握手とは少し違う。暖かい手のひら。
ぽつりぽつりと歩を進め、笹嶺課長の住むマンションに到着。課長なだけあって、何度見ても感嘆の声を漏らしてしまうようなマンション。いくらもらってんだよ、毎月……。
自分の月収を思い返し、小さくため息。まぁ、それくらい優秀な人ではあるし、むしろ正当な評価ってのは、疑う余地もないけどさあ。
「ほい、とりあえずこうして寝かせとけばいいよ」
「スーツのままですか?」
「そのうち、勝手に起きて着替えるだろうさ。一応二十八歳だぞ」
それくらいは出来るだろ。多分……いや、きっと?
あまり納得していなそうな夕歌だったが、そそくさを部屋を出る俺を、焦ったように追ってきた。
「じゃ、カギ閉めて、こっから投函。これでミッションコンプリートだ」
「慣れてますね」
「いつものことだからな」
「ふんっ」
「なーに怒ってんだよ」
原因不明の怒りを露わにした夕歌はそれきり黙りこくり、再び口を開いたのは、マンションのエレベーターを降りて、エントランスを出た頃合いだった。
ふと、
「小野先輩と三好先輩、面白い人ですね」
歩きながら、楽しそうに話す夕歌。
「随分楽しそうだったな」
いかん、少しばかりつんけんしてしまった。
「もしかして嫉妬してます?」
「やかましい。男の嫉妬はダサいぞ」
「別に、嫉妬してくれたら嬉しいと思いませんか?」
どうだろうね。
「好きな相手からだったら、多少なら嬉しいのかもしれないけど。じゃあ俺が嫉妬してたらどうよ」
あー? なに聞いてんだ俺。
普通に質問として気持ち悪すぎるだろ。この流れでその質問はそれつまり「俺のこと好きかい?」って聞いてんのと同義じゃねぇか。
だから、
「嬉しいです」
そんな返答が来て、思わず唾を飲んだ。
「私は、群上センパイが嫉妬してくれてたら、嬉しいです」
「……」
あまりの可愛らしさに、息が止まりかけた。お酒の入った夕歌は、そのアルコールによって顔を紅色に染め上げ、けれどもそれは照れゆえのそれにも見えるようで。
御託を並べずに言えば、想定外の言葉に喜びを感じる隙もないほど、見惚れていた。
やっぱ、アイドルだな、って。
けれど、
「すみません。ちょっと飲みすぎちゃったみたいです」
さっきまでの恥じらう乙女はどこへやら、またいつもの夕歌みたいに、けらけらと笑った。
「そんなに飲んでたか?」
せいぜいカシスオレンジとレモンサワーくらいだったように思えるが。
って、俺を把握してる俺は、ずいぶんと夕歌に気を配っていたみたいじゃねーか。
「えぇそれはもう。べろんべろんです。思ってもないようなことをぽろりと発言してしまうくらいには泥酔状態です。真っ直ぐ歩くのもやっとなくらいです」
「そこまで言わなくてもよくねー?」
俺が落ち込まない人間かなにかと勘違いしているのではないだろうか。
やれやれ、そんな俺の気持ちなぞ、少しも分かっちゃいないんだろうな。
なんて、不満を吐露してみたとて、本人に届くわけはないのだけれど。
ふと、隣を歩く夕歌に視線をやる。目が合った。
慌てて逸らすように前を向いた夕歌が、どこかよそよそしく見える。
そうして、
「だから」
なんて、たった三文字の言葉を絞りだした。
やっぱり、夕歌の顔は、火傷しそうなくらいには紅く、そんな表情で上目遣いをしてみせた。
「だから、飲みすぎちゃったので、その……手を、つないでほしい……です」
「え?」
思わず、聞き返してしまう。
それくらいに、耳を疑うような言葉だった。
けれど、夕歌は、すぐに正気を取り戻したように手をぶんぶんと振った。
「……はっ! ち、ちち、違うんです! あれ私何言ってるんだろ、あはは。やっぱり慣れないお酒は飲むものじゃないですよ! でも大丈夫! ほら、こうして真っ直ぐ歩け――」
ふらふらと歩きながら、なんかごちゃごちゃ言っていたから。
「これで真っ直ぐ歩けるか? 嫌かもしれないけど、転んでけがするよりマシくらいに思ってくれよ」
俺は、その手を取った。
「わ、わわ……」
驚いたような表情で、握り返したり、緩めたり。せわしないやつだ。
「や、まぁあれだ! 本当に嫌だったら離すけど!」
ふと我に返り、自分の行いを恥じる。さすがに痛い男過ぎるだろ。自惚れも大概にしやがれっての。
そんな後悔のもとに、ふっと手を離そうとした俺の手を、夕歌は、一際強く握り返した。
「離したら、嫌いになっちゃいます」
あーあ、真っ赤。
「そか。じゃ、このままで。流石に、部下に嫌われたくはないからな」
「部下じゃなかったら良いんですか?」
「聞くなよ」
「ふふっ、わがままですね」
天使のような笑みだった。
「お互い様だろ」
「じゃあ、もう一個だけ、わがまま言いたいです」
「聞くだけ聞くよ」
そうして放たれた夕歌のわがままを、俺は断るわけがなかった。




