椿館ーハリーさんは心配性・1
ショーの始まる時刻になるとルナの仕事は一段落だ。ここからしばらくはロージーの活躍の時間、その後は娼婦の出番。
お姉さんと紳士が部屋に上がった後、給仕、女中、ルナ、今夜はご指名のないお姉さんまで一緒になって汚れ物を一気に片付ける。
ショー開始からその時間までのしばらくが、ルナの休憩時間となる。
行楽シーズンのこの時期、温泉街は夜も治安は悪くない。一晩中飲み明かす客も少なくないため、温泉街の組合が人を雇い巡回警備をさせているおかげだ。
というわけで「夜八時を過ぎた今もルナが近くを出歩くくらい問題はない」とマダムに保証されて、椿館の隣にある酒場兼食堂で、名物の煮込み料理を食べようと、ルナは外出することにした。
客の馬車がとめられた馬車寄せを通りすぎ、中庭を抜け正面の門の脇にある小さな扉から外へ出る。
すぐ隣にある酒場の窓や扉は開け放たれていて、中で酒を楽しむ人達の笑い声や大きな話し声が、道まであふれていた。
見たところ店内には、大人ばかりが集っている。
少し場違いだっただろうかと、ルナが気後れしながらも足を踏み入れた、と同時にカウンターで立ち飲みをしている男性と視線がぶつかった。
焦げ茶色の髪に濃い茶色の瞳、見覚えのある。
「ルナちゃん」
「ハリーさん」
たいして驚きもせずルナの名を呼んだのは、夏の終わり以来の再会となるハリー・リンデンだった。
「どうしてここに?」
驚き過ぎてルナは口まで開いている。
「どうしてって、キミがここにいるって教会で聞いたから、急遽泊まりをここにしたんだよ。それにしても……いくら『高級』とはいえ娼館の手伝いとは、シスターもほんとに」
呆れたように言って「とりあえず座ろうか」とハリーはテーブル席へと誘い、ルナの為に椅子を引いた。
ルナを座らせると料理の注文を済ませ、改めて向き合う。
「ロージーちゃんも一緒だって? ロージーちゃんは今は?」
「ショーに出ています。元々ロージーは椿館から教会に預けられたので」
手短に、ロージーの母親は踊り子で、ロージーのダンスの素晴らしさは母譲りで評判も良い事を、ハリーに説明する。
「なんか……納得」
ハリーが二度・三度と頷く。納得はロージーの色気か、ロージーの母親が異国の踊り子だということか。そこは聞かずに、ルナは熱々のシチューを口に運んだ。思いついて尋ねる。
「ハリーさんも椿館にいらしたんですか」
「ぶっっっ!」
ハリーが飲みかけた酒を喉に詰まらせたかのように、盛大に噎せた。目を白黒させながら何とか吹き出さずに飲み込むと、「大丈夫だろうか」と心配するルナを軽く睨む。
「なんてこと言うの……!?」
驚かれるような事を言っただろうか。ルナは心の中で、首をかしげる。
「え……紳士方が毎晩たくさんいらっしゃいますし。ハリーさんもそうかなって」
「――――――。」
「椿館は紳士の為の癒しの場であり社交場ですから」
ハリーに向かい、ルナはにっこりと笑って見せた。誰からも評判の良いルナとっておきの仕事用愛想笑い。
「それ―――誰が言ったの?」
ハリーの声は低い。どうやら愛想笑いはお気に召さなかったようだ。
「マダムカメリアが」
ルナは簡潔に返答した。
ぐうと喉の奥で音をさせながら、ハリーが首筋に手をやる。凝りを解すような手つきだ。
「椿館の女主人か。キミに上品に見せるコツを教えた」
なぜかハリーの声はさらに低くなっている。
「はい」
シチューは温かく、さすがに名物と言われるだけあって美味しい。ルナはハリーの様子を気にしつつもスプーンを口に運ぶ手は休めない。
「キミは……紳士たちがナニをしてるか知ってるの?」
ハリーの質問に、「むろん」とルナは肯定する。
「上半身が裸だったり、ストッキングと靴しか身につけてないお姉さん方と紳士が部屋に行かれるんですもの。私にもわかります」
ルナが今度は仕事用ではなく普段のままの顔で微笑むと、ハリーは天を仰いだ。
「なんだか教育が間違ってる。ほんと絶対に間違ってるよ」
と呟きながら。
話すうちに眉間の縦皺がみるみる深くなるハリーに「椿館に泊まり込みなの?」と聞かれる。
ロージーは椿館に自分の部屋を持っているのでそこで寝起きしているが、ルナはこの酒場兼食堂のある建物の二階の宿屋に宿泊していると説明した。
安堵の表情を、ようやくハリーが見せる。
自分が客を取っているわけでもないし、椿館で寝泊まりすることのどこに問題が? と聞きたいところだけれど、黙っている方が賢いような気がして、ルナは聞かずにおくことに決めた。
酒場の店主に聞けば、部屋には空きがあると言うので、ハリーも今夜の泊まりはこの宿。
町や教会の近況を話しているうちに―――ハリーのしかめられた顔もいつもの人好きする表情に戻り―――片付けの為に椿館へ戻る時間になった。
ルナが宿屋へ戻るのは、日付が変わる少し前になるだろう。
「レディとご一緒して男が払わないなんて有り得ない」と言うハリーにご馳走になり、すっかり温かくなった身体で足取りも軽く、ルナは椿館の扉をくぐった。




