現実は恋愛映画みたいに事は運ばない
夕歌が見たいと言った映画は、俺が観るには多少場違いな恋愛映画だった。
まぁよくありがちな、両想いでありながら離れ離れになってしまった男女が、再開して、また距離を縮めていくような、そんな映画。
映画そのものを否定するつもりがないことを前提として言えば、非常に退屈だった。
まぁ少なくとも男向けには作られていないだろうし、逆の立場で考えれば、ロボットアニメの映画を女の子が観ているような感じだろうか。
まぁジャンルが故のマッチミスマッチってやつだ。
それもそのはず、隣の夕歌の表情の変化は、俺とは正反対に忙しかった。
で、ラストシーンで号泣していた。どこに泣く要素があったのか分からない。これ、この後感想会なんてやろうものなら、俺は何も答えられんぞ。
「ほんっとうに! 良い映画でした!」
「あ、あぁ。そうだな。とても感動したよ」
案の定、というかなんというか。スクリーンを出て出口に向かう中、夕歌が興奮したようにそう言ったのだ。
だから俺も、上手いこと合わせた、つもりだったのだが。
「どこがですか?」
なんて、キリリとした瞳で問いかけられた。
「え? あ、えっと、主人公の女の子が好きな男の子とキスするシーン?」
そんなシーンがあった。女の子的には、恋が実った瞬間が涙ポイントに違いない。根拠? 知らん。
「いやあれは圧倒的胸キュンポイントじゃないですか。私、なんだか変な気分になってしまって自分の手の甲とキスしましたもん」
「うわ普通に気持ち悪っ」
「なんですか?」
こわ。
「なんでもねっす」
人が変わったように語るな。映画、好きなのか。
「でも、やっぱり手の甲じゃダメですね。柔らかさというか、そもそも手の甲はキスには向いてないんですよ」
「そうなんだ」
「はい。男の人の唇って女の子よりは固いと思うんですけど、方向性が違うというか。あと多分体温の問題だと思うんです。手の甲って温かいとは言っても、唇の体温とはまるで違う? のかな。うまく言えないですけど。あと、やっぱりキスの瞬間って目を閉じるじゃないですか。そんな中、ふと薄目を開けた時に見える相手の顔とか、その表情とか、そういうところが私的一番キュンキュンするポイントです。相手が自分を抱きかかえて唇を重ねてくれて、それに身を預ける……考えただけでむずむずしてきます。ねぇ、聞いてるんですか?」
「さっきからずっと何言ってんの?」
途中からほとんど聞いてなかった。
「私のキスへのあこがれです!」
「キス魔ってことでいいのか? 良くわからんけど」
夕歌はキスが好き……と。なんだこの推し情報。興奮してきた。
「いえ、ファーストキスはまだです」
「あぁ、あくまで夢なわけね」
なんでホッとしてんだか。別に夕歌が過去に誰と何してようがどうだっていい。わけねぇだろタコ。普通に落ち込むわ。
「あれ? なんか安心してます?」
あ、おちょくりスイッチがオンになる音が聞こえた。こういうとこだけ鋭いの、なんとかなんねーのか。
「気のせいだ」
「またまた~。顔に書いてありますよ? 夕歌が未経験でよかった~って」
「ずいぶん俺の顔って広いんだな。そんな長文書けるか?」
「はい。それと、あわよくばそのファーストキスの相手は俺であってくれ~! って書いてあります!」
にやにやとした笑みを浮かべ、肘で俺の横っ腹をつつく。
「そこまでは思ってねぇよ!」
「そこまでは、ですかぁ? ふぅーん? へぇー? ほぉー?」
く、くそっ! ショベルカーで墓穴を掘り起こしちまった! あぁもう、全力でにやにやしやがって!
「別に? 群上センパイがどうしてもーって頭を下げるなら、まぁ受け入れてあげないこともなくもなくもないですけど~」
「はいはい。そういうのは本当に好きな人が出来た時までとっておきましょうねー」
俺も大人だ。ここでがつがつと食いつくわけがない。
いや、それだと若ければ全力で土下座していたってことになるな。いや、するかもしれんが、あくまでも今の俺はそんなことをするはずもない。
「ま、それもそうですよね。群上センパイで浪費してしまうのはいささかもったいない気もします」
「悪かったな。もったいない男で」
おい、涙吹けよ、俺。
二リットルくらい放出された心の涙を俺が必死にふき取っていると、ポーチからスマホを取り出した夕歌が時間を見て驚いたようだった。
「あぁ、もうこんな時間なんですか。なんだかあっという間ですね」
俺がスマホの画面を覗いて時計を見ようとすると、夕歌は焦ったように電源を切った。
「見えました?」
「いや?」
「そうですか」
俺の言葉に、どこかほっとしたように息を吐いた。
そうして、
「人のスマホ覗くの、てんぷら違反ってやつじゃないですか?」
少しばかり唇を尖らせた。
「コンプラね」
「そう、それです。よくないと思います」
あえて言うのであれば、とんでもなく正論だった。
「いや、確かに。正直申し訳なかった」
「別に良いですけど。あと今は五時半過ぎです」
「おぉ。すっかり夕方」
そう言いながら映画館を出ると、冬が過ぎて日も伸び始めたとはいえ、それなりに日没が近付いているようだった。
「楽しい時間はあっという間っていうしな」
「その通りですね」
「お、おう」
唐突な笑顔に、胸が跳ねた。
不意打ちが過ぎんだろ、それは。
いつもなら、面白おかしく否定するだろうに、素直に認めやがって。
「お腹、空いてませんか?」
「あー、ちょっと空いてるかも。そういや、パンケーキしか食べてないもんな」
摂取カロリーと消費カロリーが明らかに見合っていない。そりゃ腹も減るわけで。
「いくら大きいパンケーキとはいえ、スイーツですしね」
どう頑張っても主食とは言い難い。
「んだな。そんなら、どっかで飯でも食って解散にするか?」
幸いこの辺、飲食店も多いしな。
「えっ」
「え?」
なんか変なこと言ったか?
「あ、いやなんでもないです。まぁそれも良いんですけど……」
なにやらもじもじ、人差し指同士をつんつんし始める夕歌。
「なんだよ、はっきりしないな」
「その、群上センパイ、普段ちゃんとご飯食べてますか?」
「食べてるからこうして生きているんだぞ」
俺のこと霞食って生きている仙人か何かだと思っていらっしゃる?
「そうじゃないです。コンビニ弁当ばかり食べてませんか? って話です」
「あー、えーっと。急にどうした?」
「今朝、キッチンが目に入ったんですけど、調理器具、多分新品のまま手がつけられていないようだったので」
うえ、そんなところ見られてたのか……。
「お恥ずかしながら、一式揃えたっきりです……」
「そんなことだろうと思いました。じゃ、おうちでご飯食べましょう」
「え? うち? いや遅くなっちゃうし」
「私のスーツも鞄も靴も、群上センパイの部屋ですけど?」
「あ」
完全に失念していた。浮かれていたから、そんなこと考えもしなかったな。
「というわけで、結局また部屋に戻らなきゃいけないんですよ」
「致し方ないか……あ、なら牛丼屋あるけど」
「だからそれがダメだと言っているんです。脂質控えてるんじゃなかったんですか?」
覚えてたのかよ。
「週に三回までって決めてる」
「全く意味がありません。仕方がないので私がご飯を作ります」
「え? 手料理?」
「はい。なにか問題ありますか?」
本当に、心の底から疑問に思っていそうな表情だった。
「いや、全くない。むしろ嬉しい」
「じゃあ決まりです」
「や、でもあんまり遅くなるとまた帰れなくなるぞ」
「そうしたら、もう一晩群上センパイを抱き枕にするだけです」
可愛らしくウインクしながらの言葉。くそ、これは完全に俺を戸惑わせようとしている。
分かっているってのに、
「あ……っそ」
妙な間があったのは、なんとなくそれもいいな、と思ったからではないと断言しておく。信憑性? お母さんのお年玉預かっておくわね、くらいだ。基本使われると思って良い。
くそ、俺の社会人としての矜持がみるみる失われていく。ここはきつ然とした態度で断らなきゃならんってのに。
「お酒飲みますか?」
人の気も知らないで話を進めるな。
「ユーカに酒は当分禁止だ」
きっぱりと言い放った。
「昨日の記憶、駅のあたりからしかないんですけど、何かありました?」
「俺の口からは言えないくらい色々あったよ。それにそんな続けて飲むのも良くない」
肝臓がだめになるぞ。
「心配してくれるんですか。それなら素直に従います。何があったのか、後で詳しく教えてください」
「聞かないほうが良いよ」
「じゃあ、さわりだけ」
「手をつないでほしいです、とか恥ずかしそうに言っ――」
「もういいです」
「ほらね」
信じられないといったような顔だった。ところが事実なんだなこれが。
「スーパーありますか? 今夜は肉じゃがにしましょう」
「あ、男が女性に作ってほしい料理ランキング一位だ」
最近テレビで観たぞ、それ。ちなみに、俺も肉じゃがが良い。
「へ、へぇ~。偶然ですね。知らなかったなぁ~」
夕歌はあまりテレビを見ないようだった。現代っ子め。




