7話「俺が告げられた日」
『赤く光る星噛み』
その言葉を聞いた途端、俺の感情が爆発した。
記憶として蘇る、数ヶ月前のあの日。全てが終わった、あの夜。そして俺に多くのものを植え付けた、あの森、あの崖。
――あの星噛み。
あいつのことを忘れたことはない。だがクロナが幽霊のようなものとはいえ、そこにいてくれているせいで薄れてはいた。
ミズキは少し浮かない顔をして、「やっぱりね」とため息を吐く。
「……座ったら?」
「……あ」
彼女に言われ初めて、俺が立ち上がっていることに気がついた。湧き上がった感情が嘘みたいに消え失せて。その落差から逃げるように、クロナへと視線を向ける。
言ってしまえば、彼女も似たようなものだった。
彼女も立ち上がって、睨みつけるようにミズキを見る。ここまで感情を表に出すのは珍しい。しかしその星噛みはクロナを丸呑みにしたやつだ。クロナがここまで取り乱すのも、おかしくないのかもしれない。
珍しい彼女をみたからだろうか。少し落ち着きを取り戻した俺は、「ごめん」と一言。また椅子に腰を下ろす。
俺が落ち着くのを待って、彼女は話を切り出した。
「その様子だと、知ってるみたいね」
「まあ、そうだが。お前も、か……」
「ええ、そうね。それに私、幽霊みたいなのも見えるのよ。私にしかこの子は見えないみたいだけど」
「……は!?」
あっさりと彼女の口から漏れた衝撃的な事実。頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。
赤く光る、あの星噛みに加えて幽霊? それってクロナみたいなものなのだろうか。いくつもの疑問が頭に浮かぶ。
しかし彼女は俺がそれを口にするのを待つことなく、また言葉を続けた。
「私のいた村が星噛みの群れに襲われてね。その時に私の友達が赤く光る星噛みに食われたんだけど、私そいつを殺したのよ。で、見え始めたのはその時から」
「ちょ――」
「なんとか私は生き残った。でも行く当てもないから彷徨ってる時、ファウロに拾われた。それから――」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」
彼女の言葉を遮って、半ば叫ぶようにそう言った。
息つく間もなく叩きつけられる言葉の数々。理解するのに時間はかかるし、納得するのもまた難しい。
彼女の話すことが全て衝撃的すぎて、逆に頭に入ってこないのだ。
「要するに――」
「ちょ、ミズキ、何やってっ――」
すると彼女はベットに座ったまま、寝間着をめくる。彼女が来ていたのはワンピースみたいなものだった。視界に入るみずみずしい太もも。目をそらそうにも、唐突すぎて、突然すぎて、間に合わない。
たしかにミズキはマイペースとも言えるし、人の話を聞かないこともある。それも彼女の特徴だし、それにしても常識人の範囲内だった。
だけどここまでだったか!?
下着まで目に入って、さすがに目をそらそうとしたその時だった。下着の少し上、ちょうど右の脇腹あたり。そこに見覚えのあるもの。
「ユルト――あなたと同じってことよ」
凛とした声で、ミズキはそういった。
痣というには複雑な、刺青と見違いそうな、紋章。
俺のものとは似て非なる、しかしたしかに俺の右手にあるものと同類の、紋章。
「私はあなたと同じよ。ファウロに拾われた経緯も。たぶんそれ以前にあったことも、今の状況も」
「…………」
「ねえ、私の予想、当たってる?」
まっすぐ、目をそらしたくなるくらいにまっすぐな視線。
そこでやっと彼女はめくっていたのを元に戻した。しかし俺は何も言えなかった。何も、何もだ。
たしかにミズキの言っていることは当たっている。
星噛みに村を襲われたこと。赤く光る星噛みに誰かが食われたこと。そいつを殺したこと。その幽霊が見えること。
しかしそれを言えるかというとまた別問題で。ずっと隠し続けてきたことだ。本当に言っていいのか、どうしても躊躇ってしまう。
「――っ」
彼女は俺に問いかけているのだ。私は言った。ユルトはどうするのかと。
しかし俺の口は縫い付けられたかのように言葉を発そうとしない。そのくせ、荒くなった呼吸だけは無駄に垂れ流す。
だからこそ彼女の視線が痛くて。そっと顔を下げ、そして気がついた。
震えている。ミズキのスカートを握る手が。
「いいんじゃないですか? 言っても」
「クロナ?」
少し投げやり気味な声。クロナはいつのまにか、また空気椅子を始めていた。
「どう考えてもバレてます。それに、私にはわかるんです。彼女の脇腹の紋章、ユルトの右手のそれと同じですよ」
「同じって……」
「ミズキの言った通り、彼女はユルトと同じってことです。バレてるんだから隠すのは無駄なことじゃないですか」
「ああ、そう、そうだよな……」
ジワリと溶け出すような感覚。震えた手から伝わるミズキの勇気、そしてクロナの言葉が俺の躊躇を溶かしていく。
やっぱり伝えようと、そう決心して顔を上げた時。彼女は先ほどの表情と一変、微笑ましいものを見るかのような笑みを浮かべていた。
「そう、その子クロナっていうのね」
「あ……」
「本当にユルトはわかりやすいわね。それに、少し羨ましい。私はメメとほとんど話さないから」
そう言ってミズキは虚空に視線を向けた。
俺はそれを追うが、やはりそこには何もない。笑いながらも、少し悲しそうな顔をしていた。
そこに彼女の幽霊――メメがいるのだろうか。
そこに視線を向けるが、やはり何も見えない。まるでそこに何もないかのように。
いや、実際存在しないのだろう。メメも、クロナも。彼女らは俺たちが作り出した幻影に過ぎないのだから。
「ユルト」
ふと、クロナから声がかかる。もうミズキにはバレているのだから、ためらいなく彼女の方を向いた。彼女は顎に手を当て、思案顔。ミズキの紋章がある場所を服越しに見つめていた。
「ちょっと聞いて欲しいことがあります」
「聞いて欲しいこと? まあ、いいけど」
「では――ハイラテラの広場にあった死体は、メメの死体ですか? とおねがしいます」
「――っ! それは……!」
頬を思い切り殴られたかのようだった。
何を突拍子も無いことを。一瞬そうバカにしながらも、思い出す。
それは他でもない広場の死体について。
メルサルバに見せられた手配書にあった死体の紋章と、ミズキの脇腹にあるそれが全く一緒だったのだ。
そう考えると全くの無関係とは思えなかった。それに事実、ミズキはあれを見て戦慄していたのだ。
俺はクロナの質問をそのままミズキに投げかけた。
だがその声は自分でもわかるくらいに震えていた。
一瞬ミズキの表情がわかりやすく歪む。あの広場で一瞬見かけた時のように。
それを隠すように俯いて、「そうよ」とこぼした。隣で重いため息が漏れた。
「いや、そんな……見間違いじゃないのか」
「ふふ、おかしいわね。聞いたのはユルトじゃない。それともクロナから聞いたの?」
それに俺は答えられず、渋い顔をした。
信じられなかったのだ。いや、信じたくなかったのだ。
ミズキの話ではメメは赤く光る星噛みに食われて死んだはずだ、数年前確かに。しかし腐敗の具合からして、あの死体の女の子が殺されたのは最近のこと。明らかに矛盾している。
そうであって欲しいと、ミズキも思っているはずなのだ。しかし彼女は諦めたように軽く笑みを浮かべる。
「確かにあれはメメよ」
「でも……」
「本当よ。色は違うけど髪型、顔立ち、背丈、全て私の記憶の中のメメと同じ。色は違うけど。それに、あの火傷跡」
「あの顔半分くらいに広がってたやつか? 見間違いじゃないのか?」
「ちがう」
やけに強い口調。ミズキはベッドに座ったまま、シーツをこれでもかと握りしめて。悔しそうに表情を歪める。
「あれは……私のせいでできた傷よ。私のせい、私のせいでメメはあんなにも苦しんだ。私は絶対に忘れないって誓ったのよ」
メメは勢いよく立ち上がった。
「見間違えるなんて、あり得ない……‼」
「――ッ」
絞り出すような、しかし確かな意思の籠った、強い声。でもと言いそうな俺の口を閉ざさせるには十分すぎる。
初めて見るミズキだった。彼女のいつも冷静で余裕があるところは、どこかクロナと似ていた。しかし今のミズキはどうだ。瞳を目いっぱいに見開いて、射殺すかのような視線で俺を睨みつけて。まるで正反対だ。
かと思えば次の瞬間、力がいきなり抜けたかのように腰を下ろす。ボスンとベットに倒れこんで、寝転がったまま自身の腕で目を隠すように。燃えるような赤髪が、力なく扇状に広がった。
「……わからないのよ、どうするべきか」
「ミズキ……」
「死んだと思ってた。幽霊になってそばにいると思ってた子が、死体になってつるされてるのよ? じゃあこの幽霊はなんなのよ……」
「だから、ファウロさんには言いづらかったのか」
「自分は星噛みと関係があるって言ってるようなものですからねえ」
体に刻まれた、星喰いの子と同じ紋章。しかもその星喰いの子の幽霊が自分には見える。
クロナの言っていることももっともだった。ファウロさんも過激派とまではいかないが、かなり星噛みのことは嫌っている。殺されるなんてことはないと思うが、それにしても何があるかわからない。
ミズキも同じ考えのようだった。顔を相変わらず腕で隠したまま、小さくうなずいた。
「ねえ、ユルト。私、どうするべきだと思う?」
「それは……」
どうするべきか。随分と曖昧な問いだったが、結局ミズキが聞きたいのはたった一つ――ファウロさんに話すべきか、それだけだった。
俺は何も言えず、ただ言葉を詰まらせるだけ。
ミズキの気持ちはわかる。きっと彼女が抱く感情は、俺が始めてシロナを見た時と同じだから。
なんでこんなところに。死んだはずなのに、なんで。なんでここまで似てるんだ。
俺と彼女で違うのは、メメが、クロナが、生きているか死んでいるか、ただそれだけ。
一度、考えてみた。
もし俺だったら、クロナのことを言うだろうか。想像してみても、やっぱり答えは変わらない。わからないだ。
「…………ファウロさんに、言うべきだと、思う」
結局俺が出した答えはそれだった。まだ自分でも納得していない。自分のことじゃないから言えたのかもしれない。しかし納得はしていなくて、その言葉もひどくつっかえつっかえになっていた。
「ユルトは、そう思うのかしら」
ミズキは寝転んだまま腕だけ少しずらして俺を見る。すがるような視線に、体がこわばるのを感じた。
「ファウロさんは、誠実だとおもう。二人の付き合いも、長いんだろ? たぶん、少なくとも、お前に何かをするようなことは、ないとおもう」
だからきっと大丈夫だと。
どこか不安げなミズキにそう告げた。でも笑ってしまいそうになる。大丈夫だって? 嘘をつくな、自信なんてないくせに。ミズキのことだから、自分には関係がないから、なんとか口にできたくせに。
ジクジクと心が沈み込んで。そんな俺をクロナが無表情で見ていた。
しかしミズキにとって俺の心中なんてどちらでもいいらしい。
「そう」とだけ口にして、彼女は起き上がった。ベットが小さく軋む。
「そうね。ファウロに、言ってみるわ。だってあの人は、私たち星狩り第九二隊の隊長なんだし。部下の悩みを聞くのは当たり前よね」
ミズキは、やけに晴れやかに笑う。
結局彼女は、背中を押して欲しかっただけだったんだろう。ファウロさんに言うべき。きっとそれが正しいけど、絶対じゃない。その不安を、おそらく同じ境遇である俺に押し付けて。
ベットから立ち上がった彼女は、「ごめんね」と言った。そして、外に向かって歩き出す。
「今から行くのか?」
「ええ、このままにしておくのも気持ち悪いし。――あ、でも、ちょっといいかしら」
「なんだ?」
「あなたも、一緒に来てほしいのよ」
「は……?」
情けない声だった。しかしミズキは笑うことなく、自分の寝間着をすがるようにつかんで。
「ほら、やっぱり、不安じゃない」
そう、どこか不安げな声で、そういった。
彼女とファウロさんの付き合いはかなり長いらしい。そう考えると、彼女の感情も当たり前のものだ。
彼女はずっとメメのことを隠してきた。出会って数か月の俺ですら言うことはできないのだ。彼女が今どんな気持ちか、想像もできない。
「いいのか、俺で」
「信用してるって、言ったでしょ?」
正直俺はその場にいたくはなかった。が、そういわれては頷かないわけにもいかなかった。
「ありがとう」と、肩の力を抜くようにして息を吐くと、ミズキはまた歩き出した。彼女の背中、そしてやけに軽く跳ねる、ろうそくに照らされた赤髪。それを見つめたまま、俺も席を立とうとしたその時。
「いいんですか? このまま行って」
クロナがポツリとこぼす。
何を言っているんだか。別に俺がファウロさんに言うように言ったんだから、なんの問題もないだろうに。
「――あ」
しかしすぐに思いつき、思わずそう漏れ出した。
そうだ、もしかしたら、ミズキがクロナのことを話すかもしれない。
一気に危機感が足元から迫り上がる。
別に絶対ダメというわけじゃない。だからこそ、クロナも行かせていいんですかと言ったんだろう。行かせてはダメだ、ではなくて。
この際だから、言ってしまってもいいかもしれない。しかし今言うべきではないと、そう思ってしまった。確信があるわけじゃない。完全に直感だ。
「なあ、ミズキ……」
ドアノブに手をかけた彼女の背中に声をかける。
彼女は振り返り、俺の顔を見つめ。そして、呆れるように笑った。
「ユルト、なんて顔してるのよ」
「……は?」
「すごい不安そうな顔してますよ」
クスクスとクロナが笑った。うるさいと、クロナを睨みつける。完全に八つ当たりだった。
「やっぱりいいわね、仲よさそうで」と、またあの悲しそうな顔。それだけで俺は何も言えなくなる。
「別にそんな顔しなくても、あなたのことはファウロには言わないわよ」
「え……?」
「話されたく、ないんでしょ?」
確かにそれは俺にとっては渡りに船だ。しかし何について考えていたかなんて、俺は一言も言っていないのだ。
「なんでそのこと……」
「わかりやすいのよ、あなたは」
それだけ笑いながら言い捨てて、彼女は部屋から出て行く。
「だから言ったじゃないですか、ユルトはわかりやすいって」
クロナが楽しそうに言うのに、俺は何も返せなかった。
◆
「殺すべきだ」
俺とミズキのもと、話を聞いたファウロさんは、そう即答した。