そしてジョージとピートとスコットが一列に座っている。彼らの対面側、視線の先には優雅にお茶を飲む老紳士が一人。
ハーベイと名乗った男はカップを置くとナプキンで口元を拭い、ため息混じりにジョージ達を窺った。
「ですから、王子には指一本たりとも触れません。ただひと目、拝見したいのです」
「……無理だな」
と、ピートは疑い深く目を細めて太い腕と足を組んだ。
「今度は何を企んでやがるんだ?」
「企むなど」
脅すような、蔑むような声に対して「そんな馬鹿な」と言わんばかりにハーベイは真顔で首を振った。
「決してそのようなことはございません」
「昔、そうやってわたし達を襲撃しましたよね?」
ピートの隣、スコットも不愉快そうに続く。
「一目会いたいとの申し出に赴いたわたし達を……。もう二度と騙されませんよ」
「あの当時の指揮官は退国されました。あれは国王様のご指示ではないのです。指揮官の身勝手な行動で」
「……今度もそうして言い逃れるつもりだろう」
目を閉じたまま動じることなく、ジョージは腕を組んだ。
「……いかなる理由があろうと、クレア様には会わせない」
「信用していただけないのはわかっておりました。ですからわたし一人で武器も持たず訪れ、この街に対しての過ちを認め」
「……死者がそれで浮かばれるわけがないだろう」
「しかしですな、よく考えてください」
遮られたハーベイは訝しげに身を乗り出してテーブルに手を付いた。
「このままでどうなさるおつもりです? 国から独立をなさったその勇気は見上げたものですが、今後どうなるんですか。街の繁栄はこのまま止まってしまうことでしょう。交流というものはいかなる場合にも必要ですよ? わたしはそのための架け橋として」
「本当の理由はクレア様だろ」
ピートが言葉を遮って睨み付けた。
「帰って国王に伝えろ。俺達は絶対にクレア様を手放さないし、どんなことがあっても護るとな」
――昼を回った頃、突然、国からの使者だというハーベイがやってきた。
門番をしていた者が怪しく思い、すぐにジョージ達に報告。駆けつけると、ジョージ達も知っている国王直下の老兵であることがわかった。
街に通すわけにもいかない、と、そのまま追い返そうとしたが、「お願いですから話しを聞いてください」と悲痛な様子で頭を下げられ、ロバートの配慮で彼の家にて話しをすることに……。
「国王様はあなた方に感謝されています」
ハーベイは尚も真顔で続ける。
「王子の身を護り、大事に育ててくださった。……王子を失ったと思い、傷付いてらした国王様にとってこれほど喜ばしいことが」
「何を言ってるんですか、国王自らクレア様に手をかけておいて」
スコットが不快そうに睨むと、ハーベイは「とんでもない!」と、愕然とした表情で首を振った。
「そのようなことがありますか! あなた方もよくご存じのはず! 国王様がどれほど王子を愛されていたか!」
「……昔はな」
やはり目を閉じたまま、ジョージが冷静に切り返す。
「……国王は変わられた。それは事実だろう。……だから俺達も追い出された」
「それは違いますぞ」
ハーベイは真剣な面持ちで首を振った。
「王子を亡くされ、国王様は悲しみに襲われていたのですよ? ……王子の面影ばかりを追いかける国王様が不憫で……。出来るだけ王子のことを思い出させることのないようにと配下の者達が配慮し助言したことであって、国王様自らが判断したわけではないのです。……あなた方には申し訳のない事をしてしまったと、国王様も今、嘆いておられるのですから」
「……散々な事しておいてか?」
「ですから、それは国王様のご意志ではなく」
「大体調子がよくないか? ウェルターの街人達と協力しようって決まった途端、王子共々歓迎するだ?」
ピートは眉を吊り上げて鋭く睨んだ。
「何か魂胆があるとしか思えねぇよ」
ハーベイは深く息を吐き、しばらくの間、ただテーブルを見つめた――。
その頃、ナナの家では……
「ジョージ、遅いなぁ」
一階のリビングにある窓枠に肘を突いて、お天気のいい外を眺めながら、クレアは口を尖らせてため息を吐いた。
「出て行ってもうだいぶ経つのに。……ボク、捜してこようかな」
部屋から出ようとする背中に気付いたナナは、裁縫を途中でやめて「あっ、ち、ちょっとっ」と、慌てて揺り椅子から立ってクレアを追いかけ服を掴んだ。
「きっとお話しが長引いているのよ。もうすぐ帰ってくるだろうし、……ほらっ、本を読んでいなさいって言われているし、いい子にしていなくちゃっ」
「ね?」と笑顔で相槌を問うが、
「ボク、本を読むの嫌い。退屈なんだモン」
と、口を尖らせ拗ねられた。
――ジョージから「……しばらくの間、お願いします」と、クレアを連れてこられた。
「……国からの遣いが来まして。クレア様を会わせるわけにはいかないんです。……外に出さないよう、見ていてください。あなたの言うことなら大人しく聞きますから」
絶対に断れない。いや、“頼りにされている”ということが嬉しくて、つい、一言返事でOKしてしまった。……まさか、数分も経たないうちからぐずり出すとは思わなかった。
ナナは、もの恋しげに外を見つめるクレアに困っていたが、「……そうだ!」と何かを思い付き、笑顔で腰を曲げて顔を覗き込んだ。
「クレアちゃんっ、楽しいことをしようかっ!」
クレアは「……楽しいこと?」と顔をしかめ、「こっちにおいで」と笑顔で誘われるままナナの後を追った。
――しばらく沈黙が続いた後、ハーベイは真剣な顔で彼らを見回した。
「ロバート様にティモ様、カーシュ殿、でしたな。……申し訳ないが、お三方と内密にて話しがしたい。席を外しては頂けないでしょうか」
名指しされた三人は顔を見合わせ、不本意ながらもそれに従おうとしたが、「いい」と、ピートが深く息を吐きつつそれを止めて椅子にふんぞり返った。
「ロバート達に隠し事はしない。ここから出て行ってもらっても後で話しをする。そんなめんどくせぇ事はゴメンだ。内密だろうがなんだろうが、話しがあるならとっとと始めろ」
無愛想に顎をしゃくるが、ハーベイは顔色を変えない。いや、真剣な表情でゆっくりと息を吐き、あくまでもジョージ達三人を相手に、という雰囲気で話し始めた。
「……正直申し上げて、わたしも国王様のご乱心にはどうしたらいいものかと悩んでおりました。お優しい方だったのに、一瞬にして変貌されて。……王子を亡くした悲しみがそうさせてしまったのだと、皆は思っておるのです。……妃様も同様。病に冒され、お部屋を一歩も出ることなく過ごされております」
悲しげに視線を落とし、間を置いて再び三人に目を向けた。
「王子が生きていると知り、国王様共々、大いに喜んでおります。……しかし、幼少の頃お亡くなりになったはずの王子が生きているその理由がわからぬのです。……王子が本物なのか、何故に女装をしているのか、ご説明願いたいのだ。……国王様は、本物の王子であるならば是非、今一度会って抱きしめたいと」
「前に連れて行ったら殺そうとしてきただろ」
ピートが目を細めて遮ると、ハーベイは悲しげに首を軽く振った。
「ですから、それは国王様のご意志ではありません。……当時の指揮官の話しによると、王子だと聞いていたのに連れて参ったのが女の子だったと。わざと騙して、城から追い出した我らに対して仇討ちを企んでいるのだと思い」
「馬鹿にしているんですか?」
スコットが怒りを露わに目を細めると、
「ナメられたもンだぜ……」
と、ピートも鼻から大きく息を吐いて続く。
だが、ハーベイはそれでも真剣な表情で三人に続けた。
「全ては配下の者の仕業です。国王様は決して判断を下してはおりません。……王子が生きていると知り、喜ばれ、しかし女の子を連れてきたとの報告に再び悲しみに暮れてしまった。……そのお姿を見て皆が何も思わないと? ……忠実であられたあなた方にもわかるはずです。……国王様だけではありません。妃様も深い悲しみに襲われ、それはもう、毎夜涙に暮れ……」
何かを思い出したのか、ハーベイの目に涙が浮かぶ。
「あなた方に対し誤解をしていた部分はあります。しかし、我々には何もわからないのです。何故に王子は女の子になられたのか。……なんらかの理由があったとしても、クレアと名乗る少女が本当に王子であるなら、時期主として継承を行うべきなのです。国王様も、妃様もそれを望んでおられます。ですから、まずは誤解を解きたいのです。……あなた方を城内にて襲撃したのは、女の子を連れてきたあなた方を疑って指揮官が判断を下したまで。……その後の捜索も、王子と偽り続けている事を許さんとしていただけのこと。……今回、あなた方はこのウェルターの街人達を信用させるに至った。……街人達が信用出来る少女とは一体なんなのか……、だが、それだけの力があるのなら本当に王子なのかも知れないと、わたしが確認に訪れたのです。……戦いを生むためではありません。むしろ、この国を変えるためです。……王子が戻れば国王様も以前のようにお優しい方に戻られるでしょう。妃様も病を回復されて、きっと笑顔を戻されることでしょう。……我々が望むのは争いではないのです」
言いたいことを言い終えたのか、ハーベイはそのまま口を閉じた。何かの答えを待っているようでもある。
ピートは深く息を吐いて、目を閉じたままのジョージを窺った。スコットも同じく、「……どうしますか?」と、問うような目をジョージに向ける。
ジョージはただじっとしていたが、ようやく目蓋を開けた。しかし、ハーベイと視線を交わすことはない。
「……クレア様が戻ることで、国王は変わられるとお思いか?」
「……はい」
ハーベイは強く頷き、膝の上に置いている鞄の中を探った。
「その証拠……と言ってはなんですが……。わたしが城を出る前に、このような条例を国王様は下されました」
一枚の紙を取りだして広げて差し出すと、ジョージ以外の皆が軽く身を乗り出して文字を目で追う。
「……これを国王が?」
ピートが訝しげに顔を上げると、ハーベイは「はい」と頷いた。
「今頃全ての街に通達されているはずです。信用出来ないのであれば伺いに行ってみるといいでしょう」
ピートは再び紙に目を戻した。そこに書かれているのは詫びの言葉と償いの言葉。要約すると、“全ての娯楽を復活する”“皆平等にて営むよう”“生活に苦しむ者は申し出れば土地と財産を与える”“全ての民が幸せに暮らせるよう、共に尽くす”――。
スコットは驚きを露わに、紙をじっと見つめるジョージへ目を移した。だが、彼は表情を変えることも微動だにすることもない。
ハーベイは三人を窺い、身を乗り出した。
「どのような事情があるにしろ、王子が本当に生きておられるのだとわかった途端です。国王様は本当に喜ばれて……」
気持ちを込めて強く訴えるハーベイに、カーシュとティモは戸惑い顔を見合わせた。
「すぐに信用出来るものではないでしょう。ですが、国王様の思いを是非、お酌みください。ひと目、王子と会わせてください。……確認をしたいだけなのです。……このように喜ばれる国王様に、病の淵から抜け出せない妃様に今一度、救いをお与えください」
語尾が震え、顔が紅潮しだすと間もなく涙がこぼれ、それを隠すように深々と頭を下げる、そんな彼を見てピートとスコットは困惑げにジョージを窺った。
「……、少々お時間を頂きたい」
ジョージが小さく申し出た。
「……わかりましたとそう簡単に答えが出るものではない。……国の様子をこの目で見定め、尚かつ国王が以前のように戻られたのだと確信出来た時……、その時、そちらに再び参りましょう」
「……わかりました。構いません。……出来るだけ早いご配慮を願います。……妃様のご容態が思わしくないのです」
ピートの目蓋がピクッと震えた――。
ハーベイは俯いたまま袖で目元を拭い、声を震わせた。
「日に日に弱まって、今では一日のほとんどをベッドの中でお過ごしになっております。……申し上げにくいですが……、せめて、せめてほんのひとときでも王子と……。……老兵のわがままだと聞いて頂ければ幸いです……」
離れた席から見ていたカーシュは悲しげに目を細めた。――ベルナーガスからやってきた、との話しを聞いたときは怒りにも似た気持ちが体中を駆け巡っていたが、彼の話しを聞けば聞くほど、どこか哀れさをも感じてしまう。そもそも、彼には一切の過ちはないのだろう。ジョージ達の様子を見ていればそれはわかる。
彼も、自分たちと同じなのかもしれない。
国王の変貌にも戸惑っただろう。そして、クレアが何者かわからない状況にも。
気になったのは、「どうして女の子になってしまったのか」と言った言葉――。ジョージ達は元から女の子だったという雰囲気で話を進めていた。なんとなく、漠然と状況を把握し掛けてはいたが、正直、混乱の種ではあった。
ジョージ達とハーベイの認識の溝――。そこに立たされているようで……。
「――どうしたものか」
ロバートがため息混じりに呟いた。
「……信じてもいいものか、どうなのか……」
「……隣り街の様子を見に行かせましたから、その結果も待ちましょう」
ティモは困惑げに、腕を組んでテーブルを見つめるピートを窺った。
「……どうするつもりです?」
「どうするって言われても、なぁ……」
と、どこかしら不満げに深く息を吐いた。
話しが終わり、ハーベイにはクレアを会わすことなくそのまま帰ってもらった。「よろしくお願いします」と、ハーベイは最後の最後まで頭を下げていた――。
スコットは紙を手に取って、内容をじっくりと見つめる。
「アメとムチ、かも知れませんからね……」
「都合がよすぎるって気もするしな。……どう思う、ジョージ」
ピートが振ると、大人しくしていたジョージは腕を組んでテーブルの隅に目を向けた。
「……ハーベイがなんらかの嘘を吐いているとは思えない。……彼の話しは本当だろう。……ただ、配下の者と国王の意志が疎通していないだけで」
「まぁな。ハーベイは昔から紳士的だったし、あの涙も演技じゃないだろうな。……年寄り臭くなっちまったもンだ」
「ハーベイの気持ちはわかりますが」
スコットは訝しげに顔を上げて二人に軽く紙を振って見せた。
「クレア様を会わせるのはどうかと思います。会わせた途端に何が待っている事やら」
「そこだ」と、ピートは真顔で、軽くスコットを指差した。
「どんなに国民の理解を得て平和を築こうとも、クレア様の事では全てを許すわけにはいかない。……クレア様をこのままにしておくわけにもいかないしな」
「なにか条件を出してみますか」
「たとえば?」
「……、クレア様のお傍にはまたわたし達が付く」
「それは絶対条件で当たり前だろ」
「そうですね……」
うーん、と、スコットは眉を寄せて悩む。
カーシュは二人を交互に見ていたが、大人しいジョージへと目を向けた。
「……クレアには話さないんですか?」
ジョージは何も答えず、代わりにピートがため息混じりに肩をすくめた。
「話してみろ。俺達の言うことを聞かずにすぐ城に飛んでいくぞ。……国王に会いたいからじゃなく、様子を探って、もしもの時はケンカをするためにな」
「……。有り得ますね」
「クレア様にはまだ秘密にしておいた方がいいでしょう。色々問題がありすぎます」
スコットが意味深げに軽く首を振ると、ピートも同意して頷く。
ジョージはじっとテーブルの隅を見ていたが、間を置いて椅子を引き、立ち上がった。
「……しばらく様子を見よう。……クレア様の所に行ってくる。そろそろ限界だろうから」
ピートは苦笑すると「俺も行く」と、ジョージの後を追う。
カーシュは家を出る二人の背中を見送って、訝しげに紙を眺めているスコットへと目を移した。
「……国王は本当に元に戻ったと思いますか?」
「……、そう願いたいね」
と、スコットはため息混じりに軽く首を振った。
「――正直、多分、こりゃ罠だろうな」
そろそろ日も暮れかけて、空が赤くなり出す。街人達が食事の準備にと慌ただしく動き出す時間帯――。
歩きながらピートは深く息を吐いた。
「余程クレア様の存在が気になるのか……。こりゃぁ、そう簡単には終わりそうにないな」
ジョージは歩きながらただ話しを聞いているだけ。じっと道の先に視線を落とす、そんな彼を、ピートは少し横目で窺った。
「どうする? って言っても仕方ないだろうが。……いいのか? このまま別れることになるかも知れないぞ」
「……そうだな」
ジョージは少し目を細め、ゆっくりと息を吐いた。
「……どうすることも出来ないな……」
「どうしたらいいもンだかなぁ……。難しいぜ」
困り果てた様子で歩きながらも腕を組む。
肩を並べるピートに目を向けることなく、ジョージはゆっくりと夕暮れ前の空を見上げた。
「……どちらにしても、俺には為す術はない。……出来るのは、クレア様の傍にいることだけだ」
「そりゃ、な……。けど、……ああ、なんて言ったらいいんだろうなぁっ……」
ピートは少し苛立ち気味にガシガシッと頭を掻いた。
「もし本当に国王が元に戻ったらどうするんだ? 昔みたいに戻ったら。……クレア様でもいいって、そう言ってきたら。……お前、どうすんだよ?」
「……そうだな、……どうしたらいいかな……」
「クレア様は懐いてるし。お前がいないと俺とスコットじゃ手に負えなくなる。それは明らかなんだぜ? ……お前に負担がかかるけどな」
「……身から出たサビ、だろ」
「まぁ……そういうことだがな」
深く息を吐いて、間を置き、「ポン」と肩を叩いた。
「いろよ、ちゃんと。……あの子の傍に」
「……ああ、そのつもりだ。……例えどうなっても」
ジョージはゆっくりと瞬きをし、遠くの空を見つめた。
「……理由を伝えられたら、簡単なのにな……」
「そりゃ自殺行為だ。やめとけ」
ピートは首を振ると、鼻から息を吐いて小さく笑みを向けた。
「出来る限りのことはしようぜ。俺もスコットも協力するし」
「……、……ピート」
「ん?」
軽く首を傾げると、ジョージは踏み出す爪先を見つめて少し悲しげに目を細めた。
「……もし、……俺に何かあった時は」
「そういう話しはやめろって。大体、お前が何をしたって言うんだ」
視線を落とすジョージに向かって、呆れるようなため息を吐く。
「何もありゃしねぇよ。それに、何かあった時はお前だけじゃなく俺達も一緒だ。そうだろ」
「……。悪いな……。巻き込んで……」
「今更言うなよ。……今回は、ちぃーっと厄介なだけだ」
ポンポンと再び肩を叩くと、空を仰いで「……はあ」と重い息を吐いた。
「……出来るなら……ひと目会わせてやりたいがなぁ……」
物思いに耽る、呟くような声にジョージは少し視線を落としかけたが、タタタッ……と走ってくる影が見え、顔を上げた。
「ジョージー!!」
ピョンッ! といきなり胸に抱き付かれ、足を止めたジョージはクレアの重さで少し腰を低くし、一歩遅れて立ち止まったピートはキョトンとした。
ナナは息を切らしながら走ってきて、「す、すみません!」と謝った。
「もう押さえきれなくなっちゃって!」
「……いや、もういいけど……」
と、ピートはジョージにしがみつくクレアをマジマジと見つめた。
「この格好……」
「あっ、借りたんですっ。かわいいでしょう?」
満足げにニッコリと笑って相槌を問う。
ジョージはクレアを離すと、地面にちゃんと立って笑顔で見上げる彼女の姿に目を這わせた。――町娘の格好だ。足首まで隠れる薄いピンクのスカートにはフリルも付いて、髪に白いリボンも付けている。
クレアは嬉しそうな笑顔でジョージを見上げ、白い靴で爪先立ちしながらスカートを軽く摘み上げた。
「どうっ? ボク似合うっ?」
「ボクじゃなくてワタシ」
ナナに呆れ気味に注意され、「私、似合うっ?」と訂正して笑顔で訊く。
ジョージは間を置いて優しく微笑んだ。
「……よく似合ってますね。……かわいいですよ」
頭を撫でられて、「えへへっ!」と嬉しそうに首を縮める。
ピートは「ほぉー」と、見直すような笑みを浮かべ、顎を触りながらじっくりとクレアを見つめた。
「クレア様も女の子だったか」
ゲシッ! と足を蹴られてうずくまる。いつもと同じ光景にナナは「ったく……」とため息を吐いた。
クレアは唸るピートを放って、目を輝かせてジョージを見上げた。
「ボクっ……じゃなくて私っ。私っ、ちゃんと女の子っ?」
「……そうですね、花売りの少女みたいですね」
「へへへっ!」
「……スコットにも見せてあげてください。ロバートの所にいますから。……きっと泣いて喜びますよ」
「うん!」
大きく頷いて走っていく。そんな彼女を見て、すれ違う街人達も「かわいいねー」「よく似合うよー」と声をかける。
「……走らないで欲しいんだけど」
ナナがため息混じりに呟くと、ピートは笑い、立ち上がって遠くなる背中を見送った。
「……あんな風に生きていけたらどんなにいいか……」
「……。そうだな」
ジョージは微笑み頷いて、ナナに目を移した。
「……ありがとう、……大変だったでしょう」
「えっ、あっ、全然そんなっ!」
狼狽えながらも、ブンブンと慌てて首を振る。
「いい子にしててくれたしっ。……私でよければいつでもお相手しますっ」
焦るナナにジョージは再び微笑み、クレアの後を追うように歩いていった。その背中を見送って、ナナは「ホッ」と胸を撫で下ろすが、
「ひょっとして、ジョージのことが好きだ、とか?」
そのセリフにドキッ!! と胸を高鳴らせて真っ赤な顔を上げる。息を詰まらせるナナに、ピートは腕を組んで苦笑した。
「カーシュはどうするんだ?」
「カ、カーシュは友達ですっ。そ、それよりっ……ぜ、絶対そんなことっ……」
焦って身を乗り出してうろたえるナナに、ピートは少し吹き出し笑った。
「わかってる。秘密な」
笑って頷くと安心して肩の力を抜く、そんなナナにピートは再び苦笑した。
「けど……期待はしない方がいいぞ?」
いきなり拒むような言い方に「え?」と表情を消すと、ピートは申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「あいつは、今それどころじゃないからな」
「……クレアちゃん、ですよね。……わかってます」
少し寂しげに視線を落として俯くが、ピートは「うーん」と軽く唸る。
「って言うか……ちょっとね」
的外れっぽい返事に、ナナは「……ちょっと?」と繰り返して訝しげに眉を寄せた。
「……なんですか? ……私じゃ何か問題がありますか?」
不安げな表情で身を乗り出し問いかけると、ピートは首を振った。
「キミに問題があるんじゃないよ。あいつに問題があるんだ」
「……クレアちゃんのことが好きなんですか?」
真剣な眼差しに、ピートは眉間にしわを寄せた。
「おもしろいことを言うな、キミは」
「そ、そういうことでしょ?」
どこか小馬鹿にされた目線に拗ねて口を尖らすと、ピートは苦笑気味に笑った。
「クレア様は大事だし好きだけど、それは男女の関係じゃない。クレア様はまだまだ子どもだろ?」
「じゃあ……問題ってなんですか?」
訝しげに首を傾げたが、途中で何かに気付き、「……あ」と顔を上げた。
「ひょっとして……もうご結婚されてます?」
「いや、そんな暇はないから」
「そ、そうですか」
ホッと胸を撫で下ろすも、
「結婚してる暇はなかったけど……、あいつは好きな人がいてね」
そう言われてドクン……と胸が鳴った。
「多分、今も想っているはずなんだ。だから望みは薄いと思うよ。俺だったら、諦めて別のヤツを捜すね」
苦笑気味に告げられて、ナナは次第に視線を落としていく。
「……どういう人なんでしょうか……。……綺麗な人なんだろうな……」
「まぁ……綺麗は綺麗だな。……優しくて綺麗で。俺もスコットも一目惚れしたくらいだよ」
「……」
「カーシュにしときな。あいつ、今はああでもいずれ化けるぜ?」
冗談ぽく笑って肩をすくめるが、ナナはボンヤリと、気が抜けたように遠くを見つめるだけ。誰が見ても傷心中だ。
ピートが「……こりゃヤバイな」と、心の中でどうしたらいいものか悩んでいると、ナナはしばらく間を置いてゆっくりと顔を上げた。
「……どこの人ですか? ……今も……会ったりとか、……連絡取ってるんですか?」
元気のない口調だが、拗ねているような雰囲気にピートは情けなく笑った。
「諦めが悪いな」
「……、すみません……」
「あいつの片想いみたいなもンだよ」
「……え?」
俯きかけた顔を上げると、ピートは肩をすくめた。
「片想い。だからそのままの想いをずっと引きずってるんだ。……彼女以上の女が見つかるまで忘れない。そんなもンだろ?」
「わ、私はその人以上になれそうですか?」
身を乗り出してやる気満々のナナに、「……。積極的だな」と笑って、小さく息を吐いた。
「ちょーっと、無理かな」
「……。ほんの少しもですか?」
「うーん……」
「……全然ですか? ホントに全然駄目なんですか? たくさんお手伝いしてもですか?」
詰め寄って訊くナナに、ピートは後退りをした。
「そ、それはどうかわからないけどさ。……でもホント、諦めな。キミのためだって」
「け、けど」
「あいつは見た目もいいし、優しいし。……クレア様と自分をダブらせて惚れる女が多いんだ。こんな世の中だからな、女はみんな、自分を護ってくれる男を捜してるンだろ。あいつはそういう、白馬の王子様タイプにピッタリ当てはまる。けどさ、あいつが興味を持たないんだ。クレア様に集中してるし。……あんまりしつこいと、あいつは嫌がるから」
「……」
「その度に女の子達が泣くんだよ。どうしてって。……キミにはそういう風にはなって欲しくないんだ。大切な友達だからな」
「……、ホントに駄目なんですか?」
諦める様子のないナナに、ピートはため息を吐いて苦笑しつつ頭を撫でた。
「可能性はゼロに近い1%」
「……。……低いですね……」
「限りなく、な」
「……」
ナナは悲しげに視線を落とした。
「……駄目だろうとは思っていたけど……。……ホントに駄目だなんて……」
涙があふれ、ポロポロとこぼれる。
ピートは「よしよし」と頭を撫でた。
「悪く思わないでくれよな。どっぷりハマって後で傷付くなんて、見過ごせないから」
「……好かれてる人が羨ましいです……」
「はは、……そうか?」
「……はい……。クレアちゃんみたいに護ってもらえるし……傍にいてもらえる……」
「そりゃ……。けど、片想いは所詮片想いだからな、……辛いばっかりさ。あいつにとっても、……相手にとっても……」
クレアが現れると、スコットは驚きのあまりに尻餅を突いて倒れ、挙げ句の果てには泣き出した。
「ク、クレア様が女の子にっ……!!」
「ボ……私は元々女の子だよ」
と、不愉快そうに手を腰に置くクレアにロバートは苦笑した。
「よく似合う。孫にしたいくらいだ」
クレアは顔を上げると、ロバートに近寄って「よいしょ」と彼の膝の上に乗って椅子のように座り、振り返ってにっこりと笑った。
「おじいちゃんが出来た!」
その言葉にティモは笑い、ロバートは恥ずかしそうにクレアの頭を撫でる。
かわいがられる様子を見てカーシュは苦笑した。
本当に、こうしているとただの女の子だ。極々普通の――
ジョージが遅れてやって来ると、カーシュは彼を振り返って笑った。
「すっかりいい気になってますよ」
「いい気になんてなってないっ」
と、クレアは怒り、だが、すぐに表情を一変して笑顔でジョージに報告した。
「ロバートがおじいちゃんになってくれるってーっ」
「……そうですか、よかったですね」
「んーと、ティモはボ……私の……おじさんっ」
「ま、まだ二十九歳なんだけどな……」
「じゃあお兄さんっ」
笑顔で訂正して今度はカーシュを笑顔で振り返る。
「カーシュは、んーと、私の……弟子!」
「なんでだよ?」と、カーシュは目を据わらせて腕を組んだ。
スコットは「うう……」とハンカチで涙を拭う。
「もう、一生女の子らしい所なんか見れないと思っていたのに……。わたし、なんて絶対言わないと思っていたのに……」
オーバーな感動だが、彼女の男勝りにはほとほと困っていたのだろう。カーシュとティモは気持ちを察して「うんうん」と真顔で強く頷いた。
ジョージはロバートの膝の上で楽しげに足を揺らすクレアに苦笑した。
「……あまりロバートに迷惑をかけてはいけませんよ」
「はーい」
返事をしてもそこから離れない。
カーシュはため息を吐いてジョージを見上げた。
「俺、そろそろ夜食の準備を手伝ってきます」
「……ああ、頼む」
カーシュが家を出ようとすると、「ボクも行くっ」と、クレアはロバートの膝から飛んで降りたが、着地と同時にスカートの裾を踏んでしまい、踏み出した足が突っかかってドテッ! と豪快に床に倒れてしまった。
慌ててロバートが背後からクレアを抱き起こし、他のみんなも近寄って「大丈夫かっ?」と伺うが、クレアは「うっ……」と涙を堪えながら膝を撫でた。
「だ、大丈夫。……ボク、泣かない」
スコットが前に膝を付いて「ああっ……」とスカートの汚れを払いながら顔を覗き込んだ。
「痛いところはないですかっ? ……ケガはっ?」
スカートを捲って膝を見る。カーシュは「!!」と慌てて顔を逸らし、ジョージは何も言わずにスコットの手を払い除けてスカートを下ろした。それで気付いたスコットは、「……ああっ、し、失礼!」と慌てて頭を下げる。
「つ、ついいつもの調子でっ」
クレアは「?」と、そっぽ向いているカーシュとティモを見て、ジョージに首を傾げた。
「ボク、へん?」
「……違いますよ。……異性に対して必要以上に肌を見せてはいけないということです」
「けどボク、ジョージのもピートのも、スコットのもカーシュのも見てる」
「見せてないだろ!」
カーシュは顔を赤くして慌てて否定するが、
「見たよ。ホリーのトコで」
と、あっけらかんとした顔で告げられて「……あ、ああ、あれか」と肩の力を抜く。
「みんなとボク、何が違うの?」
訝しげに見回すクレアに、カーシュは嫌そうに顔を逸らした。――羞恥心って、いつから芽生えるんだったっけ? と考えながら。
ジョージは苦笑しながらクレアの頭を撫でた。
「……わたしが嫌なんです。……クレア様の肌を見られたり、誰かに取られてしまうことが」
カーシュは優しく微笑むジョージを見た。――なんだろ、今すごく……、息が詰まった。
クレアは嬉しそうに笑って、ジョージの首に飛びつきしがみついた。
「ボクはジョージと一緒だから大丈夫! 誰かに取られたりしないよ!」
「……わたしは?」
と、スコットが寂しげに訊くと、クレアはジョージから離れてスコットに抱き付いた。
「スコットも好きだから、スコット以外の人には取られない!」
なんでもありかよ? と、カーシュはため息を吐いた。
――日が暮れて、いつものようにみんなで食事をする。カーシュも食事をしていたが、「あれ?」と見回した。
……ナナがどこにもいない。
「遅れてくるのかな?」と思いながら、けど、キチッとした性格をしている彼女が食事の準備もせずに現れないのが不自然で、少し気になって様子を見に行った。もしもの事などはないだろうが、しかし、それならそれで一体どうしてしまったのか、という話しになる。
「……ナナ?」
家のドアを開けて彼女の部屋へと向かい、ドアをノックした。
「ナナ、いるのか?」
コンコン、と軽くノックすると、しばらくして「……はい」とかすれた声が耳に届く。
「どうした? 体調でも悪いのか? みんなご飯食べてるけど」
「……ごめん、私、いらない……」
「……。どうしたんだよ? 腹でも痛いのか? 診てもらった方がいいんじゃないのか?」
「……平気。……一人にして。眠りたいだけだから……」
それ以上しつこくも出来ず、けれど明らかにおかしいのを放っておけない。
カーシュは足早に広場に戻るとキョロキョロと探し、「……あ」と駆け寄った。
「ジョージさんっ」
クレアとピートと共にご飯を食べていたジョージは、戸惑うカーシュに首を傾げ「……どうした?」と眉を寄せた。
「その……すみません。ちょっといいですか?」
「なになにっ?」とクレアが興味津々に身を乗り出すが、カーシュは彼女に構うことなく、深く息を吐いてジョージに身振り素振りで切り出した。
「なんだか、ナナの様子がおかしくて……」
その出だしに、ピートは「……ヤバイ」と視線を上に向ける。
クレアは「え……」と目を見開き、立ち上がって心配げにカーシュを見上げた。
「ナナ、どうしたの? ケガ? 病気?」
「それがよくわからないんだ。ちょっと元気ないから……、なにかいい薬とか知ってないかと思って……」
クレアはジョージを振り返った。
「ボク、見に行ってくる」
「……わたしも行きましょう」
ジョージがそう立ち上がるが、
「俺が行ってくるからゆっくりしておけよ」
と、ピートはジョージの肩を押さえて立ち上がった。
どこかソワソワして、ぎこちなく笑うピートにクレアは疑い深く目を細めた。
「……ピート、ナナに何かした?」
「何を言ってるんですか。……様子を見に行くくらいなら何もジョージに行かせなくてもですね」
「ジョージ、行こう」
言葉を遮って、クレアはジョージの手を握り、引っ張り歩いていく。その後をカーシュも追い、ピートは「ああ、もぉ……」と、投げやり気味に小さく首を振って三人を追いかけた。
「……ナナ、どうしたの?」
足早に家に来て、クレアが早速、声をかけながら部屋のドアをノックした。
「カーシュが心配だって」
「余計なことは言うなっ」とカーシュが背後から睨む。
「……大丈夫。ちょっと……疲れてるだけだから……」
しばらくしてか細い声が返ってきた。本当に元気のない、かすれた声だ。
クレアは不安げにジョージを見上げた。このまま放っておく訳にもいかない。「どうしよう?」とすがるような目に、ジョージは間を置いてドアノブを掴んだ。
「……ナナ、入りますよ」
ジョージが断りもなくドアを開け、みんなで中に入ると、クレアはすぐにベッドに横になっているナナの傍に走り寄り、布団から出ている顔を覗き込んだ。
「ナナ、大丈夫? しんどい? どうした?」
心配そうに尋ねてくるクレアを見て、ナナは小さく苦笑した。
「……大丈夫。……心配しないで……」
力のない声に、カーシュもクレアの背後から顔を覗き込んだ。
「……誰か連れてこようか?」
「……ううん。……一晩寝ればいいから。……なんでもないから……」
微かな声に、ピートは壁際に立って肩の力を抜いた。
恋煩いってヤツか……。こりゃ、思ってた以上に重傷だな……。
クレアはオロオロとジョージを見上げた。
「どうしよう、ナナが元気ない。ナナ、元気にしなくっちゃ」
「……クレアちゃん、ホントに平気だから……」
焦る彼女を見てなんとか笑った、その時、そっと顔にジョージの手が触れて息を止めた。
ジョージはナナの顔を触り、そのまま首元に手を差し入れた。
「……少し熱っぽいですね。……冷やしましょうか」
「ボクお水っ……、用意出来ない」
ぐすん、と拗ねると「俺が持ってくるよ」とカーシュが部屋を出る。
ナナは、おでこにかかる髪をゆっくりと除けるジョージを見て心臓をバクバク鼓動させた。
「……過労かもしれませんね。休まる日がありませんでしたから……、しばらく休養を取るといいでしょう」
ナナは何も言えず、優しく微笑むジョージをただ見つめた。心は嬉しい悲鳴を上げるが、頭の中はパニックを通り越して真っ白になってしまっている。
クレアはベッドの傍に顔を載せた。
「ジョージに撫でてもらってたらね、すぐ元気になるよ。だから、ナナも撫でてもらっとく?」
「い、いいですっ。そ、そんなっ……!」
顔を真っ赤にして慌てて首を振り、布団をギュッと握って顎下まで引き上げた。そんなことまでされたんじゃあ、心臓発作を起こしてしまいそうだ。
ジョージは、邪魔にならないようにベッドの片隅に腰を下ろした。
「……とりあえず……一晩様子を見て、治らないようでしたら医者を呼びましょう」
「そうだね。じゃあ、ボクがナナの面倒見る」
「……クレア様はお休みになって。……ナナはわたしが看ますから」
その言葉にナナは心の中で大感激。泣きたい気持ちを必死で抑える。
恋心に再び炎が灯っちまったか、と、ピートは心の中でため息を吐いた。
――結局、その夜はみんなでナナの部屋に居着いてしまった。
外灯の明かりが入ってくるだけの薄暗い部屋、壁際で眠るピートとカーシュ、そしてクレアを抱いたまま眠るジョージを見て、ナナはため息を吐いた。
……伝えられたらどんなに楽だろう。それで振られても、嫌われてもいい。今よりずっと楽なはず。……伝えられたら――




