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桜の樹の物語  作者: kim
13/14

三月

五人の春の物語・桜の蕾の下で


ヘシアン・ヴィクセン

大学一年・三月 


 僕は一年自分に偽らずに、他人に偽らずに生きてこれたのだろうか。


 大学のキャンパスにもまた春が訪れる。

 まだ、月も明けていないというのに、つまりは年度もあけてないというのに、気の早いサークル案内が張られていた。

 春休み前の授業の休講の連絡や、晒し者にされた卒論未提出者の一覧やらも雑多と張られていた。

 桜の樹の下にある掲示板の前。

 もう幾日かすれば、新入生の希望に満ちた笑い声で満たされるだろう。

 が、今は閑散としている。

「去年より、花が咲くの早いかもな。」

 見上げた桜の樹。

 蕾がほころんでいる。


 日当たりのいいここの桜は咲き始めが一番早い。

 そして、儚い桜のイメージと異なり、かなり長く花をつける。

 萌黄の葉とややのっぺりした薄茶の樹にピンクにほころぶ蕾を認めて、自然と笑みを浮かべた。

 風が優しく枝葉を撫ぜるたび、桜色の唇がくすくすと笑っているように見えた。

 それは、過去に囚われるニンゲンにうら寂しい喜びを連れてきた。


「またお悩み事ですかねl」

 気配を察すことができなかった。

 桜の樹から目線を隣に移した。やたらと派手な女の子が、俺と同じ姿勢で桜を眺めていた。

「久しぶり。

 って言っても、三週間くらいだけどね。」

 桜色の口元がわずかに緩んだ。

 パッツンに切り揃えられた前髪のショートボムはどピンク。ピンクマッシュルームはおいしくなさそうだ。ライナーで縁取りされた目元も桜色。

 格好はあまり昔と変わっていない。サイズの合っていない長袖Tシャツから覗く黒のタンクトップとホットパンツが彼女のお気に入りらしい。今日はホットパンツの中に黒薔薇のレギンス、ツッカケサンダルをはいていた。

「春休み中は? いつもみたいにどっかで歌ってたの?」

「まぁね。本職も趣味も満喫させてもらってたわ。」


 シータは子供のころから、二種類の歌を続けている。

 一つは路上ライブを主とした歌。

 もう一つは語り部としての詩。

 前者はギターをかき鳴らす喜劇じみた抒情詩。

 後者はカリンバという民族楽器を爪弾く悲劇を語る叙事詩。

「本職が吟遊詩人のほうだっけか?」

「いまさらそんなたわごと言うのはこの口かぁ!」

 ほっぺたを思いっきりひっぱられ、僕は悲鳴を上げる。

 正直、彼女自身は趣味と言い切る前者のほうが似合うと思う。

 しかし、後者の語り部、もしくは吟遊詩人と呼ばれる職業を本職と宣言するには、その外見を見るに違和感を感じ得ない。

 ギターをかき鳴らす姿は想像できても、朗々と悲劇を歌い上げる吟遊詩人の姿はいまだ想像できないのだ。

 とかく派手だから。


「お父さんはどうなったの?」

「パパねぇ…」

 歯切れが悪い。

 答えが想像できた。

 シータの傍らには、いつもギターと木製の箱が置いてあった。

 木箱がカリンバ。

 縦20cm、横10c、厚さ5cmの直方体の箱に上に向かって緩やかに反り返った長さの違う鉄ベラが五本留めてある。

 吟遊詩人モードの彼女は、そのカリンバを弾くことで微妙な音色を奏でるのだ。

 カリンバにはもう一つ秘密があるのだが、この平和な時代には無用なので、友人や後輩にも説明していない。

 彼女はそう言っていた。

 だから、僕もダレにも話していない。唯一の親友にも。


「平和な日常をちゃんと送れてんのか?」

「って思ってたんだけどね。」

 平和な時代は、平和なりに事件が起こるのだ。表面化していないだけ。

 シータはそう淋しげに笑んだ。

 一緒に闘ってやりたい。

 それ以上にホントは、彼女が大鎌ををふるわずにすむ社会になるようになってほしい。

 でも、いくら神に祈っても、そんな社会は訪れないのだろう。

「正直ダレを信じていいのか、私にはわからないわ。」

「だから、僕らを信じればいいんでしょ。」

 言ってあげられるのはせいぜいそんな気休めくらいだ。


 僕の知らないところで彼女も自分を取り巻く世界と戦ってきているのだろう。

 根掘り葉掘り訊くわけにもいかないから、せめてグチりたいようにグチらせることしかできないのがもどかしい。

「まぁ、愚痴る場所があるだけ私は幸せなんだと思うよ。」

 去り行く友人の荷物を少しでも多く、少しでも長く持ってあげられれば、ともう一度桜を仰いだ。


シータス・ミアロート

大学一年・三月 


 私は幾度も転生を繰り返している。


 もうすでに正確な回数は忘れた。

 いつ生まれたのかも忘れた。

 いつ両親が死んだのかも忘れた。


 それなのに語るべき歌を忘却することはなかった。きちんとしたメロディを奏でることができないカリンバの微妙な爪弾きの方法も惑うことはない。

 私の歌う昔語りははるか昔に実際に起こった悲劇の歴史だ。

 かたや、心のバランスをとるかのように今と未来を奏でるギターは、思い描く歌を歌えているとは言えない。

 だから、私自身を救ってはくれない。


 仰ぎ見る桜の蕾は、そんな私自身だ。

 美しく咲けるはずの自分自身を夢見て、いや心待ちにして、今か今かと力をためていた。

「珍しいな。

 花の下で泣いてるお前を見るのは初めてだ。」

 無遠慮に声をかけられた。

 言葉の通り確かに私は泣いていた。

 隣を見て、涙が頬を伝うのを感じて、初めて気づいた。

「一応さ、見て見ぬフリをするのも優しさじゃないの?」

 心にもない皮肉を返す。

 涙目で、頭一つ分以上も上にある男の顔を睨みつけた。

「それは悪かったな。

 感傷に浸ってたのか?

 それとも淋しかったのか?」

「コナのバカ。鈍感。朴念仁。」

 コーノス・ウェイテラ、コナは私の悪口攻撃を黙って受け止めていた。

 彼が正直な分、私も彼には本音で話す。悪口が先にでてしまう私のことを、彼は理解してくれている。

 理解は自分勝手な言い草だ。

 諦めか我慢のはずだ。


「髪切ったの?」

「少しでも伸びると気になってしょうがない。クセっ毛だからな。」

 固めの黒灰の髪はいつも、ハリネズミのようにツンツンしている。

 ハリネズミよりも短いな。頭の両脇も短く刈上げている。

 大きな足に無骨なエンジニアブーツを履いてしっかり地面を踏みしめて。背が大きくて、体つきもがっちりしてて。色も浅黒くて。ホント、男らしい男だ。

 こげ茶色のライダースジャケットのポケットに手を突っ込んだ。

 もう片方の手で、適度に穿きこんだジーンズから、似合わないキャラもののハンカチを差し出された。

「ありがと。コナは紳士だね。」

「それは得意の皮肉か?」

「本音。」

 ごつごつした手が私の頬に触れた。ハンカチでそっとぬぐわれた。

「化粧落ちる。」

「泣いた段階でアウトだろ。」

 二人で笑った。

 一ヶ月ぶりに会ったけど、とても自然だ。


 笑いながらふと思った。

 ほぼ一年友人として過ごしてきたが、こんな傍で彼を見上げたのは初めてのことかもしれない。

 にしても、いいヒトだな、とつくづく思う。


「ブラスバンドのほうはどうなの?」

「ぼちぼち。今は新入生の勧誘のために必死に練習中だ。」

 それこそ武道でもしてそうな体格なのに、小中高そして大学までずっと吹奏楽部だ。

 しかもフルート。腕前はおりがみ付き。

 なにせ、彼の実家である和神フィース・ラホブ神殿でソロの定期演奏会が開かれるほどなのだから。

 数度、その演奏会を見学に行ったことがある。

 無骨に見えるコナの指先が金属製の横笛の上を滑らかに動くたびに、儚い高音の旋律が奏でられる。

 同じ音楽を生業とする私が、鳥肌の立つ思いをしたのは彼のフルートだけだ。

「定期演奏会では、今もオカリナもやってんの?」

「もちろん。」

 コナはそう言って、ライダースジャケットのジッパーを半分ぐらいおろした。

 胸元にぶら下がっている陶器笛。首を切られた小鳥みたいなの。

 表現としてどうかと思うが、一番シックリくるのでついそのように説明してしまう。

 当然コナはいやな顔をする。すぐに苦笑いになるけど。

 ガタイのいいコナがオカリナをくわえるとホントに小さく見える。

「やっぱ、小鳥食べてるみたい。」

 ゲシリとグーで殴られた。

「今度、俺のトコでセッションしような。約束だぞ。」

 笑顔で片手を挙げた。

 私もそれに習って小さく片手を挙げた。


 桜色の景色に大きな体が消え行く幻。

 私は彼の幸せを祈る。

 正直で真直ぐなヒトが本当の幸せを手に入れて欲しいから。


コーノス・ウェイテラ

大学一年・三月


 大学の最初の一年間で学んだこと。それは自分自身に自信を持つこと。


 それがたとえ、メッキだとしてもハッタリだとしても、だ。

 理想の自分にはまだまだはるか遠いとしても、自分自身の成長を信じる術を友人たちは教えてくれた。

 真面目という評価も、無神経という評価も、バカ正直という評価も、おそらくただしいのだと思う。

 あくまで評価は他人が下すものだ。

 自己評価とのギャップに悩むこともあった。昔の自分なら、自他のギャップに苛立つだけだっただろう。


 しかし、この一年でギャップを埋める努力と方法があることを学んだ。

「やっぱり先輩変わりました。」

 ルビが言った。

 顔がずいぶんと近い位置にあったから背が伸びたのかと思ったら、やたらヒールの高いブーツを履いていた。

 去年だったら無神経にからかって怒られただろうとそんな苦笑い。


 二人並んで今にも咲かんとする桜を見上げていた。

 受験のプレッシャーから開放されたからなのか、逢うたび笑顔が増えていた。


 ルビ、ルービスは生命神テナの神殿長だ。

 去年の冬、彼女は唯一の肉親である父親を亡くした。自殺とも他殺とも言われている。

 その精神的な負担から立ち上がる気力も戻らないまま、彼女は神殿長の地位につかざる得なかった。

 俺より一つ下という年齢で神殿一つを回すということが、どれだけ大変なことか俺には想像できない。


「信じられる友人がいるからな。」

「そういうセリフなんかを照れナシで言い切れる辺りは、ぜんぜん変わりませんけどね。」

 そう言って、またクスクス笑う。


 本当によく笑うようになった。


 コンプレックスだと言ってた黒ぶち眼鏡も、脱色も染色も意味を成さない頑固で真直ぐな黒髪も、自信を取り戻したかのように元気に揺れる。

 いつもなら伏し目がちの視線も真直ぐ桜の蕾と青空を見つめていた。

 すらりとした鼻梁の下にある小さな唇が吐息を漏らす。

「急に大人っぽくなったな。」

「はぁ?

 先輩の口からそんなセリフ聞けるとは思いませんでした。」

「ったく…ルビの中の俺は一体どんな男なんだよ。」

 言ってる傍からいちいち過去と比べる幼馴染にうんざりする。


 いや、俺も似たり寄ったりか。

 さすがに声には出さないが、正直きれいになったなと彼女の変化に戸惑っているのだから。

「微妙にゴスが入ってるのは、シータの影響なのか?」

「うわ。先輩それなしでしょ。」

 赤面症は変化ナシ。少しだけ安堵する。

「でも、それは半分当たりです。」

「半分?」

「フリルつきの黒ワンピは結構昔から持ってたんですけど、なかなか着る勇気がなくて。」

 膝丈のワンピースが春風に揺らめいた。

 一緒に、シルクハットの形をしたアクセサリーを乗せた長い黒髪もふわりと揺れていた。

「その格好でオルガン弾いたらかっこいいな。」

「でしょ!

 それシータ先輩にも言われたんですよ。」


 ルビは俺の高校のときの部活の後輩だ。で、今はヘスやシータのことも先輩と呼ぶ。

 おそらく大学でも楽団サークルに所属するのだろう。オルガンだけでなく、ハープもできるから、宗教音楽の講義も履修するのかな。

「もう少し小悪魔ファッションもできるんですよ。

 それにあの竪琴持ったら、ホントに地獄からの使者でした。」

「ハープを爪弾く小悪魔か。すでにコスプレの域だな。」

「あ、コスプレもありですね。

 ヘス先輩もコナ先輩もブラックスーツにシルクハットで行きません?」

 と自分で言っておいて表情を曇らせた。

 俺らのコスプレを想像して、ではないようだ。おそらく生命神殿に住みつく悪霊と同じ格好だからだ。

「そういえば、あの竪琴ってリラって言うらしいですよ。」

 自分から話題を変えた。

 だから、それ以上問い詰めも、フォローもするのをやめた。

「あの動物の顔に見える竪琴か?」

 そういえば、全員集合したときそんなこと言っていたな。

 俺は別ネタに頭がパンク寸前だったから、あまり聞いてなかったが。


「よし。あいつら誘って新歓やるか。

 そういえば去年オープンキャンパスの時にあったやつらも、ルビの歓迎会したいだの言ってたぞ。」

「マジっすか!

 嬉しいです。喜んで歓迎されます。」

 満面の笑み。

 しかし、どこか翳のあるその笑みに胸を痛める。いつかルビが心の奥底から笑って欲しいと思う。


 サクラ咲く。心の奥底から言葉にできるように。



ルービス

高校三年・三月 


 大学一年生。その言葉は、わたしを自由にしてくれる気がしていた。


 先に入学したコナ先輩とその友達みんなが自由で、オトナで、でもどこかコドモで、ダレかの上でも下でもなく、争うのではなく助け合っていて。

 私の十八年にはついぞ存在しなかったすべてがあると信じてた。


 変わろう。


 外見はこのままで、でも内面は違うニンゲンになろう。

 いや、今まで心の奥底に住み続けていた自分を解放するんだ。

 生命神の神官であるであることを捨てるつもりはない。

 ただ、生命神官だからこういうニンゲンでなければならない、ではなく、ルービスというニンゲンだからこういうニンゲンでなければならない。

 そう信じて生きてみよう。

 そのために、まず頭を上げよう。

 きちんと空を見て、前を見て、周りを見て歩こう。

 好きな服を着て、好きな音楽をやって、好きな本を読んで、好きなお話を書いていこう。


「ずいぶん気合入ってますね。」

 見られた。顔が一気にほてった。

 桜の蕾を眺めつつ、コブシを握り締めた格好のまま、目線だけ横に向けた。

 そうだよね。

 わたしが誘ったんだもの。

「そのゲンコツはダレかを殴るためなんですか?」

「うん。わたしの人生最大の秘密を覗き見たペシタを殴って、記憶を飛ばそうかと思ってるの。」

「公共の場で堂々とやっておいて、それはないですよ。」

 ケラケラと笑う少女にわたしも微笑みかけた。


 高校のラスト一年を支えてくれたのは、この少女だ。

 ピェシータ・ウェイテラ。愛称ペシタ。

 小動物のように小さな体とくりくりした瞳。鼻も口も耳もすべて円で描けそうな女の子らしい女の子。

 デニムのミニスカにピンクのレギンス。薄桃のモヘアコートなんて着てるから、ぎゅっと抱きしめてモフモフしたくなる。

 ダレにでも愛される容姿と性格は、わたしの憧れだった。

 そのわりに警戒心が強いあたりも小動物だ。


「またカレシと別れたんだって?」

「ありゃ。情報早いですね。」

「あなたの情報をリークするのは、常に身内よ。」

 あのバカ兄、と唇をかわいくとんがらす。

 ちょうど真上で咲きかけてる桜の蕾みたいだ。

 その唇が発するマシンガントークが得意技。

 攻撃と防御が一体化したトークは、これまたわたしの憧れだった。

 高校の吹奏楽部では常に、口下手なわたしのフォローをしてくれていた。


「にしても、こないだ久しぶりにコナ先輩に会ったけど、ホント変わったなと思った。」

「そうですか?

 あんま変わんないですよ。」

 ズバリと切り捨てるペシタに苦笑してしまう。

「あれぇ?

 もしかしたらルビ先輩、ウチの兄に惚れちゃいました?」

「ないない。好きだけど、惚れたはれたの対象外です。」

 これはホントの事。

 さすがに距離が近すぎて、恋愛対象になりえない。

 でも、きっとコナ先輩がダレかと付き合うことになったら、嫉妬すんだろうなということは自覚している。

 ペシタに言うとめんどくさいから言わない。


「で、新部長、調子はどう?」

「まだ、学校始まってないんで、何とも言えません。

 でも、まぁ、前二年間の部長様の神通力がありますので、不安はありません。」

「コナ先輩はさておき、わたしはそんなに偉い部長じゃなかったわよ。」

 そんなご謙遜を、なんてチャカすペシタの後ろ頭を叩く。

 半ば金髪に近い茶色頭を大げさに抱えたから、さらに追い討ちをかけた。

 緩やかにウェーブのかかったミディアムロングの髪をぐしゃぐしゃとかき回して、幾分肉付きのいいちっちゃな肢体をホントに抱きしめた。

 二人とも背の高いミュールだから思いっきりバランスを崩して、その場にしりもちをついてしまう。

「あたしはそんな趣味ないです。」

「わたしもないです。」


 わたしの腕を引き剥がそうとするペシタの腕はたくましい。

 何ビートだろうが、お構いなくドラムを叩き続けることができる筋肉が、わたしの腕をこじ開けた。

「ボンゴのほうもやってるの?」

「やってますよ。

 秋に誘われた発表会、あたし諦めてませんからね。」

 そうね。と答えておきながら、少しだけ気が重くなった。

 原因は決して、彼女らとのセッション自体ではない。絶対に絡んでくるだろうウチの神殿に住み着くオトコが原因だ。

「そんな暗い顔しない!」

 わたしは弾かれるように頭を上げた。

 ペシタと目が合うと、ニコリと微笑んだ。


 この娘はホント強いなと思う。


「今日は大学キャンパスまで付き合ってくれてありがとね。」

「いえいえ。

 来年はあたしもここに立ってるはずですから。

 下見です。」

 二人でもう一度、今にも咲かんとする桜の蕾を見上げた。

 いつもわたしを励ましてくれる少女を、今度はわたしが支えてあげられるようになろう。


 わたしはいまだ蕾だ。でも、いつか咲こう。彼女を励ませるようになろう。


ピェシータ・ウェイテラ

高校二年・三月 


 兄や隣の神殿の先輩と比較したら明らかに見劣りする。


 勉強の成績は中の上。

 この二年間、一般受験にならないぎりぎりのラインを綱渡りしている。

 先生も親も周りの友達も部活のメンバーも、みんな優等生二人とあたしのことを比較する。

 そんなのはあたし自身が一番知っている。


 あたしはあたし。


 そう自分に言い聞かせるけど、やっぱりふと自信を喪失することがある。

 そして、あたしのどす黒いナニカが心を支配するのだ。

「兄や先輩が、あたしの前から消えてしまえばいいのに…」

 邪魔くさい。

 恨めしい。

 憎い。

 なのに、生真面目すぎておもしろくなくて、融通も気も利かない兄も、根暗で、自意識過剰で、被害妄想的なルビ先輩も、そんな二人を崇め奉るウチの両親も部活やクラスの友達も、あたしは嫌いになれない。

 羨ましい。

 あたしは兄もルビ先輩も大好きなのだ。


「だから、笑顔と愛想の防護服で固めてると。」

 あたしはビクリと体を震わせた。

 二人が今日、ここにいないことは確認済みだ。

 だからこそ、兄が一年過ごした、そしてルビ先輩がこれから過ごす大学のキャンパスをこっそりと訪れたんだ。

「ヘスさん…」

「ごめんね。

 声かけづらいな、とは思ったんだけど、つい。」

 あたしの横には数少ない兄の親友というヘシアン・ヴィクセンさんが立っていた。

 ずっと一緒に立っていたかのように、自然に。


 あたしとおんなじように、桜の蕾を眺めていた。

「ごぶさたしてます。」

「うん。ごぶさた。」

「あ、えっと…」

 言葉が出ない。

 突然話しかけられて動揺してるのかな。

 それとも、見てからにカッコいいメガネ男子に緊張しているのかな。


 ヘスさんは、兄以上に完璧超人だ。

 成績もさておき、家柄もすごい。

 王国主神である光明神ラ・ザ・フォーの神官で、しかも現神官長、いや光明神殿では大司教、のお孫さんで、つまりは次期大司教様。

 大学でもみんなの人気者で、中学の頃に体制の腐敗を正そうとクーデターを起こしたくらい正義の心を持っていて、統率力に優れてて。

 いつもお高そうなスーツを着てるオシャレさん。今日はルリ色のジャケットにエンジ色のタートルネック、ブルーデニムのブーツカット、スエード着荷ブーツですか。

 いやはやさわやかっすね。

 ヤバイ。表現が陳腐だ。


「えっと、ヘスさん…」

 無言で桜の樹を見つめる横顔を目の端っこに捉えながら、しどろもどろに声を発する。

 耳が隠れるくらいの髪の色は、優しい茶色。色が抜けて軽いのじゃなく、土や幹を思わせる複雑で生命力に満ち溢れた色だ。

 風になびくたびに髪の毛と、鈍いモスグリーンのメガネが昼下がりの陽光にキラキラと輝いてる。少し切れ長の目も、すっと伸びた鼻筋も、しっとりした唇も、その辺をすれ違う女性よりきれいだ。

「あの…」

「んー、沈黙苦手?」

 ヘスさんはそう言ってあたしを向いた。

 ちっちゃなあたしは彼を見上げるようになる。

 苦笑いがこのヒトの通常の顔だと兄が言っていたことを思い出した。

 穏やかな微笑のときは警戒されてると思わなければならない。

 めんどくさいヤツだ。

 そんなことをぼやいてた。


「ご迷惑でなければ。」

 ポンと何か放られた。

 慌てて両手でキャッチしたそれは、オレンジ味の缶ジュース。

「ナイスキャッチ。」

「ありがとうございます。

 あの、これいただいていいんですか?」

「キャッチボールするために投げたわけじゃないからね。

 どうぞ。」

 軽く会釈していただいた。

 思った以上に喉が渇いていたみたい。

 半分くらい一気飲みするあたしを、ヘスさんは楽しそうに見ていた。

 左手にブラックの缶コーヒー、右手にメンソールのタバコを気だるげにぶら下げて。

「ここで遭えたのは偶然ですか?」

 ようやくまともなセリフが話せた。

「いや、コナから聞いた。

 あいつ、ホント過保護だよな。妹の行き先、全部把握してんのかよ。」

「マジですか! あのバカ兄!」

 あたしは恥ずかしくなって、毎度ながら悪口が先に出た。

 また、ヘスさんが苦笑した。


「秋の約束覚えてる?」

「発表会の話ですか?

 あの約束ってまだ有効なんですか?

 あたし、楽しみにしてんです。

 ティンパニもボンゴもすごく練習してますよ。兄も、ルビ先輩もシータさんも演奏の腕はプロ級ですもんね。置いてかれないようにしなきゃ。

 そういえば、ディルさん元気ですか?

 マラカスって結構振るタイミング難しいんですよ。

 ヘスさん、歌詞ってできあがったんですか?」

 よし。いつもの調子を取り戻した。


 あれ?


 なのに会話が続かない。

 コーヒーを一口、タバコを二吸い。

 ようやく、答える。

「マジメだねぇ。

 ディルも僕ものんびり屋だから、まだやってないよ。」

「え? だったら…」

「うん。

 でも、月明けたら計画実行するよ。

 ディルはどうせ感性でしか音楽しないし、僕は追い詰めらんないと仕上げないし。」

 うわ。完璧超人はさすが違うな。

「こんなだから、コナとシータに、コトあるごとに叱られるんだよな。」

 兄がヘスさんを叱る情景なんて想像できない。

 でも、そうか。才能で生きてるヒトに、努力のヒトがイラつく構図かな。

「コナには毎度フォロー入れてもらってんだ。

 今度妹さんから伝えてよ。僕がどんなに感謝の言葉を述べても信じてくんないからさ。」

「フォローって…あの兄が?

 ヘスさんに?」

 思わず口にしてしまった疑問に先輩の表情がわずかに曇った。


 苦笑というか、自嘲気味の笑みに変わった。

 気のせいだろうか。


「僕はウソツキだからね。

 あ、約束を破るとかじゃないよ。感情がその場しのぎなんだって。

 その場に適した感情を表現するのが上手いらしい。」

「そんなのフツウじゃないですか?」

「ある距離まではね。

 でも、それ以上は他人を受け付けないんだと。」


 あたしとおんなじだ。

 あたしと一緒でこのヒトも孤独なんだ。


「淋しいですね、それ。

 部屋で独りっきりでいるより、大勢の中の孤独ってすごくツライですよね。」

「だね。」

 記憶が蘇る。

 去年の春。

 この桜の樹の下で、淋しそうに立ち尽くす男のヒトがいた。

 あれはやっぱりヘスさんだったんだ。


「そうそう。ペシタが書いたの読んだよ。

 おもしろかった。ホントのキミがそこにいる気がした。」

 顔が赤らんだ。何も言えずにうつむいた。

「来年楽しみだよ。一緒に夢見よう。

 で、その前に僕の仲間たちと発表会を成功させよう。

 ダメ?」

 あたしは全力でダメじゃないと首をふった。


 あたしは初めてヒトを好きになった。


 恋愛ってカテゴリじゃなくニンゲンってカテゴリで。

 その後姿は、あたしのコンプレックスの裏返しであり、でも憧れ目指す夢の裏返しにもなった。

「がんばろうね。」


 蕾は鎧じゃない。いつか美しく咲くための糧だ。

 あたしもヘスさんも、兄も、ルビ先輩、シータさん、ディルさんも。

 みんな美しく咲くために力をためている。


 できれば、みんなでいっせいに咲き誇りたい。



桜の精の物語

三月 


 この物語の主人公は五人。

 まず、光明神ラ・ザ・フォー神官ヘスとその友達のシータ。そして、和神フィース・ラホブ神官コナとペシタ。最後に生命神テナ神官ルビ。


 舞台は王国カラトン神大学。宗教都市カラトンは多神教である王国で信仰される全ての神殿が立ち並んでいる。その神官らを育成する場がカラトン神大学である。キャンパスの大聖堂前に学生に対する連絡事項が張り出された掲示板がある。


 その裏から枝葉を繁らす桜の樹が、私だ。


 もう一つの舞台は同カラトン市西部郊外にある生命神テナ神殿。英雄墓地の一角に建立された神殿にも大きな桜の樹がある。


 それも私だ。そして、大学付属高校、市内大通りの桜並木。精霊である私は、個を持たない。故に、あらゆる桜は同一だ。


 その二つの舞台で、彼らは時に笑い、時に泣き、時に怒り、疑い、信じ、頼り、依存され、惑い、お互いの関係をよりよいものにしようと努力を続けていた。


 しかし、時代や環境や社会というものは、一人ひとりのニンゲンの想いや努力を時に無にする。残酷なまでに。ナニかに、ダレかに関わることは傷つくことで、傷つけるものなのだ。


 独り涙を零すニンゲンを見ると、感情が希薄な我々精霊でも、憐れに思うこともある。しかし、どんなに傷ついたとしても、結果悪い思いにとらわれたとしても、私は彼らが愛おしい。そして、羨ましいのだ。怒りに私の幹に拳を叩きつけたとしても、泣きながら何度も何度も殴りつけたとしても、私は愛おしく、羨ましいのだ。


 私には見守ることしかできない。成長、変化、関係性、彼らに関わるヒトビトも含めて。彼らを慰めることも、一緒に笑い泣くことも、怒りを共有することもできない。


 だから、せめて私を見上げ癒されて欲しい。どんなに傷ついても、私は変わらず見守っているから。

 時代も社会もヒトビトも変わっていく。それは真実だ。しかし、私は変わらない。種が長い年月をかけて樹となり、蕾をつけ花を咲かせ、散ってもいずれまた花を咲かせる。それも真実であることを信じて欲しい。


 だから、私は咲き続ける。彼らに変わらぬ真実があることを伝えるため。桜色の永遠を信じて欲しい。


 傷ついた彼らがまた次の一歩踏み出せるように、私は咲き続けるから。


 物語は結末へ。

 ヘシアン・ヴィクセン、シータス・ミアロート、コーノス・ウェイテラの三人がカラトン神大学二年。ピェシータ・ウェイテラが付属高校三年。物語の中心となるルービスが大学の一年生となった。

 では、最後の物語を語ろう。

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