ミモザの城ーコルバン家の執事長・2
執事長は、ルナが部屋を出る際に向けた艶然とした笑みを思い出す。
心を奪われるような笑みとは、この事ではないのか。自分が若くもなく、勘違いする程自惚れた男でなくて良かったと心から思う。
若ければ他が見えなくなっただろうし、自惚れた中年男がひどく勘違いして、娘ほどの歳の娘に入れあげるのは見苦しい。
今日ほど、正しく自分を把握出来る性質で良かったと思ったことはございません。
執事長は、そう苦笑交じりに告白した。
複雑な表情を浮かべるアランは、グラスを掌で遊ばせている。
「俺は―――見たことがない」
そうでしょうとも。執事長が頷いた。
あのような笑顔を見せられたとしたら、アラン様が今ここに居るはずがない。朝まで戻らないどころか彼女を公国へ返さないかもしれない。とまで思う。
ではあれは、優位に立ちロベールから逃げる為の演技だったということか。
だとしたら恐ろしい程の役者ぶりだ。
ファムファタルには、わざわざ口にしなくても周知の前提がある。
「悪女」
男を破滅に追い込む運命の女は、無垢な聖女では決してない。それこそ聖女と見紛うばかりのファムファタルがいたとしたら―――
そこまで考えて、執事長が口にしたのは一言だった。
「どこで覚えたのでしょうね」
アランからの返事はない。
「ほぼ完璧と言って良い王国風の発音。メイドにしては出来すぎたマナー。仕えている男爵令嬢ヘザー様も、ルナさんをまるで親友であるかのように扱っている」
執事長は順に疑問を挙げていく。彼女は何なのでしょうか、とアランに聞くのは控えた。
代わりに「これが今夜の全てです」と締めくくるも、アランは視線ひとつ寄越さなかった。
「それにしても」
半ば強引に執事長が話を変えた。
「正面からあの艶めいた笑顔を見たロベール様が彼女に魅了されていないとは、考えられませんね。真っ赤な顔で瞬きもせず凝視されていましたから」
部屋に戻る際も心ここに在らずでしたよ、と笑う執事長に対し、アランは全く笑わない。
しかめ面を通り越し酷薄にすら見えるアランの表情から、明日以降ロベールは平穏無事とはいかないと執事長は推察した。
酔ってメイドに絡んだ事が不幸を呼ぶことになるとは、なんともお気の毒な。執事長はアランのグラスに何度目かのお代わりを注ぎながら、僅かばかりロベールに同情した。
いつものようにヘザーより早く起き出したルナが部屋のドアを開けると、昨夜談話室に置き忘れた水差しが届いていた。
自分が入れたよりもかなり重い。今朝汲みなおして誰かが届けてくれたのだろう。ありがたく使わせてもらい、身支度を調える。
午前中はヘザーを含めご令嬢方には特にこれといった予定はなく、ご令息方の剣の稽古を見学すると言うので、散歩用のドレスでヘザーを送り出した。
その間に、掃除を済ませリネン室へと洗濯をお願いしに行き……ルナは、それなりに多忙だ。おかげで余計な事を考えずに済むと思えば、ありがたいのかもしれない。もちろん酔いが今朝まで残るということもなかった。
昼食はピクニックのように外で楽しむ、と帽子を替えに戻ったヘザーに「剣のお稽古は、いかがでしたか」とルナが聞けば、良い笑顔が返った。
稽古の最後に、木剣で模擬試合を行おうとなりコルバン家の護衛の内から三人が加わったのだと、ヘザーは可笑しくて堪らないという顔でルナに教えてくれる。
その話のどこに笑う要素があるのか、と疑問に感じつつ続きを待っていると、くふふ、とヘザーから笑いが漏れた。
「護衛のお一人にね、ロベール様がそれはもう、こてんぱんにやられたの」
昨夜のロベールの振る舞いについて、ルナは勿論一言も話してはいないが、穏やかな気性のヘザーでも、常に尊大なロベールの態度は気に入らなかったのだろう。
髪型を整えながらヘザーの話に耳を傾ける。他のご令息は程好く見せ場を作れたらしい。王国男子の面目躍如といったところ。
大人である護衛がうまく手加減してご令息方に花を持たせていることは、言うまでもないだろう。
その為に模擬試合に加わったのだろうし。
その中で、ロベール様だけが「こてんぱん」とは、やはり昨日のお仕置きのような意味合いを持つのだろうかと、ルナは考える。
「シャルル様もお強くて。セディよりよっぽどお強いと思うわ」
目をくりくりとさせるヘザーが愛らしい。
ルナは考えるのを止めて、帽子のリボンを結んだ。
ヘザーの従兄弟のセドリックは武より文を好む。護衛の方と比べるのは酷だろうし、長く戦もない今、公国貴族は剣にさほど重きを置いてはいない。
王国のように貴族的な趣味として剣を極めることもない。
むしろ学問に秀でた人物が尊敬されている。子供の頃から学問に興味を持ち、頭脳明晰であると言われるセドリックのような人物が、まさに公国を代表するご令息だ。
「シャルル様がおっしゃるには、ロベール様の試合相手の護衛も、手加減はしてるんですって」
本来ならどれくらいお強いのかしらね? という言葉を残して、ヘザーは昼食へと出掛けて行った。




