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第五話「好きだ、バカ。」

川から上がった時、全身が震えていた。


制服は泥だらけ。

靴の中はぐちゃぐちゃで、膝は擦りむけていた。

右手の切り傷が、じんじんと痛む。


でも、キーホルダーだけは離さなかった。


『英子さん、とりあえずお風呂に入りましょう?』

(え、今それ?)

『今それです。風邪ひきます。マジで。』

(……たまに付けるその語尾なんなの?)

『あと、その傷。消毒した方がいいですよ?』

(うるせぇな、おかんかよ。)

『おかんじゃないです。我、女神です。』

(クソどうでもいいわ。)







家に帰って、風呂に入った。


傷に湯が染みた。

泥が流れて、水が茶色く濁る。


ついでに、キーホルダーも洗った。

ついで、という割には、かなり丁寧に。


泥を落とすと、くまの形がはっきりした。

片耳は欠けたまま。色も、ほとんど抜けている。

でも、くまはくまだった。


三百円の、安物のくまだった。


こいつを、あいつはずっと持っていた。


「……本当に、バカだなぁ。」


もう何回目か分からないけど、そう呟いた。







髪を乾かして、部屋に戻った。


(で、これ。どうすんの。)

『キーホルダーを枕の下に置いて、眠ってください。』

(……う、うさんくせ~~。)

『失敬な!立派な神術ですよ?』

(ようするに『まじない』でしょ?)

『全然違います! 格式と歴史がですね——』

(とりあえず、寝るわ。)

『あ、ちょ——もう!』


キーホルダーを枕の下に置いた。

布団に入る。


さっきまで泣いてたせいか、目が重かった。

すぐに、意識が落ちた。







相も変わらず、白い空間。

慣れたとは言わないけど、驚かなくなった。


アリアが目の前にいた。

いつもの白いドレス。いつものポンコツ顔。


「んで、会えんの?」

「結論から言うと、会えません。」

「……は?」


アリアが、目を伏せた。


「シュウさんは、異世界に強く定着しています。魂がもう、向こうの世界に根を張っている。」

「……。」

「引き剥がすことはできません。戻すことも。」

「じゃあ、今までのなんだったんだよ……。」

「……ご、ごめんなさい。ここまで定着が強固だとは思わなくて……。」

「ん~。じゃあ、私が向こうに行くのは?」

「……できます。ただし、条件は同じです。」


——この世界で、死ぬこと。


「自ら命を絶った場合は対象外。でも、それ以外の形で死ねば——」

「ごめん。ストップ。」


自分で聞いたくせに、自分で止めた。


行けるわけがない。

行ったら、シュウの母親が泣いたように、私の家族が泣く。

あいつを失った時の、あの痛みを、今度は私が誰かに押し付けることになる。


自分がいなくなっても、悲しむ人なんていない。

あいつは、たぶんどこかでそう思っていた……と思う。


でも、私は知ってる。

あいつがいなくなって、悲しんだ人間がいることを。


——今、ここにいる。


「……行かない。」

「……はい。」

「てか行く気なかったし、最初から。」

「……はい。」


アリアが少し笑った。

泣きそうな笑顔だった。


「じゃあ……何もできないの?」

「あ、でもでも!メッセージはいけますよ!キーホルダーのおかげです!」

「……メッセージ?」

「はい!動画を撮って、シュウさんに届けることならできます!」

「……それが、限界?」

「はい。ごめんなさい。私は駄女神なので。」

「……自虐すんなよ。」

「え?」

「私は助かったよ。あんたのおかげで。」


アリアが、目を見開いた。

何か言おうとして、口をパクパクさせている。


「英子さん……!」

「うるせぇ。泣くなよ。あとくっつくな!」

「泣いてません!泣いて、ないですぅ!」


泣いてた。

鼻水が、服に着いた。

……本当に、しょうがない奴。







「で、どうやんの。動画。」

「これです!」


アリアが差し出したのは——スマホだった。

白くて、やたらとキラキラしている。

デコってる?


「……スマホ?」

「はい!最近のは動画も撮れるんですよ?」

「知ってるわ。てか、何で神界にスマホがあんだよ。」

「文明の利器です!」

「雑だなぁ~。」


アリアがカメラを構えた。

ピコンっと、スマホから音がした。


「じゃ、いつでもどうぞ~。」


——息を吸った。


ずっと言いたかったこと。

ずっと言えなかったこと。


これが、あいつに、届くといいな。







——異世界。


どこか遠い、知らない世界の話。


シュウは、仲間たちといた。

賑やかな酒場で、テーブルを囲んで笑っていた。


背は伸びていた。

顔つきも、昔よりずっと大人びていた。


でも、仲間に雑に笑いかけるその顔は、英子の知っているシュウのままだった。


「シュウさ~~ん。」


聞き覚えのある、間の抜けた声が響いた。


「あれ? 駄女神じゃん。召喚の時以来じゃね?」

「んっふふ~~。久しぶりですね~~。あと、アリアですからね?」

「……何そのテンション。怖いんだけど。」

「本日は、お届けものです。」

「届けもの?」


アリアが、スマホを差し出した。


「動画です。あなた宛てに、預かってきました。」

「……誰から?」

「私がここに来れたのも、その方が頑張ってくれたからなんですよ!」

「んで、誰からなの?」


アリアが、少しだけ笑った。


「ふっふっふ。まぁ、見れば分かります!」


シュウは、スマホを受け取った。

画面をタップする。


動画の光が、シュウの顔を照らした。

時間にして、ほんの数十秒。


やがて、画面は真っ暗になった。

もう、何も映っていない。


「……えーちゃん。」


シュウが、呟いた。

異世界の英雄の顔じゃなかった。

ただの、男の顔だった。


「……バカって、酷いなぁ……。」


シュウは、笑った。

泣きそうな顔で、笑っていた。







——一年後。


「……あ、どうも~?」

「……。」

「お久しぶりです~。」

「……マジかよ。」


夢の中。白い空間。

一年ぶりに、アリアがいた。


「何しに来たんだよ?」

「えへへ。なんとなく?」

「暇なの?」

「暇です!」

「堂々と言うなよ……。」


私は、もう前を向いていた。


高校三年になった。

陸上部は引退した。

受験勉強を始めた。

友達も、少しだけ増えた。


シュウのことは、忘れてない。

忘れるわけがない。

でも、ちゃんと歩いている。


「あの動画、届いたの?」

「はい。届きました。」

「……なんか、言ってた?」

「えっとですね——。」


アリアが、咳払いをした。


「『バカって、酷いなぁ』とのことです。」

「……。」

「あと、『ありがとう』ですって!」

「……そっか。はは。」


伝わったんなら、十分。


「もう、来んなよ?」

「えぇ~。」

「来んなって言ってんだろ。」

「……はい。」


アリアが、しゅんとした。

白い空間が、少しずつ薄くなっていく。


目が覚める直前。


「あ、アリア!」

「んえ?」

「——あんがと!!」

「……どういたしまして!」


大きく、叫んだ。

アリアは、満面の笑みだった。


………………。

…………。

……。


——目が覚めた。


朝だった。

いつもの部屋。いつもの天井。


枕の下に手を入れると、くまのキーホルダーがあった。

片耳が欠けて、色も抜けて、ボロボロのくま。


「……行ってきます。」


誰にともなく、そう言った。

キーホルダーを鞄につけて、家を出た。







『あー、これちゃんと撮れてる?』


『撮れてますよぉ~~。』


『なんか、恥ずいな。』


『もう!あんまり長い時間は収録できませんからね?』


『わ、分かってるよ!』


『なら、早くぅ~~!』


『んん。あー、シュウ? えっと、元気?』


『……。』


『元気なのは、聞いた。から、えーと。』


『時間、来ちゃいますよ~~~?』


『急かすなよ!』


『シュウ。』


『あの時、庇ってくれてありがと。』


『あと、あとね——。』







——好きだ、バカ。










好きだ、バカ。

~告白する前に死んだ幼馴染が異世界転生したので、全力で呼び戻します~






最終話、そして短編『好きだ、バカ。』。

最後までお読みいただきありがとうございました!


初めて書いた短編でした。

全五話の短いお話でしたが、英子とシュウとアリアに最後までお付き合いいただけて嬉しいです。


告白する前に死んでしまった幼馴染。

言えなかった言葉。

戻れない相手。

それでも、ちゃんと前へ進んでいく話でした。


英子、口は悪いですが、いい子だったと思います。

シュウもいい奴だと思います。多分。

アリアは、なんだろう。こいつ何なんだろう。


普段は『スペル・エラー ~娘が生まれるのに異世界へ召喚されたので、何があっても帰ります~』という長編も書いています。


この短編と同じく、喪失のあと、それでも前へ進む人たちの話です。

もし空気が合いましたら、そちらも覗いていただけると嬉しいです。


ブクマや評価、コメントなどいただけると、とても励みになります。

ここまで読んでくれて、本当にありがとうございました!

また、どこかでお会いしましょう!(圧)


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