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第4話:「ブレンド・オルドⅠ」の誕生と、傷ついた奴らの喫茶店

「そのシンプルな比率でこの完璧な調和を生み出すとは、やはり恐るべき技術……!」


 老人の目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ち、白髭を濡らした。王宮の醜い政治闘争、終わらない魔導の数式、周囲からの「できて当たり前」という過度な期待。それらによって擦り切れ、孤独に壊れかけていた老魔導士の心が、その温かい一杯によって、全肯定されたような気がしたのだ。


「サカモト……この配合、この魔術式を、我が名を取って『ブレンド・オルドⅠ』と呼ぶことを許してくれぬか。これは……これは我が、これまでの苦難に満ちた人生への救いだ」

「いいですよ、別に。気に入ってもらえたなら良かったです」


 いつものやる気のない声で応じた。浅煎りコーヒーの透明感あるアロマが漂う蔵の中で、二人は静かに会話を交わす。しかし、何時しか話の内容は愚痴ぐちになっていく。


「――で? 『明日までにやれ』と?」


 坂本は手元のデジタルスケールを指でトントンと叩きながら、呆れたように呟いた。


「左様だ!」


 オルドは怒りに白髭を震わせ、自分の膝をバシバシと叩いた。座布団の上で胡坐をかき、手に持った磁器のカップを激しく揺らしている。


「『大魔導士オルド様、隣国との国境を結ぶ古代障壁の再構築、納期は明日の日没までです』だと!? 馬鹿めが! あそこは魔素の流動が不規則で、計算式を一から組み直さねばならぬのだぞ! それを現場も知らぬ王宮の若い文官どもが『前回の実績がありますから』の一言で済ませようとしおる!」

「あー……あるあるですね、それ。『前回のコード流用すればすぐできますよね?』って言ってくる営業と同じだ」


 坂本は深いため息をつき、遠い目をした。


「現場の工数を全く理解してない上層部ほど、無理な納期を平気で設定するんですよ。断ろうとすると『気合が足りない』とか『社会人としての責任感は?』とか言われて。断れないように外堀を埋めてくる」


「そう! まさにそれだサカモト! 責任! 責任という言葉でこちらの命を削ってくるのだ! 『王国の安寧はお主の双肩にかかっている』などと持ち上げられ、徹夜で式を組み上げても、出来上がれば『できて当たり前』という顔をされる! 失敗すれば全て我が過失!」


 オルドは「ぐぬぬ」と唸りながら、坂本のおやつである『しるこサンド』をヤケ食いのように口に放り込んだ。バリバリと凄まじい音を立てて噛み砕き、冷めかけた『ブレンド・オルドⅠ』で流し込む。


「……オルドさん、それ私の分なんですけど。……まあいいや。でも、大魔導士でもそんな扱いなんですね。世界のトップになれば、もっと自由にやれるのかと思ってました」

「戯言を言うな。上に登れば登るほど、下からの突き上げと上からの理不尽の挟み撃ちよ。……サカモト、お主はどうだったのだ? 異世界の『サラリーマン』とやらは」


 問われた坂本は、苦いコーヒーを一口含み、自嘲気味に口元を緩めた。


「私ですか? 私はただの『中間管理職』ですよ。上からは無理難題なプロジェクトを押し付けられ、下からは『残業が多すぎる』『教え方が悪い』と叩かれ……。炎上した案件の火消しで何週間も会社に泊まり込み、気づいたら過呼吸で倒れてました」


 坂本は自分の細い手首を見つめた。


「倒れた翌日、会社を辞めました。そしたら妻にも呆れられて離婚です。家も失って、残ったのは毎月口座から引かれる娘の養育費という『固定費』だけ。だから、親が遺したこのボロい家に逃げてきたんです。とにかく誰とも関わらず、ひっそり死ぬまで引きこもろうと思って」


「……」


 それまで騒がしかったオルドが、不意に黙り込んだ。青白く光る目を細め、坂本の顔をじっと見つめている。


「……何ですか」

「いや……お主の言う『サラリーマン』の戦場も、我が王宮のドブネズミどもの化かし合いと、何ら変わりないのだなと思ってな」


 オルドは静かにカップを置くと、深く、重い吐息をついた。その背中は、王宮の最高顧問という威厳を削ぎ落とされた、ただの疲れ切った老人のものだった。


 蔵の中に、日本海からの風が窓を揺らす音だけが響く。坂本がぽつりと呟いた。


「……仕事に、個性なんていらないんですよ」

「え?」

「サラリーマン時代に嫌というほど思い知らされました。情熱とか、こだわりとか、そういう余計な個性を持ち込むから、人は期待しすぎるし、期待に応えられなくて傷つくんです。ただ淡々と、マニュアル通りに、仕様書通りの仕事をこなす。それだけでいいはずなんです」


坂本は立ち上がり、空になったオルドのカップを受け取った。


「なのに……社会ってやつは、人にそれ以上の何かを求めすぎる。命や心を削ってまで差し出すことを『美徳』だと思い込ませてくる。……疲れますよね」

「……うむ。猛烈に疲れた。もう二度と、あのような場所には戻りたくない」


オルドは座布団の上に深々と沈み込み、心底嫌そうに目を閉じた。


 会社にいた頃は、どれだけ完璧にスケジュールを管理し、デスマーチを乗り切っても「中間管理職なんだからやって当然」とされ、部下が一人辞めれば自分の責任だと罵倒されるだけだった。自分の積み重ねてきた技術が、存在が、これほど真っ直ぐに、誰かの救いとして認められたことなど、20年間のサラリーマン生活で一度もなかったのだ。


 私のやってきた、あの無味乾燥なルーティンワークも、無駄じゃなかったのかな。 組織に使い潰され、空っぽになってすべてを失ったと思っていた。だが、この狭い安全圏の中だけでなら、自分も、自分のままで誰かの居場所になれるかもしれない。


「オルドさん」

「む? 何だ、サカモト」

「私、ここで『喫茶店』をやろうと思います」

「きっさてん? 何だそれは。新たなる魔導結社の名か?」

「……私やあなたみたいに、外の世界の『組織』とか『理不尽なシステム』に傷ついて、息が詰まりそうになった奴らが、ちょっとだけ隠れて、息を吹き返せるための……ただの、隠れ家みたいな場所です」

「……ふん。『仕事に個性はいらぬ』と言った舌の根も乾かぬうちに、随分と青臭い理念こだわりを語るではないか、マスター」

「……プロの仕事としてシステムを組むだけです。……あと、マスターって呼ぶのやめてください。柄じゃない」


 その言葉を聞いた瞬間、オルドは豪快に笑い声を上げた。


「ハッハハハ! 素晴らしい! それこそ大魔導士の憩いの場にふさわしい! よし、ならば我が最初の常連であり、この結社の共同経営者となってやろう!」


 そう言うや否や、老人は自分が用意した座布団の上に我が物顔で座り直し、自分が自分のために買っておいた「しるこサンド」の袋を勝手にバリバリと開けて口に放り込み始めた。


「うむ! この『しるこさんど』という四角き供物も、ビスケットの塩気と餡の甘みが、この珈琲に恐ろしいほど合うぞ! サカモト、早く次の珈琲を淹れよ!」

「……調子いいですね、あなた。まだオープン前ですよ。あと、それ私のおやつです」


 呆れつつも、デジタルスケールの電源を入れ、次の豆を計量する。 外の世界を拒絶した、完璧な安全地帯。日本海からの冷たい風が硝子窓をガタガタと揺らす限界集落の片隅で、ただ静かに湯気が立ち上る。外の土砂降りのような理不尽から身を隠すための小さな「雨宿りの場所」が、誰に知られることもなく、ひっそりとできあがろうとしていた。

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