第5話 カニ、選ぶ
「落ち込むなよ、カニ。初陣にしちゃ上出来だったぜ」
トニーが言いながら、コーヒーを勧めてくれる。ハサミで慎重に受け取る。
温かくて、美味しい。
「悪く思わないでやってくれよ……あの人は、魔物に関しちゃ、その……シビアなんだ」
悪くなど思うことはない。ただただ、俺がこの世界の事情を知らなさすぎるんだ。
もっと知らないといけない。いろいろと教えて欲しい。
その気持ちを伝える手段がないことがもどかしい。
俺はただ、トニーの言葉にうなずいた。
「休憩は終わりだ。近隣の村にゴブリンが出たらしい。本来なら冒険者の仕事だが、今回はカニにやらせてみよう」
「だ、団長。そいつは後日にしません?カニも今日は疲れてるだろうし」
トニーが庇ってくれるが、俺は早く騎士団の役に立てるようになりたかった。そうでないと……。
俺はトニーに軽く右手を振り、すっと立ち上がる。
「ほう、やる気じゃないか」
アルタキアが片側の口角を軽く上げる。
馬車に揺られて、こんどは30分ほどだろうか。
村で被害状況を聞き取り、ゴブリンの生息地や再出現の見込みを調査していく。口のきけない俺にはできない仕事だが、みんなの仕事ぶりをよく見て学ぶ。
そうこうしていると、村外れの空き小屋が怪しいということになり、第三騎士団はその小屋を包囲した。
「小屋にはカニ1人で入れ。注意しろよ。ゴブリンは知能が高いから、お前の甲殻の隙間を刃物で刺してくるかもしれん」
緊張。
手のひらに人という字を三回書いて飲み込む……ことを想像しながら深呼吸。
さあ、行くぞ。
扉を開くと、古びた農具や積まれたままの腐りかけの藁、幾重にも張られた蜘蛛の巣……その奥に、人間の子供くらいの小さな影。
その影が振り向き、獣じみた顔で飛びかかってくる。
ゴブリンだ。古いクワの柄を折って短く持ち、それで俺を殴ろうとしてくる!
俺はクワの側面を左のハサミで、払うように殴りつける。ゴブリンがバランスを崩す。
すかさず、脇腹を蹴りつける。嫌な感触。汚物とも涎ともつかぬものを吐きながら吹き飛ぶゴブリン。
武器を失い、うずくまりながら何事か喚くゴブリン。俺が近づくと、手近にあった石を投げつけてくる。避ける必要さえない、弱々しい抵抗だ。
トドメを、刺さないといけない。
俺は右のハサミを振り上げる。なるべく苦しませないように。ひと思いに……。
「タスッ……タスケテェ」
言葉。誰の?ゴブリンの。
思考がフリーズする。
「ヤメテェ……コロサナイデ……ユルシテ……イイコニ……イイコニスルカラ……」
生きようとしている。
生きようとしていただけ。
誰が裁ける?俺が?なんの権利で。
思考がぐるぐると回る中、いつの間にかゴブリンが俺に組み付いていた。腹に鋭い痛み。
古い釘が、俺の甲殻の隙間に深々と突き刺さる。血が零れ出る。俺の血が。
「ユルシテユルシテ!コロサナイデ!!」
ゴブリンが笑うように叫ぶ。
ああ、俺はまた間違えた……。
瞬間、ゴブリンの首が落ちた。
血が噴き出し、腹の痛みが弱まる。
目線を上げると、アルタキア。すでに納刀している。
「カニ。お前はこの国の人間ではないな」
叱られると思ったが、思いのほか優しい声音。それが逆に痛かった。
「この国で教育を受けていれば、たとえ三歳の子どもでも、人の言葉で命乞いをする魔物に情けはかけない」
「魔物の吐く言葉は、それまでに聞いた人間の言葉の模倣だ。つまりこのゴブリンは、人間の命乞いを耳にしたことがあるということ」
声が遠くなる。遠いくせに、やけにはっきりと聞こえてくる。
「――このゴブリンは人を殺しているのだよ」
俺は大バカ野郎だ。
一日に二回も同じ失敗。
とんだ甘ちゃん。甘エビちゃんだ。カニだけど。
……笑えない。
「まあまあ、まあまあ!魔物についてよく知らなかったんだろ!?
俺がいろいろ教えてやるからよ!頑張ろうぜカニ」
トニーの優しさが沁みる。
その夜も、アルタキアは俺を責めなかった。
「迷うなとは、言わん。……だが、迷っている間に何かを失うこともある。守るべきものを、しっかりと見つめることだ」
言われたのは、それだけだった。
そして翌日。朝の訓練もそこそこに、第三騎士団は王都からやや離れた森へ来ていた。
普段は十数名の小規模分隊で行動している第三騎士団だが、今日は50名近くの大所帯だ。
「今日の任務はこの森に巣食う月狼の群れの討伐だ。ゴブリンとはわけが違う。気を引き締めてかかれよ」
アルタキアが団員を鼓舞する。
トニーいわく、月狼というのは狼型の魔物で、普段はナワバリに入らない限り積極的に襲ってはこないものの、満月になると一斉に凶暴化して周囲の村落に大きな被害を出すそうだ。
その月狼が王都からそう遠くない森に確認されたから、根絶せよというのが今回の任務。幸い、満月はまだ先だ。
月狼は夜行性のはずだが、森に入った瞬間から空気が変わる。何かが待ち構えている。そういう雰囲気だ。
しばらく進むと、視界が開ける。前方、小高い丘の上に、銀色の美しい毛並みをした月狼が一頭。でかい。全長3メートルはあるだろうか。
遠吠えを合図に、その周囲からも血族たちが一斉に現れる。最初のやつよりは小さいが、30体はいるだろうか。牙を剥き出し、騎士団に襲い掛かる!
月狼の毛並みはしなやかで強靭だ。剣も楽には通らない。
スパスパと切り裂けるのはアルタキアとトニー、あと2人の副団長くらいで、ほとんどの団員は複数名で一体を相手にする形で、なんとかやりあっていた。
俺はというと、最初に丘の上で吼えていたひときわ大きい月狼の突進を受けて地面に転がっていた。
のしかかってきた月狼の牙が左のハサミに食い込む。ミシミシという音と、鋭い痛み。こいつの牙は俺の肉に届き得る。
トニーが俺に加勢しようとしている。
それをアルタキアが制したのが、視界の端に映った。
右のハサミを振るう。叩いても効果はない。突き刺そうとしても毛に流される。
俺は月狼の下顎に開いたハサミをあてがい、全力で閉じた。
みちみち、ばちん。
血が流れ、月狼が吼える。口が開いた。チャンスだ。
口の中に両ハサミを突っ込む。大きな口だ。意図を察したのか、月狼は必死で顎を閉じ、首を振って俺を食いちぎろうとする。腕がもげそうな痛み。
だが俺は構わず、敵の体内をむちゃくちゃに切り刻む。もっと深く。もっと広く。
気づけば、血だまりの中。月狼はぐったりとして、もう動かない。
俺の甲殻はぼろぼろにひび割れている。噛まれ、振り回され、あちこちに叩きつけられたからだ。再生の粘液がシュウシュウと音を立てている。
群れの長を失った月狼たちは、統制がとれなくなり一気に勢いを弱めたらしい。討伐任務はほとんど完了していた。
「よくやったなぁ、カニ!」
トニーが俺の頭をわしわしと撫でてくれる。この歳でこんなふうに褒められるとは思っていなかった。照れくさくてかなわない。
「カニ……ついてこい」
アルタキアが俺を呼ぶ。ついていくと……草木で作った小さなカマクラのようなもの。
中には、銀色の子犬が3匹。一生懸命に唸って、こちらを威嚇している。
アルタキアは何も言わない。
これまでに聞いた言葉たちが、俺の中で渦を巻く。
魔物の性質。月狼の性質。
守ることと、戦うこと。
迷っている間に、失うもの。
気づけば俺の眼からは、涙が溢れていた。
俺は、俺は……
ハサミを開き、延ばして、そして3回、閉じた。
ただそれだけのことが、ひどく重たかった。
帰りの馬車の中は、騒がしかった。
幾人かの団員が俺に声をかけてくれたが、あまり覚えていない。
俺はただじっと、自分の両手のハサミを見つめていた。
その夜。アルタキアはどこかへ出かけていって、帰りが遅かった。
トニーは「先に寝ててもいいと思うぞ」と言っていたが、俺はなんとなく眠れなくて、訓練場で、半分だけ顔を見せている月を眺めていた。
すると、私服のアルタキアが戻ってくる。
「なんだ、まだ起きていたのか」
こともなげに言うと、俺の傍を通り過ぎる。
数歩行って、立ち止まる。振り返らないまま、何かを放って寄こす。
それは、銀色の毛皮でできた、小さなポーチだった。俺の腰につけられるよう、ベルトがついている。
「持っておけ。いつまでも手ぶらでは困るだろう」
ぶっきらぼうな言葉が、温かかった。
俺はそれをそっと受け取る。ほんのりと獣の臭いがした。
軽いそれが、重たく感じられる。
後日、トニーに聞いた話だが、アルタキアは元々、皮革の加工が得意らしい。
欲しいものがあると、行きつけの道具屋の工房を借りて、ぱぱっと作ってしまうそうだ。
「だけど、他人のために作ってるのは初めて見たぜ」
その言葉が、なんだかむず痒かった。




