第32話 焚き火の夜、氷は溶けて
焚き火の夜、氷は溶けて
それは、魔獣討伐の帰り道だった。
日が落ちる前に森を抜けられそうにないと悟ったカールとセリアは、森の中で野営することを決めた。
夜の帳が下りるころ、二人は焚き火を囲んで腰を下ろしていた。
火は静かに揺れ、木々の間から覗く星々は、まるで凍てついた空に浮かぶ氷の結晶のように輝いていた。
セリアは無言で、焚き火の炎を見つめていた。
その横顔は静かで、どこか寂しげで――それでも、どこか安心したようでもあった。
カールは火をくべながら、ちらりと彼女の様子をうかがう。
「……寒いか?」
ふいに声をかけると、セリアは一瞬驚いたように目を瞬かせ、そして首を横に振った。
「……ううん。氷の属性を持ってるから、こういう寒さには慣れてるの。」
けれどその言葉に反して、彼女の肩はわずかに震えていた。
凍えるような夜風が、木々の間を通り抜けるたびに、銀髪が揺れる。
カールは黙って立ち上がり、自分の外套を脱いで、彼女の肩にそっとかけた。
「……っ」
「礼はいい。風邪でもひかれたら、面倒だ。」
セリアは目を伏せ、かすかに唇をかんだ。
そのまましばらく、焚き火を見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。
「ねぇ、カール……あなたって、本当は優しいの?」
その問いに、カールはわずかに笑った。
「さあな。ただ……お前が少しでも楽になるなら、それでいいと思った。」
その一言に、セリアの瞳が揺れた。
長い間、誰にも触れられなかった心の奥に、確かに何かが届いた気がした。
「……私、昔は感情があったの。でも家族を失って、何も感じなくなって……
それからは、誰の手も信じられなくて……ずっと、独りで剣を振ってた。」
焚き火の赤が、セリアの瞳に反射して揺れる。
それは、冷たい氷の奥に隠れていた記憶――痛み――だった。
カールは数秒沈黙した後、低い声で答えた。
「……俺もだ。信じていた人間に裏切られて、家からも追い出された。
だけど今は、お前が隣にいる。少しだけ、心が軽くなった。」
それは、強がりでも慰めでもない。
ふたりだけが知る、同じ痛みを抱えた者同士の、率直な本音だった。
セリアの目から、一滴の涙がこぼれ落ちた。
それは熱くて、驚くほど優しい感覚だった。
「……ありがとう。カールと一緒にいると、少しずつだけど……心が戻ってくる気がするの。」
「なら、無理に急がなくていい。戻るまで、そばにいてやる。」
その言葉に、セリアはかすかに笑った。
それは、彼女が“氷の魔女”と呼ばれて以来、誰にも見せたことのない、柔らかな笑みだった。
そして――
「カール……手、貸して?」
カールは無言で手を差し出した。
セリアはそれを両手で包み込むように握る。
その指先は冷たかったが、心はほんの少しだけ、あたたかかった。
星は静かにまたたき、焚き火の炎が小さく揺れ続ける中、ふたりはそのぬくもりを分け合った。
――翌朝。
セリアはカールの外套にくるまれたまま、焚き火のそばで眠っていた。
その頬には、うっすらと紅が差していて、口元には穏やかな微笑が浮かんでいた。
カールはその様子を見て、そっと剣の手入れを再開しながら、ふと笑った。
(……守るべきものが、できたかもな)
誰にも寄せつけなかった氷の少女が、ようやく小さな春を迎えつつあった。
そのぬくもりが、やがて二人をどこへ導くのか――それは、まだ誰にも分からない。




