74レイテ沖海戦4(スリガオ海峡海戦)
「――貴様にはその、薄汚い雑木林がお似合いだな」
高雄港の薄暗い廊下。冷笑を浮かべて立ち塞がったのは、西村祥治の同期――かつては寝食を共にした旧友であり、今は遥か高みを行く者だった。
対する西村は、その侮蔑の視線を真っ向から受け止める。秋田の雪が育てた頑健な精神と、軍人としての愚直なまでの正義感。兵学校21番という秀才の証も五〇八事件という理不尽な逆風の前には、無力な飾りでしかなかった。
同期や後輩が権謀術数で階級を買い叩く中、西村はいまだに大佐という低い椅子に座らされている。だが、その瞳には屈辱よりも深い矜持があった。
「自分は水雷屋です」
男は短く、けれど鋼のように硬い声で応じた。
「松級駆逐艦は、自分には過ぎた道具です。あの艦は、転舵にコンマ数秒の狂いも生じさせない。・・・何も、不満はありません」
「ほう? 随分と慎ましいことだ」
西村が唇を歪める。その視線は、廊下の窓の先に停泊する巨大な威容――重巡洋艦最上を見ていた。
「俺の座上する、この最上よりもか?」
西村の拳が握りしめられる。 自分への侮辱は耐えられる。だが、急造艦というレッテルを貼られながらも懸命に海を行く松級を――自らの艦を下に見られたことだけは、許しがたかった。
「・・・自分は、責務を全うするだけです」
「そうか。ならばせいぜい、俺の乗る最上のために盾となって死んでくれるかな?」
男は西村の横を通り過ぎる際、その耳元で失笑を隠さずそう言った。
「できるよな? 駆逐艦一隻と、重巡一隻――天秤にかけるまでもない価値の差ぐらい、貴様のような秀才なら理解できるよな?」
「・・・・・・必要とあらば」
「期待しないで待っていてやるよ。敵艦の撃沈は、この俺が果たしてみせる。貴様はただ、泥水でも啜っていろ」
手をひらひらと振り、傲然と去っていく同期の背中。周囲の士官たちが、西村に同情と蔑みの入り混じった視線を投げかける。
だが、男は揺るがなかった。こんな扱いは日常茶飯事だ。組織に背を向けられようとも、彼にはまだ、信じるべき、自分の城がある。
松級駆逐艦、白菊。それは昭和恐慌への景気刺激策として、狂ったように建造された護衛艦百隻計画の末端に連なる一隻に過ぎない。
最高速力27.3ノットという鈍足、申し訳程度に据え付けられた12.7センチ単装速射砲一門。そして九二式四連装魚雷発射管、わずか一基。艦隊決戦の主役を張るにはあまりに非力。主力の重巡や戦艦からすれば、それは雑木林の名の通り、荒れ狂う海に無造作に投げ捨てる消耗品――安価な盾としての運命を約束された存在だった。
だが、秋田の雪に鍛えられた不器用な軍人、西村大佐は、その寂れた鉄の城を愛おしそうに見上げていた。
「西村様でございますか?」
不意に背後から、潮風には不釣り合いな甘い香りが漂った。振り返った西村の視界に飛び込んできたのは、軍港の喧騒には不似合いな、若い、美しい女性だった。
「これは・・・どちらのご令嬢ですか?」
無粋な自分でもわかる。仕立ての良いドレス、気品に満ちた立ち居振る舞い。間違いなく、この国の行く末を左右するような有力華族か、あるいは巨大な財閥に拘る方だろう。
「そんなことはどうでもよいのですわ」
令嬢は可憐に、けれど傲然と微笑んだ。
「私はただ、あなたにプレゼントを差し上げたいだけですわ」
「・・・プレゼント、ですか?」
西村は困惑した。世間はクリスマスやハロウィンといった異国の祭りに浮き立っているが、彼にとってそれは商魂逞しい資本家どもの悪癖に過ぎない。ましてや、昇進から取り残された不遇の大佐に、贈られるものなど何もないはずだった。
「我が社の新兵器を、西村様の艦――白菊に搭載しておきましたわ。実戦での評価を、後日伺いたいですの」
「民間の方でしたか・・・。新兵器を、この白菊に?」
西村の心臓が、主機の振動にも似た鼓動を打つ。誰もが白菊を使い捨てと見なし、自分を時流に取り残された大佐と蔑む中で、この女性は違う。彼女は、この小さな駆逐艦を、そして自分という軍人を、明確な意志を持って選んでくれたのだ。
「そうですわ。あなたになら託して、十分な結果を出していただけると信じておりますわ」
蔑まれることには慣れていた。期待されないことにもとうに諦めを付けていた。だが、正当に評価されることにだけは、西村は絶望的に不慣れだった。
不覚にも、熱いものが目頭に込み上げる。西村は直立不動の姿勢をとり、絞り出すような声で応えた。
「――ありがとうございます! 例えこの身に代えても、必ずやご期待に応えてご覧に入れます!」
それは軍人としての、そして一人の男としての、命を賭した誓いだった。しかし、その言葉を聞いた令嬢の表情が、刹那、深刻な影を帯びる。
「西村様・・・必ず、生きて帰ってきてくださいまし。死んでしまっては、データの回収も・・・その、評価も聞けませんでしょう?」
「えっ・・・」
西村は驚き、その場に固まった。 ただのリップサービスのつもりだった身に代えてという言葉に、これほどまでの重さで返されるとは。
「あ、ああ・・・失礼しました。軍人としての気概を申し上げたまでです。・・・はい。この白菊と、貴女に頂いた力。必ずや持ち帰ってご覧に入れます」
西村は深々と頭を下げた。傍らに立つ、茜と呼ばれた美しい女性にも一礼を送り、彼は自分の城へと向かう。
その背中を見送りながら、涼宮鷹尾は小さく溜息をつき、茜に耳打ちした。
「・・・茜、あの方、本当にお人好しですわね。あんなに喜ばれると、こちらが毒気を抜かれてしまいますわ」
「ふふ、お嬢様。だからこそ、あの白菊達に隠した魔法が、あの方を守る盾になります。・・・さあ、米軍の部隊に、最高にエキサイティングなサプライズを届けてさしあげましょう」
1942年2月、スリガオ海峡。 戦艦金剛を旗艦とする本隊の最後尾に、白菊の姿があった。
「――スリガオ海峡に突入する」
旗艦金剛から発せられた号令。それに従い、松級駆逐艦白菊は精鋭時雨の背後を追っていた。
「・・・不甲斐ないですね。最後尾だなんて」
若き士官の呟きに、西村は静かに目を細めた。
「仕方のないことさ。あちらは艦隊型の精鋭。速力27.3ノットの我らでは、35ノットの高速艦隊の歩調を乱す。前を任されないのは道理だ」
だが、と西村は言葉を継ぐ。その声は低く、地響きのように重い。
「・・・これより海峡に突入する。敵の数、装備の差は問うまでもない。本隊(金剛艦隊)の突入を助けるため、わが隊はここで全力を尽くし、敵を粉砕する。・・・各艦、死力を尽くせ。以上だ」
スリガオ海峡の出口には、米軍が築き上げた罠が待ち構えていた。魚雷艇39隻、駆逐艦28隻、重巡6隻、そして最後尾には8隻の戦艦が横一文字に並ぶ。偵察網の構築とレーダーを実用化した米軍にとって、暗闇を突進する金剛艦隊は、動く標的以外の何物でもなかった。
その時、本隊の重巡最上の艦橋では、およそ戦場に似つかわしくない醜悪な会話が交わされていた。
「司令官に伝えろ。西村の艦隊など置いていけとな」
薄ら笑いを浮かべて命じるのは、西村の同期である最上艦長だ。
「し、しかし艦長! ここで戦力を分散させるのは愚策です!」
副長が食い下がるが、艦長は聞き入れない。そこにあるのは軍事的な合理性ではなく、ただ一点――『実戦で手柄を立てそうな西村を遠ざけたい』という、腐った嫉妬心だけだった。
「黙れ! あんな雑木林の鈍足、足手まといだ!」
結局、司令部は甘言に乗り、白菊以下八隻の松級駆逐艦を戦力外として切り捨てた。本隊は速度を上げ、置き去りにされた白菊たちの姿は、夜の闇に溶けていった。
だが、傲慢の報いは早かった。
「敵魚雷艇群、肉薄!」
「はっ! 魚雷艇だと? 笑わせるな!」
最上艦長は高笑いした。金剛、榛名、最上、三隅――各艦に搭載された20mmガトリング砲CIWSが魚雷艇を次々と火達磨に変えていく。しかし、真の恐怖はその先にあった。
「電探に感! 敵駆逐艦、約二十以上! 左右海峡側面です!」
「なっ・・・馬鹿な! 全艦、回頭! 撤退だ!」
絶望的な数。艦長は一瞬で戦意を喪失した。
「艦長! 正気ですか!? 戦艦がこの水路で回頭など不可能だ! 旗艦を見捨てるおつもりか!」
「うるさい! こんな無謀な計画を立てた奴が悪いんだ! 上官の命令が聞けんのか!」
副長は呆れ果てた。だが、その一瞬の隙が致命的なミスを招く。
「三隅が接近・・・衝突しますッ!!」
凄まじい金属音が海峡に響き渡った。回頭の混乱により、後続の三隅が最上の脇腹へ突き刺さる。戦艦金剛の艦橋もまた、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
その狂乱を、凛烈な一喝が切り裂いた。
「――わが艦(白菊)はこれより、米部隊に突撃を敢行する!」
金剛艦隊の通信機から響いたのは、置き去りにされたはずの西村の声だった。
「本隊は混乱を立て直し、わが艦隊がこじ開けた穴を全力で駆け抜けられたし。・・・わが艦隊を信じて、行けッ!!」
衝突し、炎上し、魚雷艇との戦いで速度を落とした金剛艦隊を追い抜き、八隻の小さな影が前に出る。 涼宮財閥から授った魔法――電子兵装(ECM)と、更なる兵器を携えて雑木林と蔑まれた白菊たちが、死地に活路を開くべく加速した。
「・・・どこのお方か知らないお嬢様・・・。見ていてください。これが、貴方たちが信じてくれた白菊の力だ」
西村の瞳には目頭を熱くした感謝の光ではなく、敵を灰にする猛将の火が灯った。
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