73レイテ沖海戦3(シブヤン海海戦)
「全軍、突撃ッ!」
友永丈市大尉の号令が無線を切り裂いた。
空母飛龍から出撃した攻撃隊が、敵空母ホーネットの巨大な艦影を捉えた。
本来であれば、安全なアウトレンジから赤外線誘導爆弾を投下し、悠々と雲隠れするのが彼らの常だ。そうなれば、機体に一片の傷すら負うことはない。
だが、今の彼らの腹に抱かえているのは、赤外線誘導爆弾ではない――800kg通常陸用爆弾。
誘導装置もなければ、推進装置もない。この爆弾を必中に導くための手段は、今や九七艦攻の搭乗員の執念しかなかった。精度を極限まで引き上げるには、対空砲火の嵐の中、その真っ只中まで肉薄するしかない。
ドンッ、ドンッ!
重低音の衝撃が機体を叩く。下空から打ち上げられる対空砲弾が、黒い煙を空一面にぶちまける。
「適切な投弾地点まで直進」――。
それは爆撃機乗りにとって最も危険な時間。自由な回避運動は許されず、敵の対空砲火の中を突き進むような絶望的な緊張感が、友永隊の面々の肌を粟立たせた。
「12時方向、上部ッ! 来ます!」
悲鳴のような叫びと同時に、全周囲警報装置のアラートが狂ったように鳴り響いた。
「まだだ! あとわずかで敵艦上空だッ!」
自身を叱咤するように叫ぶ友永。その刹那、ドンッ!という鈍い衝撃が走った。発動機からドロリとした黒いオイルが噴き出し、風防を汚していく。
「対空射撃か!?」
「はっ! その模様です! ですが――後ろから迫る戦闘機も無視し得ません!」
「全機! 敵機接近、後方遠隔銃座で反撃せよッ!」
九七式艦攻の背中に鎮座する後部銃座。対艦攻撃では不要なはずのこの装備が、今、陸用爆弾を抱え時速250kmという、F4Fワイルドキャットに狙われ低速で進む彼らにとって、唯一の生命線となっていた。
「後ろ、つかれましたッ!」
「直ちに迎撃しろ!」
後部の7.7mm機銃が火を噴く。だが、そこには最新鋭の20mm機銃のような自動演算システムなど存在しない。ただ、迫り来る敵戦闘機に向かって弾丸をバラ撒いて接近を阻むのみ。
火線が空を編み上げる中、ついに敵からも凶弾が伸びる。
「投弾まで、あと二千ッ!」
「何とか・・・持ちこたえろ!」
死との境界線。回避行動を捨て、ただひたすら真っ直ぐに。F4Fの銃弾が、徐々に友永機の機体を削っていく。
「友永大尉! 敵艦まで一千、切りましたッ!」
「まだだ・・・まだ早い・・・!」
友永は歯を食いしばる。一秒でも長く、一メートルでも近く。その執念を嘲笑うかのように、逆さ落としの体勢からワイルドキャットが襲いかかった。
――ガンッ、ガンッ、ガンッ!
「右翼燃料タンク、被弾ッ!」
翼を打ち抜かれ、エンジンから黒煙が立ちのぼる。だが、友永のスロットルレバーは、さらに奥へと押し込まれた。
「構わんッ、突き進めぇッ!」
対空砲火の濃密なカーテンを突き破り、上空のワイルドキャットたちを振り払い、ついにその時が来た。
「全機! 機体引き起こし、緩降下爆撃開始ッ!」
友永が力強くレバーを引く。重力から解放された800kgの鉄塊が、ホーネットの甲板めがけて真っ逆さまに突き進む。
――任務完了。
だが、友永の愛機に、空へ舞い戻る力は残されていなかった。エンジンが激しく火を噴き、オイルが視界を完全に遮る。
「・・・連れて行くぞ」
友永は火だるまとなった機体を、ホーネットの艦橋へと向けた。米兵たちの絶叫が聞こえるほどの距離。激突寸前、友永機は対空砲弾の直撃を受け、空中でバラバラに砕け、海面に激突。巨大な水柱と火柱が上がった。
しかし。
彼が放った一撃はホーネットの艦橋へ、精確に命中した。
ドォォォォォォンッ!
巨大な火柱が天を突き、ホーネットは悲鳴を上げるように傾斜を始める。
空には、生き残った部下たちが、隊長機が消えた海面を見つめながら旋回していた。
帰還した彼らを迎えたのは、血の色の夕日に照らされた山口多聞少将だった。
壮絶な最期を告げられ、山口は静かに目を閉じる。そして、誰にも聞こえないほどの声で、決意を口にした。
「・・・友永。後から、俺も行くぞ」
その瞳には、すでに自分たちが向かうべき、もう一つの戦地が映っていた。
同時刻、空母エンタープライズ。
そこは、地獄を凝縮したような鉄と炎の坩堝と化していた。
「ジャップ共め! 正気か、奴らはクレイジーなのか!?」
悲鳴にも似た叫びが艦橋に響く。エンタープライズの飛行甲板には、巨大な大穴が口を開け、そこから黒煙が生き物のように噴き出している。僚艦サラトガもまた、至近弾多数、かろうじて戦闘力を維持している状態だった。
空から降り注ぐのは、死の爆弾。
その命中精度は、米軍の常識を遥かに超越していた。それもそのはず、日本軍の機体にはスバル製の射撃管制装置が搭載され、旧来の通常爆弾を魔弾へと変貌させていた。
飛来した九九式艦爆は、わずか24機。
だが、その内の4発が、全力回避中の空母のど真ん中を正確にブチ抜いた。対する日本側の損害は、わずかに3機。12機の零戦が、防空網に穴を開け、そこへ艦爆が滑り込む――。
さらに、原因不明のレーダー失明が重なり、米軍にとってそれは、目隠しで対峙する絶望的な奇襲となった。
「まだだ! まだサラトガが生きている! エンタープライズの残存機をすべて移せ! 第二次攻撃隊を直ちに編成するんだ!」
「閣下、無茶です! 第一次攻撃隊の生き残りは、もう数えるほどしか・・・!」
「たとえ10機でもいい! 叩き込めッ! 敵は日本軍の空母なんだぞ!」
叫ぶのはブル(雄牛)こと、ハルゼー提督。その顔は怒りと焦燥で赤黒く染まっている。
「ハルゼー提督! これは罠です! 我々はまんまと、このシブヤン海という袋小路に誘い込まれたのです! これ以上、この狭い海域に留まるのは自殺行為です! フィリピン外洋への撤退を進言しますッ!」
幕僚の決死の訴えを、ハルゼーは撥ね退けた。
「ならん! ジャップを殺せ、殺せ、もっと殺せッ! 撤退など断じて認めん! そうだ、フレッチャーの任務群はどうした? 奴らにも第二次攻撃隊を組織させろ!」
その時。
エンタープライズの通信機が、冷酷な事実を告げた。
「ハルゼー提督・・・フレッチャー提督は、ホーネットと共に戦死されました」
「・・・・・・何だと?」
凍りつく艦橋。流石のハルゼーも、一瞬だけ我に返ったように言葉を失った。
だが、追い打ちをかけるように次の電文が叩きつけられた。
「司令部、ニミッツ提督より入電――。
『第16任務部隊はどこにありや? 全世界は知らんと欲す』」
それは、ハルゼーのプライドを粉々に粉砕する最後の一撃だった。
ハルゼーはニミッツが提示した艦隊保全案を、臆病者の策だと一蹴し、このシブヤン海に侵入した。ニミッツは、不用意な突撃を厳禁していたのだ。
もし、慎重なフレッチャーが指揮を執っていたならば、この海域への侵入を躊躇っただろう。だが、神は上官であるハルゼーを選んでしまった。
さらにニミッツの元には、スリガオ海峡を突破しようとする日本軍の部隊――金剛級を擁する水上艦隊が、レイテ湾へ向けて北上中との報が入っていた。防御の薄い米護衛部隊は、巨大な戦力の日本軍を前に、絶望的な救援要請を送り続けていたのだ。
実は、この電文の後半部――『全世界は知らんと欲す』は、暗号解読を撹乱するための、ただの無意味な付け足し(パッド)に過ぎなかった。
しかし、受信した通信士は、あまりにも文脈が完璧だったために、それを司令長官からの痛烈な皮肉と誤認し、そのまま手渡してしまった。
「・・・・・・ぬ、う、うあああああッ!!」
電文を読み終えたハルゼーは、屈辱のあまり帽子を床に叩きつけ、獣のような咆哮を上げた。
全世界が見守る中で、『お前は何を遊んでいるんだ』と罵倒されたに等しい。
「ニミッツめ・・・! ジャップ共めッ!!」
怒り狂う雄牛の叫びは、燃え盛るエンタープライズの炎の中に虚しく消えていった。
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