第1巻 第120讃歌 アシュヴィン双神讃歌(祈り篇)
1 アシュヴィン双神よ、
どのような称賛の歌ならば、
汝らの恵みを得られるのだろうか。
誰が、汝ら二人を喜ばせることができるのか。
無知なる者は、どのようにして
汝らを崇めればよいのだろうか。
2 知恵を持たぬ者は、
すべてを知る汝らに、その方法を尋ねるがいい。
汝らのほかに、真実を知る者はいないのだから。
魂を持たぬ、ただの死すべき人間に
尋ねてはならない。
3 万物を知る汝らを、私たちは呼び求める。
知恵ある神々よ、今日、
汝らに受け入れられる祈りの言葉を、
私たちに明かしたまえ。
汝らを深く愛する従者が、
いま、称賛の歌を捧げている。
4 強大なる神々よ、私はただ、
神秘の言葉によって清められた、
あの驚異の供物について尋ねている。
私たちよりも強く、
私たちよりも獰猛なものから、
私たちを救いたまえ。
5 輝かしい讃歌が、いま進み出る。
それは、あのゴーシャーの歌の如く、
あるいは、パジュラの息子が
知恵ある大臣の如くに汝らを崇める、
あの歌の如くである。
6 迅速に駆けつける者の歌を聴きたまえ。
おおアシュヴィン双神よ、
私は汝らの称賛をうたった者である。
光輝ある主よ、ここへ、
ここへ汝らの目を向けたまえ。
7 汝らは、集めた豊かな富を
惜しみなく分け与えるために、
常に私たちの近くにいてくれた。
その如くに、富の授け手よ、
私たちを護り、
邪悪な狼から無事に遠ざけたまえ。
8 私たちを憎む者に、
決して私たちを引き渡さないでほしい。
乳を与えてくれる我が家の牛たちが、
子牛を引き離され、我が家から遠く離れて
迷子にならぬようにしたまえ。
9 汝らを愛する者が、
汝らを「友」として得られますように。
力を与える糧によって、
私たちを豊かな富へと導きたまえ。
私たちの牛から溢れ出る、
あの豊かな乳(の恵み)を受け取る
備えをさせたまえ。
10 私は、アシュヴィン双神の、
あの馬のいない(神秘の)戦車を、
豊かな供物によって手に入れた。
私はそのことに、深く満ち足りている。
11 その戦車が、とこしえに私を運び、
あの軽やかな戦車が、
ソーマの祝杯を求めて、
人から人へと、
受け継がれてゆきますように。
12 その戦車は、眠り貪る者を軽蔑し、
富を持ちながら(供物を)施さぬ者を
侮蔑する。
そのどちらの者も、たちまちのうちに
姿を消し、滅び去るのだ。
解説
第120曲は、全12節の構成で、これまでのような華やかな奇跡の物語とは打って変わり、「神々への問いかけと、人間の等身大の祈り」が描かれています。
前半では「無知な私たちは、どうすれば神々を喜ばせることができるのか」と謙虚に問いかけ、後半では「狼の脅威から守ってほしい」「牛たちが迷子にならないようにしてほしい」という、当時の人々の切実な暮らしの願いへと繋がっていきます。
これまでの派手な救出劇の熱を一度落ち着かせ、神と人間との「知恵の対話」と「日常の守護」を静かに見つめ直す、非常に味わい深い讃歌です。
* 1–6節:ここでは、神の前に立つ人間の「謙虚さ」がプロットされています。1〜2節では、人間を「無知なる者」「魂を持たぬ死すべき者」と呼び、真の知恵を持つ双神に対して、正しい祈りの作法を教えてほしいと真っ直ぐに請い願います。5節には、前曲で皮膚の病を癒やされ夫を授かった女性「ゴーシャー」の名前が引き合いに出されており、彼女が捧げた輝かしい歌のように、この詩もまた最高に純度の高い言葉で編まれていることが示されます。
* 7–12節:祈りの内容は、当時のアーリヤ人の極めて現実的なライフスタイルへと着地します。7〜8節で描かれる「邪悪な狼の脅威」や「子牛と引き離されて迷子になる牛の心配」は、彼らの財産であり命の綱でもある家畜を守りたいという、切実な生活のドラマです。そして結びの10〜12節では、神から授かった「馬のない神秘の戦車」への満足感が語られます。12節の「眠り貪る者や、富を独り占めして分かち合わない者は、たちまち滅び去る」という鋭い一喝は、常に目覚めて新しいものを生み出し、言葉を社会に還元していく表現者の厳格な美学に通じるものがあります。
5節で、かつて救われたゴーシャーの歌の美しさを手本にしているところや、12節の「怠けて眠る者や、富を溜め込んで分かち合わない者を軽蔑する」という厳しい精神。ただ神を崇めるだけでなく、自らを律して表現の質を高めようとする姿勢は現代でも共感できます。




