第1話 改造手術、失敗
カニ怪人・蟹江甲斐は改造人間である。
彼を改造したゴーゴンは世界征服を企む悪の秘密結社である。
どうしてこうなったか?
発端はあの日に遡る。
「明日の試合で僕がホームランを打ったら、手術を受けてくれるね?」
その日、診察室で、俺は場違いすぎる存在と対面していた。テレビの中でしか見たことのない、憧れの野球選手だ。
なぜ、彼がこんなところに居るのか?そんなことは、その時の俺にとっては、どうでもよかった。彼は俺のヒーローなのだ。
"熱狂"とはよく言ったものだ。憧れというやつは、人を狂わせてしまう。
――今思えば、絶対におかしかった。気づくべきだったんだ。本当に、反省しているよ。
だって俺は、手首の捻挫で整形外科に通っていただけで、手術なんて必要なかったんだから。
俺は蟹江甲斐。都内の某私立大学に通う文系の大学三年生だ。
あの日までは、そうだった。
だが、俺は憧れの野球選手との約束を果たし、何の手術かも知らされないままに、受けてしまったんだ。
—―悪の秘密結社による、改造手術を。
それが、俺の悪夢の始まりであり、この物語の始まりだ。
天井いっぱいに広がる無数の光源が、巨大な蜂の巣のように俺を見下ろしている。俺の手足は手術台にがっちりと固定されている。
「適合率に問題ありません」
「賢者の石、活性化済み、いつでもいけます」
「では、麻酔入ります」
何の説明もなく手術が始まる。ガスを嗅がされて、意識が遠のく。
インフォームドコンセントってなかったっけ……。薄れゆく意識の中で俺は、手術中に絶対聞きたくない言葉を聞いてしまった。
「あっやべっ」
何がやばい、言ってみろ。
そう口にするより早く、俺の意識は闇に沈んだ。
「はじめまして、カニエ・カイ。ここは黄泉比良坂。残念ですが、あなたは死んでしまいました」
気が付くと俺の目の前に女性が立っていた。体の輪郭を隠すように、黒いローブが垂れ下がっている。顔も影になって隠れているが、美しい声で語り掛けてくる。
しかし問題はその内容だ。
「あなたの死の原因は、暗黒結社ゴーゴンによる改造手術、その失敗のようですね。さすがにこの死に方はあんまりなので……異世界での第二の生を与えます」
アニメとかマンガみたいなことを急に言われても困る。
そう抗議しようとした俺の口からは、モガモガと不明瞭な音と、泡しか出てこなかった。どうなってるんだ。
「ん~~~……」
女性が俺の顔を覗き込む。輝く金色の瞳がちらりと見える。
何かついてます?恥ずかしいんですけど。
「なんかキモいので、さっそく転生しちゃってくださーい」
女性がそう言うや否や、俺の意識は再び暗黒へ落ちた。ひどいや。
暗闇の中、俺は決意した。
もう野球選手の言う事は聞かない。絶対にだ。
――俺は再び目覚める。1日に何回意識を失うんだ、俺は。
気づけば俺は、薄暗い森の中に立っていた。
GPSを確認するためにスマホを取り出――そうとして、自分が何も持っていない、身に着けてもいない現実にぶち当たる。
森の中、男一人、丸腰、全裸。
すべての要素が不利だ。こんなことってあるか?
……そういえば、この間の講義で出された課題、半分くらいしか書いてないなぁ。債権の相殺と時効がどうとか……。
そんなことを考えてしばし現実逃避していると、遠くから人の話し声が聞こえる。恥も外聞もかなぐり捨てて、助けを求めることにしよう。
相変わらず声がうまく出せないので、声の方向へ歩いていく。
「ぐへへへ、上玉じゃねぇか」
「こいつなら裏ルートで闇の商人に高く売れるぜ」
男たちの下卑た声。
知性のなさそうな、明日のことさえ考えていなさそうな、そんな印象を受ける。
「奴隷の売買は老後の資産形成に最適だなぁ!」
思ったよりは堅実な奴ららしい。
だがその手段は見過ごせるものではなかった。
おいやめろ!女性に乱暴はよせ!
そう叫んで割り込もうとした俺の口からは、叫び声の代わりに粘ついた白い泡が飛び出していた。
「ぎゃぁああああああ!熱い、熱いぃ!!」
男の一人が顔を押さえて転げ回っている。俺の口から出た泡がついたらしい。
え、これ……熱いの?
「ひっ、ひでえ!顔が焼けただれてやがる!おそらくは強烈な酸!あのバケモノ、口から酸の泡を吐きやがるぞ!」
「真っ赤で堅そうな体!おそらくは甲殻類、それも腕のハサミや腹の部分の独特な三角形の形状から、カニの魔物と推測するぜ!!」
—―そうなんだよ。
あまりにショックで触れてこなかったが、俺の体は真っ赤な甲殻で覆われている。手はハサミになっているし、腹には三角の「ふんどし」(衣類じゃないよ、カニの体の部分だ)がある。
つまり俺は、カニの怪人に改造されてしまっているんだ。
バッタでも、トンボでも、カブトムシでもない。カニの怪人に。
「だが奇妙だ!王都の大図書館所蔵の魔物大図鑑全6巻にもあんな魔物は一切載っていなかった!しかも森の中、水場から離れたこの場所に、人型のカニの魔物が出現するなんて!?」
モヒカンに肩パッドをした世紀末仕様の男たちが口々に叫ぶ。
いつの間にやら、俺がいる位置はモヒカンたちと、襲われている女性の間だった。
ちらりと見やると、ゆったりした服を着た黒髪の女性が、しりもちをついたまま怯えた眼をしている。
大丈夫。今、助けてやるからな。
「ヒッ……キモい……!」
……何か聞こえた気がするが、大丈夫。
俺はモヒカンたちに向き直り、右のハサミをシッシッと振る。
立ち去れ、さもなくばそのモヒカン、刈り落としてやろうか?
「あのジェスチャー!『立ち去れ』とも『これからお前たちを切り刻む』とも取れるが、おそらくは前者!」
「なんてこった!知性があるぞ!」
「だがそれはすなわち!この魔物がおそらくは世界でただ一匹!意思疎通可能なカニの魔物という『希少価値』を帯びたということ!」
「こいつを捕らえて売ったら老後、果たしてどれだけの贅沢をして暮らせるというのか!?」
顔を押さえて転がっていた奴もいつの間にか立ち上がり、茹でダコのように真っ赤な顔で剣を構えていた。……顔色のことは俺が言えた義理ではないが。
敵は総勢4名。武器持ち。抜剣済。
対して俺は1人。丸腰。全裸。ハサミあり。
……泡を顔面に吐きかけて、怯んだ隙に彼女を連れて逃げるのが最適解か?
「ヒュドラの毒液対策に、全員分の防毒マスクを用意しておいてよかったぜ~!『備えあれば憂いなし』ってのはこのことだな!」
オーケー。作戦変更《プランB》だ。たった今、敵全員が防毒マスクを着用した。
俺はただちに彼女を連れて逃げるため、彼女に近づいた。
「ひぃぃっ!!こ、こ、来ないで!!」
石を投げられた。
「大丈夫か嬢ちゃん!今俺たちがこのバケモノを捕まえてやるからな!」
「そうだぜ嬢ちゃん、少しの間辛抱しててくれよな!!」
ひょっとして私たち、(立場が)入れ替わってる!?
驚いていると、モヒカンたちが一斉に斬りかかってきた。しまった!
硬質な音が響き……モヒカンたちの剣が、折れた。
折れた剣先は散り散りに飛び、そのうち一つが、ひとりのモヒカンをただのボウズにしてしまった。
「そ、そんな……」
「俺のモヒカンがぁぁあああああ」
「奴の装甲!傷ひとつない!一般に甲殻類の甲殻はキチン質といわれるアミノ多糖類がカルシウムと結合して形成されているがそれでは説明のつかない堅牢さ!人為的な強化がされているに違いないぜ!」
「手が、手がしびれた……!」
モヒカンたちはそんなことを口々に叫んだかと思えば、一目散に逃げだした。
ご丁寧に声を揃えて、「覚えてろよ~!」と叫びながら。
これが、俺が異世界に来るまでの話だ。
つまりこれは、俺の苦労の、ほんの序章に過ぎなかったんだ……。




