椿館再びー黒髪の従者・1
テーブルクロスから紅茶まで、この従者様にはどういう訳か既に色々とバレているようにルナには感じられるが、このブレンドも勿論ルナによるものだ。
初めての事を、あたかも慣れているかの様に演じるルナの背中には、冬だというのに嫌な汗が伝いそうだ。
マダムの丸投げをしっかと受け止めたルナを支えるもの。それはヘザーと共に一ヶ月暮らした時に受けた教育と経験、目にした伯爵家のメイドの仕事ぶりを元に、先日の収穫祭の折りに伯爵家のメイド頭に教えてもらって足した知識だ。
「身につけた知識は誰にも奪われることはない」
英知の使徒の言葉―――ではなく、シスターリリーが子供達を教育する時によく口にする言葉。
どれほど付け焼き刃でも、椿館の人々がメイドをするより、自分がした方がまだマシに違いない。最後は開き直った。
「メイド、名は?」
特別なお客様が、口を開いた。初めて耳にする声は抑揚がなくおっとりとした口調だ。
「ソフィア、と申します」
ルナは、メイドが客を迎えた際にする礼を、そつなくして見せた。
うむ、と特別客が頷く。
「ソフィアとは。また大層な名を付けたものだな」
従者がからかい気味に感想を言う。英知の使徒と同名だと気づいたのだろう。
「わが国でも、よくある名であろうよ」
ふたりが当たり障りのない会話を続ける。
先ほど椿館に到着した黒塗りで紋章のない立派な馬車から降りたのは、特別客と従者ふたりだけだった。
いかにも上流階級者らしい雰囲気の黒髪に紫の瞳の中年紳士―――こちらが特別客―――と。すらりとした長身の黒髪に蒼い瞳のハリー達より若いと思われる青年従者。
二人とも、飾りの少ない上着にスラックスという富裕なお客にしては簡素な服装で現れたが、仕立て屋の下縫いを頼まれるロージーの仕事を、隣で眺める事のあるルナには、その布地が高級であることも、仕立ての良さもよくわかる。
服装をシンプルにしたくらいでは、二人の品位は隠しようもない。
ルナには、男盛りと言われる世代であろう癖のない整った顔立ちの特別客も、まるで紳士服の見本帳からそのまま出てきたような容姿の従者も「水も滴る良い男」と思えるが、ロージーなら「金の滴る」と置き換えるだろう。
もっとも「水も滴る」は「良い女」に遣う言葉らしいけれど。こっそりと二人を観察しながら、埒もないことを考える。
馬車寄せから特別客が降りる所を、お姉さん方は支度を中断して見ていたはずだ。さぞお化粧に力が入るだろうと思われた。
「お前の」
声をかけられてはっと顔を上げると、従者と目が合った。
「茶の淹れ方は、メイドらしくないな」
ヒヤリとする。
「お見苦しいものを、お目にかけました。お詫び申し上げます」
頭を下げようとすると、手で制された。
「そうではなく、むしろ茶会で女主人かご令嬢が淹れるようだと思ったのだ」
指摘が当りを得ていて、言葉に詰まる。確かにお手本は収穫祭の時に、先代伯夫人が開いた親しい方の為のティーパーティーでの夫人の手つきだ。
ルナの返事を待たずに、主従は会話に戻っていく。これは、予想以上に気の張る四日間になりそうだと、ルナは奥歯を噛んだ。
通常、街中にある娼館は、宿のように数日に渡る滞在は出来ないものと聞くが、保養地にある椿館では可能だ。何日滞在してもいい代わりに、湯水の如くお金が消えるらしい。料金設定まで、ルナは知りはしない。
黒髪の特別客は三泊四日の滞在予定で、その間一度も外へ出る気はないらしい。椿館には源泉から湯が引かれているので、外の施設へ行く必要もない。
ルナのメイド「ソフィア」としての仕事は、目覚めのティーに始まりお召し替えのお手伝い。
その後、お姉さん方とカードやビリヤードを楽しむ特別客に、ご要望があれば軽食等をお出しし、アフタヌーンティーの給仕をして、ディナーの為のお召し替えを手伝う。そこまでが担当となっている。
ディナーは、レストランの男性給仕が担当し、入浴と夜のお支度はお姉さんが受け持つ。
初日と、二日目である今日のお相手は、別のお姉さんをご指名になった。
公都からも彼女目当ての客がわざわざ足を運ぶ、当代のヴィオレッタ嬢をご指名かと思いきや、影の薄い薄幸そうな新人―――そう評したのはルナではなく他の女中だ―――を指名したのが初日。
今日は、少し内気でおどおどしたところのあるポッチャリとしたお姉さんをご指名で「好みがよくわからない」と、ルナに化粧をしてくれた古株のお姉さんは首を捻った。
今回のルナは、ハリーの嫌がる大人っぽい化粧はやめている。メイドらしく、唇の色を控えうっすらとピンクをのせるだけにとどめ、おとなしい印象にするために少し垂れ目に見えるようアイラインを引いた。
普段のルナと大きくは変わらないが、メイドらしく髪をまとめあげると十六・七歳には見える。これなら充分だろうとマダムカメリアも頷いた。
二日目もそつなくこなし、特別客をディナーへと送り出して、ルナは定宿となった隣の酒場へと帰った。
酒場のカウンターへと立ち寄ると、もはや顔馴染みとなった店主から「シチューならすぐ出せるよ」と、聞かないうちから言われる。
助かりますとうなずいたルナに、
「ここで食事か」
と、テーブル席から声が掛けられた。
―――まさかのハリーさん?




