マダムカメリアからの依頼
翌朝、身支度を整えたルナが、客のひとりもいない酒場のカウンターへ朝食を取りに行くと、店主が早朝に発ったハリーからの伝言を渡してくれた。
「おはよう。挨拶も出来なくてごめん。余計な知識は増やさず、早く教会へ戻ろうね。ハリー」
カードに書かれた整った文字の走り書きに眼を通しながら、ルナはつい笑ってしまった。
こんな場所まで、ついでとはいえ脚を伸ばしてもらえた事をありがたいと思う。寄り道をしたせいで、ハリーの日程に無理が出なればいいけれど。そう案じつつ、ルナはハリーの道中の無事を祈った。
その後も数日、ルナとロージーは椿館の雑務を担当し、大きな問題もなく過ごした。
ロージーを気に入ったお大尽が幾人もいて、ロージーの「初めて」には言い値を払う、とマダムに囁いたらしい。
ロージーがそれをルナに自慢し「どうせいつかはするのだから、タダでするより高く売った方がいい」と、屈託なく話す。
隣で聞いていたマダムカメリアは「お願いだから、それは教会では言わないで頂戴」と、頭痛を堪えるような顔をした。
「だって、愛ではお腹は膨れないわ」
ロージーは真面目な顔で主張する。
「それはそうだけど。ひもじい思いなんてさせた事ないはずなのに……どうしてあんたは、そんなになっちゃったのかしら?」
マダムは頭を抱えんばかりだ。
マダムの言う「そんな」は、ロージーの拝金主義のことだろう。ロージーは、見目の良い男性とお金が大好きだと公言して憚らない。もちろん男性の前ではそんな様子は欠片も出さないけれど。
ルナはふたりのやり取りに、笑い声を上げた。口に出しはしなくともマダムはロージーに、昼間の仕事をさせたいようだ。
椿館を八日間手伝い、まだしばらくショーに出る予定のロージーを残して、ルナは一足先に教会へと戻った。
ルナに遅れてロージーも温泉街から戻り、教会でいつも通りの生活をして、このまま年の暮れの支度に入ろうとしていたところに、マダムカメリアの使いが手紙を持ってきた。
仕事の依頼だった。今回は、ルナひとり。マダムからの手紙には、特別な客―――つまりすごいお金持ちなのだろう―――が四日間逗留されるが、店の女中ではマナーが心許ない。上流階級とも交流のあったルナをその間メイドとして是非とも雇いたい、そう記されていた。
「上流階級との交流」とは、おそらくヘザーの夏の遊び相手を勤めた事だろうとルナは推測した。ロージーが世間話にでも、マダムカメリアの耳に入れたに違いない。ロージーが話すと、実際より素敵な話に盛られてしまうのは、いつものことだ。
シスターリリーは手紙に目を落とし、考え込んでいる様子だったが、ルナが「問題ない」と告げると、受諾の返事を使いに持たせた。
冬には薪代もかかるし年末年始は何かと物入りだ。
行けば、椿館のお姉さんたちは暇潰しと寄付を兼ねて、毎日フォーチュンカードを引いてくれる。給金以外にも、マダムカメリアの無理を聞く時には、抱えきれないほどのお土産を持たせてくれる上、後から下男に、不足しがちな生活用品を届けさせてくれる。
自分で足りるご用ならお手伝いしたい、と言うルナに、今回は名前を変えるようにとシスターリリーが告げた。
お姉さん達も、店で本名は名乗らない。紳士方も人によってはマダム以外には名前を明かさない。シスターと相談して、英知の使徒の御名である「ソフィア」を名乗ることにした……おこがましくも。
ルナ改めソフィア十六歳は、椿館にメイドとして勤めることになった。
ルナが慎重に最後の一滴まで紅茶を注ぎ分けると「特別な客」の従者は、感心した様子を見せた。
お茶の濃さ、ミルク、お砂糖の好みを窺った時には一瞬難しい顔をされたが、気にする必要はなかったようだとルナは軽く安堵した。
「このテーブルセッティングは、お前が?」
無地のクロスの上にレースのテーブルクロスを重ね、ダブルクロスにしたローテーブルを、従者がトントンの指で叩く。
「いいえ、マダムがなさいました」
感じよく見えるように僅かに口角を上げてルナが答える。
本当はクロスからティーナプキンに至るまで、ルナが選びマダムのお金で買った物に、急ぎロージーとふたりで刺繍して無理やり今日に間に合わせたものだが、そんなことはちらっとも見せない。
レース編みのクロスは、シスターリリーの付けた値が高すぎたせいでバザーで売れ残ったルナの手作りだ。
この機会を逃さず、マダムカメリアにお買い上げ頂いた。
従者が長い指でナプキンを摘まむ。
「客の頭文字を装飾文字で刺繍か。見事なものだ」
短期間で用意したことを誉めているのだろう。それはそれは大変だったと、思い出してもルナは気が遠くなりそうだ。
「恐縮でございます」
答えて、お茶の冷めないうちにと速やかに特別客とその従者二人分の紅茶をテーブルへ運ぶと、良い香りが漂った。
「ブレンドか。珍しいな」
従者がソーサーごとカップを手に取り、感想を口にした。
「苦味の少ない物をご所望とうかがいましたので、癖のない茶葉に林檎を乾燥させましたチップスを少々足してございます」
数歩控えて目に煩くない位置に立ち、返答する。
「これは、お前が?」
「いえ。こちらもマダムの指示でございます」
ルナの返事を予測していたかのように、従者が口元だけで笑んだ。




