ミモザの城ー姫君と執事・1
ルナが執事長の執務室を訪れたのは、夜のまだ浅いうち、訪ねても良い常識的な時間だった。
朝と変わりなく夜でもジャケットのボタン一つまできちん留めた執事長は「今は何の仕事もありませんよ」と、快くルナを部屋へ招き入れた。
勧められた椅子に腰掛け、ルナは緊張気味に訪問の理由を説明する。
エステレイル姫の部屋の鍵らしきものを、伯爵レアード家の裏山で入手したこと。姫君の青い表紙の冊子を譲り受けたいこと。
「信じていただけるとは、思えないのですけれど」
ルナはテーブルの上に、エステレイル姫の部屋の鍵をコトリと置いた。執事長の言葉を待つ。
冊子の入手方法は任せると、セドリックはルナに言った。姫君の許可を得ていると考えれば、こっそりと部屋に入って持ち出してもよかったのかもしれない。
この二・三日ルナが見る限り、姫君の部屋のある一角は、人が近寄る様子もなかった。今は使われていない場所なのだろう。ルナが部屋から冊子ひとつ持って出るくらい、見咎められる心配はないように思えた。
それでも現在この城は、コルバン家の管理下にあると聞けば、執事長に話を通すことが正しいと分かっている。
ルナがわがままを言えるならば、アランとシャルルには言わずにいて欲しいとも思う。合理的な説明は出来ないし、ヘザーのケンドール家にもセドリックのレアード家にも、万が一にも迷惑をかけるような事があってはならない。
自分の考えていることは勝手がよすぎると分かっている。わがままを口には出来ずに、ルナは押し黙った。
コルバン家の執事長は、机の上にある鈍く光る一本の真鍮の鍵を眺めた。時代を感じさせない輝きは、最近磨かれたことによるのかもしれないが、この鍵がまるで最近作られたかのようにも見える。
城に居る間は、城の全ての鍵をリングに通した鍵束を身から離さない執事長には、ルナの差し出した鍵こそが本来の鍵だと一目でわかった。
エステレイル姫の部屋の鍵は、他の鍵とは微妙に作りが違い、それが複製であることは以前から知っていた。
どれくらい前に作られたものかは定かではないが、執事長が鍵を預かる立場に立った時には、他の鍵同様に複製の鍵も古めかしいものとなっていたので、かなり昔に複製が作られたのだと推測された。
今置かれた本来の鍵の方が、執事長の目にはずっと新しい物に見える。
鍵を前にして神妙にしているルナは、微かに不安そうな表情を浮かべながらも、背筋の伸びた姿勢も美しい。
アランが構い、ロベールがこだわり、自分も気にかけてしまう少女。
執事長は想像する。目の前の少女は全体にくすんでいるが、髪色と瞳の色を戻して、くすませている顔も―――手の白さに比べて顔の色がいささか濃いのはわざとだろう―――拭えば。
この地域では、エステレイル姫に対する崇拝の気持ちが、未だに根強い。髪色が金で瞳が菫色なら、こう呼ばれるに違いない。
「エステレイル様の再来」
隠れているルナの瞳が、紫ではなく金茶の可能性もあるが、顔立ちはやはり王国寄りであると、執事長は再認識した。
遠慮なく見詰める執事長の視線を避けるように、伏せられたルナの睫毛は長く、眼を美しく縁取っている。
よくもここまで上手く「平凡」に見せかけているものだ。執事長は少女に「平凡」の作り方を教えた者の非凡さに感心する。それが何者なのか、とても興味深い。
執事長は、鍵を持つルナの言葉を疑ってはいなかった。公国では亡霊が城や屋敷を夜な夜な歩き回るというのはよく聞く話だ。そういうお国柄だと理解している。
仮にルナが「エステレイル姫の亡霊と話した」と言い出しても、驚きはしない。今まで自分にその手の類いと縁がなかったとしても、真偽のほどは別として、全てを否定しようとは思わない。
王国では、生まれかわりを口にする者がいるが、本人以外には本当のところは分からない。無条件に肯定する訳ではないが、こちらも一概に嘘と決めつけるつもりもない。
「不思議」とは有るものだ。
両親共に金髪ではないのに、金髪のアランが産まれた。青い瞳は父親譲りだから、父に間違いはない。
コルバン家では「先祖返り」と言い表すが、金髪と青い瞳を併せ持つのはアランで三人目だ。「初代アラン」にならい三人ともアランと名付けられた。
「アラン」は長男であろうと家督は継がない。
それがコルバン家のルールだ。仕来たりに従い、どれだけ優秀だったとしても今代のアランは後継ぎから外され、シャルルが跡を継ぐ。
こうしてルナを眺めれば眺めるほど、執事長はルナがアランと同じ時代にこの城にいる理由を考えてしまう。
常は人の少ない城に客人を迎えたことで、城は眠りから覚め、ミモザの城と呼ばれるに相応しい華やかさを取り戻したように見える。
城が、エステレイル姫の帰還を喜ぶかのように。
考えがそこに至って執事長は、密かに自嘲した。日頃現実的であろうとしている自分が、あたかも夢想家になったかのようだと。
執事長の雰囲気が変わったことを察知したのか、ルナが俯けていた顔を上げた。
少し見上げるようにした視線は、ひたむきで凪いでいる。「これはアラン様が惹かれるのも当然だ」と執事長は何度目かの納得をして、笑んだ。




