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崩壊した世界で、『人類の希望』と呼ばれています  作者: 灯乃


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1/3

崩壊した日常

 よろしくお願いいたします!

 この言葉を聞いて、それを守る者は幸いである。

 時が近いからだ。


***


 ゲーム開始から十年。

 人類は、まだ絶望していなかった。


 ゲーム開始から三十年。

 人類は、絶望した。


 ゲーム開始から五十年。

 人類は、新たな希望を見出した。


 ゲーム開始から七十年。

 人類は、新たな希望の産声を聞いた。


 ゲーム開始から八十五年。

 人類は、新たな希望を完成させた。


 ゲーム開始から九十年。

 最後のカウントダウンに向けて、人類の希望を託された獣の子たちは、その幼い手に武器を持つ。


 ――3・2・1・0。


 カウントダウンが終わったその日。

 人類は、敗北した。


***


「いってきまーす!」


 少女の溌剌とした元気な声が、朝の柔らかな空気に軽やかに響き渡る。


「いってくるー」


 どこかのんびりとした少年の声が、それに続く。


「いってらっしゃい、沙弥。拓己。ふたりとも、気をつけてね」


 ふんわりと笑う母親に見送られ、同じ高校の制服を着た子どもたちはいつも通りに家を出た。

 夏の終わりの日差しが、色とりどりの屋根を輝かせている。

 壁の上でくぁあ、とあくびをした猫が、眠そうな顔をして丸くなった。

 その猫につられたように大きくあくびをした少年に、少女があきれた様子で声を掛ける。


「拓己。あんた、また遅くまでゲームしてたわけ?」

「……黙秘権」


 今年の春、高校一年生になったふたりは、新堂沙弥、新堂拓己という名の双子の兄妹だ。

 初夏生まれの彼らは、つい先日揃って十六歳になったばかりである。

 幼い頃は沙弥が好んでショートカットにしていたこともあり、互いに間違えられることも珍しくなかった。

 しかし、中学に上がったのを機に沙弥が髪を伸ばしはじめたため、そんなことももはやない。

 顔立ちだけなら、揃って母譲りのふたりは今でもよく似ているのだが――。


「ちょっとお。わたしと同じような顔してるんだから、寝不足のぼけっとした顔を世の中に晒さないでよね! 恥ずかしい」

「おまえこそ、オレと同じような顔で美少女ムーブをかますのは、ほどほどにしてくれ。たまにクラスの連中に女装をせがまれるのが、めちゃくちゃ鬱陶しいんだ」


 双子の兄のぼやきに、沙弥はふふんと胸を反らす。


「こーんな美少女な妹を持ったことを、全力で誇りなさいよ! 大丈夫、あんたが女装するときには、わたしがバッチリ双子コーデしてあげるから!」

「お願いだからやめてクダサイ」


 幼い頃から近所でも有名な美少女だった彼女は、年頃になっておしゃれに興味を持ちはじめるようになってから、隙あらば兄をいじり――もとい、外見に無頓着な彼を、自分好みに改造しようとするようになった。

 そんな彼女によく似た拓己も充分整った容姿をしているのだが、男が可愛い系の顔をしていたところで、なんの得もありはしない。


 おまけに、彼はどうにも性格が地味というか、のんびりぼんやりとしたタイプだ。

 華やかな少女たちのグループで高校生活を謳歌している沙弥とは逆に、休日には自宅でオンラインゲームやアニメ鑑賞を楽しんでいることが多い。いまだに沙弥と大差ない細身の体は、日焼けや逞しさとは無縁である。

 女装をしたら普通に似合いそうだと、自分でも思ってしまうのが恐ろしい。


 はあ、とため息を吐いた拓己は、それ以上墓穴を掘るのを避けるため、黙って歩くことにした。

 そもそも、いくら通う学校が同じだからといっても、高校生にもなって妹と一緒に登校すること自体、思春期真っ盛りの少年としては少し恥ずかしかったりするのだ。


(けど、沙弥をひとりで歩かせるのは、母さんがまだ不安がってるっぽいしなあ。気色悪いストーカー野郎は、今すぐこの世から絶滅すべきだと思います)


 なぜ世の中には、一度も話をしたことがない相手に対し、尋常でない執着を抱く変質者がいるのだろうか。そんなものに狙われる本人が最も気の毒なのだが、その身内だって充分迷惑を被るのだから、本当に心の底からやめていただきたいものだ。

 電車で二駅の私立高校に通う双子の通学路は、近所に住まう小学生たちのそれと重なっている。

 あちこちで子どもたちの朝の挨拶が飛び交い、流行のテレビアニメやヒーロー番組、漫画やゲームの話題で盛り上がっているのがほほえましい。


(それにしても、今シーズンの戦隊アニメ、オレらがガキの頃に見てた実写版とは、全然テイストがちげーよな。……やっぱり、あの全身ピッタリのタイツ的なコスチュームは、今どきのお子さまたちにはウケないんだろうか)


 ここ数ヶ月、子どもたちの間で大変な人気を博しているのは、歴史と伝統を誇る戦隊モノのヒーローアニメだ。

 実写だった頃にはイケメン俳優の登竜門とも言われていたらしいが、制作費の高騰や過酷な現場に対する不満などの要因で、アニメという形式に変換されたのだという。世知辛い。

 とはいえ、今シーズンの戦隊アニメ――三人のイケメンとふたりの美少女で編成された『ハルファス』というチームが、不思議な武器や特殊能力でさまざまな姿の化け物を倒す物語は、幼い少年たち以外の心も鷲掴みにしている。


 彼らは歴代のヒーローチームと異なり、戦闘に入っても独特のカラフルなコスチュームに変身することはない。

 敵の出現により緊急出動がかかれば、ダークグレーに緋色のラインの入った詰め襟ジャケット、頑丈なアーミーブーツにプロテクターを装備して飛び出していく。

 制服のやたらとスタイリッシュ(中二的ともいう)なデザインと、それを着こなしているキャラクターたちの姿が、若い世代だけでなくその親の世代まで魅了しているのだ。

 素晴らしく美麗な容姿のコスプレイヤーたちが、こぞってハルファスの仮装をしてはSNSにアップしており、関連グッズの販売も相俟って、経済効果がとんでもないことになっているらしい。


 海外でも放映されているというその人気ぶりは、報道番組で特集を組まれるほどのものであるため、拓己も概要だけは知っていた。

 ハルファスの活躍が地上波放映されるのは、日曜の朝だ。

 週はじめの今朝、子どもたちの多くが彼らの話題で盛り上がっている。

 なんということのない、いつも通りの平和な日常。

 電車の定期アプリを使うため、制服のポケットから携帯端末を取り出そうとしたとき、突然妹の手が拓己の腕を掴んだ。


「沙弥?」


 いったいどうした、と振り返ろうとした寸前――。

 すぐ近くを歩いていたサラリーマンの姿が、消えた。

 比喩ではなく、なんの前触れもなく突然細かな砂のように崩れ落ちた彼が、身につけていたスーツと鞄を残して消えてしまったのだ。

 ほのかに黄色がかった透明な砂が、趣味の悪い冗談のように風に攫われ、散っていく。


(は……?)


 何が起こったのかわからないまま、拓己はぎこちなく周囲を見回した。

 見慣れた制服姿の高校生、洒落た服装の大学生、足早に歩いていた通勤途中の大人たち。

 彼らの体が、見る見るうちに砂の柱となって崩れ落ちる。

 あまりに現実離れした光景に、残された者たちがただ呆然と立ち尽くしていたとき、突然獰猛な獣じみた咆哮が響き渡った。


 びりびりと空気を震わせるそれに振り返った先、ひとりの若いOLが見る間に変貌していく。

 明るいアースカラーのスーツが、まるで空気を入れすぎた風船のように、弾けた。

 それに包まれていた細い体が、すさまじい勢いで膨張する。


 ほんの、数秒。

 たったそれだけの間に、彼女はまったく別の生き物に変わっていた。

 赤黒く爛れたような皮膚、見上げるほどに巨大な体躯。

 獣じみて歪んだ四肢から伸びた鋭い爪が、アスファルトの地面を抉る。

 頭部に生えるまばらな剛毛の下で、濁ったオレンジ色の瞳がキロリと動く。


「ひ……っ」


 女性の変貌を間近に見た子どもが、ひきつった悲鳴を上げてあとずさる。

 ほんの寸前までは人間の女性だったはずの獣が、その子どもに向かって醜くねじくれた爪を振り上げた瞬間、拓己は咄嗟に駆け寄ろうとした。

 だが――。


(……あ)


 手を伸ばした拓己の目の前で、子どもの小さな体が、赤黒い飛沫となって飛び散った。


「拓己!」


 引きつって上擦った沙弥の声に、びちゃびちゃと鈍く濡れた音が重なる。

 断続的に響く何かが砕け、千切れる音の中、沙弥が呆然と立ち尽くす拓己の手を掴んで元来た道を引き返す。


「拓己! 走って!」


 悲鳴じみたその声に、拓己は頬を殴られたような気分になった。


「……っ」


 震える華奢な手を握り返し、道路に散乱する砂や衣服に足を取られそうになりながらも、時折膝をつきそうになる沙弥を引きずるようにして自宅を目指し、ひた走る。


「母さん! 母さん!?」


 永遠とも思える時間のあと、どうにかたどり着いた自宅の扉を叩き、インターフォンを鳴らしても、母が出てくる気配はない。

 震える指で携帯端末を取り出し、電子錠を解錠して扉を開く。沙弥の体を力任せに家の中へ放りこみ、振り返りざま手動で鍵を閉めた。


「た……拓己……」


 玄関にへたり込んだ沙弥が、ガタガタと震えながら拓己を見上げる。

 一体、何が。

 どうして、こんな。

 混乱しきった頭に浮かぶのは、そんなことばかりだ。

 自宅に――安全な家の中に辿り着いたと思った途端、拓己の中で張り詰めていたものが切れる。


「あ……あ、あぁ……っ」


 ほんの幼い子どもが、突然醜悪な巨獣と化した人間に食い殺された。

 そのおぞましく恐ろしい光景を、目の当たりにしたのだ。

 沙弥を守らなければという一心で、どうにかここまで逃げてきたけれど――。


「うああぁああああああ!!」


 今になって心を押しつぶさんばかりにこみ上げた恐怖に、拓己は大声を上げて泣き喚く。

 そんな兄に手を伸ばし、同じく泣き出した沙弥と抱き合いながら、涙が涸れるまで泣き続けた。

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― 新着の感想 ―
うっ、バイオレンス··· でも動けるだけすごい! 拓己君の日常は···とても身につまされて···インドアオタクっぽいとことかが、ハッキリ言って突き刺さる! 沙弥さんが動ける人で良かった! それにい…
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