ミモザの城ー姫君と執事・3
「ねぇ、バルドー。何を書いたらいいのか分からないわ」
「執事バルドー」に「エステレイル姫」が困った顔を向けた。
「エステレイル姫」は、赤い表紙の日記帳を開き、インクをつけたペンを手に持っているのだが、その紙面は白いままだ。
先程から一文字も書けていない。ルナには何を書いていいのか見当もつかない。
執事長から「ごっこ遊び」を提案されて、セドリックの為に冊子を入手したいルナは、勿論その提案を受け入れた。
エステレイル姫と話したのは一度きりで、話し方を真似する自信はない。が、実際―――実体の無い姫君に「実際」という言葉を使うことが妥当かどうかは不明だけれど―――に、エステレイル姫に面識があるのは、セドリックと自分だけだ。
ならば「なんとなくエステレイル姫風」でも、誰にも違いは分かりはしない。求められたのは「ごっこ遊び」であり「物真似」ではない。そこは割りきることにした。
椿館のマダムカメリアも言っていた。
「全ての女は生まれながらにして女優である」と。
もちろんマダムも、誰かの受け売りだろうけれど。
ごっこ遊びを始める前に「執事長が執事長のままでは、ごっこ遊びにならない」とルナが指摘した。
一瞬考えて執事長は「では、バルドーとお呼び下さい。王家は『執事長』などと呼び掛けませんからね」と応じた。
そうして始まった「ごっこ遊び」の最初が、
「久しぶりに日記を付けましょう姫君」だった。
ルナには姫君の日記帳に、勝手に書き加える事への抵抗感があるけれど、昨夜「家財には制約がない」と聞いた。今後書く人もいない日記に一行二行加わっても問題はないだろう、と思うことにする。
一度お会いしただけのエステレイル姫は、それを気にするほど繊細な方ではないように見受けられたし―――失礼ながら。
何かの参考になれば。そう思ってルナが前のページをめくると、書かれている内容は日記というより備忘録だった。
その日の行事、参加者。日によっては着用したドレスの色やアクセサリーの石の種類。人からの贈られた物が書き込まれているくらい。
読みやすいが、走り書きのようなページもある。
「事実しか書いてない」
ルナの呟きに執事長が答えた。
「自室から出さない私文書とは云え、誰の目に触れるか分かりませんからね。姫君たるもの軽々しく心情を書き留めたりは、なさらないでしょう」
もっともな話である。ならば、とルナはやっと真っ白な紙にペンを置いた。
城に着いた日の日付を入れ、フォーチュンカード作りで書き慣れている装飾文字を丁寧に綴る。
「本日、帰城す」
一瞬目を見開いた執事長がすぐに表情を戻す。
「大層美しい文字ではございますが、一行では寂しゅうございますね。もう一言添えては?」
勧められて考える。確かにルナが自分で見ても、頁の上部に一行では、物足りない。心情は書かないと聞いたばかりだし……思いついて加える。
「ミモザは今が花盛り」
隣から見守っていた執事長が、言葉につられるように部屋の窓からミモザの木を見下ろす。
ぶわり。吹いた風が枝を揺らし、黄色の花を巻き上げる。丸い小さな花の玉が風に乗る。
「姫君、ご覧ください。盛りも盛りでございますよ」
促されてルナも席を離れ窓辺へ寄る。
少し離れた城壁の内側にずらりと植えられた木は、大木が多い。ここ数日で盛りを過ぎるのだろう、黄色の花が一斉に散る様は、風に色がついたようだ。
「今年は盛りが遅かったのですよ。姫君のご帰還を待ったのでしょうね」
執事長が思いやり深い笑みでルナを見詰める。
「バルドーったら」
ルナも笑みを返す。部屋、城、景色と揃う壮大なごっこ遊びだ。
ルナが清月の騎士を思うように、執事長もエステレイル姫に何らかの思いを持っているのだろう。姫君がくれた鍵を持つルナに、エステレイル様を重ねるのは当然のように、今は思える。
「騎士様だって、エステレイル様と私を重ねたのだから」と。
「書けました。今日はもう書きませんからね」
日記帳を覗き込んだ執事長に、宣言する。ルナの頁には、絵画的な文字が流麗に記されている。それを示してルナは唇を尖らせた。
「大変結構です。では片付けてお茶にいたしましょうか」
執事長は元あった場所に日記帳を戻すと、テーブルの上を片付け始める。
「私がします」と立ち上がりたいところを、ルナはぐっと我慢した。姫君なら手伝ったりはしないから。
「その前にこちらへよろしいですか」
執事長が隣室のドレッサーの前へとルナを誘った。
「城でおくつろぎの時には、髪を下ろしておいででしたよ。当時は」
言いながら鏡越しに、髪に触れる許可を求める。ルナがうなずくと、執事長はブラシを片手に編んだ髪を手早くほどき始めた。
みるみるうちに解かれた髪が、背中へとふわりと広がる。前髪を膨らませて一捻りすると、サイドの髪を掬って合わせ、後頭部の高い位置でまとめた。仕上げに光沢のある幅広のリボンを結ぶ。
背中へと流した髪から少し取り分け、胸へと垂らした姿はいかにも少女らしい。
「少し子供っぽいかしら」
鏡の中の自分が、まとめ髪より愛らしく見えて、ルナとしては実年齢がバレそうでひやりとする。
そして、執事長がどこで知ったのか。
鏡に映る髪型は、ルナの見たエステレイル姫とよく似ていた。




