知らない男
常識とは、鎧だ。
法律なんてものがせいぜい貴族サマを守るためにしか使われず、アタシが知る限り裁判も以前の判例がどうかで大きく左右される。
貧民街での強さは権力と腕力で大方占められているが、貧民街以外ではそうではないことを知っている。
金とコネだ。
それらによる被害をうけないためには常識で身の回りを覆っておくことでリスクをよそへと逸らすことができる。
どうやら目の前の男は常識も、それ以外も持っていないように思われた。
「イヴァ!出てこい!イヴァ!!」
「と、言っていたから引き合わせることにしたのだが」
老人の残った右目が横目でアタシを見据える。鞭を持っていないにも関わらず、ゾワリと背中に鳥肌が立った。しかしアタシの口はそのまま動いてくれる。
「知りませんあんな男」
事実知らないものは知らなかった。
物陰から観察する限りでは男の格好からするに、やんごとなき立場の人間とは考えにくい。
公爵家の屋敷前で暴れる行為からもそれは明らかだろう。
「父親だぞ!駆け寄ってハグしてくれるぐらいはいいだろ!」
だからか、再度一つの目がアタシを射抜く。
「いや知りませんって」
「そうか」
老人は一人で納得したらしく男に目線を戻したのにアタシの目線も引っ張られる。
刹那、運悪くも、物陰越しに見ていたアタシと男の目が合う。
「おーい!父さんだ!父上の凱旋だ!」
そのアピールの仕方はやめろ。
貧民街でのことを思い出す。妙に陽気な40代前後の男は、痴呆であった。痴呆であるがゆえに元気に人に挨拶しまくって、殴られたりもしていたけれど、人に愛されていた。
すべからく叫ぶその話し方はアタシの記憶野を刺激する。
だから、止めろ。
さまざまな感情がフラッシュバックして表情への出し方が分からず震えているのを男は違うように解釈したらしい。
「ーーーゼノビア!お前も知ってるだろ?あいつに教えてもらったんだ!」
その名が出てくる。
ーーーあんのクソババア。
そんな罵詈が脳裏を過ぎる。どうやらアタシは色狂いに売られたらしかった。
◇ ◇ ◇
男がアタシと向かい合っている。淫売は男の横なのは男の味方、というアピールだろうか。
「ーーーそれで?この人が私の親だと言う証明は?」
「前から散々言ったでしょう。お前は橋の下に捨てられていたの。イヴァという書き置きだけ残して。棄てた本人にしか知り得ないことを知っているんだから、まず間違いなくお前の親ですよ」
「そういうことだ。久しぶり、というのもおかしいか。初めましてだ、我が娘よ」
「貴方は少し黙っていてください」
芝居がかった言いが鼻につくので、思ったままをそのまま述べる。
スン……と、鼻白んだ顔をする男。それをよそに、淫売と話す。
「一先ず親子関係は置いておいて、貴女はいくら渡されたんです?」
「関係ない……と言いたいところですが、「お前には関係のない話だ」
答えそうになったゼノビアを男が遮る。
「お前は知らなくていい。関係のないことだから」
そんな手前勝手な理由にゼノビアに目線で説明を求めるが、ゆるゆると頭を振って拒否された。
倫理がアレなのでわかりにくいが、金を取れる場面でそうそう見逃さないのがこの女。
相当ぼったくったに違いない。
ーーーふうん。
僅かに考え込む様子を見せたアタシに、男は畳み掛けるように話しかける。
「家に帰ろう。家では商売業をやっているのだが、それを手伝ってくれ」
再度ゼノビアに説明を求める。コクリと頷かれた。
男を見る。男はゼノビアに向かって頷いた。
それを見たゼノビアは頷き返す。
いやよく分からんて。
「ーーーとりあえずもう少し説明してもらえませんか?あと名前も知らないんですけど?」
痺れを切らしたアタシはノンバーバルでなく言葉での説明を求めた。
「そういや話してなかったか。俺はサイサリス商会の主、エギーユだ」
そういうのいいから。
「ーーーんん。ゼノビアさんにいくらか支払って、孤児院から引き取ることになった。もちろんお前が修道院で回復魔法の修練を積みたいのは分かってる。俺はそれを尊重したい。
だが、商会が版図を広げようとしてる今、人手が必要なんだ。高度かつ裏切らない人材が。2、3年だけでいい。その数年間を俺にくれないか」
聞いたこともない商会の名前を出され、目を白黒とさせている内にアタシの今後まで決められていたことを知る。
しかし一つ、どうしても気になることがあった。
「ーーーどうして、どうしてアタシを棄てたんですか」
「お前が妾の子だからだ。正妻との子で第二子が中々産まれないので妾を抱いたらお前が出来て、その後すぐに第二子も出来た。だから棄てた。後から利権争いになった時に困るのは俺達だからな。そこで妾に命じて棄てさせた」
どうだこれで満足か、とばかりにソファの背もたれに男は体重をかける。
武器の類いを一切持たないそれは男の体重を受け止め撓んだ。
“人の命をなんだと思ってるんだ”、そんな文句が口から出そうになる。しかし、それを言って困るのはアタシだ。男がアタシを棄てて得られた利益を掠め取れなくなるから。見た目からは分からないが、金を持っていることは間違いないのだ。
そうして何も言わないアタシに、男は気分を良くしたらしい。
「こっちのゼノビアさんから話を聞いてる。女だからと侮られることもあるだろうが、それすらも利用して成し遂げるタイプの人間なら、有用だろうと思った。当然給金は弾む。公爵家に仕えるとは言っても3年しか居ないのなら重要な仕事も任せられないから、住み込みであることを踏まえると1年間で金貨1枚、しめて金貨3枚と言ったところか。ウチではその2倍出そう。それなりの仕事もしてもらうが」
額面だけ見ればアタシに都合のいい提案。
アタシは淫売がどんなことを言ったのかと気になり、思わずそちらを覗く。
ゼノビアは、一度だけ目を瞬かせた。
肯定の意味。
アタシが想像していた通りのこと。
核心にまでは至っていないということだ。
適当に言っておいて辻褄合わせは丸投げ。
またこの女の代わりに頭を捻らなきゃならないのかと面倒が先にくるが、そこは変に断片的な情報だけ与えて混乱させ、収拾のつかなくさせるよりはマシと思うべきか。
ともあれ、取るべき選択肢は一つだけ。
「お断りします」
だって、公爵家を陥落させれば臨時収入として金貨いくらになるかも想像がつかない。
アタシは、より利益の大きい賭けに出る。
「ほお、そうか」
男はソファの背もたれを撓ませたまま他人事のように振る舞う。
「この提案を飲んでも蹴っても言っていたことだが、庶子として相続権は与えられない。訪ねて来たとしても金は一切貸すことはできん。
いいな?」
アタシの輝かしい未来を脅かしかねない相手からの接触も避けられるなら、こちらとしても願ったり叶ったりだ。一も二もなく頷く。
“金も出さずに父親面したいだけだろコイツ”という本音を仕舞い込んで。
「あと、いくらか金をゼノビアさんに預けとくからよろしく」
そう言って男は姿勢を起こそうとする。
ーーーそれはマズい。守銭奴に、細かい額面も確認せずに金を渡した結果が、殺人道具の揃った以前の孤児院だ。そうでなくても、用途を拡大解釈することなんてお手のものなのに。
そう思って反射的に喉元まで迫り上がった制止の声は、他ならない男の声で寸止めさせられることになった。
半ば立ち上がった男の目がアタシを射抜く。
「ーーーああそうだ忘れてた。公爵家の……執事?らしき人物に話を通して少しお前を借りることにしたよ。他の商会連中と面通しして、修道院でお前に望むことをピックアップしておく。修道院に入るためのカネも俺が工面してやったんだから、回復魔法習得後もお前の得たコネを有効活用させてくれ」
余りにも身勝手な要求に反論する間も無く男は立ち上がり、ドアの取っ手を掴む。
孤児院の院長室よりはるかに小さい教会の応接室から挨拶もなしに出ていく男の後ろ姿をたっぷり十数秒見送った後で、ゼノビアは呟く。
「まあ、そういうことよ」
どうやらそういうことらしい。
曲がりなりにもいち宗教の教育施設に行く人間に、いち商会が口出しするとは何事だーーーなんて殊勝な考えはアタシにはない。
ただ単に、修道院の件に関して複数の命令主がいるのは面倒くさいし、それを利用すればどっちの命令もガン無視出来ないかな、その程度だ。
だから、人身売買者が「あの男の命令、従わなくていいわ。教会内の権力構造についてド素人だもの」と言って来た時には驚いた。
おそらく土産の一つも持ってこないことに腹を立てていたのだと思う。
……という戯言はさておき。
人身売買者が、守銭奴かつ契約の権化がその信念を曲げることなどあり得るのか。
ーーー否。むしろ条件を提示していなかった可能性もあるか。
アタシは男と淫売の話し合いには居合わせていない。
俄然、ジェラルド攻略に対するやる気が後ろ向きながら生まれてくる。
何せ実際に動くのはアタシ一人。「やりなさい」と命令が来ればやるしかない。そんな複数の命令主がいる状態になるのは公爵家籠絡が出来なかった場合、修道院に行くことになるからだ。
ーーーああ、クソッタレな状況だよ。本当に。
◇ ◇ ◇
屋敷に戻ると、老人は彼の執務室で待ち構えていた。
「話し合いとやらは済んだのか?」
「はい。お陰様で」
一人白黒の盤の駒を交互に動かしアタシには目もくれないまま、老人は問いかける。
「あの不埒者はどちらかと言えば狂人の類いだろうから、私はこれ以上は何も言わん」
「ありがとうございます」
白の駒で黒の駒を討ち取りながら老人は唐突に話を変えた。
「で?いつ休むことになる?」
?
「あの男から聞いてないんですか?」
「聞いてないが。最後にお前に会うだろうから問題ないだろうと思っていた」
冗談じゃねえぞバカが、という心の声。
それは暗にアタシの仕事は誰にでも、いつでも代われると言っているも同然だ。
その怒りは一先ず脇に置くとしても。
「本当に何も言っていないのか?」
「はい。本当に何も聞かされておりません」
そう告げると老人の顔がようやく盤上から上がる。
「警備を増やさねば……」
顔が引き攣りかけた。
ただでさえややこしく、交代状況が老人以外誰にも知らされていない警備をさらに難解にさせるというのだ。止めろと言いたい。
そんな思いを他所に、すっかり盤上遊戯には興味を失くした様子で老人はアタシに短い文章だけを伝えた。
「あの男関連で情報がないのなら、今日はもう上がりだ」
老人は手帳を開き、何やら書き込み始める。
アタシはソレが忙しいのをいいことに、退散することにした。
扉を閉め、僅かに息を吐く。
老人は執務室で飲食をする習慣がない。
服用から数時間というタイムラグは、アタシという下手人に気づき始末してしまうまでの時間としては十分すぎるほど長い。それをなんとかするためには睡眠薬でも混ぜるか、そもそも寝る前に飲ませるかしてやる必要がある。
そうでなければ……直接食事に致死毒でも突っ込むか。
しかし食事を使用人全員で摂る都合上、毒を仕込んだ皿や料理がまかり間違ってジェラルド様に回ってくる可能性があった。
そんなもの……到底容認できるものではない。
となれば手詰まりに近いのだ。
おそらく毒そのものの知識はあってもその使用方法には疎いであろうソラとかいう薬剤師。
妙に暗殺に関して手際の良さを見せた淫売は、妙に公爵家の追及を恐れて接触を嫌がるため、役立たず。
どうやってこの状況を切り抜ければいいと言うんだろうか。
アタシは嘆息しながら寝床へと歩き出した。




