8.河童さんの正体は……
本日も三話更新の予定です
予想外の願い。
そういえば、河童さんの名前も聞いてないや。さっきから河童さんって呼びかけてるもんね。何というか、味気ない感じがしてたんだよねえ。
「いーよー」
思いつめた顔の河童さんはとてもいい笑顔になる。
「でも、その代わりに河童さんの名前も教えて?」
そうだよねえ。一緒にお酒飲んだ仲だもん、今後もぜひ、酒飲み友達として確保しておきたい。妖を友達呼ばわりしてるあたりでわたしも大概だなーとは思ったりするけれど。
いいんだよ、わたしには人間の友達なんか一人もいないんだから。陽平がいれば十分だし。
ともあれ、そう告げた途端、河童さんは目を丸くしたあとぼふんと音を立てて本性に戻ってしまった。
あれ、もしかして、怒ったかなあ……。
立ち上がった河童さんは沓脱ぎ石に乗ってる分、背が高い。上から見下ろす河童さんの目は、赤くて鋭かった。
『流石は守巫女殿。そうそう簡単には引っかからぬか』
低い低い声が、遠くに感じる。おっと、酔っ払い過ぎたかな。この程度のお酒では酔わないはずなんだけど。
それに、引っかかるってなに?
『今日は顔を見るだけのつもりだったのだが、気が変わった』
「はあ」
ええと、自分で言うのもなんだけど、わざわざ見にくるほどの顔じゃないですよ? 自分でも平々凡々なのは自覚してますから。
わざわざ見に来るって言うのはぁ、八日坊様みたいなイケメンとかを言うのであってぇ。どこにでもいるレベルのわたしなぞは対象外ですよぉ?
なんて言いながらへらへら笑っていたのだけれど。
河童さんはぜんぜん笑ってくれないどころか眉間に皺寄せちゃって。
ひとつ咳ばらいをすると、河童さんはわたしの方に手を延ばした。あ、もちろん、屋敷の結界には触れないようにしてくれてた。
そして。
『守巫女殿に妻問い申し上げる』
真摯な目で河童さんは言ったのだった。
でもね。
わたしはにへらと笑いながら、内心で盛大に慌ててた。
どう見たって茶化していい雰囲気じゃない。真摯な目って言ったけど、一歩間違えればすぱっと切られそうな鋭い目でこっちをじーっと見つめてるの。
それこそ、わたしの一挙手一投足、視線の動きから指先の震えまで全部見られてるんじゃないかって感じの舐めるような視線を感じて。
正直言ってごめん。河童さん。何言ったのかわかんなかった。……なぁんて、言えるような雰囲気でもなければそんな雰囲気をぶち壊せる鉄の心臓を持ち合わせてもなくて。
『守巫女殿』
「ええと、あのう……」
なんだか返事の催促をされてる気がするんだけど、わかんないことに対して適当に返事なんかしたら、ドツボにはまりかねないよなあって自分でも感じてる。
それに、そんなことしたら絶対あとで天狐様にぼこぼこに怒られるもん。
とにかく、そう。時間稼ぎ!
せめて後ろ向いてスマホで検索する時間が欲しい!
「あの、河童さん」
『はい、何なりと』
「その……少し時間もらってもいい?」
とりあえず時間稼ぎして、その間に検索して、意味が分かったらうまい回答を考える。
その間に二人が帰ってきてくれたらなおよし、なんだけど。
畳の上をじりじりと後ずさると、河童さんは目を細めて沓脱ぎ石から降りてくれた。圧迫感がすこーしだけ和らぐ。
『ええ、もちろん。急なことで戸惑うのは当然のこと。お返事がいただけるまでいつまでも待ちましょうぞ』
河童さんはそう言うと、どっしりと庭に腰を下ろした。
えええ、それってわたしが返事するまでそこでずっと待つって意味……だよねえ、きっと。
それはそれでとてもとても重たいのだけれど、これ以上の譲歩は引き出せそうになくて。というか座った途端に河童さんは目を閉じちゃったので。
わたしはあわてて後ろを向くと、引き寄せたスマホをタッチした。
……つまどい、って言ったよね。
ブラウザの検索窓に『つまど』まで入力したところで、『つまどいこん』ってのがサジェストされる。その下には『妻問婚』。
うん。
さすがにおバカなわたしでも字面見てわかった。
もしかして河童さん、わたしにプロポーズしたのっ?
なんで?
どうしてこうなったわけ?
確か、酒に飲まれる前は最近の人間界に対する不満とか、新参の妖たちの不平とか、河童も数が減って大変だとか、そんなことをつらつら話してたはずで。
奥さん欲しいとか、彼女募集中的な話はひとつもなかったよね?
なのにどうしていきなり妻問い?
これって……試されてたりする?
それとも、あれかな。八日坊様の話にあった『男を知らねば云々』の話につながるアレなわけ?
いや、だとしても。
顔合わせて何時間も経ってないよね?
確かに楽しくおしゃべりしながら月夜桜に乾杯してたけど。
ふと気になって窓の外を見れば。
月は相変わらず中天にかかって、そこから一歩も動いていない。
……あれ。
おかしいよね。
一時間は経ったのに。
月の位置、変わらなすぎない?
ふと沸いた疑問に、庭の方へと視線を動かせば。
猫たちはいまだに集会を開いている。
こんなに長くここにとどまってるのは珍しい。
しかも、お客様が来ている状態で。
もしかして、陽平も天狐様もいないから、一応同席してくれてる感じなのかな。
……そんなことを思っていた自分を殴りたい。
猫たちは……こちらに向かって大きく口を開けた状態で、フリーズしてた。
どうして。
どうして陽平たちは帰ってこないの。
どうして月は、猫たちは動いていないの。
もし、これが家の外だけのことなのだとしたら。
……どうして、河童さんだけが動けるの。
ぞわりと恐怖が忍びあがってくる。
恐る恐る視線を移した先の河童さんは、ゆるりと目を開くと立ち上がった。
『ようやく気が付いたか』
真っ赤な口が吊り上がっていく。ぎざぎざの歯が剥き出しになる。
『思ったより今代は隙が多くて助かる』
「河童、さん」
『あのまま気分よく我の妻問に応じておればよかったものを』
緑色の体が月光の下で変化していく。
大きく膨らんだ体は褐色に、ひょろ長かった手足はがっしりと肉が付き、皿は消えて金のうねる髪の中から角が二つ。赤い目はそのままで屋根の庇を超えそうな長身に伸びあがって。
「……おに」
ぽつりとこぼした言葉に、河童さんだった鬼は悪そうな笑みを浮かべた。
次回更新は12時です