朝山妃那美の研究③
そんなこんなで火曜、水曜、木曜日と日々は過ぎていき、あっという間に朝山先輩が発表する日である金曜日になった。
放課後に研究会へとやってきた俺は、既に三人揃っていた面々への挨拶を済ませた後、いつもの定位置へと腰かける。
今日の主役とも言える朝山先輩は「配線間違えたー」とか「あれー? スライドどこに格納したっけー」等と独り言を言いながら、準備を進めている途中だった。
そこから発表までの流れは、香月先輩の時とほとんど同じだった。
朝山先輩の「準備かんりょー」という言葉を合図に、香月先輩が室内灯のスイッチをオフにする。
室内が暗くなることで、ようやくスクリーンに表示された内容が視認できるようになった。
そこには、このように書かれていた。
【幽体離脱体験についての報告】
「えっと、じゃあ始めても良いかな? 私の発表内容は……これです!」
ビシっと音が鳴りそうな勢いで、スクリーンを指差す朝山先輩。
それから数秒、沈黙の時が流れる。
いくら待てども、続きの言葉が朝山先輩から発せられることがない。
どうしたのだろうと不思議に思い、彼女をよく観察する。
どうやら、朝山先輩は緊張で頭が真っ白になっているようだった。
「妃那美……別に発表だからと言って、畏まる必要はないんだ。いつも私達と会話しているような感じで、普通に話を聞かせてくれれば良いよ」
香月先輩の助け舟に同調しようと、俺と神崎が同時に頷いて見せた。
それを見て、緊張の糸が少し解けたらしい。
朝山先輩は何度か大きく深呼吸をした後、屈伸運動をその場で何度か行ってから、ようやく口を開き始めた。
「ご、ごめんねー。人前で話すのって昔から得意じゃなくて、頭真っ白になっちゃった。そうだよね、いつも通りで良いんだよね。んっと、実はわたし小さい頃から霊感っていうのがあってねー、そのせいか分からないけど、結構不思議な体験っていうのをよくする事があったんだよね。その中でも特に印象に残っているのが、この表題となっている幽体離脱と呼ばれる経験なの」
幽体離脱。
意識が幽体となって自分の体から抜け出すというものだ。
言葉では聞いたことがあるが、俺自体にその経験はなかった。
「最初に経験した時はまだ小さい時でねー、なんで寝ている自分の体を上から見下ろしてるんだろー? 不思議だなーくらいの感想しかなかったの。でもね、中学三年生の時にその時の経験をふと思い出したんだよね。それで、あの時の経験ってなんだったんだろー? って思ってちゃんと調べ始めたのがキッカケかな。それが幽体離脱と呼ばれるもので、私以外にも同じような経験をしている人が結構な数いる事を知って、更に興味が沸いたの」
そこまでの言葉が終わると、朝山先輩はノートPCを操作してスライドを次のページへと移動させる。
そこには、何かの記事と思われるものが映っていた。
「これはね、私がよく見てるオカルト系の情報をまとめたサイトに掲載されていた、幽体離脱に関する体験談を記事にしたものでね。この人の体験談だと結構な長い時間、幽体離脱を体験してるの。その時間の中で、色んな場所を飛び回ったって書いてあるんだよね。この体験談を見て私、めっちゃ楽しそー、私もやってみたい! って思ったんだよね。だって考えてみて。空をぴゅーって、どこにだって自由に飛んでいけるんだよ? そんなの絶対楽しいーって、思わないかな?」
なるほど。
大多数の人間が持つ願望を叶えるための面白い試みとは、そういう事だったのか。
空を自由に飛び回る。
そこだけを抽出すると、確かにそれは楽しそうだと思える。
しかし、その前提の行為である意識が肉体から離れるという事象に対しては……俺はなぜか怖いと感じてしまった。
スライドが次のページへと移動する。
そこには、体験談に対するコメントと思わしきものが記載されていた。
コメントは肯定的なもの、否定的なものと様々だった。
「幽体離脱に対しては色んな意見があるんだけどね、大きく分けると二つ。一つは肯定的な意見として、幽体離脱は実際に幽体となって意識が肉体から抜け出すっていう、現実の世界で起こっている事象とする人かなー。もう一つは否定的な意見として、幽体離脱は夢の中で起きている出来事に過ぎないっていう人。実際に幽体離脱を経験した事がある人ほど肯定的な意見が多くて、経験したことのない人ほど否定的な意見が多い……て、これは私の印象で統計とったりした訳じゃないんだけどねー。ちなみに、そもそも幽体離脱という事象を危険なものとする意見も多く見られるんだよね。それはまあ、気持ち分かるよねー」
そう、気持ちは分かる。
幽体離脱を経験したことのない俺は、特に肯定的な意見も否定的な意見も持っていない。
しかし、想像するだけで怖くなる。
もし意識が離れた後、肉体に戻れなくなったら?
もしそれが夢だとして、目が覚めなくなってしまったら?
それらは人間にある、根源的な恐怖のようにさえ思えた。
「私がこれからする話にも、そこはちょっと関わってくるんだけど……んっとねー、ここからは私の体験談。実は私、つい数週間前に幽体離脱に成功しましたー」
そう言って、朝山先輩は右手でピースサインを作って笑顔を見せた。
「日頃からイメトレとかしてたからかなー、急に成功したんだよね。もうテンション上がっちゃってさー、小さい頃には出来なかった分、あちこち飛び回ってやるーって……途中までは思ってたんだけどねー」
朝山先輩の声のトーンが、徐々に落ちていった。
いったい、どうしたのだろうか。
ここまでの話を聞いていると、再度体験したいと望んでいた幽体離脱に成功して、喜ぶ所だと思うのだが。
その理由も分からない内に、朝山先輩は自分の人差し指を天井へと向けた。
「私ねー、あちこちを飛び回るんじゃなくて、空を突き抜けてみたくなっちゃった。空を抜けて、その先の宇宙へと飛び出して、更にその先へ先へと飛んでいって、そうしたらいずれ宇宙の果てにだって到達できるんじゃないかって……そんな事を考えてたら、いつの間にか私は物凄い速さで上昇を続けてた」
想像してみる。
空の向こう側の景色。
それは宇宙と呼ばれる、無重力の空間だ。
宇宙の構成要素は、そのほとんどが未だ分かっていないという事実を聞いたことがある。
そんな場所をひたすら果てへと向かって飛んでいったと、朝山先輩は言っているのだ。
それは一体、どんな心地なのだろうか。
経験したことのない俺には、やはり想像する事しか出来ない。
「それで、宇宙の果てには到達できたのかい?」
今までずっと黙って話を聞いていた、香月先輩からの質問だった。
朝山先輩の発言に余ほど興味を惹かれたようだと、その表情から伺うことができる。
香月先輩の質問に、朝山先輩は申し訳なさそうな顔で首を左右に振った。
「えっと……ね、結論から言うとダメでした。凄い速さで宇宙を進んでいる内にね、急に怖くなっちゃったんだ。家族とか友達とか色んな人の顔が浮かんできて、もしこのまま進み続けて戻る事が出来なくなって、大好きな人たちに会えなくなっちゃったらどうしようって。そう考えたら怖くて怖くて、気づいたら私は上昇の時以上の速さで下降してた。その間もとにかく恐怖で頭が一杯になって、気が付いたら私は汗だくの状態で、ベッドの上で目を開いてたよ」
そう言って、小さく笑う朝山先輩。その表情は、何だか少し悲しそうだった。
よく見ると、彼女の目には後悔の色が浮かんでいる。
「私ねー、後悔してる。なんであそこで引き返しちゃったんだろーって。恐怖に負けて、結局その体験から何も持ち帰る事が出来なかった。小夜子が求めている世界の真理ってやつ? その答えに辿り着くための何かが手に入るんじゃないかって、そんな期待もちょっとだけあったんだけどねー」
「妃那美……君はもしかして、私のために?」
「小夜子のためっていうか……小夜子に影響されちゃったのかな。私も知りたくなっちゃったんだよね。知らない事を、知りたくなっちゃった。小夜子がよく言ってるじゃん。人間はその欲求に抗う事が出来ないって。私が宇宙の果てを目指そうと思ったのは、きっとそれが理由なんだと思う。でもね、私は恐怖に負けちゃった。知りたいと思う欲求を、恐怖で放り投げちゃった。それがちょっと悔しい」
朝山先輩の手によって、スライドが最後のページへと移動された。
そこには黒い背景に星々が浮かんでおり、宇宙空間と思われる画像が表示されていた。
「でも悔しいままじゃ終われないよ。今まで私は、幽体離脱をすることを目的として色々と調べて来たけれど、今回の経験でそれには成功した。だから次の段階へ移ろうと思います。目指すは宇宙の果て! 次こそは恐怖に打ち勝って、到達してみせるよ! 次回に乞うご期待ということで、私の発表はこれで終わりまーす!」
そして最後に、これからも宇宙の果てを目指すと宣言した彼女は清らかに笑うのだった。




