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第31話 頼るな

 有松の部屋は一見するとほとんどデフォルトのままである。リビングにもキッチンにも、洗面所にも風呂にもトイレにも、ほとんど言っていいほど余計に置かれている物はない。ここでは一時的に何かが置かれていたとしても片付いてしまうし、埃やチリはいつまで経っても積もらない。つまり、生活感がないのに清潔であって、不自然だった。

 彼の部屋の中で唯一他の部屋と違っているのは寝室であった。彼は自分の部屋にいる間、そこで大半の時間を過ごしていた。


 寝室の中央には最高級のセミダブルベッドがあり、サイドテーブルとランプが備え付けてある。あとは、始めのうちは、簡易的なクローゼットとハンガーポールが隅にあるだけであった。しかし、今やそこは他の参加者からしたら異様な空間に様変わりしている。「ににぉろふ」で追加された家具は、作業机と椅子、棚、その付属物くらいであるのだが、問題は小物であった。


 その部屋の中央には硬い焦げ茶色の額縁に入れられたニニィの写真が神々しく飾り付けてあった。作業机の上には球体関節人形――精巧なニニィが置かれている。棚には粘土細工の彩色済みニニィが、ニニィが、ニニィが、ニニィが並べられている。その上段にはSDニニィのラバーストラップがずらりとフックに吊り下げられている。

 彼はニニィを崇拝している。


 (ニニィは天使だよ)

 有松は作業机の上にある写真立ての中のニニィを見つめた。体が自然と温かくなる。表情を蕩けさせて写真に手を伸ばすも、フレームを指でそっとなぞって引っ込めた。


 彼は、自分が殺されるはずだったところをニニィが救ってくれたと信じている。ゲーム初日の死亡者は志願者であり、2日目、初めて何も決め手のない中で選ばれたのは、青井拓斗という名前の男性だった。彼が犠牲者になった後に、ニニィが名簿の名前をランダムにしなければ、青井の次に並ぶ苗字は――有松だった。


 (まず、この姿……)

 その写真立ての中には頭身の低い、白と水色をベースにした人型のロボットの姿が飾られている。体のラインは少しだけ曲線的で女性のようであった。


 (あのちょっとだけ子供っぽい声、甘い声……)


 『ニニィです。よろしくね』

 『みんな、ばいばーい』

 『ねえ、ニニィの失敗にかこつけて関係ない要求を通そうとしても無駄だよ。そういうのさもしいと思わないのかな?』

 『みんなのことが、大好き……だよ』

 虚実入り混じったニニィの台詞は時に可愛らしく、時に毅然としてかっこよく、時に慈しみが込められていて、有松はその声を頭の中で再生すると、脳が溶けるように感じた。

 (表情が変わらないでその代わりに漫画の記号みたいなので表すの、声と組み合わさると――いい。本当に……)


 (可愛い、は、違う。そうだけれども、そうじゃなくて、それよりももっと上の言葉じゃないと表せない……。いい……)

 その幸福を伴う感情を言語化することはできない。その代わり、緩慢な動作で表現することで幾分か満ち足りることができる。彼は肺いっぱいに空気を取り込んで、ゆっくりと吐き出した。


 (最近は色んな扮装もしていたし、その後その日は『ににぅらぐ』のSDニニィも同じ格好をしていたし、遊び心? お茶目? 僕たちにサービスしているのかな?)

 有松は「ににぅらぐ」を立ち上げても質問を投げかけたことはなかった。神聖で畏れ多い存在に気安く接触して良いものではないと戒律を定めて忠実に守っていた。


 (でも、こんな至上の幸福に満ちた生活もゲームが終わるまでだから、あと32人死ぬまで・・・…。長くても32日しか残っていないんだ……)

 彼はほんの少しだけ心が曇ったのを感じた。それでもなお彼は取り乱すこともなかった。

 (いいんだ……。人生で一度だけでもニニィに会うことができたんだから)

 そう考えるだけで体が軽くなった。


 (今日もまた会える)

 有松は再び写真立ての中をうっとりと眺め出した。


 第一モニターに映っている姿は、ニニィが何者であったとしても、実際の姿だとは限らない。ニニィという名前もガワの名前なのか、誰かの本名なのか、組織の名前なのか、分からない。ニニィについて参加者たちが分かっていることはモニターの中に現れる例の彼女だけで、他には何も分かっていない。

 それでも有松は満足であった。彼が崇拝しているのはあくまでもモニターの中にあるニニィであって、他の何でもなかった。関係のないことであった。





 柘植が朝起きてからおよそ30分後、いつものように瑞葉からの入室申請があり、彼が承諾すると、すぐさまリビングに瑞葉が現れた。


 彼女は留紺色のだぼついたワンピースを腕まくりやら折って吊るしてやらを駆使して、それをベルトとサスペンダーで固定して、小柄な自分に合うようにあつらえている。瑞葉が柘植の方を振り向くとセミロングの黒髪が遅れてサラサラと流れた。


 「おはよう」

 柘植がそう言うと瑞葉はにっこりと笑い、首からぶら下げているハーモニカを咥えて「プー」と音を出した。


 「瑞葉、今日は普通の朝食にしよう。それでいい?」

 柘植の問いかけに瑞葉はコクコクと頷いた。

 柘植は「ににぉろふ」を立ち上げると、スマホに向かって「ご飯、目玉焼き、サケの切り身、サラダ、味噌汁、2人前」と言った。次の瞬間、テーブルの上に出来立ての料理が実に美味しそうな香りを伴って現れた。品書きこそ柘植の言った「普通」であるが、その味は決して普通ではない。このクオリティのものを毎朝食べることができる人はそういない。


 彼らは食卓につくと「いただきます」と手を合わせて、食事を始めた。柘植はレタスとキュウリのサラダを真っ先に選んで口に入れた。瑞々しく気持ちの良い食感が頭をさっぱりとさせて、夏の味が体に染み渡る。

 (昨日ニニィは、これから日本語を使うと言っていた……。そもそも何故ゲーム前後だけ外国語を使い始めたのか……。『ににぅらぐ』の応答は日本語だったのに)


 柘植が瑞葉を見ると、彼女は同じくサラダに手を付けていた。視線に気づいたのか、瑞葉は柘植を見た。

 「美味しい?」

 柘植がそう尋ねると、瑞葉は頷いてからまた柘植を見続けた。

 「私もだよ」

 瑞葉は気持ちよさそうに目を細めた。意思が伝わって、食べる順番が同じで、更に好みが同じことが大事なのだろう。


 続いて柘植は焼き鮭の身に醤油を垂らし、箸で切ると白米の上に乗せ、まとめて頬張った。あっさりとした鮭の旨味を醤油がきちんと引き立てて、米の甘みがそれらを上手く包み込む。

 (目的は分からない。このゲームを行う上でどういった意味があるのだろうか。もしかしたら、10日目の失敗と何か関連があるのだろうか)

 量に加減を加えれば、また微妙に異なった味になるが、それもまた格別だ。

 (意味はないと考えるのが妥当だろう。結局、外国語で話した内容に攻略の鍵はなかった)


 彼はこれからどう立ち回るべきだろうかと考えるが、しかし、考えて分かるものではない。結局その場その場で臨機応変にやっていくしかない。柘植はサケの骨と皮を食べながら代わりに別のことに意識を向けた。

 (それから、瑞葉の記憶喪失だ。幸い本人は思い出しても思い出さなくてもどちらでもよいと言っているから、そのままにしておくのも手の一つだが)


 硬めの半熟の黄身を箸で突き、そこに醤油を少し垂らす。それから箸で掴んでかぶりつく。黄身がトロリと口に流れ込み、弾力のある白身が舌の上に乗る。醤油はもちろん白身の焦げも味に深みを与えている。

 (何かのきっかけで戻るのであれば、ここで、時間のあるときに戻ってほしい。話し合いの最中に起こったらどうなるのか想像もしたくない)


 彼は瑞葉と目が合った。彼女はニコリと笑うと、半分になった目玉焼きを口に運んだ。柘植は微笑み返した。

 (参加者の情報は概ね集まっている。流石に情報媒体に載っていないものは知りようがない。今なら多少だが時間を設けることができる。また何か起こらないうちに調べておくのも手かもしれない)


 (ただ、思い出してしまえば、恐らく瑞葉の一番大事な人は私でなくなる。だから、お互い一緒にいる理由はなくなる)

 今朝のみそ汁は大根と油揚げのシンプルなものであった。優しい味という言葉がまさに当てはまる、体をほっこりさせる甘みと旨みの混ざり合った味であった。

 (しかし、私も瑞葉もこのポジションに収まっている以上、そうなってからどこかのグループに入るのは……難しい)


 (そうなると今まで通り協力していく必要があるが、問題は記憶を取り戻した瑞葉がそれを冷静に理解して受け入れることができるかどうかだ。現状そうするほかなく、そうすればお互いに得をする。思考の整理や確認ができて、何となく不可侵のような地位があって、一人では思いつかない考えも得ることができる。それから、精神的に楽、かもしれないが……)


 (今の瑞葉ではなく元々の瑞葉はどう考えるだろうか? 何にしても広間に出る時だけでも今まで通りにしてもらいたいものだが……)

 そうやって考えているうちに柘植は食事を終えた。

 彼は「コーヒー2杯」とスマホに向かって呼びかけた。あっという間に食後の食卓に深く落ち着きのある香りが漂い始めた。


 カップを手に取って口に運ぶと、心地よい苦みと風味が脳を一層効率よく回転させる。柘植はその味をじっくりと楽しんでいく。瑞葉も同じように飲んでいる。2人はその短い時間を静かに味わった。





 (まあ、流石にやっていないか……)

 鷲尾は昼前に広間を訪れた。そこには普段よりもやや多めに参加者が来ていた。彼らは普段通り本を読み、音楽を聞き、隣の誰かとヒソヒソと話している。

 しかしフリースペースはがらんどうであった。つまり、昨日野口が提案したパーティーを開こうとする者はいなかった。


 (長堂さんがフリースペースを使い終わった後は誰も近寄っていないようだ。別宮さんの報告通りだ。疑っていたわけじゃないけど)

 彼は広間を見渡すと、比較的空いている壁の傍を探した。半分ほどはフリースペースの側にあるが、今は誰も使っていないとはいえ、そこに座ったら非常に目立つ。結果として今まで壁際に座っていた人たちが残りの半分ほどに偏っており、ちょうどよい広さの場所は1ヶ所しか空いていなかった。


 鷲尾はそこにゆっくりと向かった。足音が近づくと、近寄られた人たちは顔を上げてじっと彼を見た。それはパーソナルスペースに侵入されたくないと警戒しているものである。鷲尾が通り過ぎると彼らは安心して先ほどまでやっていたことを再開した。


 (この時間にしてはいつもより多く来ているのは……僕と同じように、パーティーがどうなったのか確認しに来ている人と、あとは内心、参加したいと思っていた人だ……)

 目的の壁際に辿り着くと彼は腰を下ろして壁を背もたれにした。それからタブレットを手に取って栄養学の本を開いた。カラフルな写真とともに成分やお勧めの食べ方が載せられている。

 鷲尾はそれを視界に入れながら、意識をタブレットの枠の外側に向ける。


 (珍しいな……。高邑がいる。あのグループは用事がなければ広間に来ないことが多いのに)

 鷲尾から見て左の壁際にいる高邑はイヤホンを耳に着けて何かを聞いていた。

 (野口がいなくなってもバランスが変わるとは思えないけれども……、そんなに影響力があったのだろうか)


 鷲尾は目を細めた。

 (聞いているのは……音楽だ。コードの伸びる先にあるのはプレイヤーだ。集音機じゃない。スマホに繋いで聞いていれば疑われやすい。計算づくだろうか)

 彼の視線に気が付いたのか、高邑が顔を上げた。鷲尾は寸で察知して目を逸らした。

 (念のためメンバーに知らせておこう)


 誤魔化すように彼は数分間本を読んでいる振りをしてから、今度は白いブロック群の方に目をやった。

 (今日は大川と中津が当番か……)

 その2人はお互いに小声で会話をしながら広い範囲を観察していた。どちらもメイクをやや濃い目に決めて、学生服に合わないブレスレットやネックレスをこれ見よがしに着けている。服も服で、きっちりと着用していないというか、肌の見える範囲が広がっている。

 (水鳥はまだ彼女たちの享楽主義を制御できていないのか……。今ならあのグループが狙い目かもしれない)

 耳を澄ますとその会話は聞こえてきた。


 「この前飲んだあれ、美味しかったよねー」

 「あれね! タピオカがちょーモチモチしてたやつ」

 「なんかすごい甘くてー」

 「ねー。ね、てかさ、太りそうじゃね?」


 (ただの雑談だ。暗号らしい単語は今まで報告されていない)


 「いや、あのあれ、痩せるやつ、薬? あるじゃん。あれ使うとさ、全然体に付かない感じだし、イケるでしょ」

 「まあ結構色々食べられる……、って私、大食いじゃなくてー」

 「いやウチ全然そんなつもりじゃないから。お昼一緒にどう?」

 「うん。広恵ちゃんの部屋? 私の部屋?」

 「どっちでもありだけど、どうするー?」


 (これ以上聞いていても役に立つ情報はないだろう。そろそろ藤田さんが来るころだ……)

 鷲尾はすくっと立ち上がると、スマホを素早く操作して広間から姿を消した。用もなく広間に留まるものではない。違うグループに所属している者からもそうでない者からも、疑われる。





 広間の中央にある円状に並べられた大小さまざまな白いブロックに「透明な殺人鬼ゲーム」の参加者は腰を掛け、あるいは近くに椅子を出して座って、時間が来るのを待っていた。

 ある者は黙って身を縮ませ、ある者は隣とこそこそ話し、ある者はスマホに目を落とし、ある者は誰かを観察し、じっと見つめている。そして――。


 「彼がどうしているか知りませんか!」

 「僕……あまり話したことないし……」

 笠原が表情を険しくして有松に詰め寄っている。そのすぐ傍で半泣きの目を大きく見開いた二瓶がスマホをせわしなく動かしている。小学生たちがその様子に怯え身を縮ませていた。

 わざわざ理由を聞きに行く者はいない。しかし、話し声を聞いて少し観察すれば何が起きているのか推し測ることができた。


 定刻になった瞬間、広間が薄暗くなった。参加者たちの間にピリついた空気が走り、静まり返る。同時に天井近くに何枚かのモニターが出現して、ぼんやりと光を放った。全員の視線はそこに映るニニィに向かった。何にも扮していない。初日に見たままの姿だ。


 「はーいっ、それでは『透明な殺人鬼ゲーム』、16日目の開始です。投票は10分後、今日の出席者は81人。1人欠席です。始めてくださいっ」

 彼女が宣言を終えるとモニターの映像が切り替わった。そこに表示されていたのは事前にアプリの「投票箱」で名簿を見ていた人なら予想できる文字であった。


 『今日の欠席者 佐藤瑛大』

 たっぷりと数秒間、その名前が映し出された後、モニターはブラウン管の電源が切れたときのような音を立てて消えた。


 「日本語だ……」

 中川が思わず出したその声は広間に響いた。しかし、誰もそれを拾わない。


 「今日の投票先は決まりだね。佐藤だ」

 吉野が言い放った。笠原が顔を青くして立ち上がった。

 「そんな……、今日、出てこなかっただけでしょう!」


 他の参加者の反応も概ね二分された。笠原同様、佐藤が死ぬかもしれないことに怯えるか、あるいは、このままいけば自分が今日死ぬことはないと少なからず安堵するかであった。多いのは……明らかに後者だ。


 吉野は「フッ」と鼻で笑い、顎を高くした。

 「わざわざ先に教えたんだ。残りの時間で本人が弁解すればいい。黙ってやるよりよっぽどマシだろう? 自分が残る価値を説明して、上手くいけば投票先から外れるんじゃないか? まあ、いないものは仕方がないけれどもね」


 笠原と二瓶は自分のスマホを横目で見た。何も通知は来ていない。


 「それに全員、自分たちが生きるためにある意味手を汚しているんだ。それを自分だけ背負いたくないってことでやらないで、のんきに過ごしていたら気に食わないだろう? 他人に手を汚させて自分は気楽に、ってのは」

 吉野が眉を吊り上げて言ったその言葉は参加者たちの感情を刺激すると同時に、彼らの知人の某を思い出させた。それは義務を負わないで権利を得る者のことであった。そして、その負担が回ってくる先は……他ならない彼ら自身だ。


 佐藤に対する悪感情が沸き上がっている中、君島が落ち着いて手を挙げると視線が集中した。

 「単純に全員が死ぬリスクに繋がるからでしょう。吉野さんが言ったような理由を認めてしまえば、同じように休み始める人が何人も出てくるかもしれません。そうなれば、ゲーム開始時に参加者が8割を満たさなくなって、ゲームオーバーです。全員死にます。別の理由であっても同じです。ですから、誰にとっても認めるわけにはいかないでしょう」

 彼は止めを刺しただけであった。


 要するに、感情的にも論理的にも反論の余地はなかった。広間が静かにざわついた。


 「もう決まりですね。ところで――」

 突然、松葉が何気ない様子で口にした。広間に緊張が走る。

 「そもそも、彼は何故、今日ここに来なかったのでしょう? ゲームに参加しないリスクは当然知っていたはずです」

 彼は全く表情を変えずに首を傾げた。


 「自暴自棄になって……自殺したかったとかですか? 今はまだ生きているみたいですけれども……」

 妹尾がすぐさま仮説を示した。彼女の手にはスマホが握られている。つい先ほど名簿を見たときには「16日目の死亡者 佐藤瑛大」と書かれていなかった。


 「なるほど。それもあり得ますね。――しかし何故今日になって?」

 松葉が最後に差し込んだ言葉に妹尾は眉をピクリと動かした。

 「それは、同年代の野口さんがいなくなったから、その影響? もしかしたらってことですよ」

 その声に幾分か込められているトゲは松葉に通用していないらしい。リアクションがない。


 今度は藤田がさっと手を挙げた。

 「スマホを誰かに取られたのではないでしょうか? スマホがなければ連絡もできませんし、そもそも部屋から出ることもできません」

 何か自慢げな顔であったが、すぐ君島が穏やかに否定した。

 「スマホは紛失しても必要に応じて自分の近くに勝手に出現します。初日にニニィが言っていた通りです。だから、盗まれても手元に戻ってくるでしょう」

 彼は楽に座りながらじっと藤田をただ見ていた。


 藤田は特に気を損なうこともなく、顎に手を当てると視線を上に向けた。数秒後、彼はハッと何かを閃いた。

 「それなら……どなたかが佐藤さんの両手両足を縛って、口を塞いでいたらいかがでしょう? スマホが近くにあっても操作することができなければ、使用できないという点では先ほどと同じです」

 そこまで言ってから彼は息を飲み、それから深く息を吸って、残りを口にした。

「……何故そのとき生かしたままにしたのかという疑問は残りますが……」


 「確かにそれならあり得ますね」

 君島は寄りかかっていたブロックから背中を離した。

 「彼が誰かの入室申請をオートで承諾するようにしていれば、その誰かが助けに入ることもできましたが……」

 そして、チラリと笠原たちを見た。

 「どうやら誰もいないようですね」


 「それならオートで承諾するようにしていた方が、そういうときに助かるってことですか?」

 竹島が誰というわけでもなく問いかける。猪鹿倉が答えた。

 「オートは危険でしょう。家の鍵をかけていないようなものです」


 「じゃあ、やっぱりしない方がいいですか? でも、信用している相手なら安全になるんですよね?」

 「それは互いの関係次第ですね」

 困り顔の竹島に猪鹿倉は端的過ぎる答えを返した。


 それは信用の問題であった。端から信用し合っていないのであれば、ある意味安全であるが、相手に頼まれたときに拒めば、「それはあなたを信用していない」と露骨に伝えていることになる。ならば承諾すれば、信用していないのだから一時も休まらないし、殺しに来られることだって十分にあり得る。


 2人の話を聞いていた藤田が不意に立ち上がった。

 「それでしたら、今日の佐藤さんのようなことが起きないようにするためにも――」

 「あたしは誰も勝手に部屋へ入れるようになんてしないよ。1人認めたら後はなし崩しになるからね」

 妨げたのは吉野だ。険しい目つきで藤田を睨んでいる。


 (究君はメンバー全員がいつでも入れるようにしているのに……。心が狭いお婆さん……)

 鳥居は意味もなく腹に熱くなったが、なるべく顔には出さないように力を込めた。引きつった笑顔になった。そのすぐ近くの水鳥がすっと手を挙げた。

 「それは人それぞれですが、無理強いをしないというルールを作るのはどうでしょう?」


 「そんなもんどっちでもいいだろ!」

 時田が噛みつくと、広間がガヤついた。主に彼の周りから音が出ている。


 その音が止んでから、君島が立ち上がった。

 「それはいいですね。ただ――」彼はスマホをチラリと見た。

 「もうそろそろ時間ですから、その件は明日全員で話し合いましょう」


 「今日の投票先は佐藤。どんな理由であってもこの話し合いを欠席することはできないはずだよ」

 吉野が釘を刺した途端、天井付近にモニターが現れた。


 「はいっ、それでは投票の時間になりました」

 そこにニニィが映ると、瞬く間に参加者たちは闇の中にそれぞれ孤立していた。スマホの画面だけがぼうっと光っている中で、彼らはそれぞれ自分が殺したい人、守りたい人に投票して、あっという間に元の場所に戻っていた。


 「今日の犠牲者は、佐藤瑛大さんです」

 参加者たちの視線の先には何もなかった。





 彼らは身動きができないまま、白いブロックで作られた輪の中心に目を向けさせられていた。普段ならそこに透明なケースがあって、投票で選ばれた誰かが入っているはずだった。


 高円寺は何もない空間越しに向かいの誰かが俯いているのをぼんやりと見た。

 (会社で自殺者が出ても、死んだ人が悪いことにして、追い込んだ人を庇うのと同じだ。残った生者の生産性を上げるのは当然だ)


 「始めまーす」

 ニニィがそう言っても、少なくとも目の前では何も起こっていない。しかし、参加者たちは知っている。佐藤がどこかで透明なケースに入れられて、あり得ない方法で殺されていることを。


 想像さえしなければ、今日は精神的負担が最も小さかった。事実、見えないところで誰かが犠牲になっていても、自分が痛くなければ、気にする人は少ない。このゲームだけの話ではない。


 「みんな、また明日ねーっ」

 ニニィの別れの挨拶をきっかけにモニターが消えて、少しすると、参加者たちの自由が戻った。


 高円寺は思い出したように手のひらを見ると指を不規則に動かした。

 (終わったのか……)

 参加者が動けるようになったということは、佐藤の死体が入った透明なケースが床に沈んで消えていったということであった。


 広間から人が続々と消えていく。高円寺は遅れないように慌ててスマホを取り出すと「カードキー」を操作して、ボタンを押した。

 (でも何故彼は今日、広間に来なかったんだろう……?)



**




今日の犠牲者 佐藤瑛大

一番大事な人 母


 下校中に河川敷で黄昏ながら「募金活動って何だろう」と考えているところをニニィにアブられる。その理由は、透明性を簡単に知ることができないし、費用対効果も不鮮明であると疑っているからであった。声を出して突っ立っているだけなら、アルバイトや芸で稼ぎ全額寄付するなり(ただし美形はそれ自体に価値があるから別)、金持ちにプレゼンして寄付を募るなりすればよいのに……、ってこの考えはニニィちょっと行き過ぎだと思うけど、然るべき人物や組織を通して然るべきところに、適切な寄付を行うことは、人間のできる最も素晴らしいことの1つだと思うよ。

 それか、ルンペンにビール奢って仲良くなるのだ。そうして、そのルンペンと、同じルンペンを支援する人たちの間に、更にはそのルンペンを介して人脈を作るのだ。

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