使徒グーグームー
海を渡り、孤島の港に降り立った瞬間、グーグームーは不快なほど濃密な魔力を感じた。まるで血に飢えた野獣の吐息が辺りを満たしているような、ねっとりとした悪意——。この片田舎のどこに、これほどまで強烈な魔力の主がいるのか。
霧雨に濡れた石畳の道を、黒いローブに身を包んだ銀髪の女、グーグームーはゆっくりと歩いていた。
カラフルな南国の美しい街並みにはまるで興味がない。
孤島ブラジの港町――アレイオス。
大陸の影に隠れるように存在する片田舎。地図に載ってはいるが、訪れる者はほとんどいない。交易路からも外れ、ひっそりとした漁村のようなものだと言われていた。
だが――
ゴチャリングスの使徒である魔導士グーグームーがこの地に興味を持ったのは偶然ではない。大陸にある刃角殲滅の拠点に届いた報告によれば、この辺境の孤島ブラジで「異常な魔力の収束」が観測されたという。そして、それはただの魔力ではない——「隷属」の性質を持つ、極めて珍しいものだった。
「ほう……思った以上に、面白そうな場所じゃないか」
グーグームーは目を細め、口元を吊り上げた。
予想とはまるで違った。
街の中央にそびえる大きな石造りの建物。そこには生花の束と捧げ物のような果物が山と積まれていた。
通りを行く人々は一様に同じ意匠の服を纏い、首には銀色のペンダントがかかっている。表情はどこか硬直しており、目は異様に輝いていた。
道端に立つ少女が、ぼそぼそと呪文のような言葉を繰り返している。
「救済を……祝福を……ジェッピ様の御声を……」
彼女の手を取る老人が、震える声で返す。
「ジェッピ様に感謝を……生きる意味を……」
まるで儀式のようだった。
グーグームーは近くの市場へと足を向けた。
だが、そこに広がっていたのは、普通の市場とはまるで異なる光景だった。
並んでいるのは野菜や果物ではない。棚には無数の木箱が積まれ、それぞれに細かく刻まれた名札が貼られている。買い物客は無言で箱を選び、店主に銀貨を差し出す。
「おい、中身はなんだ?」
グーグームーが低く問いかけると、店主はにこりともせず、淡々と答えた。
「報酬です」
「報酬?」
「ジェッピ様からの恩寵を受けた者に与えられる義務を果たした対価です」
その言葉を聞いた瞬間、グーグームーの脳裏で、ひとつの仮説が生まれた。
ここでは、働くことや労働の概念はないのだ。
人々はただ「義務」を果たし、それに応じた「報酬」を受け取る。
彼らがそれを当然のように受け入れているのは――何かのスキルか魔法の濫用以外に考えられない。
ふと、広場の方から歓声が上がった。
視線を向けると、大観衆が注目する壇上には一人の男が立たされていた。ボロボロの衣服をまとい、全身に生傷を負っている。
その前に立つのは、白い衣装を纏った若い女。
灰色の肌に蛇のような残忍な目。妖艶な肉体。なによりその冷徹さが美しい。
間違いない。彼女が、ここの主人だ。
――ジェッピ。
周囲の群衆が、恍惚とした表情で彼女を見つめている。
「お前は……罪を犯した」
ジェッピが優しく語りかけると、男はガタガタと震えた。
「い、いえ……私は……ただ、指示通りに……」
「いいえ、お前は間違いを犯したのです。私の声を正しく聞かなかった……」
「そんな、違う、違います!」
男の悲鳴をかき消すように、群衆が口を揃えて叫ぶ。
「ジェッピ様は正しい!」「救済を拒むな!」「粛清を!」
ジェッピが手を掲げる。
その瞬間、男の体が震え、頭を抱えた。
――否応なしに、心を支配されていく。
「ジェッピ様……許しを……」
男が崩れ落ちた。
糸が切れた操り人形のように倒れた男を赤い制服を着た屈強な2人の男が壇上から引きずり下ろし、裏手に運んでいく。
赤い制服の男たちはスキル持ちのようにみえた。
群衆が熱狂して、歓声を上げ、誰もが満ち足りた顔をしている。
その光景を見て、グーグームーは確信した。
これは単なる独裁ではない。
信仰に近い何か……いや、もっと異質なもの。
彼女はこの街を、完全に手中に収めている。
(実に面白い。こんな逸材が、こんな田舎に埋もれているとはな)
グーグームーは微笑んだ。
――この女、我らが組織ゴチャリングスに相応しい。予定通り、勧誘しよう。刃角の殲滅もはかどることだろう。
「ん?」
グーグームーは街角に貼られた指名手配者に目をやる。
ドラコニア窃盗団。刃角の姉妹と兎耳族の3人組。ほぅ。
「これは、刃角?こんなところに?」
刃角などいるはずがない孤島に、まさか。
「こいつはいい。刃角の首も手土産に持って帰ろう。くくく」




