第49話 救うな
福本の部屋はやたらと煌びやかなガラス細工が飾られており、照明が強めに当てられている。室内には高級デパートのような複数の香水が混ざり合った化学的な香りが見事な調和を保たれていた。
「おしゃれねぇ、ホント」
室賀は不躾にも部屋の中をキョロキョロと眺めている。同じく部屋に招かれた利原も「このハーブティーと雰囲気がすごく合っているわ」と褒めると依藤も「すごくおしゃれですね」と同意する。
「ちょっと真似してみただけだけどね」
一様に称賛された福本は目と口の端に隠しきれない笑みを浮かべた。
4人は恒例のようにお茶会と称して集まって、最高級のハーブティーとランクドシャーを楽しみながらこのゲームですり減った心を回復していく……というわけにはいかない。
「あれよね、タバコって……もう本人の自由だし、そんなに言わないのよ、私」
利原はティーカップをソーサーに置くと唐突に話を切り出した。
「喫煙席で吸っている人に文句言うことはないし、医療費がどうとか税金がどうとか、そこまで責めるのもアレだし、悪者扱いされているのには可哀そうって思うことだってあるのよ」
そしてテーブルの上に腕を組んで置くと、声のトーンを低くした。
「でも、望まない他人に副流煙や臭いを浴びせるの、あれは許されないわよね。昨日死んだ加藤も時田たちの仲間なんだから吸ってたんじゃない?」
「そうよねぇ、あのグループって基本タバコ臭かったし、あの顔は喫煙者の顔よ」
福本も眉を吊り上げると口角をピクリと動かした。
「タバコの煙って臭いし、体に悪いし、それに吸った後の口や臭いの付いたものからも有害物質が出続けるんでしょ? どうして人の迷惑を考えられないのかしら?」
「マンションのベランダで吸うの、あれ、腹が立つのよね。臭いし、有害だし、洗濯物や家の中に臭いが染みつくでしょ? もう絶対に許せないわ。ねえ?」
利原がちらりと依藤に視線を送ると、依藤は控えめに「でも、近所だと文句も言いにくくないですか?」と尋ねた。
「そうなのよ。それでマンションの管理会社に言っても注意しかしてくれないから、開き直ってそのままでいるし」
利原は同情するように頷くと、実に迷惑そうに目を細めた。
「あれよね。家族が嫌そうにするから、部屋に臭いが付くから、部屋じゃなくてベランダで吸うってのがもう理解できないのよ。家族や自分が嫌なら、どうして他の人も嫌って考えないの? そこが自己中心的よね」
「うちのところだと、アパートの玄関で吸っているんですけど……。そこまで出るならもう少し歩いて吸えるところまで行けばいいのにって思うんです」
依藤もぽつぽつと話し始める。
「それで、他の人と目が合うと引っ込んでいくんですよね。悪いことしてるって自覚があるならやめてもらいたいですよね。うちには小さい子もいるし……」
「他人なら迷惑をかけてもいいと思っているのが、ホント理解できないのよ」
福本はそう刺々しく言うと、「何とかならないかしら」と誰ともなく尋ねた。
「一応対処できないこともないけど、あっ、私の友達の話なんだけどね」
答えたのは利原だ。
「やっぱり下の階の人がベランダでタバコ吸っていて、管理会社に注意してもらっても直らなくって……」
「それでどうなったの?」
福本が前のめりになる。利原はニタリと笑みを浮かべた。
「わざとらしく消臭スプレーをかけまくったんですって。でも、全然ダメで……。頭にキた友達はね、上からバケツで水ぶっかけたんですって」
知人の行いを誇らしげに語る利原に福本は少しだけ羨ましそうな顔をすると、ゆっくりと椅子に背をもたせかけた。
「やっぱりそれくらいしないとダメなのね。でも、そうするとこっちが加害者みたいな扱いにされてしまうのよね。日本の法律だと」
「さすがに友達のはやり過ぎかもしれないけれども、警察に通報するのもおススメよ。物が燃えているような臭いがするけれども、110や119するほどか分からないから見に来てほしいって言うの、あっ、匿名よ、絶対」
「でも、うちの近所の警察は、タバコは犯罪じゃないって思っているらしくて……曖昧な対応しかしてくれないところなんですよ」
依藤が自虐気味に愛想笑いをすると、利原は口元から笑みをなくして「警官によっては注意してくれることもあるけど」と冷ややかな独り言を言った。
「あっ、うちの近所はね、そういうのがないのよ」
室賀はランクドシャーを1つ手に取った。
「えっ? 何かそういうルールがあるの?」
利原が飛びつくも室賀は「そういうのはないんだけど、ね……」と言いつつ菓子をかじる。「何? 何かあったの?」と福本も加勢したところで、室賀はやっとごくりと飲み込んで「そうそう――」と語り始めた。
「ちょっと前にタバコで迷惑かけている人がいてね、同じアパートの人が苦情を入れても全然止めなくって、それでね……その部屋で真夜中に火事が起きたのよ」
室賀は声のボリュームを落とし、口の横に片手を添え、それが怪談話であるかのようにひそひそと話した。
「一応火はすぐに消し止められたんだけど、その人と奥さんと、それからお子さんが2人丸焼け」
「寝タバコってこと?」
福本がすかさず尋ねると、室賀は小さく首を横に振った。
「それが、火元は違うところからだったんですって。それに、何かで縛って動けなくした跡が残っていたんですって。知り合いが親戚の消防士から聞いた話なの。でもその家はずっとそんな感じだったから、もう寝タバコってことにして終わらせたのよ」
彼女はテーブルの下で指先をこすり合わせて砂糖のカスを落とした。
「だからうちの近所だと、タバコで迷惑かける人は家や家族が燃やされても当然ってことになったのよ。あと、遺族の親戚は賠償金とか慰謝料とかそういうのでもう大変みたいよ」
そして、最後にシメの一言を終えると今度は色の違う方に手を伸ばした。
「でも家の中で吸ったって言っても、結局開けてある窓や換気扇から漏れたのが入ってくるし、プンプン臭ってくるでしょ?」
福本の口の端が下がる。
「でも、家の中で吸うのは法律で許されているのよね。これも変な話だけど、いくら周りに煙や臭いを飛ばしても、ネ。結局モラルの問題になるんだけど、そういうのが欠けた人って何があっても止めないでしょ」
「もう、法律でやってくれないなら仕方ないのよね。無法には無法しかないのよ」
利原が鋭く言い放つと、福本も「そうするしかないのよね、結局」と声をこぼした。
「だって我慢していたら体に有害でしょ?」
「まだ私はやっていないんだけどね」
福本が前置きを宣言すると3人は目にわずかばかりの輝きを灯した。
「もう本人に言っても効果ないじゃない? だからね、その家の子供を仲間外れにするのよ。いじめじゃなくて、ただ学校でも外でも一緒に遊ばない、グループ活動のときに誰も誘わない。直接言わなくても親がその家と距離を取っていれば子供も自然に理解するのよ」
一転して微妙な顔をする依藤に福本は追加した。
「あとはその人の勤め先に匿名で何度もクレームを入れるのは? そうすれば会社は無下にできないでしょ? それで解決すればいいし、そうじゃなくても居辛くなって引っ越してくれれば上々よね」
「それでもダメならもう、子供とかペットを……狙うとか?」
「殺すかとか、それか、もうその地域に住めないようにするとか……」
「車に細工とかは知識がいりそうだし……」
「駅の階段とか、ホームで押したりするのもいいかも」
「蚊取り線香とか、消臭スプレーとか……ですか?」
彼女たちは口々に自分たちを守るための計画、と言えば聞こえがいいが、それ以外に危害を加えかねない計画を嬉々として披露し合う。タバコの煙や臭いを他人に浴びせることに対して、同等の迷惑行為は法に触れてしまう。その、少なくとも彼女たちを含む多数の非喫煙者にとっての不条理さが話をカラフルに飾り付ける。
「だって、こっちが臭いで迷惑しているから止めてくれって言っても、しれっとやってくるんだもの。本当に虚しくなるのよ。ああ、私たちが困っているってことを完全にどうでもいいと思っているんだって。頼んでいるのに。言葉が通じないのよ。それなのに普通の人間みたいな顔して。だから仕方ないのよね」
誰も止めない。
「そうよネ。家族の健康、部屋にヤニと臭いがつくこと、この2つと、他人の健康、他人の物にヤニと臭いがつくこと。これを向こうが比べて、自分の我を通しているんだもの。だからこっちもあらゆる方法で対抗するしかないのよ」
止まらない。
「無法には無法よね。自分たちを助けられるのは自分たちだけなのよ」
*
藤田はノートをパタリと閉じた。彼が今まで読んでいたページには今日、そしてこれからの話し合いでどう立ち回るか記してある。スマホにも「メモ帳」の機能があるが、藤田には紙媒体で読み書きするのに慣れていた。彼は寝室に設けられたミャンマーチークの格調高い机の上に肘を置くとペンをノートの横に並べた。
「コーヒー」
藤田がスマホに向かって注文を出すとすぐにテーブルの上に水滴のついたグラスが現れた。その中には焦茶色の液体と立方体の大きな氷2つ入っており、それから透き通るようなガラス製のストローが刺さっている。
彼はアイスコーヒーをストロー越しにゆるやかに流し込みながら先ほど閉じたノートの表紙を眺めた。火照った脳にホッとする冷たさが染み込んでいき、カフェインが刺激を与える。
ぼーっと表紙を見ているうちに藤田の頭に数日前から度々訪れる考えが再来した。
(私はもう死んでいるのかもしれない)
彼自身もなぜこの考えが浮かんできたのか分からない。
(ここがこの世ではないとすれば、こうしたよく分からないことがたくさん起こるのも不思議じゃない)
ただ藤田はこの考えをそれほど不自然と思っていなかった。
(あるいは死後ではなくて、多分、死ぬ手前のところ、臨死体験に近いのだろうか?)
グラスの側面に付いた水滴がつーっと垂れる。
(他の人も同じように死ぬ手前なのかは分からない……。このゲームに勝ったら生き返らせてくれるということ……ニニィが言っていたことはそういう意味なのかもしれない)
氷が溶けてカランと音を立てる。藤田は再びグラスを手に取るとストローをすまし顔で咥えた。
(でも、この手の物語では地獄の食べ物を口にしたら後戻りできない……。仮に戻ることができたとしても、何かしら今までの生活に戻れない後遺症めいたものがある。そんなことはありえないけれど……。そんなことはない……というのが盲点なのかもしれない)
彼特有の発想の逆転とは名ばかりのただの児戯に等しいそれをしながら藤田は唇をぴくりと動かした。
(こういうのは自分から言って責任を取るものでもないし、第一……)
寝室には仄かにコーヒーの香りが漂っている。
(ただ、この仮説に基づいて考えれば脱出の方法はあるのかもしれなくて、でも、まあ、他の人には知られない方がいい。第一に馬鹿馬鹿しいし、それに、もし本当にそうだったら……)
彼は唾をゴクリと飲むと顔をしかめた。
(この手の話だと、1人しか助からないのがセオリー……)
「さて」と部屋の中に小さな声がこぼれた。
藤田はまだ中身が半分ほど残っているグラスを脇に寄せると再度ノートを開き、ボールペンを指に挟みながらそこに目を落とし始める。
一瞬のうちに机の上から不要なものは消え去った。
*
広間には数人の男女が静かに滞在している。自分の部屋にいるのが息苦しい者、誰かしらの動向を探る者、あるいは何かの情報を気付かれないように交換し合う者……。緊張のような安堵のような奇妙な空気がそこに流れている。
そこに突然誰かが飛び込んできた。そして、場違いな声が広間に響いた。
「だれ、だれか、たすけて!」
広間にいた参加者の視線は一気にそこに向いた。声の主は鰐部だった。
「どう、しました?」
真っ先に鈴木が尋ねた。白いブロックの上に座ったまま、わずかに眉をひそめて鰐部をじっと見ている。
「みん、みんなが倒れ、たの! 夏里さんの部屋で……」
その鰐部は肩を大きく動かし息を荒くしてガタガタと震えている。余程急いで夏里の部屋から飛び出したのだろう、ポロシャツの胸元にコーヒーの染みを付けていた。
「とにかく部屋に、いや、鰐部さん、一度戻って広間に連れてきてください」
水鳥が滑らかに立ち上がると持ち前の説得力のある声で鰐部の求めに応じる。
「広い方が何をするのにも都合がよいでしょう」
「ハ、ハイ……」
何とか返事の音を漏らし、鰐部はおたおたとスマホを触っていたかと思うと、一瞬のうちに姿を消した。
「今のうちに人を集めませんか? もしかしたらニニィの仕掛けた新しい展開なのかもしれません」
水鳥は全体を見渡した。まだ全員が事態を飲み込んでいるわけではない。クエスチョンマークを頭に浮かべる者、あるいは何かの罠かと訝しむ者……。
(鰐部は嘘をついていないが……。全員が信じるとは限らないか。僕が言ったところで全員からすぐ信用されるわけでもない)
「でも、感染症だったらどうするのよっ、私たちまで感染したら」
鳥居が唇を震わせ自分の体を抱きしめながらもきつい口調で尋ねると、水鳥が素早く「それはないでしょう。このゲーム中は健康が保証されています」と答えた。
広間にたまたま居合わせた参加者たちは同じグループのメンバーに連絡をし、「ににぅらぐ」でニニィに質問をし、とにかく何かをしながらただ鰐部が戻ってくるのを待った。しかし……何が起こったのか、その原因を突き止めて治療できる医者も、捜査できる警察も、もういない。
『ニニィが参加者に何かしたの?』
「何もしていないよ」
『夏里花子に何が起こったの?』
「ナイショだよ」
天井付近にモニターとともに現れたニニィは「ににぅらぐ」を介した誰かの質問に答えている。
少しして青い顔をした鰐部と服の前を濡らした江守がやって来た。彼女たちが手を掴んでいるのは――泡を噴いて痙攣している夏里、御法川、元木の3人だ。
「どうしました?」
連絡を受けていなくても「ににぅらぐ」を見て広間に訪れた参加者の姿もある。その度に誰かが起こったことを伝えるが、情報は交錯している。鰐部と江守もまともに話せる状態でもないから余計に話がねじれていく。
「これは……僕たちの手には負えませんね……」
「どうしよう? 可哀そう……」
「でも、できることなんて……」
しかし、床に倒れている3人にできることは少ない。せいぜいタオルで顔の汗を拭う程度であるが、地獄の形相に大して縁のあるわけのない面々は近づくことをためらう。
意見を出し合って治療をする時間は残されていなかった。
3人とも白目を剥いて、陸に上がった魚のようにパクパクと口を開閉し口角の端に泡を浮かせ、「カヒ、カヒ」と音を鳴らし、喉元を掻いて、両足で床をバタバタと蹴ってもだえ、隣とぶつかっても、重なっても、動き回るだけであり、広間に居合わせた参加者はもはや遠巻きに見つめるだけで、鰐部と江守は横たわる3人を揺すっていたが、「カヒ、カヒ」の音が弱くなると彼女たちの下半身がじんわりと濃く染まり、やや遅れて腎機能が弱まった臭いが辺りに漂った。
「死ん、だの?」
「夏里さん、御法川さん、元木さん……」
「何だい? 一体何があったんだい?」
吉野が広間にやってくるも――。
「死んでいる……」
鈴木がぼそりと呟いた。水鳥はアプリの「投票箱」を開くと名簿の一覧に素早く目を通した。
「3人とも、亡くなっています」
手遅れだった。広間に小さなざわめきが生じる。突然すぎる。何の脈略もなく3人が死んだ。
「えっ? なんで?」
「ニニィのせい……?」
「ニニィは何にもしていないよ」
モニターから広間を興味深そうに覗き込みながらニニィが答えるも100%信じる根拠はなく、ニニィが真実を知っているかどうか真偽も不明である。
広間に集まっていた参加者はその死体を前にそれぞれが頭を働かせるが、それで何が分かるということもない。やがて広間から1人、また1人と参加者は姿を消していった。
(まずは猪鹿倉さんたちと話さなくては)
(ここにいたら、巻き込まれる……)
(気持ち悪い……)
(さて……コレをどうやって使えばいいかねぇ)
吉野はそこに横たわる3人をしげしげと眺めながら目を細くした。
*
ニニィによるゲーム開始の合図があってから投票までの10分間を参加者たちは話し合いと称し、そこで全体にかかわる事項を決めることにしていた。今日も似たような形式を取ってはいるが、参加者たちの中にはいくつかの塊となって既に話を行っている者たちもいる。
「なんか大変そうだね。ニニィ的にはどっちでもいいんだけど」
ざわめきが消えないうちに広間の明かりは消え、モニターとともにニニィが姿を見せた。ニニィは定刻通り現れた。つまり、一部の参加者はいつの間にか時間を忘れるほどに例の件について熱くなっていたということであった。
「25日目の『透明な殺人鬼ゲーム』、始めるね。参加者は全員、投票は10分後だよ。では、どうぞっ」
真っ先にイニシアチブを取ったのは吉野――いや、松葉だ。年齢故のレスポンスの差が現れる。
「状況を整理しましょう。今日の14時半頃、亡くなった3人と鰐部さん、江守さんは夏里さんの部屋を訪問して一緒にお茶を飲んでいたところ、突然3人が苦しみだした、と」
じっと松葉が鰐部を見ると、彼女は「は、はい……」とプレッシャーに負けて返事をした。
「その直前に3人は何をしていたのでしょうか?」
松葉は薄っぺらい笑みを貼り付けたまま再び尋ねる。鰐部はちらりとメンバーの方を見ようとしたが、参加者たちの視線に押されて満足に首を動かせない。
「そのとき……えっと、夏里さんがお茶請けにきんつばを出してくれて、それを食べて……」
「その3人だけがきんつばを先に口にした……ということはそれに毒が混入したということですね」
有無を言わさず松葉が結論付けた。
「それならば、誰が彼女たちに毒を盛ったのでしょうか? 出した本人である夏里さんは毒に当たって亡くなりましたから。それ以外の、誰でしょう?」
猪鹿倉が、これもまた素早く応答する。
「彼女たちが普段から接している人物でしょう。きんつばを用意したときに近くにいたはずです」
「待ちなよ」
吉野が口の端を歪ませ鋭く猪鹿倉を睨む。
「早計過ぎやしないかい? 仮に毒殺だとしても、食べ物以外に遅行性のものを広間のどこかに仕掛けられていたのかもしれないだろう? そんなことができるのは毎朝広間に来ている奴じゃないか」
「仮に仕掛けられたとして、私たちの座る場所は毎日ランダムです。狙ったように同じ場所にいた人たちだけが同じタイミングで発症すると考えるのはいくら何でも強引でしょう」
対する猪鹿倉も目を尖らせた。2人の視線はぶつかり合い、バチバチと火花を散らしているが――。
「ねえ……鰐部さん? そのきんつばって、昨日吉野さんがみんなにくれたアレ? だったら毒を盛ったのって……」
どこからともなく聞こえた声――政所の声が遮った。参加者たちは驚くほど一様に吉野の座る椅子の方へ首を動かした。広間の空気が奇妙に震えた。
(吉野がメンバーから浮いているように見えたのはこれが原因だったのか)
事情を知らない人物の感じていた違和感の正体、それはすでに菓子の出所を知っている彼女たちの隠しきれない不信感であった。広間の流れが一気に傾く。
「待ちなって」
吉野が口の端をピクピクと動かした。
「確かにあたしは昨日きんつばを渡したさ。ただ死んだ3人以外にも渡しただろう? 他にも食べた人がいるのにどうしてあの3人だけが毒に当たったんだい? 食べ物に含まれていたなんて証拠自体ない。第一そんなことをして何になる?」
「そんなの誰にも調べられないし……」
「でも、きんつばを食べてから苦しみだしたし……」
味方であったはずのメンバーたちから敵対心がはっきりと現れ始める。理由は明白だった。
(もしかしたら私が毒入りのきんつばに当たっていたかもしれないし、それに、今までも……)
「何言い訳言ってんだか、いい加減認めろよ! お前が毒を盛って殺そうとしたんだろ!」
時田が大声で追い打ちを放った。彼の周囲がせせら笑う。しかし吉野はピクリと眉を動かし「そんなわけないだろう?」と跳ね返すだけで、それ以上の反応を示さない。あくまでも彼女の目線は参加者たちの言葉の通じる方に向いている。
「でも、吉野さん数日前からお菓子くれるようになって変だったし……」
背を丸めた江守が小声で誰ともなく呟くとその声は不思議と広間によく通る。
「まあ考えてみなよ。3人が亡くなったのは毒殺だってあたしも思うさ。でも、仲のいい人を殺すなんてありえないだろう? 特にこんなゲームをさせられているんだから余計にありえないさ」
吉野の顔は全く変わらない。しかし、注意深く観察している者には分かる。今まで無意識の内に行っていた微細な体の動きが全く見えなくなっている。
「と、なると毒殺犯は彼女たちと対立していた奴だろう?」
「いや、お前だろ。元々俺たちのことを見下していたんだから、下級国民に毒を盛るなんて殺虫剤を使う感覚なんだろ?」
中川がヤジるとまたしても意地の悪い笑いが巻き起こる。
「あたし? 何の証拠もないじゃないか」
吉野はあからさまに鼻で笑った。
「それなのに殺すつもりかい?」
「今までそうやっていましたよね」
笠原が無表情のまま声を上げる。
「長岡君も佐藤君もそうやって死んでいきました」
どんなに吉野が弁が立つと言っても、財力や人脈があっても、客観的に真っ当なことを言っていたとしても、この「透明な殺人鬼ゲーム」は結局数の暴力である。
「待ちなって。ニニィの仕掛けた罠かもしれないじゃないか。こうやって内部の混乱を起こしてあいつは面白おかしく見ているってこともありえるさ」
「ニニィ本人が否定していますし、今のところニニィは嘘をつかないという話になっていたはずですが」
松葉が薄い笑いを浮かべながら吉野の説を否定し――。
「まだきんつばを食べていない人もいるだろう? それに毒が入っているか調べるのが先じゃないか」
「他の人のには敢えて毒を入れていなかったんじゃない? そもそもどんな毒かも分からないのにどうやって調べるのよ」
妹尾が疑いの目を向け――。
「待ちなよ、今あたしが死んだら2000万円が――」
「2000万円? それも死んだら意味ないじゃん」
大川がわざわざ余計な言葉を挿み――。
「あたしが死んだらN県はどうなるんだい? 関係者があたしを殺した奴のことを探さないわけがないだろう?」
「このゲームの記憶は残ったとしてもお互いのことはお互いが覚えていたいと思わなければ記憶されないことになっています」
鳥居がとげとげしく訂正し――。
しかし吉野は決して態度を翻すことはなかった。彼女にへばりついた最上級国民の年寄り特有の傲慢なプライドがそれを許さなかった。
「それならばこうしませんか?」
水鳥が一瞬の沈黙にスルリと割り込むと、一気に注目を集めた。
「吉野さんが言っていることが正しい、つまり吉野さんが犯人ではないと思うなら吉野さん以外に投票する。吉野さんが犯人だと思うなら吉野さんに投票する。毒殺犯が僕たちの中にいることは非常に危険ですし、もう、判断は自分たちでするしかないのですから」
「ええ、構いません」
「まあ、だな!」
「いやちょっと待ちなよ。犯人探しと不要な人物とは別の話だろう?」
吉野は唇の端をピクピクと動かし、汗をじんわりとかいており、もはや隠すこともできていない。
どの発言がもっともらしいのかよりも、自分の生きる確率が高い方を選ぶのがこのゲームでの鉄則であるが、今や、参加者の中にはどちらの方が胸の晴れる結果となるのかが判断基準となる者が現れていた。最上級国民が、あらゆる不条理を押し付けてくる連中の1人が、これまであらゆる揉み消しで何人もの人生を奪ってきた連中の1人が、追い詰められたことは一般市民にとってこれほどもなく清々しいことであった。
(こんぐらいで許されるわけねえだろうが!)
毒を盛った盛っていないとは関係のない、苛烈な処罰感情が随所で吹き上がる。そして――。
「はいっ! もう投票の時間でーす」
モニターとともに現れたニニィが首を傾けると一瞬のうちに参加者たちは自分以外誰もいない真っ暗な空間に囚われた。そこで彼らは誰を犠牲にするのか、誰を守るのか、各自投票を行い、そして、また一瞬のうちに元いたところに戻っていた。
「今日の犠牲者は吉野和枝、さんでーす!」
*
参加者の表情はばらついているが、そのばらつきの向きは同じ方向を向いていた。言わずもがな暗い笑いである。とはいえ露骨に感情をむき出しにしている者はいないが、それは体の動きが制限されているからであって、内心は心の底から喜びを感じている者もいた。
当然ポーカーフェイスを貫く者、あるいは生き残ったというほんの少しだけの喜びを見せている者もいるが――。
「それじゃあ始めまーす」
ニニィが両頬に人差し指を当てるとむにいっと持ち上げた。
吉野は、これまでの堂々とした態度はもはやどこにもない。涙と涎で醜い顔をこれでもかと言うくらいに汚して透明なケースの壁の向こう側に泣きついて、嗚咽交じりに何かを言いながらどうにかしてそこから出ようと、いや、出してもらおうとしているが、突然顔に脂汗を浮かべると、腹を両手で押さえてうずくまり、ぶるぶると震え、身を捩り、限界まで硬く縮こまらせて――壁一面が真っ黒になるとその表面に「自主規制」の文字が現れて、ケースが弱々しく揺れて、まるで大きなドラム缶に入れた腐った缶詰が缶切りで小さな穴を開けられそこから中身が勢いよく噴出したように揺れて、あとは「自主規制」の文字が横向きに動くだけであった。
「あ、こっちの死体もまとめて片付けておくね。それじゃ、また明日っ」
テンションが高いニニィの言葉通り、不透明な黒いケースが沈んで消えるのに合わせて隅に置かれた3人の遺体も消えていった。
体の自由が戻った鈴木はすぐ、スマホを手に取って「カードキー」を起動した。
(まあ、私は獣医だから調べられないこともなかったのですが……)
死因、死亡時刻、混入経路……。技術と経験を基にすれば人間相手でも推測は容易である。
(調べれば、正体が知られてしまいます。そうすれば攻撃の的になりますから……)
(真実を明らかにするよりも、生き残ることの方が優先ですね)
彼の親指がわずかに動くと鈴木は姿を消した。
*
今日の犠牲者 吉野和枝
一番大事な人 又姪
N県の大地主。圧倒的な権力をN県内で持っていた。何か大掛かりなことをするときは吉野を通し、気に入られる必要がある。それは実力や有効性と言った当然のことに加え、吉野の機嫌や好みが露骨に反映される。袖の下が必須。
一応良い影響を県民に与えていなかったわけでもなく、例えばTeam.ほにゃららの人たちは活動できなかったし、某国による拉致被害も他県と比べて突出して少なかった。
ここで一句、
「くそばばあ ごーつくばりばり ばばりばり
てつめんひっさげ いばりばりばり」 ニニィ
今日の犠牲者 夏里花子
一番大事な人 息子
体力A 攻撃S 防御B 魔力C 精神A 敏捷B
特性はどれも相手の攪乱に持ってこい。さらに大抵の攻撃を一発は耐える程度の耐久を持ち、最低限の役目は果たす。攻撃力も高く見えるが残念なことに主要技の威力がイマイチ。火力不足を感じる場合は持ち物で補おう。必殺技を消費するかは微妙な所。
今日の犠牲者 元木信子
一番大事な人 娘
通常技A 空中技A 必殺技B 移動B 空中移動B 回避C
ガードキャンセル空中攻撃の発生が速く優秀。欠点はそこから繋がる技が一定パーセントを超えると少なく決定力に欠けることと、それ以外のガードキャンセル行動が遅めなこと。こすりすぎると読まれるので、ある程度あえてリスクを負う択を選ぼう。
今日の犠牲者 御法川加代子
一番大事な人 孫
移動A 通常弾S 特殊弾C ボムB 当たり判定C
通常弾のホーミング性能かつ弾数が優秀で、大方の敵は押し切ることができる。ただし貫通性能を持つ攻撃がないのが玉に瑕。さらに当たり判定も大きく、端に追い込まれてボムが無くなると詰む。高得点を狙ってグレイズをやっていると回避が間に合わないことも。回避ルートを常に考えながら動こう。
※作中で登場人物が言っているようにベランダ喫煙は警察の管轄外です。それから、仮に相手の会社や学校などに相談すると相手からプライバシーを侵したと言われることがあるそうです。同じような状況の方がいましたらその対応は自己責任でお願いします。
いつも読んでくださってありがとうございます。
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