桜の舞い散る下で
五人の物語
ディルサ・ライネージ
社会人?年生・四月
桜が開花した。
カラトン神大学は、あと五日で入学式をむかえようとしており、カラトン市立神大学付属高校はその二日前に始業式となる。
四月四日。
カラトン市の五人は首都ロムールから来たもう一人のメンバー、つまりあたしと駅で合流して生命神テナ神殿へと歩いた。
仄かに熱を帯びた春風が、ちらほらと花咲く草原をやさしく撫ぜていく。
それぞれ緊張の面持ちで、でも青空のように晴れやかな笑みを浮かべて。
ロムールから一人遠征してきた能天気、いくら否定してもそう言われ続けるあたし。
カラトンで学生生活を送る苦笑いばかりのヘス。
困ったみたいなコナ。
愛想振りまくペシタ。
冷めてオトナじみたシータ。
そして、自嘲がくせのルビ。
それぞれの笑みが、それぞれの本音を偽るものだとお互い知っているから、それぞれ安心できた。
高ぶる気持ちを抑えているのも、足が崩れそうになる不安があるのも、よくわかっている。
「あ、シータ! 開始何時だっけ?」
駅から出たとき、知らないヒトが次々と声をかけてきた。
ダレ?
と訊いたら、駅前で流しをやってるときによく聴きに来てくれるヒトたちだ、と彼女は自信満々に答えた。
「ペシタ、何よぉ。そのヴィジュアル系みたいなメンバー。」
高校のクラスメイトや吹奏楽部の部員たちが遠巻きにあたしらを見てた。
あはは。
おんなじ制服に身を包んだ高校生にメンバーが愛想を振りまく。
まるでマスコットのように彼女に絡む。
肩を組まれながら、彼女は友人たちにピースサインを送った。
「ヘスもディルもカッコいいじゃないか。よく似合ってるぞ。」
あたしとヘスを足して二で割ったような男性が、穏やかに声をかけてきた。
父さん来たの?
とヘスは驚いていた。
祖父さんも来てるぞ、と父は遠くを指差した。
その先には普段見ることはない私服、チャコールグレーのスーツの大司教。
難しい顔して腕組みしている初老の男性にメンバーが慌てて頭を下げた。
「コナぁ、がんばってね。しっかり応援してるよ。」
失敗すんなよとか、似合わねぇとか、その声にかぶった。
大学の仲間たちに取り囲まれている彼を見て、両親がビックリするやら、嬉しいやらな複雑な笑顔で見ていた。
ポスン!
メンバー全員でいっせいに、彼の大きな体を叩いてみせる。彼が困ったように笑った。
「ルービス。お前はわかっていない。」
テナ神殿に到着した六人を出迎えたのは、一人の男性だった。
葬式にでも参加するような真っ黒なスーツを皮膚のように身に着けて、春一番に吹かれても揺らぎもしない同色のシルクハットをかぶって、まるで掌から生えてきたのではと錯覚するような腰高くらいの杖を地面に突き立てて、微動だにせず神殿の正門に屹立していた。
ルビの出迎えはヤツだけか。
あたしは思わず舌打ちしてしまった。
「避けてよ。」
シータがずいっと前に出る。
オトコはじろりと彼女を一瞥し、すぐにルビに目線を戻した。
うつむいて怯えるルビを守ろうとコナが間に入り、震える肩をペシタがぎゅっと抱いた。
きっと独りだったら、ヤツのかもし出すプレッシャーに耐えられない。
全員そう感じていた。
「ルービス。お前がこれからしようとしていることの意味を理解しているのか。
断言しよう。お前にとって、それは利益のあることではない。」
地獄の底から響いてくる。
このオトコは腹に地獄を抱えている。マグマのように沸き立つ負の感情が圧し潰そうとしていた。
「結局、あんたはダレなんだよ。」
細かく震える声で訊くコナ以下、転生者であるシータですら、オトコの正体を突き止めることはできなかったらしい。
「名乗ってやる気はない。
黙ってお前らはルービスを置いて、この場を去れ。
シータスだって理解しているだろう。お前の父親を口だけでなく、力すべてを封じてもいいんだぞ。」
嘲笑するオトコをシータは悔しげに睨みつけた。
この発表会を開くにあたり、シータとヘスは、カラトンにすむ三人に話をした。
今までも個別には話をしてきたから、それの整理の意味合いがある。
今回は街のみんなに音楽を聴いてもらうのが、最大の目的であること。
ただ、その際に妨害しようとするモノが現れるかもしれないこと。
それが、テナ神殿の悪魔である可能性があること。
結局、悪魔がナニモノなのか知りえなかったこと。
そのためにできるかぎりの警備体制をとったこと。
先手を打たれたシータが対抗手段としていたカリンバに憑依した父親と話ができないこと。
「パパの口を封じられる前にきちんと訊いておけばよかったって、ホント後悔してるわ。ごめんね。」
シータはそう謝罪していた。
このオトコの力が計り知れない。今でもその不安が全員の行動を制限している。
しかたないな。
と、そのときつかつかと列の後ろから歩み出る人物がいた。
「デッドモアだよ。このヒト。大陸の西のほうで死者の王国が復活したってニュース知らない?」
突然、真実が告げられた。
一触即発の状況を打開したのは、初見のはずのあたし。
「えぇぇぇぇ!」
五人のメンバーと一人のオトコの声がハモった。
シータやヘスの苦労も、コナやペシタの疑念も、ルビの恐怖も、デッドモアという名前をヒタ隠しにしていたオトコの思惑も、全部シカトして、あっけらかんと言い放ってやる。
「久しぶりですね。みんな元気ですか?
あ、父も今日来ますよ。もしかしたら、その友達も。
今日は神殿の敷地をお借りします。
なので、デッドモアさんも楽しんでくださいね。」
彼らの一年のモヤモヤをあっさりと吹き払う。
「そっか。
ヘスは会えなかったんだっけ。シータもいなかったか。」
戸惑うヘスを全員が睨む。なにか言いたげだけど、そこはシカト。
何事もなかったかのようにあたしは神殿の正門へと歩き出した。
「何やってんの?
行こう。
はやく準備しようよ。間に合わなくなるよ。」
で、あえてオトコの目の前で、満面の笑みを浮かべつつ五人をふりかえる。
そして、あっけにとられるブラックスーツのオトコにだけ聞こえる声で告げた。
「あなたは父の友達で、あたしがお世話になったヒトだけど、彼らの邪魔するなら、あたしも黙ってないよ。」
無言で睨むオトコの前を、びくびくと五人が通り過ぎていく。
最後のルビが彼の前で立ち止まった。
「一年間、わたしを守ってくれて、ありがとうございました。
真実はまだ知りません。
でも、覚悟はできてます。わたしの想像が真実ならば、どこかでその罪を償わなければならないのだと思います。」
淋しげな、しかし決意に満ちた笑みでルビはオトコに会釈して、みんなの下へ駆け寄った。
「ディルサ、お前は知っているのか?」
「何を?」
「ルービスの罪をだ。」
「知らない。
でも、そのあとにあんたがやったことと、ルビが決意したことは知ってる。」
罪?
だから償うって言ってんじゃんか。
「私はあいつらを殺すぞ。」
ブワリと殺意に満ちた冷気がオトコの周囲から吹き上げた。
「それがあなたの存在理由ならやれば。
でもね…」
今にも切り裂かれそうな殺意を背後に感じながらも、それを意に介すつもりはない。
無防備にオトコに背を向けた。
「生きてるニンゲンは強いよ。想いに執着する死人よりね。」
桜の花びらがひらひらと舞った。
うららかな春の昼下がり。
生命神テナの神殿は、老若男女種族も身分もごったにした観客に埋め尽くされた。
舞台脇にはテナ神殿自慢の桜の巨木が満開に花開き、その下には墓標のように木の十字架が立ち並ぶ。
反対側には桃の花。
桃源郷のようにスイーツメインの食べ物屋台が数件。
はしゃぎまわる子供を叱りつける母親をなだめ、いいんですよと子供らに飴を配っていた。
文句があるなら来なければいいのに、生真面目な顔した教授や上位神官が今回のイベントに対し議論を繰り広げていた。
「いくらなんでもヒト多すぎません?」
怖気づいたようにペシタがバックヤードから会場を覗いていた。
「確かに。
先輩、ホントに大丈夫なんですか?
下手な演奏できませんよ。」
ルビも一時とはいえ、デッドモアの存在を忘れ去ったみたいだ。
それ以上に目の前の観客に圧倒されていた。
不安げにあたしらを見た。
ピンク頭とメガネ男子とあたしはヨユウシャクシャクとばかりに楽器の手入れをしている。
それぞれ視線に気づき顔を上げた。
「私、下手じゃないし。」
「公会議でプレゼンするより楽。」
「客はかぼちゃと思え。」
三人のセリフにコナがくくっと笑った。
「あー! コナ先輩、笑うなんて失礼です!」
「くそっ! あたしの兄の分際で!」
二人の八つ当たりに、困ったように慌てふためいた。
全員で笑った。
「さて、時間よ。」
シータの言葉に全員が表情を締めた。
「ルビ。
あなたにはつらいものになるかもしれないわ。
覚悟決めてね。」
ルビは緊張の面持ちで肯いた。
今日を迎えるにあたって、ヘスとシータから告げられたこと。
今回の発表会の裏の目的は、生命神殿に住み着いた悪霊を払うことだ。
それは同時にルビの過去を世間に曝すことになることだ。
「ルビはもしかしたら何もかもを失うかもしれない。」
そう告げたヘスをコナは本気で殴り飛ばした。シータをペシタが泣きながら非難した。
甘んじて叱責を受け止める彼ら二人を見て、
「コナ先輩、ペシタ、ありがとう。
二人がわたしのことを守ってくれたのには、すごく感謝してる。」
二対二の間に割って入ると、ルビは頭を深々と下げた。
「ペシタがこないだ書いてた小説があるでしょ?
あの子は多分わたしなんだ。
で、死霊があのオトコ。」
戸惑うコナと歯噛みするペシタ。
ペシタはうすうす勘付いていた。
ただ、信じたくなかった。
淡々と自分の罪を告白するルビを呆然とコナが見つめる。
彼女の翳が、肉親を失った孤独にあったわけではないことを知ったコナの歯がゆさも、見てしまった秘密を隠し続けたペシタの苦しみも、ルビには痛いほど理解できた。
「そして、わたしに懺悔の機会を与えてくださったヘシアンさんとシータスさんにも感謝します。
もちろん、ディルサさんにも。」
もう一度、深く頭を下げた。
それはちょうど前日。今みたいな春うららかな昼下がりのことだった。
のんびりとした太陽が幻影に思えた。
それでも、六人は今を迎えた。
「安心しろ。俺はルビの味方だ。」
「あたしもルビ先輩のこと大好きですよ。
大丈夫です。みんな強いから。」
ウェイテラ兄妹が肩を叩いた。
あたしはその一部始終に泣きそうになる。
ルビが舞台裏から駆け出した。
「みなさん、集まっていただきありがとうございます!」
十数年生きてきて、初めてこんな大声を聞いた。とコナが呟く。
「正直、こんなにたくさんのヒトに集まってもらえるとは思いませんでした。
観客がネコ二匹だけなんじゃないかと、昨日は不安で眠れなかったんですよ。」
笑いに包まれる会場を見渡したルビの目に涙が浮かぶ。声が出せるうちに皆を呼ばなければ、とルビがさらに大きく叫んだ。
「今日がわたしたちのデビューです。
では、メンバーを紹介します!」
名前と担当楽器が叫ばれるたび、一人一人と舞台へと現れた。
あがる歓声に微妙な差があることに、また驚く。すでに個人個人にファンがついている証拠だ。
「うわぁ! かわいい!」
黒ゴスのシータと白ロリのあたしが背中合わせにダブルギターをかき鳴らしていた。
あたしはまだヘタクソだから、シータのフォローつき。
「あの二人、カッコいいね。」
全身真っ白なコナのフルートに合わせて全身真っ黒なヘスが踵で小刻みにタップを刻んでいた。
「楽器めちゃくちゃだな。」
白ロリのペシタが首からぶら下げたティンパニを叩いて、ピアニカを吹いて歩き回る黒ゴスのルビの後を追う。
「でも、きちんと曲になってる。」
真っ白ペシタがずらりと並べたシンバルを次々叩くと、真っ白コナが吹くピッコロの軽快な音が重なった。
「素人丸出し。」
真っ白妹のソプラノと真っ黒兄のアルトが鬼ごっこするようにハモった。
あたしらがまさか音楽で競演するなんてね。
二人、こっそり笑いあった。
「楽しいからいいんじゃない。」
真っ黒ルビのオルガンの連弾と真っ黒シータのギター速弾きが争いあった。
「いや、上手いよ。」
ルビのオルガンとコナのフルートが宗教音楽を奏で、残りがコーラス隊。
「ソロ部分ヤバイって。」
シータのギターソロ。コナのフルートソロ。ルビのオルガンソロ。
いろんな声が聞こえてきた。
賛否両論。
悲喜こもごも。
前半はテンション上がりきったまま、一気に駆け抜けた。
「いったんきゅうけーい!」
幕が引かれた。
中断中は大学の友人や高校の吹奏楽部がつないでくれている。
「ヤバイ! 楽しい!」
息も絶え絶えに大の字になって、みんなで笑った。
「さて、着替えるぞ。」
コナとシータが、慣れないことにぐったりする四人を促す。
二人のゴシックの少女と二人のロリータ少女。
白スーツと黒スーツの男二人組。
それが、それぞれの神官着に身を包んだ四人と小悪魔二人に姿を変えた。
「お、着替え終わった?」
「一気に雰囲気変わるね。」
「あれ? コレって除霊シリーズじゃないですか?」
「水分とった? トイレは?」
「もう行けるの?」
中座をやってくれた友人たちが、同じように息を切らせてあたしらに呼びかけた。
小悪魔シータが、メンバーを見渡してOKサインを出した。
片手にはカリンバ。
手を取り合って先に舞台に出た小悪魔なあたしはマラカスを腰に挿してた。
続いて和神フィース・ラホブの二人。
コナがオカリナを首にぶら下げて、ペシタがボンゴを胸に抱えて。
そして、ルビがリラを小脇にして舞台に出た。
「え? ダレか、とっても重大なコト、言ってなかった?」
とシータ。
でも、みんなすでに舞台の上。
「気にしない。あとでヘスに訊こ。」
あたしも気づいてたんだけど、今さらだから問い直さなかったのだ。
どうせ、裏に残ったヘスがあとで教えてくれるだろうから。
動揺するかな。
と思ったんだけど、あたしの想定以上にヘスの名前は信用されているらしい。
ルビが一音リラを爪弾く。
ざわめく会場がルビが奏でるリラの音色に沈黙した。
リズムを刻むボンゴをかき乱すように、カリンバがシンコペーションして、そこに物憂げなオカリナのメロディが流れ出すと、会場から嗚咽のようなものが聞こえだした。
さびしいけど、やさしい音。
たよりないけど、たちあがろうとはげますような旋律。
グゴゴゴゴゴゴゴゴ…
聴衆はそれぞれの想いに浸りきって、気づかなかった。
桜の花吹雪の下、土が蠢いた。
地面に刺された十字架が小刻みに揺れた。
「やめろぉ!」
絶叫が会場に響き渡った。
静まり返った聴衆の中から、トコが舞台に飛び込もうとしていた。
いつものブラックスーツとシルクハット。
アイツだ。
「来たか!」
シータがカリンバの演奏を中断しようとした。
「シータ! 続けろ!」
コナが制止する。
同時に舞台裏からヘスが駆け出した。
一番手もとの十字架を地面から引き抜いて、勢いそのまま横薙ぎする。
うなりをあげた十字架、彼の扱う武器トネリコの十字架が、オトコの体を舞台の反対側まで吹き飛ばした。
桃の樹に叩きつけられたオトコは怒りに顔を歪ませ、何かしら魔法を唱えようと掌を突き出した。
「こんなトコでそんな魔法使ったら危ないよ。デッドモアさん。」
その先にはヘスとディルの父親の姿があった。
屋台は片付けられていたから、そっちには彼一人だった。
その手にはヘスの持つものと同じ十字架。
「少し黙ってみててね。」
デッドモアの頭上に掲げられた十字架が地面に影を落としていた。
本来ならヘスがヤツを抑える役目だったが大丈夫そうだ。
舞台裏に戻り、友人たちを裏口から神殿の外へと促した。
「きゃあぁ!」
ようやく会場から悲鳴が上がった。
パニックを起こす観客のところどころに、体が崩れだしたヒトがいた。
と同時に観客として見学に来ていた光明神殿の神官たちが一般人を神殿の外へと誘導する。
「焦らないで!
走らないで!
落ち着いてください!
私たちがきちんとお守りいたします!」
手際よく観客を守りながら、観客席にまぎれていた冥界のやからを捌く。
もとより冥界のやからの狙いは舞台のメンバーだったから、観客のパニックが一番の懸念事項だった。
会場が静まり返る。
会場のパニックは光明神殿護衛団が迅速に収めてくれたから、幸い怪我人は出なかったようだ。
舞台裏の友人らも無事逃げたらしい。
ヘスが表に戻ってきた。
同時に、桜の樹の下の地面から灰褐色の骨が何体も姿を現し、緩慢に舞台へと向かってきた。
「みんな、楽譜をもう一枚めくってくれ。」
コナの指揮に奏者全員が戸惑う。
後何小節かで曲は終わりだ。そして、そこまでしか練習していないはずだ。
「もう一枚めくって。最後の最後の曲行くよ。」
シータも彼の意図に気づき、その指揮に従った。
五人がそろってみたのは、真っ白の五線譜。
当たり前だ。何も書いているわけがない。
なのに、
「勝手に指が動く…」
マリオネットのように、楽器に弾かされた。
コナの仕込んだカグラ。
半ば魔法のように発動した対死人用の楽曲が会場に響き渡った。
会場の死人が砂と化した。
桜の下から蘇った骨も崩れ落ちた。
デッドモアが怨めしげに彼らを凝視してた。
「貴様ら…やってくれたな…」
最後に残されたのはデッドモアという名の冥界の不死者。
「あんたがおとなしくテナ神殿に居ついてるだけなら、ここまでやるつもりはなかったよ。」
ヘスが苦々しげに呟いた。
「あんたがルビにしてくれたことには、話を聞かされた僕らも感謝してる。
でも、今年一年であんたがやってきたことは、光明神殿の神官としても僕個人としてもけっして許すわけにいかない。」
「そうか…そうだな。」
感情がわからない。
「デッドモア。
ホントはこの場でどうにかしてやりたいんだけど、今のあたしたちじゃムリ。
それにあんたの今の立場がわからないから、できれば穏便に立ち去ってほしいんだけど。」
とシータが言った。
「わかった。
私の負けだ。ここからは立ち去ろう。
もちろんこの街に災いは持ち込まない。約束しよう。」
デッドモアがユラユラと歩き出した。ルビのもとへ。
「大丈夫。何もしない。
私が封じたルービスの記憶を解いた方がいいんだろ?」
ルビが怯えながらも力強く肯いた。
「さようならだ。
ルービス・……。
元気で過ごすんだぞ。」
皮肉めいた笑みを浮かべながらルビに呼びかけた。
桜の花びらが春嵐に舞い散った。
刹那、オトコは消えた。
静寂がうららかな春の庭園を支配する。
オトコがいつも立っていた桜の樹は、枯れ木のように生命力を失っていた。
テナ神殿にいるのは、あたしら六人だけだ。
「終わった…のかな…」
ペシタが小さく呟いた。
強い春風に大量の桜の花びらが舞台に舞い落ちた。
まるで桜色の舞台幕だ。
ヘスが十字架を地面についた。
シータがクタリとその場にしゃがみこんだ。
あたしも大きく溜息をついた。
安堵。
ルビが焦点の定まらぬ瞳でコナを見つめた。
コナが真直ぐにその視線を受け止めた。
そういえば、最後のデッドモアの言葉。
ルービスのファミリーネームを言ってなかっただろうか。
ダレもが、まるで禁忌の言葉であるように失念していたことに愕然とする。
「ルビ…わかったんだな…」
ゆっくりとコナがルビに歩み寄った。困ったような笑顔で。
ルビの顔が歪んだ。
涙が溢れ出した。
「えっ! なんで!」
叫んだのはダレだったのだろう。
コナの大きな体がスローモーションのように舞台の上に倒れていった。
涙を湛えたルビの瞳は花を失った枯れた桜の巨木をぼんやりと映していた。
その手には血のついたナイフ。
「おとうさんのかたき…」
ルービスの発した最後の言葉。
折り重なるように彼女の体も舞台に倒れていく。
桜の花びらが彼らにやさしく降り積もる。
桜の樹の物語
年齢不詳
真実はときに残酷だ。
一年前テナ神殿で起こったのは、父殺しだ。
父娘二人暮しのテナ神殿では、日常的に父親による娘への虐待が行われていた。
父親に怯え、憎み、恨みながらも唯一の肉親への思慕だけで、娘は生きていた。
しかし、あの冬の日、娘はナイフで父親を刺した。
流れ出る真っ赤な血に怯えた娘は、神殿を飛び出した。
途方にくれて、泣きくれて彷徨う街の中。雪が降り積もる夜を歩くヒトは皆無だった。
そこで出会ったのは死人の男。
腐りかけた彼の脳は存在理由をその少女に依存した。
連れて帰った神殿には血溜りの中に横たわる彼女の父親と、血にまみれたナイフを握りしめる少年がいた。
怒りと悲しみをたたえる瞳が少女を抱いた死人の男を見つめた。
男は知る。
少女の刺した傷は致命傷に至っていなかった事実を。
気を失っていた彼女の父親を絶命させたのは少年だ。
テナ神殿の隣のフィース・ラホブ神殿の幼馴染の少年であり、そして、少女の実兄だった。
テナ神殿の少女が、身寄りのない少女ではなく、養子として出された妹である事実。
そして、唯一と信じる少女の父親が虐待している事実を知っていた少年は、怒り狂って少女の名を叫ぶ父親をめった刺しにした。それが彼女を救う最後の手段と信じていた。
男は少女と少年の記憶を封じ、父親の遺体を桜の樹の下に埋めた。
その日から少女の家には死人の男が住み着いた。
血を吸って生きる桜は、季節外れの花をつけていた。
だが、バケモノだ。
血を求め、いつ魍魎と化すかは時間の問題だった。
死人の男は、エサを与えるように桜の樹の下に死体を埋めた。対象は生命神殿の事件を疑うものたち。
だが、やはり死人の男も魍魎の類には違いなかったのだ。
次第に消えていく男の記憶に残されたものは、少女への執着と自分を蔑む生者への怨み。
男は街のいたる場所で仲間を求め始めた。
生きることを恨み、絶望する仲間たち。
たとえば、学校で、工場で、墓場で、荒涼とした草原で、四辻で。
生者の生活領域に死者を住まわせた。
死者がいつか脳を腐らせ、生者に叛乱を起こすことを夢見ていた。
それから季節は巡り、春が来た。
少女の仲間たちが集い発表会を行った日。
いつ破綻するか知れないテナ神殿の日常はとうとう壊された。
突然、家族が冥界のやからに変わりゆく恐怖と絶望を、街の住人たちはどう思ったのだろう。
それは、それぞれの家族がのり越えていく話なので、ここでは語らずにいよう。
少年少女の行ったことは、善悪正邪の評価を下すべきではない。
彼らも、比ゆではなく血反吐を吐くような気持ちで決断したのだから。
死人の男は生命神殿を去り、少女は唯一の肉親である父親を最終的に絶命させた実の兄である少年を刺した。
死者の男の最後の言葉。
「さようならだ。ルービス・ウェイテラ。元気で過ごすんだぞ。」
それが結末だ。
季節は巡り、また、春が来た。
テナ神殿の桜は死んだ。
その土の上には名の刻まれていない墓碑が建てられた。
街は再び平穏を取り戻し、神殿にも春が来た。
事件直後は忌避されていたテナ神殿にもチラホラと信者が戻り始め、死者の男の犠牲となった者たちの家族が、墓碑を参ることも増えてきた。
街の桜並木も、付属高校の桜も咲いた。
もちろんカラトン神大学の桜も。
その際にも問題が生じた。
街の大通りに店を構えるヒトビト、学校関係者が桜の伐採を主張したのだ。
死者の男がテナ神殿だけでコトを済ませたとは考えられない。
そう、彼らは市政に訴え出たのだ。
市政は桜の樹の下を掘り返し、同様の被害者がいないか調査することを決定した。
しかし、光明神殿の迅速な対応によりそれだけは阻止された。
ことに関して、少女の仲間たちが奔走してくれたことには、私は感謝しなければならないだろう。
ただ、テナ神殿の壁の外に小さな芽が出ていることは、ダレも知らない。
もうひとつ、蛇足承知で説明を加えよう。
彼らの扱った楽器は神殿に奉納されている。
リラは生命神テナ神殿、ボンゴとオカリナは和神フィース・ラホブ神殿、マラカスは光明神ラ・ザ・フォー神殿、それぞれ聖別された宝物殿に収められた。
なぜならば、それらが冥界の住人を使役するための魔道具だと言うことが判明したからだ。
「武器オタク」と呼ばれていた女子学生が、実はその楽器の存在と出所を知っていた。
一年間大学生活を一緒に過ごした友達。
そんな身近なところに答えがあったことに、五人がそろって疲れきった顔でうなだれていたのには、私もつい笑ってしまったが。
唯一、カリンバだけはいまだ所有者の少女の手の中にある。
彼女がパパと呼びかけると、きちんとした返答が聞かれた。
ゆえに神殿の管理下におくことを避けたかたちだ。
あと、数日もすれば私は花を散らすだろう。
それまでにどれだけの笑顔を見ることができるだろう。
そして、季節が巡った後私を見上げてくれるヒトがどれだけいるだろう。
それを思うと少しだけ淋しくなる。
花風よ。
まだ吹かないでもらえぬだろうか。
散りゆく前に、もう少しだけ彼らの想いに寄り添わせてくれないだろうか。
せめて、私を街に残した五人の男女。
彼らが大学のキャンパスにそろうまで。
満開に咲き誇る私の下に集う彼らを望んでみたいのだ。
ありがとう。
神殿の玄関が開いた。
黒髪の少女が墓碑に手を合わせ、門を出た。
ピンク頭の少女が道端で木製の箱に何か怒鳴っている。
先輩、お待たせしました、黒髪の少女がピンク頭に駆け寄った。
歩き始めた二人の背後から、待ってください、と少女の声が聞こえてきた。
息を切らせながら黒髪にしがみつく茶髪の少女は今年大学に入学した。
授業のこと、本のこと、音楽のこと、恋愛のこと、
それから隣町に暮らす親友のこと、彼女らの話は尽きない。
大学の桜咲くキャンパス。
掲示板のところにこげ茶色の長髪と黒の短髪の二人の少年がいた。
茶髪の少年が三人の少女に気づき、手招いた。
黒髪の少女が黒髪の少年を見つめた。
少年は優しく微笑み返した。
そして、頭上を仰ぎ見る。四人もそれに倣う。
「きれいだね。」
桜で名の知れた大学で、ことさら美しく咲き誇る桜の樹がある。
それが私だ。
私には、大人になりかけた少年少女たちを見守る義務がある。
彼らが未来を、明日を、夢を、やさしさを、見失わないように私は美しく咲き誇る。




