第55話 新しいメイド、レーナの想い
『闇を裂く剣』―レーナの想い―
あの人の背中には、静かな強さがある。
初めて会ったときから、それは変わらなかった。鋼のように冷たいわけでもなく、威圧感を放つわけでもない。それでも、彼がそこに立っているだけで、安心できるのだ。まるで、荒れた風を遮ってくれる一本の大樹のように。
――カール様。
私たち母娘が、命からがら逃げ延びたあの森の中で、あの人に出会わなければ、きっと今頃ここにはいなかった。
ティナを背に庇い、震える指でナイフを握っていた私の前に現れた黒衣の剣士。剣を抜くことすらなく、迫ってきた魔獣を一閃で斬り伏せたその姿は、今でもはっきりと覚えている。
だけど、私が驚いたのはその後だった。
「怪我はないか?」
そう言って、すぐに手を差し伸べてくれたこと。
剣士というのはもっと無骨で、冷たいものだと思っていた。助けた後は無言で去っていくか、見返りを求めるのが常だと。けれどカール様は、まるでそれが当たり前のことのように、優しく微笑んでくれた。
あの微笑みを、私は忘れられない。
それから、私たちは一緒に旅をした。森を抜け、村を経て、ついにはこの王都ルメリアまで。そして今、こうして住み込みで家の仕事を任せてもらえるようになった。
夢みたいだ、と何度思ったかわからない。
でも、それは私だけじゃない。ティナもそうだ。あの子があんなに無邪気に笑えるようになったのは、カール様のおかげだ。
もちろん、彼は口数が多いわけじゃない。気さくに世間話をするタイプでもないし、感情をあらわにすることも滅多にない。けれど、言葉にしなくても伝わるものがある。疲れているのに誰よりも遅くまで訓練を続けたり、朝早くから買い出しに付き合ってくれたり。そんな日常のひとつひとつが、彼の優しさを教えてくれる。
……時々、思うのだ。あの人は、どれだけ孤独な道を歩いてきたのだろう、と。
夜、食後の片付けを終えてリビングを覗くと、ティナに絵本を読み聞かせるカール様の姿が見える。膝に乗ったティナの頭をそっと撫でる仕草が、どこかぎこちなくて、でもとても丁寧で……それがかえって胸にしみる。
人の温もりに飢えていたのは、私たちだけじゃなかったんだ。
セリア様も、きっと同じ思いを抱いている。王族としての立場や過去を捨てて、今この家に「ひとりの女性」としているその姿に、私は少し憧れてしまう。いや――少しどころじゃないかもしれない。
私は、カール様の隣に並べる存在じゃない。それは分かっている。あの方には、もっと相応しい誰かがいる。けれどそれでも、願わずにはいられない。
どうか、この場所があの人の安らぎになりますように。
剣を置き、戦いを忘れ、ただ温かな食卓の輪の中にいられるように。
私にできることは少ないけれど、せめてこの家を「帰る場所」にしたい。今日もおいしいごはんを作って、疲れを癒してもらえるように――それが、今の私の戦い。
そして、願わくば……。
いつかほんの一瞬でいいから、カール様が微笑んで「おかえり」と言ってくれる日が来たら。
その時私は、どんな顔をすればいいのだろう。
きっと泣いてしまう。嬉しくて、安心して、胸がいっぱいになって。
それでもいい、そう思える。
それほどまでに、私にとってカール様は大切な人になっていたのだ。




