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空人形、想う

 八月五日 日曜日

 病院の中庭で温かな日差しを一人浴びる。この病院の中庭には大樹が生えており、その隙間から差し込む日差しを一週間に一度浴びることが私の習慣になっている。…………不本意ながら。

 私としてはいちいち外に出るのが面倒なので、あの湿っぽい病室から出たくはないのだが、毎回七味さんに強制的に連れられるのでどうしようもない。残念ながら人形はされるがままなのだ。

 ちなみに私をここまで連れて来た七味さん。彼女はいまはいない。二時間経ったら戻ってくるそうだが、その間彼女は一体何をしているのかしらね。また院長先生の部屋かしら。

 天日干しされるヌイグルミよろしく身じろぎもせず、私は車椅子に座りながらそんなことを考える。

 しかし、その思考は解に到達する前に破壊されてしまった。

 昨日、私の部屋に訪れた変質者の声によって。

「あったかくて気持ち良いね。ここにはよく来るのか?」

「…………逃げ切れていたのね。てっきり看護士さんに捕まって警察に引き渡されてしまったのだと心配していたのに」

「あっはっは、心配してくれていたのには感謝するけど人間なんかに捕まるもんか」

 あらあら、まるで自分は人間じゃないみたいな言い方ね。人形の私が言えた義理ではないから黙っておくけれど。

「それで深緋。スカウトの話、考えてくれたかな?」

「ええ、スカートの丈は膝上十センチが至高だと思うわ」

 私はここにいる間ずっと病衣だけれど、たしか先日お見舞いに来た妹がそんな話をしていた気がする。

 四谷 ひょう。私の妹。現在ピチピチの十三歳。

 事故の後、私に会いに来る唯一の家族。私という人形を観賞するのではなく、玩具として扱ってくれる人間。

 話しかけ、手を握り、抱きしめてくれる。

 そんな彼女のことが私はとても――。

「や、スカートじゃなくてスカウトの話さ、深緋」

 残念、期待はしていなかったけれど話の誘導に失敗したわ。

 思考を途中で放棄し、私は嘆息しながら満月に言う。

「天使になんてなれるわけないでしょう?」

 特に私は。

「背中に羽の生えた、頭に輪っかを載せた、人を救う天使になんてね」

 私の言葉を聞くと満月は何やら笑いを噛み殺しつつ、言葉を返す。

「ああ、いや、そうじゃなくってね。う~ん……、言い方が不味かったのかな? うん、一つ学習した」

「何かしら? 私はおかしなことを言った?」

「や、深緋はおかしくないよ。これは完全にこっちのミスだからね。ただ深緋が意外に可愛らしいことを言うもんだから吃驚しただけさ」

「…………あらそう」

 会ってまだ間もない人間からこんな風に言われるなんて思わなかったわ。まあ、じゃあどれほど時間を共にすれば良いのかと聞かれると困るのだけれど。

「でも人を救うってところは合ってるよ。天使って言うより救世主って言った方がわかりやすかったかな? つまりは災いから人を救ってほしいってことだからね」

「災い?」

「そう、『禍渦まがうず』っていう災い。そして禍渦の周りには様々な不幸が発生する。例えば人間が事故に遭ったり、病気にかかったり、死んだりするのは殆どが禍渦の撒き散らす不幸なのさ」

 さらっと怖いことを言うわね、この人。満月は、私の心中を悟ることなく続ける。

「これまでは神様ともう一人男の子がその禍渦を壊してきたんだけど、追いつかなくなってきたらしくてね。それで禍渦を壊す手伝いを深緋にもしてほしいってこと。理解できた?」

「ええ、あなたが妄想大好き人間だってことはよくわかったわ」

 そんな話を信じろと言う方がおかしい。残念ながら、私は狂ってはいても常識はあるつもりだ。

「あっはっは、どうやら信じてもらえなかったみたいだね」

 申し出を断られたも同然の扱いを受けたにも関わらず満月は楽しげに笑う。やっぱり質の悪い冗談だったみたいね。

 そう私が確信したと同時に彼女はその確信を粉々に粉砕する。

「まあ、十日後には嫌でも信じることになるだろうさ。天使になるかどうかの返答はそのときにまた聞かせてくれれば良いよ」

「………………ッ!?」

 私の身体に電流が走る。私のやわ肌が鳥肌へとアーマー進化を果たす。

 ……手元にナースコールのボタンがないのが酷くもどかしい。というかこの人に必要なのは私じゃなくて明らかに精神科医よ。

「それじゃあね、深緋。妹さんが来たみたいだから撤退させてもらうとするよ」

 その言葉と同時にすぐ傍にあった気配が徐々に遠ざかっていくのを感じる。そしてその気配を完全に感じなくなった頃、再び私に声がかけられた。

「お姉ちゃん」

「あら、縹。また来たの? 暇なのね」

「もう、またそんなこと言って……」

 縹が少し不機嫌そうな声でそう言う。

「そんなことより、そろそろ中に入ろう? 何だかお天気が怪しくなってきたよ」

 彼女の言葉で、さっきまで私の身体を温めていた太陽の日差しが消えていたこと気づいた。どうやら満月と話している間に雲が出てきたらしい。

「そうね……。じゃあ縹、七味さんを呼んできてくれるかしら?」

「七味さん……? ああ、あの看護士さんのこと? むう、私でもお姉ちゃんを病室に連れていくことぐらいできるよ。ほら……」

「いいから、呼んでらっしゃい」

 そう冷たく突っぱねると縹はブツブツ言いながらも七味さんを探しに行った。

 その元気な脚で走りながら。

 その正常な眼で世界を見ながら。

 四谷 縹。私の妹。

 事故の後、私に会いに来る唯一の家族。私という人形を観賞するのではなく、玩具として扱ってくれる人間。

 話しかけ、手を握り、抱きしめてくれる。

 そんな彼女のことが私はとても――。

 羨ましく。

 妬ましく。

 疎ましかった。


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