記憶 -2-
-2-
宇宙。
スパンの意識は宇宙にあった。
目の前で何かつよいエネルギーがぶつかり合った。
衝撃。
気がつくとガス状の雲が充満している。
なにかに掻き混ぜられちているようにガスはぐるぐると、はじめゆっくりと、そしてしだいに急速に回り始め、やがて停止した。
少しずつ収縮していく。
しばらくするとそれは、ひとつの星となった。
星はどろどろと煮えたぎったようになり、周りをガスが覆っている。
ガスは固まり、雲が現れた。
やがて雨が降り、雷が鳴る。地上に落ちた雷のエネルギーが大地をゆらす。
雷のエネルギーが星に刺激を与えた。
命がはじける。
画面がぐるりと変わる。
スパンの意識は、誰かの中にある。
「ほら、あれがマリアスだ。」
青く輝く星がある。
その男は隣に立っている銀色の髪をした女性に微笑みかける。
「私たちが、目指してきた惑星ね。」
「ああ」
そう言うと男は頷く。男は子供たちを呼ぶ。
「ゼリー、モー、ルイこっちへ来てごらん。これから着陸する惑星が見えてきたよ」
その男の意識がスパンの中に流れ込んでくる。大切なものへの深い愛。不安。悲しみ。恐怖。希望。そしてほんの少しの後ろめたさ。いろいろな感情が彼の心で渦巻いている。
その男の視線がグルっと動いた。
別の家族がいる。知的なりりしい顔をした女性、その横に三つ子だろうか、年恰好が同じような3人の子供たち。そしてとてもあどけない少年のような表情をしている男性。
「マーリス!」
スパンは思わず叫んだ。
再び、画面が大きく変わる。
スパンの意識は巨大なトカゲのなかにある。
トカゲは水の中から、ゆっくりとした動作で岩によじ登り、日当たりのよさそうな場所を陣取ると、じっと目を閉じている。
スパンはトカゲの微妙な心の動きを感じていた。
ずいぶん前にふと、何かを感じた。何かの悲鳴のようなもの。沢山の何かが失われる感じ。
あれはなんだったのだろう。日ごとに不安がひろがっていく。
トカゲはゆっくりと空を見上げる。あの嫌な感じがしてから、ずいぶんとった頃に、空に、もうひとつの太陽があらわれた。
日がたつごとに嫌な感じが増してくる。
大きな音が遥か頭上から聞こえた。
新しい太陽の中から、黒い点が現れた。あれは、なんだろう。
それは日ごとにどんどん、どんどん、近づいてくる。
その黒い点は、いまは大きな星となってトカゲの頭上に覆いかぶさらんほどになっている。
そしてその星は、海に落下した。その弾みでトカゲは岩にたたきつけられる。
ああ、彼は―トカゲは、もう助からない。
真っ暗になり、やがて、明るくなった。
スパンの意識はまた別の誰かの中にある。
「大丈夫かい?」
老人が顔を覗き込む。
「ああ、はい大丈夫です。」
スパンはちょっと眉間に痛みを感じながら、博士の説明をきいた。
「すでに船は2隻出発した。彼らが無事マリアスに到着したかは、この状況では確認のしようがない。これが最後の一隻だ。この星の上で生きている人間はこの研究所にいる私たち6人だけだ。この外界、濃度の高い二酸化炭素。メタン。窒素。炭酸ガス。人間、いや生物は生きることが不可能な大気のなかでは生きているものは誰もいまい。
君は最後までこの研究所で私の助手として勤めてくれた。ありがとう。しかしもう何も研究することはなくなった。必要なデータはすべてこの飛行船に積み込んである。マリアスに到着したら、このデータをもとに人々の生活に役立ててくれ。そして、二度と同じ過ちをおこさないように。頼んだよ。」
「博士は、本当に船には乗られないのですか?」
博士は温かな感情を瞳にたたえてスパンを見つめた。
「博士、一緒に行きましょう。まだ人々は博士を必要としています。」
「すまんなぁ。スパン。私は、この星とともに最後を迎えたいんだよ。私の妻も父も母も友人もみんなこの星で眠っている。ここで、最後を迎える、それが今の私の望みなのだよ。さあ、センチな別れはこれまでだ。さ、行った行った。」
博士は、手をぶらぶらさせる。その目には涙が滲んでいる。
「パパ」隣にいた、理知的でりりしい女性が博士に抱きつく。
「パパ…」
「ああ、イブ。いい子だ。お前が私の娘で本当に私は幸せだったよ。ありがとう」
強くイブを抱きしめると、無理にイブを自分から引き離そうとする。イブは泣きながら、
「やだやだ…パパ」と博士にしがみつこうとしている。
「イブ。ごめんよ。これが私にとっての一番の幸せなんだよ。この惑星で、最後を迎えたいんだ。ごめんよ。イブ」
博士はそう言うとイブの体を押しのけながら、イブの後ろに立っていた屈強な若者に託す。
「マーリス。頼む。イブと、スパンの家族を頼む。無事マリアスに送り届けてくれ」
そういうと、博士は飛行船の発着室から出て行った。
飛行船の入り口で、幼い子どもを抱いた女性が悲しい目をして彼らをみていた。
画面が大きく変わる。
真っ赤な空間。
天も地も赤い。
どちらが天でどちらが地だ。
上も下も、右も左もわからない。
そんな空間にスパンの意識はあった。
スパンはその空間でぼんやりとしていた。
どれくらいの時間そうしていたのか。
コニータの気配がした。
「コニータ…」
スパンはそっと呼んでみる。
「スパン」
声のするほうに振り向くとコニータがいた。白いドレスをきて、たたずんでいる。
「コニータ」
スパンは微笑む。コニータも微笑む。
「生きてたんだね。」
とスパンはコニータに手を伸ばす。
「ええ。生きてるわ。」
そういうと、コニータはスパンの手を取る。スパンはそっとコニータを抱きよせる。
スパンは再びコニータの体温を感じることができた。涙がスパンの頬をつたわる。
「スパン。私は生きているわ。この赤い砂の中で。私たちは砂に姿をかえただけなの。死んでしまったわけではないわ。でも砂になった私たちはスパンあなたに思いをつたえられない。」
コニータ、コニータ、コニータ…
スパンはただコニータの胸に顔を埋めて泣き続けていた。
コニータはやさしくスパンの頭をなでてくれる。
「僕は…僕は壊れそうだ。不安で怖くて、どうしていいのかわからない。トーイのように信念も自信もない。ただ、ただ、僕は怖くて怖くて、逃げ出したいよ。全てを捨てて逃げたい。どうしたらいいの、怖くて、このままだと壊れてしまう」
コニータはやさしくスパンの額にキスをすると、顔を覗き込む。コニータの微笑がスパンをつつみこむ。
「スパン。終わりがきてもそれは、ハジマリなの。ハジマリは終わりに繋がっている。マリアスは終焉の時を迎えたわ。でも、それは新しい世界のハジマリなの。絶望は絶望でなく希望。生まれてくる命は絶望の中の希望。命が生まれる限りそこに未来はあるのよ。」
「未来…」
コニータがスパンの目を見つめながら、ささやく。
「あなたは見えない力に曳かれてる。それは、あなたが運命そのものだからよ。スパン自分を信じて。」
コニータの微笑が凍りついた。そして真っ赤な霧となって、姿は消えてしまった。
コニータの体温も、触れた手の感覚もまだあるのに、コニータは消えてしまった。
「自分を信じて。」
コニータのささやきが、耳に残る。
真っ赤な空に、大地に、スパンは叫んでいた。
コニータ!コニータ!コニータ!コニータ!




