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鑑定士は触れずにいられない 〜追放された宮廷錬金術師は、触れるだけで大地の異変を暴いてしまう〜  作者: 景都 (けいと)
禁忌の等価

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第63話 東三番倉庫

五日目の朝。王都ケーニヒスブルクの城壁が見えた。


 半年前とも、一年前とも違う。最初は追放された罪人として。二度目は召喚された鑑定士として。三度目は——。


 自分の意志で来た。


 城門を通り、石畳の通りに入る。鑑定眼が足元の精髄灰に反応する。以前より濃い。宰相の地下施設が稼働しているせいか。


「リーゼ」


 城門の内側に、エルヴィラが立っていた。プラチナブロンドが風に揺れている。紫の瞳に疲労の色。だが目の奥に意志がある。


「お久しぶりです、エルヴィラさん」


「久しぶりね。痩せたわ」


「実験で体力を使いますから」


「無理をしているでしょう」


「少しだけ」


 エルヴィラがリーゼの右手を見た。保護布が巻かれている。何も訊かなかった。鑑定士同士。見れば分かることは訊かない。


「状況を説明します。歩きながら」


 二人で宮廷に向かった。エルヴィラが声を落として現状を伝える。


「精髄研究局は宰相府の直轄。鑑定部門は私の管轄だが、宰相が直轄化を進めていて、権限が削られている。先月、鑑定士三人が研究局に引き抜かれた」


「引き抜かれた鑑定士は何を」


「三カ所の施設で品質鑑定を担当している。表向きは素材の品質管理。実態は精髄属性の実験のモニタリング」


「実験はどの段階まで」


「北方のノルデン施設で小規模な精髄制御実験が始まっている。事故報告が一件。術者が右腕を負傷した」


「右腕」


「精髄灰の侵食。二百年前の記録と同じ症状だと、カイが報告書に書いていた」


 リーゼの右手が鈍く疼いた。同じ症状。同じ代償。


「カイさんは今」


「宰相の特使として研究局に出入りしている。表向きは宰相の忠実な部下。内部の情報を私に流している」


「私に会えますか」


「直接は難しい。監視がある。でも——」


 宮廷の回廊に入った。石の壁に王国の紋章。衛兵の巡回。一年前と変わらない景色。だがリーゼの目には、壁の裏側の精髄灰が透けて見える。


 回廊の角を曲がった。


 前方から一人の男が歩いてきた。宰相府の外套。暗い茶髪。


 カイだった。


 すれ違う。一秒。カイの手がリーゼの手に触れた。掌に小さな紙片。指先と指先が一瞬だけ重なり、離れた。


 カイは一言も発さず通り過ぎた。振り返らなかった。


 リーゼはエルヴィラと歩き続けた。何事もなかったかのように。


 掌の紙片を読むのは後だ。


「エルヴィラさん。宿は」


「調査機関の控室を手配してある。宰相府の管轄外」


「ありがとうございます」


 控室に着いて、扉を閉めてから紙片を開いた。


 カイの筆跡。小さな文字。


「東三番倉庫。明後日の夜。一人で来い」


 リーゼは紙片を握りしめた。カイの指先の温度が、まだ紙に残っている。


 深夜。王都の東区画。


 石畳の上を影のように歩いた。月明かりが倉庫街を青白く照らしている。東三番倉庫は穀物倉庫の並びの端にある。木の扉に錆びた錠前。だが錠前は開いていた。


 扉を押し開けた。暗い。穀物の匂い。乾燥した空気。


「遅い」


 闇の中からカイの声。壁にもたれて立っていた。灰色の目が月光を反映している。


「道に迷いました」


「嘘をつくな。尾行を巻いていたんだろう」


「二人つけられていました。一人目は東門で、二人目は橋の下で巻きました」


「まともな鑑定士は追跡の巻き方まで知らないはずだが」


「カイさんに教わりました。グリュンタールで」


 沈黙。倉庫の中、二人きり。何ヶ月ぶりだろう。最後に二人きりで話したのは。グリュンタールの工房裏で令状に触れた時か。その前は。


「カイさん」


「ああ」


「説明してください。全部」


 カイが壁から背を離した。姿勢を正し、リーゼに向き直った。調査官の顔。


「宰相の懐に入る以外に、計画の全容を掴む方法がなかった。エルヴィラの警告だけでは断片的すぎる。フリードリヒの動きも外から見えるのは一部だけだ。内側に入らなければ見えないものがある」


「だから宰相の特使に」


「ああ。グリュンタールの調査団に同行するとき、宰相に直接申し出た。『リーゼ・ヴェーバーの信頼を得ていた。その信頼を利用して情報を引き出せる』と」


「利用する、と言ったんですか」


「言った。宰相がそう聞きたいから、そう言った」


「お前を売る真似ができると思うか、とは——」


「本心だ。だが宰相にはそう見せなかった」


 カイが懐から書類の束を出した。


「これが俺が三ヶ月で掴んだ内部情報だ。三カ所の施設の位置、規模、人員構成。精髄研究局の予算と実験スケジュール。そして宰相の最終目的」


「最終目的」


「精髄属性の安定供給体制の構築。賢者の石を一個作って終わりではない。石を複数量産し、王国のインフラに組み込む。農地の再生、鉱脈の探査、軍事的な防衛力の増強。全てを精髄属性でカバーする」


「量産? それには——」


「大量の精髄が必要だ。通常の錬金術師では供給が追いつかない。だから鑑定眼を持つ者を『生きた触媒』として組み込む」


 リーゼの血が引いた。


「生きた触媒」


「お前の鑑定眼で精髄の流れを制御し、その出力を石の量産ラインに直結させる。お前が制御する限り、代償は分散され、石は安定的に生産される」


「代償は分散されるだけで消えない。分散先は私の身体」


「ああ。宰相はそれを知っている。知った上で計画している」


「私が拒否すれば」


「抽出する。お前の能力を機械的に取り出し、代替装置に組み込む。お前が要らなくなる」


 抽出。エルヴィラが警告していた術式。


「その場合、私は」


「死ぬ。古代の記録では、抽出後に生存した例はない」


 倉庫の中が静まった。穀物の匂い。鼠が走る音。


 リーゼは手袋を外した。倉庫の壁に触れた。


「この壁にも精髄灰の残留があります。ここも実験場だった」


「ああ。東三番倉庫は研究局の初期実験場の一つだ。今は使われていない。だからここを選んだ」


「倉庫の壁面に、実験の記録が残っています。読みますか」


「読めるのか」


「壁が覚えています。三ヶ月前の実験。精髄の制御テスト。術者が一人。出力は低い。だが——実験中に術者の心拍数が急上昇し、中断されている。精髄灰の侵食が始まった痕跡」


「三ヶ月前から、王都の地下でもう始まっていた」


「はい。そしてこの壁の精髄灰の濃度は、グリュンタールの汚染初期と同レベルです。王都の地下が汚染され始めている」


 カイの顔が硬くなった。


「宰相はグリュンタールの二の舞を、王都の地下で起こそうとしている。王国の首都で」


「止めなければ」


「止める。だが法で止める。証拠は揃いつつある。俺が内側で集めた文書と、お前の鑑定結果を組み合わせれば、宰相を法的に追い詰められる」


「法で止められなかったら」


「考えるな。今は証拠を集めろ。俺は内側から。お前は外側から」


 カイが書類の束をリーゼに渡した。手が触れた。今度は紙片ではなく、書類越しに。カイの手は冷たかった。三ヶ月間、仮面を被り続けた手。


「カイさん」


「ん」


「甘いパンは持ってきましたか」


 カイの顔が崩れた。仮面が剥がれた。ほんの一瞬、灰色の目が笑った。


「……パン屋が閉まっていた」


「嘘ですね」


「嘘だ。買う余裕がなかった」


「次は持ってきてください」


「注文が多い女だ」


 カイが倉庫の扉を開けた。外に出る前に、一瞬だけ振り返った。今度は振り返った。


「リーゼ。指先、白くなっているぞ。無理をするな」


 扉が閉まった。リーゼは倉庫の中に一人残った。書類の束を胸に抱えている。カイの手の温度が、まだ紙に残っていた。

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