『キメラ』の夜刀
「おはよう、拓己。ホラ、水だ。飲んどけ」
ぼんやりと瞬きをした拓己は、ここはどこだっけ、と思いながら周囲を見回した。
体を揺らす振動と、エンジン音。目の細かい頑丈な格子で覆われた、小さな窓。
――そうだった、と拓己は思い出す。
彼は今、『ワダツミ』に向かっているのだ。
冬騎に差し出された水筒を受け取り、冷たすぎない水で少しずつ喉を潤す。
「おはよう。あと、どれくらいで『ワダツミ』に着くんだ?」
「予定ルートは、順調に消化してる。このまま何もなければ、今日の昼には到着だ」
そっか、と拓己は頷く。
はじめて見たとき、『これ……トラック?』と首を捻ったほど大きな高機動車には、たくさんの荷物が積んである。崩れ落ちないように固定されたそれらに見下ろされながら目を覚ますたび、少し心臓に悪い思いをした。
今の拓己は、自分の力を――炎や冷気を操る力を、きちんと使いこなせるようになっている。
ただ少し前までは、びっくりしたり怖い思いをしたりすると、無意識に近くにあるものを燃やしてしまうことがあった。そのときのことを覚えているから、今でも目を覚ましたときに見覚えのないものに囲まれていると、一瞬体が強張ってしまう。
拓己は水筒を冬騎に返し、ふと窓の外を見る。
「どうした? 拓己」
んん、と拓己は首を傾げた。
「いや、うまく言えねえんだけど。――やっぱ、『ワダツミ』に沙弥はいなさそうだな、って」
一拍置いて、冬騎が静かに口を開く。
「……なんで、そう思うんだ?」
「あー……。なんか『ラオデキア』にいるときより、沙弥が遠くなった気がする。ホントに、なんとなくだけど」
そっか、と冬騎が苦笑する。
「おまえの勘は、よく当たるからな。まあ、実際に確認してみればわかることだ。……おまえが諦めない限り、おれたちも諦めることはないから、心配すんな」
この姿になってから、はじめて交わした約束を持ち出され、拓己はガシガシと髪をかき混ぜた。
「なんかなあ……。沙弥のやつ。絶対どこかで生きてるはずなのに、ここまで手がかりがねーとか、マジで意味わかんねえ」
「それについては、上の人間も不思議がってる。ただ、おまえの妹さんは、おそらくおまえと同じ『適合者』だ。そんで、おまえがそれだけ非常識な力を持ってるってことは、彼女も同じくらい非常識なことができてもおかしくねえだろ」
非常識、と拓己は半目になって復唱する。
いくらそれが事実であるとしても、正面きってそう言い切られると、なかなか忸怩たるものがあるのだ。
そんな拓己の気も知らぬげに、冬騎は続ける。
「だからまあ、おまえはがんばって『双子センサー』の感度でも上げとけよ。おまえが妹さんの居場所を特定できれば、おれたちはいつでも動くんだからさ」
「そんなことができるなら、最初からやってますー!」
拓己が思いきり顔をしかめて喚いたとき、インカムから六花の声が聞こえてきた。
『小型ネフィリムの群れが出現。スピードを上げて振り切ります』
直後、ぐんとスピードが上がったのを感じる。
ややあって、車体が大きく傾いだ。
「うおっ!」
「運転席、何があった!?」
冬騎が大声でインカムに呼びかける。
答える六花の声が、今度は天井近くのスピーカーから返ってきた。
『未確認種のネフィリムが多数出現、現在データベースと照合中。大型の飛行タイプ、おそらく中位種。――外見情報合致、オファニエルタイプと断定。『レオパルト』三名は車上からの狙撃を開始、ロケットランチャーの使用を許可します。『フォーゲル』、『ヴォルフ』の各員は彼らの援護を。『レーヴェ』は追随してきているザピエルタイプの群れを牽制。目的地はすぐそこよ、ドライバーはこのままのスピードを維持して。無理をして倒す必要はないわ。『ワダツミ』の防衛システムエリア内まで、このまま一気に突っ切ります』
彼女の淡々とした口調での指示が終わるか終わらないかのうちに、頭上で何かがぶつかるような重たい音が響く。
何事かと目を瞠った拓己に、冬騎が安心させるように言う。
「この車の上に、『レオパルト』の誰かが飛び移ったんだろ。問題ない。飛行タイプなら、連中の遠距離射撃で対応できる」
拓己は、どんよりと肩を落とした。
「オレの攻撃は、遠距離対応してねえからな……」
「気にするな。おまえに倒せないネフィリムを倒すために、おれたちはいるんだから」
当然のことを語る口調で告げられ、拓己は頷きながら格子越しの空を見上げた。
青空に、点々と散らばる黒い影。
徐々に近づいてくる影――空飛ぶ化け物は、ひどく不気味な姿をしていた。
すさまじい速さで空を飛んでいるのに、まるでそのスピードに相応しくない歪な球形をしたそれらは、無数の翼の塊のように見える。
頭部と思しき塊には、歪んだ人間の顔がやはり数えきれないほどについていて、正面にある一際大きなひとつだけが鋭く伸びた牙を備えていた。
近づいてくるにつれ、白い翼にびっしりと浮かんでいる目玉模様がよく見える。
恐ろしい、とは思わない。
ただ、気持ちが悪い。
顔をしかめた拓己は、ぐっと唇を噛む。
――殺セ。
(……え?)
拓己は、瞬きをして冬騎を振り返った。
「今、何か言ったか? 冬騎」
冬騎が不思議そうな顔で見返してくる。
「いや? 何も言っていないぞ」
「そっか。なんか、呼ばれた気がしたんだけどな」
気のせいだったみたいだ、と拓己は笑う。
男の声で、自分に命令するようなものだったから、てっきり冬騎が何か指示をしてきたのかと思った。
小さく息をつけば、頭の上からはひっきりなしに銃声や、それよりもっと重く激しい炸裂音が響いている。
それに混じって、冬騎の仲間たちが鋭い口調で何か言い合っているようだ。
彼らは大丈夫だろうか、と思ったとき、再びスピーカーから六花の声が響く。
『総員、攻撃停止。――『ワダツミ』から通信。あちらから、迎えが来るそうよ。あとは、彼らに任せま……え?』
安堵を滲ませた六花の声が、その直後強い驚きを伝えてくる。
どうしたんだろうと思っていると、窓の向こうに白い翼の塊が落ちてきたのが見えた。
分厚い羽毛に阻まれ、地上からの狙撃で撃ち落とすことは困難極まりなかった化け物が、また新たに一体地面に激突し、砂となって消えていく。
『……『ワダツミ』の防衛システムエリア内に入ったわ。総員、撤退支援を』
六花の声とともに車が緩やかに減速し、停車した。
それと同時に、冬騎が車体後部の扉を開く。
また銃声が何度か響いたけれど、すぐにやんだ。
空飛ぶ化け物たちが、何度か上空を旋回してからあきらめたように遠ざかっていく。
目の前に広がるのは、淡く輝く砂の大地。
雲ひとつない、真っ青な空。
そして――。
「……ようこそ、『ワダツミ』へ」
――ふわりと砂の上に舞い降りたのは、ひとりの女性。
ちょうど、『フォーゲル』の壮志と同じくらいの身長だろうか。
ほっそりした体つきなのに、まるで弱々しさを感じさせないところも彼とよく似ている。
腰まで流れる漆黒の髪と白い肌に映える、頭上に広がる空と同じ色の瞳が、目を奪われるほどに美しかった。
その女性は、胸部と両腕にプロテクターというにはかなりものものしい装備をつけていて、腰には彼女の体格には不釣り合いなほど大きな剣を佩いている。
年齢は、二十歳前後だろうか。
彼女の目が拓己の姿を捉えた瞬間、ひどく驚いたように大きく見開かれる。
初対面の相手にこんなふうに凝視されたとき、少々人見知りなところのある拓己は、いつも居心地の悪い思いをしていた。
しかし今は、少し離れたところにいる彼女の姿を見るのに忙しくて、それどころではない。
(て……天使?)
なぜなら、その女性の背中には、彼女自身の体をすっぽりと覆えそうなほど巨大な翼が生えているのである。
彼女の髪と同じ漆黒のそれは、地上に降りるとすぐに折りたたまれてしまった。けれど、遙かな上空から風をつかまえて降りてきたときの優美な姿は、しっかりと拓己の目に焼きついている。
――今まで生きてきて、こんなに美しい生き物を見たことがない。
もう一度翼を広げてくれないかな、とどきどきしながら見ていると、女性がふと瞬きをして口を開く。
「失礼いたしました。わたしは『キメラ』の夜刀。『ワダツミ』所属ハルファス部隊を代表し、『ラオデキア』所属フェンリル及び護衛チームのみなさまを歓迎いたします」




