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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
錬金術師の選択

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第76話 錬金術師の選択

王宮の地下。階段を下りるにつれ、覚醒した鑑定眼が精髄灰の残留を鮮明に捉えた。


 石壁の裏。地下水脈の中。岩盤の亀裂。精髄灰が網目のように広がっている。前宰相ヨハンの時代に作られた隠し実験室から漏れ出した残留が、二十年かけて自己増殖している。


 国王、カイ、エルヴィラ、ディーター、マティアスが見守る中、リーゼは地下の中央に立った。


「始めます」


 最終型増幅器が右腕で光った。ユーリの最高傑作。肩まで伸びる金属のネットワーク。グリュンタールの鍛冶場で、百三十二回の試作を経て生まれた器具。


 四段階。


 読む。地下全体の精髄灰の分布が見える。王宮の直下から放射状に広がり、城壁の基礎まで達している。グリュンタールの汚染の十倍以上の規模。


 返す。汚染された流れに沿って、精髄を送り返す。覚醒した出力が地下全体に浸透していく。リーゼの身体が光った。白い光。精髄属性の光。


 安定させる。ループを形成し、浄化の流れを自動維持に移行させる。地下水脈を通じて精髄灰が押し出されていく。


 大地に返す。自分の中に溜まった代償を、大地と分かつ。大地が少し傷つく。リーゼも少し傷つく。だがどちらも致命的ではない。


 地下の石壁が変わった。灰色がかった石が、本来の白い色を取り戻していく。汚染された地下水が清浄になる。空気中の精髄灰の微粒子が消えていく。


 代償。右腕の焼痕が広がる。肩から首筋へ。首筋から左腕の付け根へ。全身に薄い白い線が走っていく。鍛冶師の古い火傷のように。


 増幅器が負荷を分散している。だが王宮規模の浄化は、器具の分散能力を超えている。リーゼの身体が直接受ける代償。


 マティアスが一歩前に出た。だが止めなかった。リーゼが決めたことだ。代償を知って、自分で選んだ。


 浄化が完了した。


 リーゼが立っている。全身に白い線。右腕から左腕まで。首筋にも。だが立っている。意識は明瞭。目は開いている。覚醒した鑑定眼が、浄化された地下を照らしている。


 リーゼが膝をつきかけた。足が震えている。だが踏みとどまった。


 国王の前に立った。立ったまま。今度は膝をつかない。


「浄化完了です。王宮地下の精髄灰は除去されました。これが第三の方法の実証です」


 声は掠れていた。だが広間の端まで届いた。石の空間が声を運ぶ。あの追放の日と同じ大広間。同じ石の壁。


 国王が玉座を降り、リーゼの前に立った。リーゼの腕の白い線を見ている。


「見事だ。だが一つ聞きたい。その身体で、これからも続けられるのか」


「続けられます。ただし一人では無理です」


「どうする」


「第三の方法を体系化し、複数の鑑定士に教えます。精髄属性を持たない鑑定士でも、増幅器を使えば小規模な浄化は可能です。大規模浄化は私が担いますが、通常の浄化を分散させれば、私一人に負荷が集中しません」


「鑑定士を育てるのか」


「はい。ユーリ・ブレンナーが増幅器の量産を始めています。マティアス・グリム殿が理論の教科書を。エルヴィラ・フォン・ブリュッケ殿が制度を。すでに準備は進んでいます」


「一人が全てを背負うのではなく」


「多くの人が少しずつ、自分で選んで引き受ける。それが第三の方法の本当の意味です」


 国王が裁可した。


 精髄研究は第三の方法に一本化。従来の方法は全面禁止。鑑定士育成プログラムを王立事業として設立。責任者はリーゼ・ヴェーバー。本拠地はグリュンタール。


 広間に拍手はなかった。代わりに、重い沈黙があった。拍手よりも重い承認。国王が立ち上がり、リーゼに向かって頷いた。


 ディーターが前に出た。騎士団が両脇に立っている。


 リーゼがディーターの前に歩み寄った。


「ディーターさん」


「ヴェーバーさん。あなたの勝ちだ」


「勝ち負けではありません」


「いや。勝ちだ。俺の方法は致死率八十二パーセント。あなたの方法はゼロ。数字が全てを語っている。数字に勝てない」


「一つだけ訊きます。あなたは国のために代償を払う覚悟がある。でもその代償を、自分の身体で払う覚悟はありますか」


 ディーターの静かな笑みが、完全に消えた。マスクの下に、一人の男の素顔があった。


「……ない。俺は他人に払わせた。志願者と言いながら、借金で追い詰められた人間を集めた。認める」


「あなたの知識は貴重です。精髄属性の実験データ、制御パラメータ、装置の設計。全て第三の方法の改良に役立ちます。獄中からでも、理論の整理に協力してください」


「俺に、まだ役割があると」


「代償の払い方です。あなたの知識で、未来の犠牲者を減らす。それがあなたの選択になります」


 ディーターの目が揺れた。信念の男の信念が形を変えた瞬間。崩壊ではなかった。変容だった。


 騎士団がディーターを連行していった。穏やかな目は戻らなかった。代わりに、何かを考えている表情があった。


* * *


 広間が空になった後。マティアスがリーゼの前に立った。


「覚醒したとき、何を選ぶ。わしが問うたあの答えは、出たか」


 リーゼは微笑んだ。


「出ました。一人で全てを背負わないこと。知らせること。選ばせること。多くの手で少しずつ。それが私の選択です」


「ヘルマンは一人で背負おうとした。わしは逃げた。お前さんは——分かち合うことを選んだ」


「父の娘であり、マティアスさんの共犯者であり。両方の失敗を知っているから、両方と違う道を選べる」


 マティアスが笑った。泣きながら。二十年分の重荷を下ろした老人の笑い方。


「マティアスさん。この後、どうされるんですか」


「王立錬金術院に戻る。第三の方法を教えるには、院の権威が要る。大賢者の肩書きを最後に使う。わしが院長として立てば、教育体制を最速で整備できる」


「院長に戻る」


「二十年逃げた分を返す。代償じゃよ」


 リーゼは笑った。二十年ぶりの「じゃよ」。


 マティアスが鍵を取り出した。グリュンタールの工房の鍵。


「これはもうお前さんの工房じゃ。茶の配合は知っておるだろう。棚の奥に最後の研究ノートを残してある。急がんでいい。いつか読め」


「いつか」


「ああ。今日ではなく。明日でもなく。お前さんが読みたくなったときに」


 師弟の別れ。だが別れではなかった。同じ道の、別々の持ち場へ。


 マティアスが大広間を出ていった。背中が小さかった。だが真っ直ぐだった。

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