ドラゴンを助けたらいきなり火を噴かれたんだが無問題
「ど、ど、ドラゴン……!」
ドラゴン。最も強い魔族の一つで、魔法も『魔導師』と同等のレベルで使いこなすという。
大きな牛くらいの大きさのそのドラゴンは、目の覚めるような鮮やかな赤い鱗で身を覆っていた。
コウモリのように膜の張った翼はあちこち破れ、首の辺りからはおびただしい量の血を流している。
よく見れば首の根本には、白銀に輝く槍が、深々と刺さっていた。
ドラゴンはびくともしない。死んでいないと分かるのは、その腹がうっすらと上下しているからだ。
そうしてドラゴンは、ぐぐ、と懸命に首を持ち上げ、俺を睨んだ。
金色のまなざしがまっすぐ俺を射抜く。
「っ」
『――ニンゲンか』
その声は明らかに少女のものだった。
しんどそうに息を吐いたドラゴンは、絞り出すように言った。
『殺したくば、殺せ』
そうしてがくりと首を落とし、また浅い息を繰り返す。
「……」
俺が異世界から召喚されたのは、このドラゴンのような魔物を殺すためだ。
魔物を殺して、ブラックフット国を守るために、俺たちはジョブを割り当てられた。
だから、ほんとうであれば、このドラゴンを殺してしまうべきなのだ。
殺さなくても、命を落とすのは時間の問題かもしれないけど。
目の前で命が消えていこうとするのを、ただ見ているというのは、俺の性には合わなかった。
「それに俺は古城清掃人だ。それなら……。古城周辺の生き物についても、管理する必要があるよな」
俺は古城へ駆け戻り、巨大な荷車を『製造』した。そうして荷車を押して、泉のほとりへ戻る。
どうにかドラゴンを荷車の上に乗せられないかとやってみたが。
「ぐっ……う、だ、だめだ、重すぎる……!」
『何を……している……?』
「お前を治療すんだよ。荷車乗れるか?」
ドラゴンは驚いたように目を見開いたが、ややあってぐっと両脚を踏ん張って、荷車に乗ろうとした。
けれど、その体はがくりと崩れ落ちてしまう。体を持ち上げるだけの体力がないのだ。
「どうする……? こういう時、魔法が使えたら……!」
『魔導師』であれば、ドラゴンの一頭や二頭、持ち上げることくらい朝飯前だろう。
でも俺は『古城清掃人』だから。役立たずの、最弱ジョブだから。
ドラゴンが死んでゆくのを、ここで見ていることしか、できない。
「……いや、待てよ」
諦めるのはまだ早い。
幸いにもこの泉は、城からそう遠くない場所にある。
俺が城の中の部屋を自由に移動できるのならば――部屋を泉の方角に集めて、寄せて行けば、城そのものを移動させることができるんじゃないか!?
俺は慌てて城に駆け戻る。
「東の部屋を全部西へ……城全体を『模様替え』する!」
俺の叫びに応じて、城が地鳴りを上げて動き出す。
部屋がキューブのように切り分けられ、俺の目の前をすっ飛んでいき、西側の地面に着地した。
馬跳びを繰り返す要領で、東側の部屋を西側にずらしていき、少しずつ泉の方へ城を近づけてゆく。
「移動できてる……! あと少しだ」
やがて、泉がすぐそこまで見えるところまで来た。
俺は六つの部屋をぶち抜きにして、ドラゴンが入れるスペースを作った。
「よし、これで……!」
最後の部屋を『模様替え(リプレイス)』した瞬間、ドラゴンは泉ごと城の中に格納された。
『ッ……!?』
ドラゴンは驚いたように辺りを見回している。そりゃそうだ、俺みたいな弱っちい人間が、城一つ動かせるなんて思わないだろうからな。
俺は女神からもらった救急セットを取り出した。革張りの重厚な入れ物から、説明書を取り出す。
「えーっと、この宝石を? 患部を囲むように配置して、っと……」
『その宝石は、かなり貴重なものだ……! 我に使って、良いのか……!』
「へー、高く売れそう? んじゃ何個かとっとこ」
宝石をドラゴンの首の傷の周りに配置し、羊皮紙でできた札を置いて、呪文を読み上げた。
「『癒すものよ、歌うものよ、我が呼びかけに応じて傷を癒せ』」
宝石が赤く輝きだした。まるで逆再生していくみたいに、傷口がふさがっていく。さすがは最高級の救急セット。
やがて傷は完全にふさがった。ドラゴンの首に刺さっていた白い槍は、ぽとりと床に落ちた。
ドラゴンは信じられない、といった様子でいたが、ややあって猫のように飛び上がった。
かぎづめを石の床に立て、体を大きく見せる威嚇のしぐさ。真珠色の牙を覗かせて唸るさまは、どこか大きな猫に似ている。
深紅の鱗に金色の目という取り合わせは美しく、威厳に満ちていて、ドラゴンが魔物の中で最も強いという言葉に頷ける気がした。
『ニンゲンめ……! 我を城に引き込み、何をするつもりだ!』
「おお、全快したみたいだな。良かった」
『黙れ! フン、我が貴様の足元に身を投げ出し、泣きながら礼を言うと期待したか? 貴重な癒しの石を使ってまで我を治療したもの好きよ、せめて我が業火でひとおもいに殺してくれよう!』
「おーっと、そんなこと言っていいのかな?」
俺だって馬鹿じゃない。何のプランもなく、ドラゴンを城に入れたりなどしないのだ。
「俺は『古城清掃人』だ。こと古城の中において、俺の清掃スキルは誰にも負けない」
『なんだと……? はっ、ほらを吹くのも大概にしろ。『古城清掃人』はほとんど絶滅した! 貴様のような人間が名乗れる称号ではないわ!』
「ところがどっこい、その絶滅危惧種なんだなこれが。そして古城の中において、俺が害獣だと思った存在は――呪文一つで駆除できる」
そうなのだ。例え相手がドラゴンであろうとも「古城の中で」「俺が害獣だと判断すれば」、『駆逐』の一言で消すことができる。
ドラゴンは虚を突かれたように目を見開いた。
だがすぐに首を振り、口からしゅうしゅうと硫黄の匂いがする息を吐く。
『ならば勝負だ、貴様がそれを証明するのが早いか、それとも我が貴様を焼き殺すのが早いか!』
「その勝負、乗った!」
ドラゴンは勝ち誇ったように笑い、ぐぐ、と大きく息を吸い込んだ。
だが残念、俺の方が早いんだな。
「『くくり罠』!」
『なっ!?』
地面からぞろりと生えた鉄格子が、ドラゴンの四方を取り囲む。
ドラゴンは瞬く間に鉄格子の中へと閉じ込められた。
怒りを吐き出すように、鉄格子に炎を吹きかけるドラゴンだったが――。
『あああっづっ!? な、なんだこれは、我が炎を跳ね返すだと……!?』
「はっはっは、城の害獣を捕獲する罠だよ。ほら、やっぱ古城で一人きりだと寂しくなりそうじゃん? だから暇つぶしにネズミとか育ててみようと思って、捕獲手段を編み出したってわけ」
『駆除』だとネズミ、死んじゃうからね。この世界のネズミは、ザ・ドブネズミみたいな見た目のやつもいれば、白くてふわふわのハムスターみたいなのもいたりして、ペットにしたら面白そうだと思ってたんだ。
ただまあ、ネズミのくせに魔法とか使って抵抗するので、鉄格子には魔法への耐性をつけておいたのだ。
やれやれ、何がどこで役に立つか分からないな。
と、ドラゴンがぐうっと押し黙った。鉄格子のなかで、信じられないといった顔をしている。
「どした? まあ別に殺したりはしないよ、もう二度と俺に手を出さないって誓うなら――」
『貴様、……いや、あなたは、本物の『古城清掃人』なのか』
「なんか、そうらしいよ」
『なんとっ! 我が数々のご無礼、申し訳もござりませぬ!』
ドラゴンが急にがばりと身を地面に投げ出した。土下座、っていうかもう、五体投地って感じだ。
『何しろ我……いいえっ私はっ、『古城清掃人』をきちんと見たことがなかったもので……! しかも、私の命をお救い下さった方に、とんでもないご無礼を!』
「ええー、いいって別に。敷地内ででかい生き物に死なれても、埋葬場所に困るだけだし」
『ああ、あそこで命を落としてあなたのお手をわずらわせることがなくて、本当に良かったです!』
「べ、別にそこまでのことじゃ……」
『とんでもない、いずれ嫁ぐ殿方に無礼があっては、我が父に顔向けができませぬ』
とんだ態度の変わりようだ。しかも今、いずれ嫁ぐ殿方――とか言った?
俺が怪訝そうな顔をしていると、ドラゴンはそれを自分への非難ととったのだろう。
ドラゴンは両の翼で身を包む。その赤い体が、真っ白な光を放ったかと思うと。
鉄格子の中には、一人の少女が立っていた。