第84話 港町編 ~海を照らす風~
『港町編 ~海を照らす風~』
俺の名はヤン。
港町エスパーダで三十年、漁師をやってる。
若い頃は命知らずで、沖合の岩場まで平気で網を張りに行ってたが、今じゃ孫に「じいじ」と呼ばれて竿を持たされる始末だ。
そんな俺が、初めて本気で「海が怖い」と思ったのは、つい先週のことだった。
魚の気配が消え、網には濁った海藻ばかり。
何より、親友のドランが船ごと帰ってこなかった。
ベテラン中のベテランだった。風読みも潮も読むやつが、突然ぷつりと消えた。
町の連中も次第に港から離れて、今じゃ港は死んだように静かだ。
「シードラゴンだってよ。もうこの町も終わりだな」
誰かが吐いたそんな言葉を、俺は否定できなかった。
そんな時、町の門に現れたのが、あの四人と一頭だった。
黒髪の青年。名はカール。
金髪の魔導士ふたり。気品あふれるセリアと、ちょっと気の強そうなリアナ。
それに、白銀のもふもふ。ルゥって名前のフェンリルの子らしい。
最初に声をかけられたときは、正直「どこの世間知らずの観光客だ」と思った。
「港の魚が食べたいんです。できれば生で。炙りでもいいですけど」
カールの目は本気だった。
だが、それ以上に本気だったのが、傍らの少女——エミリーゼだ。
「わらわはずっと楽しみにしてたのじゃ。港町で、獲れたての海の幸を食べるのだ!」
目を輝かせるその姿に、港の連中は言葉を失っていた。
この絶望の港で、魚の話を真剣にするやつがいるとは思わなかった。
「……無理だよ。海にゃシードラゴンが出てる。死にたいなら止めないけどな」
俺がそう言うと、カールは静かに笑ってこう言った。
「だったら、俺たちが倒します。それで、みんながまた魚を獲れるようになるなら」
その夜、俺の家では娘のリサが不安げな顔をしていた。
「お父さん……あの人たち、本当に海に出るの? 魔物がいるんだよ?」
「ああ、でもな……たまにいるんだ。無茶と正義を履き違えた連中が」
「でも……どこか安心してる顔してるよ、お父さん」
「……そりゃ、ちょっと、な」
息子のトムは、ルゥに夢中だった。
「もっふもふ! 連れて帰っていい?」なんて聞く始末だ。
「こら、ルゥは勇者さまのお連れだぞ。狼じゃねえんだ、フェンリル様だ」
ルゥが小さく「がう」と鳴いて、俺の膝に前足を乗せた時、妙に誇らしげな気持ちになった。
こいつ、やってくれるかもしれねえ。
翌朝、町の人間が見守る中、カールたちは小舟で沖へ出て行った。
誰一人、止める者はいなかった。ただ、黙って手を振った。
港から見える海の向こうで、波が割れた。
空が鳴り、雷が落ちた。
竜の咆哮と魔法の閃光。
その全てが、俺たちの胸に焼き付いた。
セリアとリアナの魔法は、まるで嵐そのもの。
風が巻き、海が躍った。
カールの剣が竜の喉元に食い込み、ルゥが咆哮して竜の動きを止める。
港にいた誰もが、声を飲んだ。
……その日の夕方。
「倒したぞー!!」
その叫びが上がった時、港は歓声に包まれた。
まるで、長い嵐が明けたように。
酒場では祝宴が開かれ、魚が戻ってくるという噂で町はざわついた。
娘のリサは泣いてた。
「よかった……これでトムの誕生日に魚を食べさせてあげられる……」ってな。
俺は家の裏の古い干物棚を久しぶりに磨いた。
これでまた、あの味を孫に教えられる。
三日後。
エミリーゼが港の小料理屋で、アジの塩焼きと刺身を口いっぱいに頬張っていた。
「んん〜〜〜〜! これよ、これっ!」
町の女将が苦笑いして言った。
「……あんたたちのおかげで、また包丁が握れるようになったよ。ありがとね」
カールが静かに笑い、セリアとリアナは礼を言って頭を下げた。
ルゥがトムの頭にぴょこんと前足を乗せて「がう」と鳴いた時、子どもたちの笑い声が町中に響いた。
その夜、俺は日記を開いた。
『今日の漁、豊漁。カールたちのおかげで、また海が笑ってる。
あの剣士と魔導士たち、そして小さな銀狼を、俺たちはずっと忘れない。』
この町の風は、あの日から変わったんだ。




