第1話 追放の瞬間、勇者の聖剣は光を失った
転移石は、三つしかなかった。
最深部の扉の前で、ガレスが革袋から取り出したそれを見て、俺は数を数えてしまった。
一つ、二つ、三つ。
勇者、魔導士、聖女。パーティは四人なのに。
「ガレス。俺の分は?」
「ん? ああ、買い忘れた」
ガレスは笑いもせずに答えた。
「帰りは、お前の足で何とかしろ」
冗談だと思いたかった。だが、セレスティアは扇で口元を隠し、ミラは目を伏せたまま動かない。
誰も、驚いていなかった。
*
三年前、辺境の村で、ガレスは俺の手を握ってこう言った。
「お前の目が必要だ。一緒に来てくれ」
名前しか表示されない外れスキル【鑑定】。村の誰もが笑ったその力を、必要だと言ってくれたのは、あいつだけだった。
だから俺は、荷物を背負い、野営の火を守り、ミラの破れた法衣を繕い、ガレスの剣を毎晩研いだ。
一割にも満たない取り分でも、文句は言わなかった。仲間だと思っていたからだ。
「リオ、行くぞ」
ガレスが扉に手をかけた。
その瞬間、視界の端に文字が走った。
【鑑定】
名称:偽りの扉
「待て、ガレス。この扉、名前が『偽り』だ。罠かもしれない。一度引いて」
「うるさい」
ガレスは振り返りもせず、聖剣エクスルーナで扉を押し開けた。
床が消えた。
*
落ちた先は、石壁に囲まれた円形の広間だった。
周囲には、牙を剥く合成獣が十体以上。
「くそっ、囲まれた!」
「ガレス、聖剣を見ろ!」
叫んだ俺は、咄嗟に剣へ視線を向けた。
【鑑定】名称:聖剣エクスルーナ
剣が、眩く輝いた。
迫っていたキメラの首が、一太刀で飛ぶ。セレスティアの炎が広間を薙ぎ、ミラの結界が全員を包む。
あっという間に、群れは壊滅した。
荒い息のまま、ガレスは剣を掲げて笑った。
「見たか。これが勇者の力だ」
違う。
俺が見た瞬間に、剣が応えた。三年間、何度も感じてきた違和感の正体が、喉元まで出かかっていた。
けれど、確かめる前に、ガレスが振り返った。
「リオ。お前のせいで死ぬところだった」
「……は?」
「『偽りの扉』なんて曖昧な鑑定をしたからだ。罠だと断言できない鑑定士など、いないも同然だ」
扉を開けたのはガレスだ。止めたのは俺だ。
「俺は止めたはずだ」
「結果論ね」
セレスティアが、ため息混じりに言った。
「どのみち、決めていたのよ。七日後の王城での叙勲式、名前が呼ばれるのは勇者パーティの三名だけ。荷物持ちが隣に立つなんて、見栄えが悪いでしょう」
「報酬も、三等分のほうがきれいに割れますし……」
ミラが小さく付け加えた。
三年間の旅が、見栄えと割り算で片づけられた。
「ギルドの登録にも、お前の名前はない」
ガレスが言った。
「お前は同行者だ。切っても、誰も困らない」
そこで俺は、ようやく全部を理解した。
功績報告のたびに、俺だけ席を外されたこと。受付嬢がいつも気まずそうに目を逸らしたこと。転移石が、三つしかないこと。
全部、最初から決まっていた。この扉は、ただの口実だ。
「最後に、これも外しておくか」
ガレスは、俺の胸元に浮かぶ契約印へ指を伸ばした。
三年前、旅の始めに結ばされた、同行契約の魔導印。報酬の計算用だと、あいつは言っていた。
「やめろ! それは」
何かが、ひどく嫌な予感がした。理由は分からない。ただ、それを外してはいけないと、身体が叫んでいた。
「負け惜しみか。見苦しい」
印が、砕けた。
その瞬間、ガレスの聖剣から、すうっと光が消えた。
セレスティアの杖が、ただの木の棒のように色を失った。
ミラの結界の残り火が、ぱちんと弾けて消えた。
誰も気づかなかった。
「じゃあな、リオ。生きていたら、また会おう」
ガレスは転移石を掲げ、俺の鞄を逆さに振った。回復薬も保存食も、石の床にぶちまけられる。瓶の割れる音が、やけに大きく響いた。
「手切れ金だ。ありがたく思え」
白い光が三人を包み、消えた。
あとには、暗闇と水滴の音だけが残った。
*
どれくらい、座り込んでいたのか分からない。
腹が鳴って、ようやく手を動かした。割れた瓶の破片を拾おうとして、指先を切る。
「……痛っ」
血が一滴、床に落ちた。
胸の奥で、何かが「ほどけた」。
三年間、ずっと身体から何かが抜け続けていたのだと、そのとき初めて分かった。それが止まり、せき止められていたものが、一気に逆流してくる。
熱い。視界が白く弾ける。
【警告】同行契約の解除を確認
【警告】力の流出が停止しました
【鑑定】→【真理の眼】へ上位変質
「……流出?」
文字が続く。
【真理の眼】
見たものの「真の姿」を確定させ、本来の力を引き出す。
本スキルは、同行契約を通じて、契約者へ力を供給していた。
「……は、はは」
笑いが漏れた。
聖剣が輝いたのも、魔法が冴えたのも、結界が硬かったのも。
全部、俺の力だった。
あいつらは、自分たちの強さの源を、自分で切り捨てたのだ。
悔しさより先に、腹の底から、可笑しさがこみ上げた。
足元の床が、淡く光った。
【鑑定】
名称:祭壇の間(損傷率97%)
真の名:竜王の墓所
「竜王の……墓? ここは、罠の部屋じゃなかったのか」
広間の奥で、鎖が軋んだ。
暗闇の中、金色の瞳がふたつ、静かに開く。
「ようやく、来たのね」
鈴のような声だった。
鎖に繋がれた銀髪の少女が、こちらを見ていた。
「ずっと見ていたわ。ここは私の墓所。あなたたちが入ってきた時から、全部」
「……全部、見ていたのか」
「ええ。扉を開けた勇者も、あなたを置いていった三人も、あなたが三年間、何を奪われていたかも」
少女は、くすりと笑った。
「怒っていいのよ。むしろ、怒りなさい。その怒りが、この鎖を解く鍵になるから」
「君は、何者なんだ」
「名前は、奪われたわ」
笑みが消えた。
「千年前、この国の初代王にね。名前を奪われた竜は、力を使えない。だから私は、ここに繋がれたまま」
少女は、まっすぐ俺を見た。
「でも、あなたの目なら見える。私の、本当の名前が」
「……俺に、名前を」
「ええ。そして、ひとつだけ教えてあげる」
金色の瞳が、細く笑った。
「あの勇者の聖剣。あれの芯は、私の牙よ」
息が止まった。
「千年前、初代王が私から引き抜いた牙。あなたの力が流れ込んで、ようやく本来の光を取り戻していたの。ずいぶん、乱暴に使われていたけれど」
聖剣エクスルーナ。
王国が勇者に授けた、至宝。
それが、盗まれた竜の牙だった。
「お願い、リオ」
少女は鎖を鳴らして、手を伸ばした。
「私の名前を、取り戻して。そうすれば私は、あなたの目になる。あなたを捨てた連中も、この国の嘘も、全部」
俺の手のひらが、強く光り始めていた。
*
その頃、迷宮の入口。
転移の光が消えると、ガレスは眩しそうに目を細めた。
「ふう。やっと地上か」
「重荷が消えて、せいせいしたわね」
セレスティアが笑う。
そのとき、入口の石段を、ぷるんと一匹のスライムが這ってきた。最下級の、子どもでも倒せる魔物だ。
「雑魚が。記念すべき凱旋に、水を差すな」
ガレスは聖剣を抜き、軽く振り下ろした。
ぽよん。
刃が、弾かれた。
「……は?」
もう一度。ぽよん。
聖剣エクスルーナは、錆びた鉄のように、鈍い色をしていた。
「ダンジョンの魔力が残っているんだ。そうだ、そのせいだ」
「ガレス様……」
ミラが、小さく声を震わせた。振り返った視線の先には、暗い迷宮の入口があった。
「ねえ、リオさんを置いてきたのは、本当に」
「黙れ」
ガレスは、剣を鞘に叩き込んだ。
「七日後には、王の前に立つんだ。何も問題ない」
その手が、かすかに震えていたことに、本人だけが気づいていなかった。




