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万物研究会①

 入学式の日。

 体育館の壇上に立つ神崎怜菜を見ながら、俺は彼女と初めて出会った日のことを思い出していた。


 彼女の瞳。

 俺を見ているようで、俺ではない何かを見ていた、あの気味の悪い虹彩。

 

 俺が神崎怜菜との過去を回想している間、件の人物は壇上で優等生であることを証明するかのような落ち着いた佇まいで、新入生代表挨拶の文章を読み上げていた。


 今日は俺が入学する事になった、家から徒歩十分もかからない場所にある県立高校の入学式だった。


 新入生たちが詰めかけた体育館は、春の陽光が差し込むにも関わらず少しだけ薄暗い。

 

 高い天井からぶら下がる白い照明が、その場を照らしている。


 体育館特有の床の匂いと、微かに混じるワックスの香りが鼻をくすぐる。

 

 そんな場所に集められた百人以上の生徒や先生がいる中で、緊張したような素振りも見せずに新入生代表の務めをこなす神崎の姿は、立派だと言わざるを得ないだろう。


 こうやってただ見ている分には、神崎は普通の女子生徒に見える。

 

 いや、普通という表現は間違いかもしれない。

 

 寡黙で冷静沈着。


 黙ってその場に立っているだけでも、その存在を際立たせてしまうような美貌の持ち主なのだから。


 壇上から聞こえる落ち着いた声音は、まるで遠くから聞こえる鈴の音のように耳心地が良い。


 そんな事を考えていた矢先の出来事だった。

 

 もうすぐ終わりを迎えるだろうと思われていた、新入生代表挨拶。


 その途中で急に神崎がその目を見開き、言葉を止めたのだ。


 不思議に思った俺と、壇上にいる神崎の視線が交差する。


 これだけの人数がいる体育館の中が、静寂で満たされた。


 まるで時が止まったかのような空間の中で、俺は壇上からの視線を受け止めながらも頭の中は疑問で一杯だった。


 それは、こんな大事な時に新入生代表挨拶の言葉を中断してまで、なぜ神崎がこちらを見ているのかという当然の疑問だった。


 ふいに、壇上にいる神崎が小さく笑ったような気がした。


 その一瞬、神崎の唇がかすかに動いた。


 ――見てる。


 そう言ったように見えた。


「……失礼しました」


 一言の後、神崎は終盤に迫っていた新入生代表挨拶を、まるで何事もなかったかのように続けた。


 体育館に集まっている生徒達の間に困惑の波が流れていたのを肌で感じていたが、神崎の言葉が再開されると、その波は徐々に引いていった。


 一体、何だったというのだろうか。


 相変わらず、よく分からない不思議な女。

 それが、俺の神崎に対する正直な印象だった。


 中学一年生の秋、夕焼け空の下で初めて会話を交わしたあの日にも、不思議な奴だと思いはした。


 その印象は、現在に至っても未だ変わっていない。


 あれから神崎は稀にだが、俺に対してコミュニケーションを取ってくることがあった。


 それらはどれも俺を必ずと言っていいほど、困惑させるようなものばかりだった。


 よくあるのが、急に声を掛けてきたと思ったら俺の目を覗き込んできて、首を傾げる動作をした後に去っていくというもの。


 名前を呼ばれて振り返り目が合うと、溜息を吐き、そのままフェードアウト。


 体育の授業で校庭を走る俺を教室の窓から視線を逸らすことなくジーっと見ている、なんてこともあった。


 俺も思春期の男子学生だ。


 そんな風に意味深な行動を取られ、もしかして俺に好意があるのではと、一瞬考えたこともあった。


 だが、本当にそれは一瞬だ。


 神崎が俺に、そういった異性へと向ける特別な感情を持っていないというのは分かる。


 そんなものは、あいつの目をよく見れば俺には分かる。


 俺には、分かってしまう。


 分かりやすく根拠の一つを上げるとすれば、もし彼女が俺に対してそういった好意を持っていたのだとしたら、俺はあの時にあんな感想を抱かなかっただろう。


 彼女の目を見て、気味が悪いだなんて決して思わなかった筈だ。


 だからこそ、俺は辟易せざるを得なかった。


 先ほど、壇上にいる神崎と目が合った数秒間。


 まるであの時の再現のように、彼女の目から同じものを感じとってしまったのだから。

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