第49話 のどかな森と、小さな牙
【のどかな森と、小さな牙】
「魔猪の討伐、Aランク冒険者・カール=キリト殿とセリア=ノルド殿で受理しました!」
冒険者ギルドの受付嬢が声を張ると、ギルドのホールにざわめきが広がった。
黒衣の剣聖と、氷の魔女――今や王都でも名を知られる二人が、簡単な依頼を受けたのだ。
「すっごい……本当にこの二人が受けるの?」
「Aランクがあんな簡単な依頼を?」
「いや、見てみろ。……あれ、子犬連れてねぇか?」
周囲の視線が集まる中、セリアは腕の中で小さな白い子犬――ルゥを抱きかかえていた。
その毛並みは風に揺れる銀のように美しく、どこか威厳すら漂わせている。
「ふふっ、今日はルゥも一緒です。森のお散歩がてら、ね?」
「……カールとセリアが揃ってる時点で魔猪の方がかわいそうなんだよな……」
呆れ混じりの視線の中、三人と一匹はギルドを後にした。
*
森へ続く街道は、春の陽気で柔らかく香っていた。
鳥のさえずりと木々のざわめき。道端には小さな野花が咲き乱れ、ルゥは嬉しそうに跳ね回る。
「……やっぱ、こういうの、いいな。剣を振るのは嫌いじゃねえが、平和な空気の中で歩くのも悪くねぇ」
「うん。最近は王都の仕事ばかりだったし……こういう“初級冒険者”らしい依頼、ちょっと懐かしいかも」
セリアは魔導書を抱えつつ、ルゥが駆ける様子を見守る。
風が髪を揺らし、青空の下で彼女の笑顔がやけに映えて見えた。
「おーい、カール! そっち行きすぎたら、沼だってば!」
森の中、響くのは――人間の声ではない。
木々の間を駆ける小さな白い影。銀色の毛並みに、鋭い青の瞳。ルゥ――フェンリルの子。見た目は子犬、でもその知性は人間顔負け。
「……お前、今日もやけにうるさいな」
カールが苦笑する。
「うるさいとはなんだ、うるさいとは! 僕が先導してるから迷わないんでしょ。ほら、セリアも何とか言ってやって!」
「ふふっ……でもルゥのおかげで、道に迷わずにすんでるのは本当だね」
セリアは優しく笑って、ルゥの頭をなでる。ルゥはふにゃっと目を細め、まんざらでもなさそうだった。
「まったく……この二人ときたら、僕がいなかったらどれだけ危なっかしいか――」
「いや、それはない」
カールが即座に否定した。
「ちょ、そこはちょっと譲ろうよ!? だって今日だって、僕が魔猪の気配を察知したから……」
「……カール、来るわ。北西の茂み、三体」
セリアが声を張ると、ルゥが耳をぴんと立てた。
「やっぱり来たか。ふふん、さっき言った通りじゃん。僕の鼻に間違いはないのさ!」
茂みを割って飛び出してきたのは、赤黒い魔猪。
だが、カールたちにとっては手慣れた相手だった。
「いくぞ、ルゥ!」
「任せときなっての!」
カールの剣が光を弾き、セリアの魔導式が展開される。
その合間を縫うように、ルゥの小さな体が地を駆け、魔猪の足元へ滑り込む。
「“フェンリル牙・第一式──咬閃!”」
バシュッ!
軽やかに魔猪の脚に傷をつけ、バランスを崩した隙に、カールが一閃!
「討伐、完了」
「ふぅ……楽勝だったね」
「ふふん、僕がいれば当然さ! ま、褒めてもいいよ?」
ルゥはしっぽをぴこぴこ振りながら胸(というより毛玉)を張る。
そんな姿に、セリアがくすっと笑った。
「はいはい、えらかったね。ほら、おやつ♪」
「やったーっ! セリア大好き!」
サクッ……と肉入りクッキーを咥えたルゥが、幸せそうに丸くなる。
*
森の中に小さな泉を見つけた三人は、木陰に座って小休憩をとることにした。
陽射しが葉を通して揺れ、ルゥはごろーんと寝転がる。
「……やっぱ、自然はいいなぁ。街の中だと魔力が濁ってて落ち着かないし、空気も硬いんだよねぇ」
「ルゥ、お前けっこう“繊細”だよな」
カールが呆れ半分でつぶやくと、ルゥは得意げに鼻を鳴らした。
「当然でしょ。僕はフェンリルの末裔だもん。“世界の理”に近い存在だよ?」
「それをサンドイッチ盗み食いしたやつが言うか……」
「……あれは僕の中の野生がね、理性を超えただけであってね……」
セリアが小さく吹き出した。
「でも、そんなルゥがいてくれて、本当に助かってるよ。カールと私、けっこう突っ走っちゃうから……ブレーキ役も必要だし」
「……ブレーキか」
カールが少しだけ目を細めて、ルゥの頭を軽く撫でた。
「なにそれ。……やだ、ちょっと、照れるじゃんか……」
小声で呟いて、ルゥはしっぽをぱたぱた揺らす。
*
「さて、戻るか。ギルドに報告すりゃ、昼には帰れるな」
「ねえ、帰り道にあのパン屋さん寄らない? ルゥの好きなミートパイ、あったら買ってあげたいなって」
「セリア……! 僕、君と一緒に旅しててよかったよ……!」
「その言葉、毎回食べ物絡みじゃねえか」
笑いながら三人と一匹は森を後にする。
春の風が背中を押し、どこかくすぐったい空気が続いていく。
のどかな依頼、のどかな会話、そして――
ルゥという小さな賢者が加わった、新しい日常のひとときだった。




