第67話 ティナのゆめ、およめさん
「ティナのゆめ、およめさん」
春の風がやさしく吹き抜ける午後。カール=キリトの邸宅の中庭では、今日も子狼ルゥが元気に駆けまわっていた。
「まってー! ルゥ、こっちだよー!」
その後を追いかけるのは、くるんとした栗色の髪を揺らす少女――ティナだ。まだ年端もいかぬ小さな体ながら、その瞳は誰よりも真剣で、無邪気な笑顔は庭いっぱいに広がる陽光よりもまぶしかった。
そんなティナが最近、胸の奥でふつふつと募らせているものがある。
それは――「けっこん」。
しかも、お相手はただの人ではない。
「……カールおじさんとけっこん、したいの」
ある日の夕暮れ。ティナは、夕食の支度をしている母・レーナにそう告げた。
「……え?」
じゃがいもをむいていたレーナの手が止まる。思わずそのまま固まってしまった。
「だって、カールおじさん、セリアおねえちゃんとけっこんするんでしょ? リアナおねえちゃんも、おひめさまも。いっぱいけっこんするなら、わたしもしてもいいよね?」
ティナは真剣だった。レーナは慌てて包丁を置いて、娘の前にしゃがみ込んだ。
「ティナ、気持ちはうれしいけど……まだ、ティナは小さいのよ?」
「うん。でも、すきなんだもん。カールおじさん、やさしいし、ルゥともあそんでくれるし……ティナのこと、だっこしてくれるもん!」
その瞳はきらきらと輝いていた。まるで宝石のように。レーナはそれを見て、思わず苦笑いを浮かべる。
「じゃあ……もっと大きくなったら、そのときにまたお話ししましょうね?」
「……うん。やくそくだよ」
ティナはしっかりと頷いた。
◇
数日後の午後。庭では、ルゥがカールとじゃれ合っていた。
「よしよし、ルゥ、おまえ元気だなあ。……ん?」
カールの前に、ちょこちょことティナがやってきた。両手を後ろに組みながら、なんだかもじもじしている。
「どうした、ティナ?」
「ねぇ、カールおじさん……」
ティナはきゅっと唇を結び、決意を込めた声で言った。
「わたし、カールおじさんとけっこんしたいの!」
「ぶっ……!」
思わず、カールはルゥに舐められていた顔を拭きながら、軽く咳き込んだ。
「け、けっこん? ……ティナ、どうしてまた急にそんなことを?」
「だって、おじさん、いっぱいけっこんするでしょ? セリアおねえちゃんも、おひめさまも、リアナおねえちゃんも。じゃあ、ティナも……いっしょに、カールおじさんとけっこんしたい!」
その言葉に、カールは優しく笑った。
「ありがとう、ティナ。そんなふうに言ってくれて、うれしいよ。でもね、結婚は、大人になってからするものなんだ」
「じゃあ、ティナ、おおきくなる! そしたら、けっこんしてくれる?」
ティナはまっすぐな目でそう言った。
「……そうだな。もっと大きくなって、素敵なお姉さんになったら。そのときに、また話そう。……約束だ」
カールはそう言って、ティナの頭をぽんと撫でた。
「うん! やくそくね!」
その光景を、テラスの椅子に座って見ていたリアナが紅茶を片手に肩をすくめた。
「……あらあら」
「リアナ?」
カールが顔を向けると、リアナは少し呆れたように、でもどこか温かい笑みを浮かべていた。
「幼くたって、あの娘も“女”なのよ? 油断してると、本当に将来、取られちゃうかもよ?」
「……いやいや、さすがにそれは」
「ふふっ。でも、あのまっすぐな想いは……うらやましいくらい。ね、カール?」
リアナの視線が、ほんの少し切なげに揺れる。だがそれもすぐに、からかうような笑顔に戻る。
「まぁ、どうなっても知らないから。責任、ちゃんと取ってね?」
カールは頭を掻きながら、苦笑した。
「なんだって巻き込まれるんだ、俺は……」
でも、そんな風にからかわれても、嫌ではない。
ティナの真っ直ぐな気持ちも、リアナの冗談めいた優しさも――彼にとっては、大切な「家族」の一部だった。
◇
その日の夜。眠る前、ティナはベッドの中で毛布を抱きしめながらつぶやいた。
「わたし、もっとおっきくなったら……カールおじさんのおよめさんになるんだ……」
月明かりの差し込む部屋に、少女の夢と願いが、そっと溶け込んでいった。




