愛を伝える日の大人女子会・1
どこかの国に「一月は行く二月は逃げる」と言う表現があると聞いたけれど、本当に一月は早かったし、二月ももう半ばで、そうこうするうちに春になりそうだ。 シスターリリーの部屋で、グレイスは深紅の薔薇を眺めてのんびりとしていた。
芯の部分がぐっと高く、高級な冬物の布地のように光沢と厚みのある花弁の先は、尖って外側に反り返っている。この種のバラは田舎では滅多に見られるものではない。部屋中に馥郁とした薫りが満ちている。
一抱えもあるバラの花束は、素焼きの甕に無造作に入れられ、シスターリリーの執務机の脇に据えられた。
花の存在感も圧倒的だが、格調の高さを誇示するかのような香りこそ、この薔薇を際立たせている。全て咲き誇れば、教会中が香りに包まれることになる。
開く直前の蕾を見ながら、そう云えばこの時期にバラが届くようになって何年経つのだろうか、とグレイスがつらつら考えているところへ、部屋の主が隣室から戻った。
「待たせた? グレイス」
クローブを入れたホットワインのカップを二つ手に持っている。
「いいえ。薔薇を楽しんでいましたから」
今年も見事ですわねと付け加えると、シスターも花を一瞥し長机を挟んで向かいのベンチへ座った。
暖炉に薪はくべているものの、暖かいとはとても言えない室温なので、それぞれすっぽりとレオンにもらった毛布にくるまり、指先をホットワインで温める。
「珍しいバラなのでしょう? こんな季節に咲くなんて。それに驚くほど香りが良くて花も見事」
おまけにひとつ残らず棘が処理されている。この量だ。ひとつひとつ丁寧に棘を取り除くのは恐ろしく手間がかかる。
「ええ。私が知る限り、大公家の温室でしか育ててないわ」
さらりと答えられて成る程と思う。眼にしたことがないのも道理だ。
「その特別な薔薇を今日これ程の数とは」
グレイスは素直に感嘆した。
その「大公家」の温室から欲しいだけバラを刈り取れる男性が何人いるのだろうと思うと、贈り主を想像するだけで恐ろしくなる。
「シスターリリーの愛され方も、相当ですわね」
今日は「愛を伝える日」と一般に云われている日だ。男性が、母や自分の娘、恋人や意中の相手でも、とにかく愛を伝えたい人―――半ば強制的ではあるが―――に花を贈る日とされている。
元は「使徒の日」のひとつだがとうに形骸化され、公国では花を贈る習慣だけが残っている。
「愛されている。というよりは」
シスターリリーは、するりと被っていた頭巾を取り払いながら言葉を切る。豊かな赤い髪が、解き放たれて自由を得たかのように広がる様に、グレイスは一瞬目を奪われた。
「過ぎた季節を惜しんでいる……戻らない若い頃を懐かしんでいる、そんなところじゃないかしら」
「まだ言うほどお歳じゃないくせに」
贈り主の年齢もシスターとそう変わらないだろう。グレイスが、からかい混じりの笑顔を向けると、シスターも苦笑いを浮かべた。
「三十四は若いとは言えないわよ」
「十分若いですわよ。還俗すればよろしいのに。待っていらっしゃる方が、おありなんでしょう?」
シスターの返答がないままに、二人で薔薇を眺める。薫りに慣れてしまったせいで、今はワインの香りが勝っている。
送り主はどんな方ですの? とグレイスが聞けば。
「逃げるなら手を貸す、と私に言った唯一の人よ。持てる力全てで逃がしてやろうって。でもね、思っていたの。この心地好い籠から出ても、また別の籠に行くだけなんじゃないかって」
シスターは、ほろ苦いものでも口に含んだような笑みを浮かべた。
「修道院も鳥籠みたいなものだけど、出ていくことは自分で決められる。いるうちに案外馴染んでしまったのよね」
「それでルナに、逃げ道をいくつも教えているんですの?」
グレイスはひとつうなずいて、問いかける。
娼婦、修道女、メイド。その貴賤、良し悪しは別として女が独りでも生きていける職業ではある。
そうねどれも結局「鳥籠」ではあるけれど、とシスターも肯定する。父親の養育という名の「籠」、夫の比護という名の「籠」。籠の鳥でない生活は、女には無いのかもしれないと続ける。
「ついぞその方のお手をお借りすることは無かったのだけれど、どこからか私の居場所を知ったらしくて、毎年薔薇を届けさせるの」
そこまで語って押し黙る。
沈黙の間に、グレイスは薔薇の贈り主の意図を考える。今でも逃がすという約束は有効だという意味か。それとも「未だあなたを想っている」か。この薫りは否応なしに「その方」の存在をありありと浮かび上がらせ、シスターの気持ちを揺らす。
それを狙って贈ってくるのならば、やはり愛を伝えているのではないか。
「そういうあなたこそ、グレイス。随分と精神系の使い手に入れ込まれてるじゃないの」
見たわよ、大晦日に二人で寄り添ってひとつの外套にくるまって眠ってるところ。と、面白そうに言われる。
グレイスとて、シスターリリーの目を盗めているとは思っていない。シスターが問題なしと考えているから、放置されているだけだ。
やはりご存知でしたか。
グレイスは愉しげなシスターリリーの顔を見返した。




