第11話 集るな
翌朝、柘植が着替えて水を飲んだ後、瑞葉の入室申請に答えると、実に幸せそうに目を輝かせた瑞葉がリビング近くに現れた。
「おはよう、よく眠れた?」
柘植の質問に瑞葉は笑顔で答えた。
「よかった。私もだ」
柘植は素早く返事をした。瑞葉が声を出さない代わりにメモ帳を取り出して見せるという手間を柘植は推測で省略する。柘植―瑞葉間のコミュニケーションは、柘植が瑞葉の反応、求めるものを予測して次の行動に移ることでそのほとんどが短時間のうちに成り立っている。
「今日の朝食はペレットにしよう」
柘植は瑞葉の返事を待つ前に「ににぉろふ」で「色々な果物味のペレット、水、2人分」を呼び出していたが、瑞葉の方をしっかりと向いている。瑞葉は頷くと備え付けのテーブルに着き、そこに置かれていた自分用のハサミでペレットの袋を開け始めた。
(しかし、瑞葉は強い……のか?)
瑞葉は柘植が座るのをニコニコしながら待っている。促されるように柘植も席に着くと、ペレットの袋を開けて1つ口の中に入れた。程よい噛みごたえが柘植の頭を回転させていく。
(味を変えるのは当たりだな。刺激になる)
柘植はペレットの色味から味を予想してもう1つ掴み、食べた。瑞葉の反応は、柘植が彼女の方を見ると、彼女はメモ帳にペンを走らせていた。
『つげさんのは何味でしたか?』
瑞葉の顔にはウキウキしながら柘植の食べたペレットの味を予想している、とはっきりと書いてある。無邪気そのものである。
「これ? 桃味だった。瑞葉は何味?」
瑞葉は柘植の答えが聞けたことに顔を明るくし、質問を返されたことでさらに明るくする。毎日、特に朝のうちはこの調子である。
『リンゴ味でした』
瑞葉は自分の味をまた幸せそうに伝えると、柘植が次のペレットを口に入れるのをじっと待ち始めた。柘植はその無言のお願いに答えてもう1つ口に入れた。
「リンゴ味だった。同じだ」
柘植が同じ、と言うだけで瑞葉はことさらに嬉しそうにした。それから自分のペレットを1つ食べて、メモ帳に『今度はブドウ味でした』と書いて伝えた。
「色々と、言ってみたがちょうど良いくらいにバリエーションがあるな」
先のやり取りをこの後も続けていれば朝食を食べ終わるまでに相当時間がかかる。柘植はそう思って話題を変えることにした。瑞葉は瑞葉で柘植と話ができれば何でもよいのだろう、一向に気にしていない。
「このペレットには栄養以外にも色々と含まれている。前にも言ったな。まず、一袋で一食分の栄養だ。瑞葉が食べても、私が食べても、一食分」
柘植はペレットを3つ頬張った。南国風の味になった。
「だから何か、一定以上の栄養を制限する成分が入っている。私と瑞葉が同じだけ食べても、腹が空くタイミングはそう変わらない」
またも同じという言葉を聞いてテンションが上がっていく瑞葉を余所に、柘植は、その成分を何とかして持ち出せたらダイエットの分野で一儲けできそうだと思った。仮にそうできたとして、そのためには無論このゲームを生き残らなければならない。
「それに、ペレットには精神を落ち着かせる何かが入っている。そうでなければ、何人もの参加者が脱落、つまり投票の場に参加できるほど気を保っていられないはずだ。ASD、急性ストレス障害で、だ」
柘植はペレットを幾つかまとめて口に入れた。今度はミックスジュースの味になる。瑞葉がペンを走らせる。
『水と空気もですよね?』
「そうだ。よく覚えていたね」
柘植がそう褒めると瑞葉は嬉しそうに笑った。柘植たちはすでに考察済みであった。つまり、自分と、自分の一番大事な人の命がかかっているとしても、パニックが起これば現実逃避をして自分たちの部屋に引きこもってしまう。それが2割以上なら、全員が死ぬ。ニニィにとって望ましいことではないだろう。
「もしかしたらペレットを食べない参加者がいるかもしれない。水や空気の中なら全員が摂っているはずだ。あえてペレットを食べない参加者を脱落させるのが目的なのかもしれないが、ニニィの意図は考えたところで生き残る役に立つことは……そうないだろう」
『この場所自体が普通ではない、ですよね?』
「そうだ。だから、このゲームの裏側を探ってチート行為を企てるよりも、ルールに従ってクリアするのが妥当だ。それじゃ、残りを食べようか」
(それでも……、瑞葉の落ち着き……というよりも、何と言えばよいのだろうか……、普通ではない。初めて会った時は怯えていたし、血生臭い光景も嫌がっている。普通の子供と同じだ。すでに知っているから他の子供よりも心理的なショックは小さいようだが。しかし、それ以外は楽しそうだとしか言いようがない。自分で言うのも何だが、私といるから特にそうなのかもしれない。)
(それでいて、はしゃぎすぎることもない。冷静だ。広間にいるときは適切な演技ができている。記憶が抜けていることに狼狽しすぎることもない。そのことは二の次のようだ)
『次は何味だと思いますか?』
「次は……、そうだな、パイナップル味?」
柘植の解答に瑞葉は笑顔で正解、と答える。彼らは、どちらか片方が死ねばもう片方も死ぬ。だから柘植は瑞葉を非常に注意深く観察している。加えて瑞葉は柘植に非常に肩入れしている。だからこそ、このコミュニケーションは可能となっている。
柘植は残りのペレットから適当に1つ選び、瑞葉に見せる。
「これはメロン味だと思う。瑞葉は?」
『青りんご』
瑞葉は、柘植と同じであることを好んでいるようで、そうでないときもある。出会って数日では、当然、完全に理解しあうことはできない。
「洋ナシだった。外れだ」
だが、それもまた瑞葉にとっては面白いらしい。悪戯がバレたときのように笑っている。
そうやって2人は朝食の時間を過ごしていった。このゲームを乗り切るのに必要なこと、然るべき時にリラックスをすることを彼らはごく自然にできていた。
*
元木信子は河本の部屋で政所、福本、徳田と朝食後のお茶会をしていた。紅茶の香りが薄い水色で統一された家具や調度品の間をくぐり抜けていく。高価なクロスが敷かれたテーブルの上には白く滑らかな皿とお洒落に飾られたスコーンがいくつか置かれている。
「この味なのよ。昔パリで飲んだ味。どうして飲みたかったのがこれと分かったのかしら?」
福本がさらりと説明を加えて一口飲んだ。他の4人もつられて一級品のカップを口元に運ぶ。彼女たち中年女性の体の中にとても綺麗な液体が流れ込んでいく。福本が言葉にしたせいだろう、まるでそこがパリであるかのように彼女たちは気取りだした。
「C'est délicieux. 本当にいい香り、このお紅茶。」
元木もさらりとフランス語で伝える。優雅な一時である。その中で浮いているのは彼女たちの恰好だろう。河本と政所の私服はまだそこに溶け込む余地があるが、残りの3人はカジュアルなスーツ姿で、日本の事務室ならまだしも、パリのカフェテリアには例え高価な服であったとしても、似合わない。
徳田は上品ぶってスコーンを口に運び、その甘みが紅茶の香りと調和しきっていることに眉を上げて驚いた。自然と言葉が口に出る。
「このスコーンもとってもよく合っているわ」
皆がスコーンに手を伸ばし、小さくかじる。その絶妙な甘みと塩気のバランスに自然と笑みがこぼれる。河本が日常に思いをはせる。
「子供たちにもあげたいわよね。政所さんのところは何人?」
「うちは2人よ。どちらもやんちゃな盛りで。寂しいけれど、ここに来てから手がかからなくなって助かったわ」
政所はくすりと小さく笑い、河本と同じように家族のことを思い出す。手が空いて楽になったとはいえ、寂しいことには変わらないのだろう。それ以前の話、明日死ぬかもしれないという恐怖がある。
「そうよねぇ。うちも2人よ。少子高齢化社会だし、最低でも2人いないと日本の出生率は下がっていくものね。本当にこの国、どうなってくのかしらね。徳田さんのところは?」
河本のいう出生率は合計特殊出生率のことであろうが、彼女は出生率にはいくつかの種類があることを分かっていて、説明の手間を省くためにこの単語を敢えてこのように使用したわけではない。それらしく知ったかぶりをしているだけである。
「アタシ? アタシのところは3人よ。旦那も家事やってくれるけど、子供産んで、育てて、それで仕事もやっていかないとなんだから。大変よね」
徳田は口を歪めながらも得意げに笑った。徳田の場合は、女性だから評価を下げられているのではない。個人としての能力が低いだけの話である。それは別段今忙しいこととは関係なく、入社までにどれだけ努力したかが歴とした理由であるが、認めようとしていないだけである。
「ホントよ、全く。うちもそう。女だからって。もう少し後に生まれればねえ、リケジョとか女性管理職を増やすとかで今の子はちやほやされてるじゃない? 女だからって。若いからって……」
河本は徳田に同意して、ふーっと小さくため息をつくと紅茶を口に運んだ。
「ところで、元木さんのところは?」
「うちはまだ1人。中々機会に恵まれなくって……。でも、1人でも大変なのにもう1人できたら、どうなるのかねぇ」
お茶会はパリのカフェテラスから中小企業の給湯室へとその開かれた場所を変えていく。いくら周囲を整えても為りが変わらないのだからそうなるだろう。
「大丈夫よぉー、2人目なんて。1人目で慣れているからあっという間。ところで、福本さんのところは?」
河本が顎を突き出して声を大きくする。そして、さりげなく身を小さくしている福本に狙いを定めた。
「うちは……まだなのよ。羨ましいわ」
福本の声には張りがなく、耳がわずかに赤い。椅子の下でつま先をもぞもぞと擦り合わせている。
「あらそうなの? でも福本さん……早い方がいいわよ。ほら、高齢になると……ね? 生まれてからも、今度は体力が持たなくなるわよ。夜泣きにおんぶに、保護者で何かやったり、上の子と下の子のところを行ったり来たりで――」
河本は声を高くして得意げに苦労を説明し出した。政所は時折頷いている。元木も確かに、と思うところはあるもののどちらかと言えば適当に頷いて、頭の中では別のことを考えていた。
(確かにそうだと私も思うし、日本がこれからも残っていくには大事なことよね。だって、それ以外に方法はないでしょ? だから色々なプラスの扱いはいいと思う。でも、その考えを押し付けて、他人をマイナスの扱いにするのは違うわよね……)
「ねえ? 子供がいないと日本がおしまいなのに、自分たちだけ子供がいないなんてずるいじゃない? 1人育てるのにかかる時間もお金も好きに使えて。その分楽な暮らしして、何? 老後は平等に年金もらって悠々自適ってやつ?」
徳田はテーブルの下で片手の拳を強く握りながら、実にニッタリとほくそ笑んで嫌味を口にした。それとなくでなくても、子供のいない福本を責めるように。
つまり、河本と徳田は同じメンバーの中でも自分たちの方が優位であるようにマウンティングを仕掛けているのである。高々45日であっても、本能的にやらずにはいられないのである。
(彼女たちは分かっていないわ。自分の子供が欲しくても、抱きしめることができない女のおぞましく、狂気的なまでの渇望のことを。何でもする。医学的なことも、それ以外も。蝿を飲むくらい簡単、妊婦の腹を裂いて生き肝だって食べるわ)
元木は静かに考えながら居心地の悪そうな福本と鼻を高くしている河本と徳田を見つめる。元木にとっては、自分がのしかかられなければそれでよいわけだ。当然、一々表立って庇うこともしない。
(私じゃなくてよかった)
その後も話題や立場が変わることがないまま、高級な紅茶やお茶菓子を前にして、河本と徳田は遠回しに、福本にしか分からない程度に、あるいは悪意を持って注意深く聞いているものには分かる程度に福本を突いては薄暗く微笑んだ。
*
沓内は自分の部屋の隅で布団をかぶり体育座りをしていた。今日は水鳥の部屋で投票前に行っているミーティングもない。
(怖い……)
沓内の見つめる先には、ベッドの傍に敷いてある肌触りの良さそうな絨毯がある。他にはこれと言って何かあるわけではない。空気中にチリや埃は1つも浮いていない。強いて言えば、ラベンダーをメインにした上品な香りが室内に薄く流れているくらいである。
(私……これで良かったのかな……)
おまけに今日は割り当てられた仕事もない。同じグループの誰かと話すこともはばかられる。何かをして時間を潰すほど前向きにはなれない。その結果が、現在の状況である。
(最初の日、もし、水鳥さんよりも先に笠原先生からメッセージが来ていたら……、あっちの同じ年くらいのみんなは……話しやすいのかな……)
沓内は、同じグループの同年代と決して仲が悪いわけではない。しかし、向こうはどちらかと言えば華やかで、沓内は一歩引いた性格であるから、何となくかみ合わないと感じているのである。
(怖い……。水鳥さんの言う通りにすれば……どうなんだろう)
もやついた気持ちがぐるぐると沓内の頭の中を、胸の中を、血液に乗って循環する。言葉にできないが、口から音を出せばやがて何となく伝わって気が軽くなるかもしれない、と沓内は思った。問題は話し相手がいないことだ。
沓内の視線は変わらず絨毯に向いている。誰かと話をしようにも、怖い。もし、相手が悪人だったらと考えてしまうと話しにくい。特に、他のグループのところにいる参加者には尚更自分から話しかけられない。
(別に話しかけてもいいんだよね? だって、みんなグループになっていないことになっているし、そっちの方が自然……だよね? でも、やっぱり……怖い。それがきっかけで投票されるのも、投票するのも……。でも……、裏切っているみたいに見えないかな?)
沓内は膝をギュッと抱きかかえる。そうすることで沓内はほんの少し安心し、思考が日常のものに戻っていく。しかしそれは、初日から昨日までの犠牲者たちが異常な死に方であることを沓内に思い出させてしまう。半ば死にかけながら痛みにうめく姿、体から血飛沫が上がり、死の臭いが鼻から脳に――ごちゃ混ぜになって襲い掛かる。
不意にスマホが振動する。沓内は驚きのあまり反射的に上体を起こそうとして、壁に後頭部をぶつけた。
「いたっ……」
幸い布団がクッションとなって衝撃は和らげられた。沓内は小さく息を吐くとテーブルの上に置いてあるスマホに手を伸ばす。「7SUP」に届いていたメッセージは水鳥からのものだった。
(用事……なんだろう……?)
沓内はびくつきながらメッセージに目を通し、静かに目を閉じた。彼女が何を思おうが、自分と自分の一番大事な人が生き残るために、これから自分の意思で広間に向かうのである。
*
広間に参加者が集まる。大声で話すものはいないが、昨日よりもざわめきが大きい。周囲を警戒している者、気配を絶とうと必死になっている者、何人かで情報交換をしている者……。そして、部屋が薄暗くなった。
「『透明な殺人鬼ゲーム』、6日目ですっ。全員参加で、10分後に投票が始まり始まりー? えーっと、始まりまーす」
ニニィが紙芝居を始めるように両手で拍子木を打つとモニターは消えた。
「なあ、さっきニニィに聞いたからもう知っていると思うけどさ」
野口が話を切り出す。今日、これと言う話題がない以上、わざわざ対立する者はいないようである。
「このゲームの参加者さ、最初は100人、今は94人だけどさ、ここにいる数を数えると93人しかいないんだ」
野口がもったいぶる。小さくどよめきが起こる。
「どういうことっすか?」
橋爪がすでに知っているはずの話に無知な振りをして野口にアシストを送る。俄然、馬鹿が馬鹿の演技をしているわけだから、馬鹿だてらにやろうとしてまともにできていないのであるが、地が馬鹿だから一周回って見事に演じ切っている。
「まあまあ」
野口は橋爪に分かりやすいアイコンタクトを送った。
「でも、毎回ニニィは全員参加しているって言うよな? その見えない1人、実は『投票箱』の名簿にもちゃんといたんだ。ほら、最後までスクロールすると1つ、空白がある……、それだよ」
野口の説明を聞いた何人もが自分のスマホを取り出し、操作を始めた。無論元から知っていた者も、である。そうしない方が却って不自然に見える。
「あっ……、ホントだ」
「これ、設定ミスじゃないんだ」
「でも何なの? じゃなくて誰なの?」
「これさ……、赤ちゃんなんだってさ。ニニィがそう言ってた。ここにいる誰かの。それが100人目」
ざわめきを耳にしながら野口は悦に浸っている。
「で、さ。問題は誰の……っていうか、どうやって投票しているのかとか、一番大事な人は誰なのかとか、そういう疑問が残るってことなんだけど……。どう?」
ただし、その続きは尻すぼみであった。明白に、その100人目をどうすると言いきる決断も、その結果を少しでも背負うことができないのである。
「何だい、その100人目が誰かの腹の中にいて、参加者。それなら、平等じゃないかい?」
吉野が言い切った。このゲームの根本、全員の権利も義務も等しいという事実、それを吉野は言い切った。
「それよりもニニィが嘘をついているってことは?」
鳥居が別の可能性を提案する。
「どちらでもいいだろう」
影山がその可能性云々を遮る。
「ただ、ニニィの言う通りであるなら腑に落ちる。ずっと我々と一緒にいた。それなのに100人目の姿は見えない。なぜならば、……内側にいるのだから」
影山はすでにニニィが嘘をつかない、少なくともこのゲームに関しては嘘をつかないと考えている。
「ニニィに『ににぉろふ』で聞いてみたら? 嘘をつくのかどうか、って」
鳥居が粘る。ニニィの言葉の真偽にこだわっているのではない。影山にきっぱり否定されたことが癇に障っただけである。
「いや、それがさ、答えてくれないんだよ」
野口が口を挿むと鳥居はむすっとした顔をした。しかし、次の言葉を口にしない。
「透明人間ってことは? マントとか薬とか超能力とか、そういうので。だってここ自体が結構何でもありでしょ?」
仁多見が妄想を口にする。ただし、このゲーム中においてはあながち妄想とも言い切れないと幾人かが思う。
「いや、『ににぉろふ』で出てくるものは現実にあるものだけだったと思います。どなたかそういうの取り出せましたか? 『タケコ○ター』や『加速装置』や」
藤田がまともに反応する。
「……」
誰も答えない。つまり、誰もその手のものを呼び出すことができなかったということだ。
沈黙を破ったのは影山だった。
「どっちにしろ、そういう道具を使っていたとしても『投票箱』に普通に名前が出るんじゃないか? 写真は……透明だから出ないとしても。そこにいるのなら、名前も写真もないのは納得のいくことだ」
「写真と言えばエコーはどうなんでしょう?」
松葉が不思議そうな顔をして誰ともなく尋ねた。影山がピクリと眉を動かして答える。
「映るほどの週齢ではないのだろう、恐らくは」
「それで……どうするんだい?」
吉野が話を元に戻した。
「シンプルな話になりませんか?」
松葉が薄い笑いを貼り付けて言った。
「全員の役に立つかどうか、尋ねてみましょう」
「尋ねるって……」
思わず口にしたのは依藤だった。松葉が依藤の方をゆっくりと、首だけを動かして、向く。
「勿論、その母親にですよ? そう言えば、いったいどなたが母親で?」
「わた、私じゃないわよ」
依藤が慌てて否定する。
「親が誰であっても、子供は社会が守るものです」
笠原だ。その視線は遠くを向いている。
「そうでなければ、社会は成り立ちません。そうでなければ……」
「この危機的状況でもそう思います? 他人の子供を? 自分の命よりも?」
松葉は追い打ちをかける。誰も口を挿めない。仮にこの考えが間違っていると思っていても、少なくても自分だけは例外と考えているのだろう。
「どうして母親は名乗り出ないのでしょう?」
「それは、自覚していないからでしょう」
水鳥がさらりと誰かを庇うように口にする。
「知っていれば、僕たちに相談しているはずです」
「それなら、検査しませんか? 結果は全員に知らせるということでいかがでしょう?」
松葉が大きく手を広げ、全員を見渡す。黙って賛成する者、激しく拒絶する者、周りの顔色を窺っている者……。
「それは人権侵害じゃない?」
徳田がヒスを起こした。いきなりスイッチが入ってエンジンがフル回転である。
「だって! s――」「フッ」
それを止めたのは……吉野の笑い声だ。
「この状況でかい?」
吉野の口が歪む。
「何を今になって?」
「それでは、どうでしょう? するもしないも自由。疑われないように検査をして、結果を全員に知らせるのも自由、疑われてでも黙るも自由」
松葉がいかにも全体のことを考えたような言葉を口にした。誰も反論しない。
「では、誰も反対しないということで、決まりでいいですね?」
「誰も反対しないなら、それでいいだろう。今日、100人目が選ばれなければの話だが」
影山がそう言うと、君島や吉野、他にも何人かが周りからも分かるように頷いた。
「はーい、じゃあ、投票の始まり始まりー」
その台詞の直後、参加者は暗闇の中で投票先を選んだ。その一覧の中には当然、100人目も含まれている。そして、明るくなって――。
「今日の犠牲者は、外崎宗孝さんに決まりましたー」
*
柳原は縮こまっていたままの体を伸ばすこともできないまま固まっていた。にもかかわらず、体は自然と透明なケース、そこに入っている外崎の方を向いていく。
(え? あれ? 赤ちゃんの話だったよね? あの男の人がどうして……?)
その問いに答えを出すものはいない。もし、誰か口が利ける者がいても正解することはできないだろう。このゲームの投票先は秘匿される。加えて倍率や守りの票もある。そもそも彼がこのゲームに参加することになった理由自体、誰も知らない。
「はい、それじゃあ行きまーす。ってこれ、言い忘れがちだね」
ニニィは茶化すように言うと、キュッと片手を握った。
外崎はどこかから訪れることが決まっている死に対して大きく目を見開くことで対抗しようとしてい後頭部を何かで殴られて壁に激突して死んだ。
(えっ、これだけ?)
柳原の頭に無意識のうちに浮かんだのはそれだった。背中にひどく冷たいものが走る。
(これだけ……って……。私、おかしくなってるよ……。どうしよう……どうしよう……)
柳原は、この数日をここで過ごすうちに自分の感性が変容していたことに愕然として、動けない。
「続きはまた明日ねー。さよなら、さよなら、さよなら」
ニニィが話し終わると外崎の入ったケースが床の下に溶けるように消えていった。柳原は動けないまま呆然としている。
(どうして……、ほんとの私はどっち……? どうしよう……)
正しくは動けるようになったことに気が付けないまま、動かない。
「――さん、柳原さん、柳原さん」
「えっ、は、はいっ」
柳原が自分の肩を揺する誰か――二瓶の存在に気付いたとき、彼女は途端に体の自由が元に戻るのを感じて、立ち上がろうとして、足がもつれた。いつも通りに動けると思っていたのは頭の中だけで、関節はそれまでの位置から動かなかった。
しかし柳原が床に倒れることはなかった。
「詩ちゃん、大丈夫?」
水鳥が彼女の腕を掴んでそのまま抱き止めたからである。その自然で流れるような動きは彼が誰にでも優しく親切な人間であることを示すには十分であった。
「わっ、わー……、はい……」
柳原は頬を紅潮させた。すぐ近くに水鳥がいて、しかも自分に触れていて、端正な顔が目の先にある。それだけで、人生の幸運を使い果たしたと世の女性が思うくらいのことが現実に起こっている。柳原の頭はふわーっとなって体中の力が抜けていく。
「じゃあ、また明日ね」
水鳥はそう柳原に告げると、隣にいた二瓶に彼女の体を預け、見事なウインクを2人に放つと「カードキー」を使って姿を消した。
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今日の犠牲者 外崎宗孝
一番大事な人 父
このゲームに参加する前はアルバイト先の塾から帰る途中であった。真面目に物事に取り組む性格のため、学業も順調で就職先も決まっていた。反面表には出さなかったが決まった行動にこだわりがちだった。これは子供のときに、上級国民によって大勢の前で母と妹を轢き殺された(が当然のように最低限の罪(笑)&放免になった)ことが原因。彼の心配も最もで、世界は不平等で不公平であるのに、それを真っ白で真っ平らだと嘯く輩の多いこと。どうしてかって、そうしておいた方が、自分たちだけが得をするから。異議を唱えれば、平等で公平で自由な平和を乱す悪だ、ということにして吊し上げられる。こういう時の屁理屈武装、論点ズラしの庇い立ては本当に大人げない。




