ミモザの城ーコルバン家の執事長・3
ミモザの城の図書室は北側の二階にある。
北窓から差す光は柔らかく、本を傷めにくい。
城の権威付けと賓客の暇潰しの為に存在する図書室は、手の込んだ装飾がなされ、本棚に揃いの背表紙の金文字も美しい数多の本が並ぶ様子は壮観だ。
あちらのテーブルとこちらのテーブルで、お互いの視線が重ならないよう配置された読書机も花の城にふさわしい優美なデザインだ。
そのなかでも、ひときわ大きく豪奢な一枚板の長机に、ルナは顔を伏せて健やかな寝息を立てていた。
机の上には、空になったティーカップと開いたままの本がある。
向かいに座る執事長は、書き物をしながら時折ルナに目をやっては口元を緩ませた。
ノックもせずに、すらりとした長身の影が廊下に繋がる重いドアを開けた。足音をさせずに執事長の隣に立ったのは、アランだった。
「眠っているか」
「ええ。小一時間になります。予想より効きが良くて、この様子ではまだ二時間は目覚めないでしょう」
ルナの隣、寝顔の見える位置へと椅子を移動させたアランが執事長と机を挟んで向かい合った。
「お前も飲んだのか」
執事長の脇にも空のティーカップがある。
「私も三十分ほどお付き合いして寝たのですよ」
昨夜は床に入るのが遅くなったルナに仮眠を取らせる為に、執事長はアランの指示のもと必要のない用事を作って、常に静かな図書室へとルナを連れ出した。
「下手にウソをつくよりいいかと思いまして」と続ける。昨夜はロベール様の件で睡眠が不足している。少し仮眠を取りたいのでお付き合い下さい、と私が先に眠って見せたのです。
言って、執事長は微笑を浮かべた。
「誘眠効果のあるハーブ程度、お前は眠くもないだろう?」
当然の事のように、アランが問いかける。
執事長が平然と頷いた。もちろん大の男がそれくらいで眠くなるはずもない。ただ、ルナに気を抜かせる為だけに先に眠ってみせのである。
しばらく執事長の様子を窺っていたルナは、二つ三つ欠伸を噛み殺すと、あっけなく眠りに落ちた。
北の窓から差し込む柔らかな光、すやすやと眠る少女。微かにハーブの香りが漂う部屋の、あまりに心地の好い時間を共有するために、自分には馴染みのないうたた寝などする気になった事を、執事長はアランには言わない。
アランと執事長は、安心しきって眠る少女をしばし見つめた。
長い睫毛が頬に影を作り、ルナの表情に常には感じない憂いを微かにまとわせている。
「……少し、痩せたか?」
アランが手を伸ばし、指の節でルナの頬を撫でた。
「子供のように柔らかいのだな。女の肌というものは、こんなに滑らかなものだったか?」
幾度となく肌に指を滑らせながら、執事長に問いかける。
「女性の頬など触らなくなって、もう何年になるかもわからない私に聞かれましても。そういった事はアラン様の方がお詳しいでしょうに」
呆れ顔を取り繕うことなく、執事長が肩をすくめた。
アランはまた、すりっとルナの頬を撫でる。
「―――手触りが良すぎて、止め時がわからない」
執事長が非難がましい視線をアランに向ける。
「アラン様、少女は犬や猫ではございませんよ。そもそも眠っている女性に勝手に触れることに問題がございます」
アランは素直に頷くと手を引き、まとめ髪からのぞくルナの耳に唇を触れんばかりにして囁く。
「まだしばらくこのままで。姫君」
眠っていても、声が耳に届いたのか。目を閉じたままのルナが、ふわりと幸せそうな笑みを浮かべた。
「騎士さま……」
寝言の声色は甘くあどけない。執事長が目を見張りかけて、すんでのところで止めた。
「これはまた―――昨夜のファムファタルとは似ても似つかない。全く別の愛らしさですね」
ルナから体を離したアランが、背もたれに体を預けながら執事長の呟きに返す。
「俺の知るルナは、こっちだ」
言って脚を組み楽な姿勢をとると、正面から執事長を見た。
「で、ロベールはどうだ?」
「はい。今朝は物言いたげにルナさんに視線を送っておられましたが、折よく話しかける機会もなく。剣術の稽古をルナさんはご覧になりませんでしたので」
試合形式の稽古では「手加減はロベールに限ってほどほどでいい」とアランに言われていた護衛が、言葉通りに試合を進めた為、ロベールは防戦一方となりいいところ無しで終えた、と執事長は粛々と説明した。
アランの口元に意地の悪い笑みが浮かぶ。執事長も久々に目にする顔だ。
「ピクニックへのお見送りでも、近寄る素振りが見られましたので、私が先んじてルナさんにお声をかけましたら、ロベール様はきまり悪げなお顔で皆様方と馬車へ向かわれました」
「まだ、ルナに絡むと見るか?」
無論。執事長は頷いた。高位貴族であるロベールがメイドに非礼を詫びるなどあり得ない。ロベールはただルナが気になって仕方がないのだと、執事長は感じた。
他からその行動がどう見えるかも思い至らない程に固執している。そしてアランには、ロベールの行動が不愉快で我慢ならないのだ。と云うことも、執事長は理解している。
「ルナに、張り付くか」
唐突に言われた言葉の意味がよくわからず、執事長にしては珍しく怪訝な表情になった。
「ロベールを完璧に邪魔してやる。俺か、シャルルかお前が、ルナに張り付いていればいいだろう」
良い事を思い付いたとニヤリとするアランに、執事長は天に助けを求めるかのように、視線を上向けた。




