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第10話 牛鬼ビルの残業灯

 夜のオフィス街は、昼よりも音が少ないくせに、疲れている。

 昼間ならひっきりなしに開閉しているビルの自動ドアも、この時間には静かだ。エントランスの照明は落とされ、警備会社のステッカーだけがやけに目につく。人の姿が少ないぶん、空調の低い唸りや、エレベーターの遠い機械音ばかりが耳に残る。

 弦はビルの前で立ち止まった。ガラス張りの外壁。二十階建てほどのオフィスビル。表の看板には、聞いたことのない会社名がいくつも入っている。まだ働いているフロアがあるらしく、上の方だけ灯りがぽつぽつと残っていた。

「いかにも出そうやな」

 蓮が言う。

「見た目からして帰れてない」

 澪は警備員に身分を示しながら、短く状況を聞いている。今日の依頼は、テナントの一つから入ったものだった。深夜残業が続いていた部署で、社員が何人か相次いで倒れた。過労や睡眠不足では説明できる範囲もある。だが、倒れた人間が皆「牛の鼻息みたいな音がした」「机の下に脚が見えた」と言い始めたあたりで、さすがにただの体調不良では済まなくなった。

 しかも、倒れた者ほど口をそろえてこう言うのだ。

 ――まだ帰れないと思った。

 そこが嫌だった。

 駆が端末を見ながら言う。

「十五階」

「高いな」

 弦が言う。

「高さの問題じゃない」

 駆は淡々と返した。

「フロア全体に低い帯域が溜まってる。上へ行くほど薄いはずなのに、そこだけ沈んでる」

「沈んでる、ね」

 蓮が苦い顔をする。

「底のない会社ってことか」

 誰も笑わなかった。

 警備員がエントランスのゲートを開ける。ビルの中は冷えすぎていた。空調の効きすぎた空気、ワックスの匂い、コピー機の残熱。人の生活というより、働くためだけの箱の匂いだった。

 エレベーターに乗る。

 数字が上がる。5、8、12、15。

 止まるまでの数十秒が妙に長かった。

 扉が開いた瞬間、弦は顔をしかめた。

 フロアの空気が重い。

 物理的な重さではない。呼吸の入り口に薄い膜が張る感じ。静かすぎるのだ。オフィスには、本来もっと細かい音がある。キーボード、椅子、紙、プリンタ、咳払い、足音。いまここにあるのは、それらを押しつぶした後の静けさだった。

 蛍光灯は半分だけ点いている。

 大きなワンフロア。島型に並べられたデスク。パーティション。会議室のガラス壁。奥の方に給湯スペース。無人のはずなのに、机の上のモニターだけがいくつかまだ光っていた。

 その光が、嫌に青白い。

「人は?」

 弦が聞く。

 澪は受付に立っていた女の話を聞いていた。その女はスーツの上着を脱いでおり、疲れ切った顔をしている。

「非常階段側の休憩室へ避難させてる。まだ四人残ってるけど、動けないって」

「案内して」

 澪の声に、女はすぐ頷いた。

 四人はフロアの中へ進む。

 奥へ行くほど、空気が悪くなる。いや、空気というより、目に見えない何かが足元から這い上がってくる感じだ。弦は無意識にレスポールのケースへ手をやった。

 会議室の手前で、蓮が小さく呟く。

「いるな」

 弦にも分かった。

 柱の陰、デスクの下、コピー機の裏。影が一つではない。だが配信スタジオの餓鬼みたいに細かく散っているわけでもない。もっと大きい、鈍い、息の長いものが一つ、フロア全体に巣食っている。

 会議室のガラスに、それが映った。

 最初に目に入ったのは脚だった。

 太い。節くれ立ち、毛の生えた獣の脚。しかも四本では終わらない。蜘蛛のようにも見えるのに、節の付き方が違う。次に、頭。牛の頭蓋に似ているが、生きた牛よりもっと骨ばっていて、目だけが落ち窪み、鼻先からは黒い息が漏れている。その頭が、人間の机の高さにあるのに、背後にはもっと大きな胴が続いていた。牛と蜘蛛と、長く働きすぎて曲がった人間の背中が混ざったような異形。

 牛鬼。しかも海辺の怪異みたいな荒々しさではなく、蛍光灯の下で育った現代の牛鬼だった。長机の下に頭を潜らせ、コードの束を食い、未送信メールや承認待ちの書類や、誰にも言えなかった怒りを腹に溜め込んで膨らんだ鬼。

 そいつはデスクの間を這うように動いていた。

 脚の先が床を擦るたび、カーペットの下から鈍い振動が返る。鼻息は荒いのに、音は低い。疲れ切った社員の耳にだけ入るような、重い息だった。

 フロアの奥、パーティションの影で男が一人うずくまっていた。顔色が悪い。肩が上下し、立とうとしても立てないらしい。牛鬼はそちらへ鼻先を向けている。

「まずいな」

 弦が言う。

「まだ帰れないやつから喰ってる」

 蓮の声が低い。

 澪はすぐに言った。

「休憩室の四人、ここを通すのは無理。非常階段から下ろす」

 案内の女へ向き直る。

「館内放送できる?」

「できます、けど……」

「このフロアだけでいい。防災用の系統あるでしょ」

「あります」

「使わせて」

 話が早い。

 駆はすでに給湯スペースのコンセントに端末を繋ぎ、フロアの機械音を拾い始めていた。エアコン。サーバーラック。蛍光灯の唸り。コピー機の待機音。全部が働くための音で、身体を揺らすための音ではない。

「拍がないな」

 弦が言う。

「だから作る」

 駆は短く返した。いつものビートとは違う。乾いていて、無機質で、一定だ。人間を乗せるためではなく、止まった心拍を少しだけ戻すための拍だった。

 蓮が数珠を巻きながら言う。

「今日の相手、殴るだけじゃ足りんな」

「そう見える」

 弦も答える。

 牛鬼はじっとしているようで、フロアの奥にいる男の肩の上に鼻息を垂らし続けていた。男の背中がさらに丸くなる。呼吸が浅くなる。あれは傷をつけているのではない。折れるところまで、じわじわ押し下げている。

 澪が蓮にマイクを渡す。

「届く?」

「やるしかないやろ」

 蓮は苦笑して、それを受け取った。

 弦はレスポールを構える。

 ここで大きく鳴らすのは違う気がした。ライブハウスのように押し上げる音ではない。オフィスビルにはもともと上がるための空気がない。あるのは、押しつぶされた沈黙だ。その沈黙を壊しすぎず、しかし裂く必要がある。

 駆の拍が入る。

 カチ、というコピー機の復帰音。サーバーの低い唸り。エアコンの一定の回転。そこへごく短く、電卓のボタン音みたいなクリックが混じる。奇妙に乾いたビートだった。

 弦はそれに合わせて、硬い音を置いた。

 低くない。細い。蛍光灯の白さに似た、高めの線。

 牛鬼が動いた。鼻先がこちらへ向く。落ち窪んだ眼の奥が、いやに人間くさい疲れを帯びているのが気持ち悪かった。

 蓮が放送マイクへ口を寄せる。

「――もうええ」

 最初の一言が、それだった。

 攻撃の韻ではない。怒鳴りつける声でもない。疲れ切った人間の耳にだけ届くように、少し低く、近い場所から話しかける声だった。

「もうええ。今日はここまでや」

 牛鬼の脚が止まる。

 蓮は続ける。

「終わってへん仕事があっても

 返せてへんメールがあっても

 机に伏せる前に、一回だけ戻ってこい」

 言葉がフロアに広がる。ここではライブのように歓声は返ってこない。だが、パーティションの影で丸くなっていた男の肩が、ほんの少しだけ動いた。

 牛鬼が低く唸る。

 鼻息が黒くなり、床を這うように広がる。デスクの脚を伝い、椅子のキャスターを巻き込み、フロア全体をさらに重くしようとする。過労と沈黙の匂いだった。

「弦!」

 澪の声。

「床を切らないで、席と席の間を!」

 弦は瞬時に狙いを変える。

 床を鳴らせば、このビル全体に響きすぎる。必要なのはフロア全体を揺らすことではない。追い詰められた人間と、牛鬼のあいだへ線を引くことだ。

 一撃。

 高めのリフが、デスク列の隙間を走る。

 牛鬼の前脚が弾かれる。脚が一本、二本、机の下に引っかかる。鈍い動きがさらに鈍る。

 駆がそこへクリックを刻み込む。

 蓮の声が続く。

「帰れ

 今日はもう帰れ

 お前の骨まで会社のもんちゃうやろ」

 その一行で、パーティションの影にいた男が泣いた。

 声は出していない。ただ、顔が崩れた。自分で自分を止めていたものが、一瞬だけ切れたような顔だった。

 牛鬼が怒った。

 巨大な頭を上げ、鼻息を荒くし、今度は四人の方へ突っ込んでくる。脚の数に対して速い。デスクをなぎ倒し、椅子を弾き、パソコンのモニターが一台ひっくり返る。鈍重に見えて、怒った瞬間だけ獣の速さになる。

「来る!」

 弦は半歩横へずれ、レスポールのボディで頭の角を受けた。重い。肩へ衝撃が抜ける。蓮がすぐ横から真言を打ち込み、牛鬼の首へ黄金の文字を巻く。だが完全には止まらない。こいつは怒りよりも義務で動いている。だから執着が強い。

 澪がフロア全体を見て叫ぶ。

「会議室のブラインド下ろして!」

 案内の女がはっとして駆ける。ガラス張りの会議室のブラインドが一枚、二枚、下りる。蛍光灯の白さが切られ、フロアに陰が増える。

 弦はそこで気づいた。牛鬼の動きは、明るいデスク列に寄っている。人が仕事をしていた痕跡が濃い場所ほど、こいつは強い。

「澪!」

「分かってる!」

 澪は逆方向の列を指した。

「電源落とせる席、落として! まだ起きてる画面消して!」

 スタッフと案内の女が一斉に動く。モニターの青白い光が一つ、また一つと消えていく。働き続ける空気の名残が、フロアから少しずつ剥がされていく。

 牛鬼がよろめいた。腹が少ししぼむ。

 蓮がそこを逃さない。

「もう十分やろ

 これ以上、何を食う気や

 帰られへん顔ばっかり集めて

 腹ふくれても、腹の底は空やろ」

 言葉が刺さる。

 牛鬼は怒るというより、苦しそうだった。もともと満たされていないものを食い続けて膨らんだ化け物だ。だからもういらないという言葉が、いちばん効く。

 駆のビートが変わる。

 コピー機の待機音が消え、代わりに非常口の電子音が薄く入る。出るための音だ。ビルに残る音の中から、帰る側の音だけを拾っている。

 澪が弦を見る。

「今。首じゃなくて、背中」

 弦は牛鬼の背を見る。頭ではなく、背だ。

 そこには人間みたいなものがあった。何十枚もの背中が、折り重なるように盛り上がっている。丸めた背。謝る背。机に頭を下げる背。帰れないまま固まった背中が、牛鬼の甲羅みたいになっている。

 そこか。

 弦は深く息を吸う。

 派手な一撃ではない。ここで必要なのは、押しつぶされた背中ごと断ち切る音だ。重くなくていい。深く入ればいい。

 指先へ意識を落とす。乾いた線を作る。蛍光灯の白、ガラスの冷たさ、複合機の待機熱、その中を一本だけ通す。

 レスポールを振る。高い音が、牛鬼の背へ落ちた。

 同時に蓮の声が響く。

「もう、背負わんでええ」

 黄金の文字が牛鬼の背中へ打ち込まれる。

 駆の帰る音がそこへ重なる。

 牛鬼が止まった。完全に。

 鼻息が止まり、脚が床へ固定される。次の瞬間、背中の盛り上がりにひびが入った。折り重なっていた無数の背中が、ようやく荷を下ろすみたいに崩れ始める。

 牛鬼が低い声を出す。怒りではない。疲れ切った獣が、やっと膝を折る時の声に近かった。

「押し切れ!」

 澪の声。弦はもう一度、同じ場所へ入れた。

 乾いた高音がひびを広げる。蓮の言葉がそこへ落ちる。

「終われ」

 短い一言だった。それで十分だった。

 牛鬼の背が割れた。中から黒い息が一気に噴き出し、天井へ昇る。脚が崩れる。机の下へ潜り込んでいた鈍い影が、紙屑みたいに軽くなって床へ散る。最後に残った牛の頭も、鼻息をひとつ大きく吐いて、それきり煙にほどけた。

 静かになった。空調の音が戻る。蛍光灯の唸りが戻る。遠くでエレベーターが止まる音がする。ただのオフィスビルの夜の音だ。

 さっきまでそれがどれだけ疲れて聞こえていたか、消えてみて初めて分かる。

 パーティションの影にいた男が、床へ座り込んだまま泣いていた。声は出していない。だが肩の動きで分かる。案内の女がそっと隣へしゃがみ込み、背中へ触れようとして、途中で手を止める。代わりにペットボトルを差し出した。

 その光景を見た瞬間、澪の足がほんの一拍だけ止まった。

 立ち止まった、というほど大きな動きではない。呼吸がひとつ遅れたくらいの、短い固まり方だった。けれど弦には分かった。現場に入ってからずっと切れ目なく動いていた澪が、そこだけ一度だけ止まった。

 すぐにいつもの顔へ戻る。

 澪は一度だけ周囲を見回した。

「いまは誰も責めないで」

 その言葉は誰に向けたものでもない。だがフロアの全員に届いた。

「今日は帰すことだけ考えて」

 現場はそこで、やっと戻り始めた。


 モニターは消え、会議室のブラインドは下りたまま。だがさっきまでのように、ここに残ることそのものが呪いみたいには感じない。

 蓮が放送マイクを下ろす。

「……しんど」

「今日はお前の仕事だったな」

 弦が言う。

 蓮は苦笑する。

「こういうのは喉やなくて胃に来る」

 駆が端末を見ながら言った。

「でも効いてた」

「慰めか?」

「事実」

 短い言葉だが、それで十分だった。

 澪が近づいてくる。

「よかった」

 弦が少し意外に思ってそちらを見ると、澪は言葉を足した。

「今日は、ちゃんと戻す方まで見えてた」

 蓮が吹き出す。

「褒め方が相変わらず硬いな」

「やわらかく言っても意味ないでしょ」

 その返しに、少しだけ笑いが起きた。

 フロアの奥では、社員たちがゆっくり帰り支度を始めていた。急がない動きだった。たぶん、いままで急ぎ続けすぎたのだ。

 弦はレスポールをケースへ戻しながら思う。

 ライブハウスでもなく、寺でもなく、配信スタジオでもなく、こんなオフィスの夜にも、音が要る場所はある。拍のない場所でさえ、音は必要になる。いや、拍がないからこそ、必要になるのかもしれない。

 エレベーターで下へ降りる途中、蓮が壁にもたれて言った。

「今日のやつ、地味にきつかったな」

「派手じゃない方がきつい時もある」

 弦が答える。

「そういうこと言うようになったなお前」

「誰のせいだ」

「多分、全員」

 それはその通りだった。

 ビルを出ると、夜風が少しだけ生ぬるかった。オフィス街の白い照明の中を、終電に急ぐ人たちが歩いていく。誰も十五階のことは知らない。知らないまま帰れるなら、その方がいいのだろう。

 しばらく誰も喋らなかった。

 ビルのガラスに街の光が映って流れていく。その反射の中で、弦はさっきの澪の一瞬を思い出していた。泣いている男を見た時だけ、あの人はほんの少し遅れた。

 横を歩く澪へ、弦はなんでもない顔で言う。

「……ああいう現場、苦手か」

 澪はすぐには答えなかった。

 足は止めない。前を向いたまま、ほんの少しだけ間が空く。

「苦手じゃない」

 声はいつもの調子だった。

「じゃあ何だ」

 弦が聞くと、澪は少しだけ視線を落とした。

「……嫌いなだけ」

 それだけ言って、そこで会話を切るみたいに歩幅を少しだけ速める。

 弦はそれ以上聞かなかった。

 聞けば何か出てくる気はした。けれど、今そこへ踏み込むのは違うとも分かった。あの言い方は、説明ではなく境界線だった。

 数歩遅れて、蓮が二人のあいだへ視線を投げる。

「何や、急に静かやな」

「別に」

 澪が即答する。

「お前の別には大体別にじゃないねん」

「うるさい」

 その返しはいつも通りだった。けれど、少なくとも弦には分かる。さっきの「嫌いなだけ」の方が、今の澪の本音に近い。

 少し歩いてから、澪が前を向いたまま言う。

「次、もう少し派手なのが来る気がする」

「根拠は?」

 弦が聞く。

 澪は少しだけ考えてから答えた。

「今日みたいなやつが続くと、人は慣れるから」

 蓮が嫌そうな顔をする。

「敵の演出会議みたいなこと言うなよ」

「でも、そうでしょ」

 駆が前を向いたまま言う。

「静かなやつの次は、大きいのが来る」

 弦は夜空を見上げた。ビルの隙間の狭い空に、雲が流れている。

 次が何であれ、もう前と同じではいられない。そういう感覚だけが、少しずつ確かなものになってきていた。

 澪が歩きながら言う。

「次、もう少し派手なのが来る気がする」

「根拠は?」

 弦が聞く。

 澪は少しだけ考えてから答えた。

「今日みたいなやつが続くと、人は慣れるから」

 蓮が嫌そうな顔をする。

「敵の演出会議みたいなこと言うなよ」

「でも、そうでしょ」

 駆が前を向いたまま言う。

「静かなやつの次は、大きいのが来る」

 弦は夜空を見上げた。ビルの隙間の狭い空に、雲が流れている。

 次が何であれ、もう前と同じではいられない。そういう感覚だけが、少しずつ確かなものになってきていた。


 夜のオフィス街の写真が、画面に何枚も並んでいた。

 高層ビル。中層ビル。雑居ビル。消灯率、残業人数、離職率、深夜入館ログ、通報履歴。無機質な数値の横に、赤い印が順に打たれていく。

済。未。保留。

 その中の一つ、十五階だけ灯りの残ったビルの項目に、細い横線が引かれた。

「早かったですね」

 ミストはそう呟き、別の画面を開く。

 今度は、深夜のフロアを外から撮っただけの静止画だった。机、椅子、会議室、給湯スペース。何も起きていないように見える。だが、その何も起きていない顔こそが素材になる。

「労働はよく育つ」

 声に熱はない。ただ、事実を確認する口調だった。

「黙る。耐える。言い返さない。帰らない。そういう場所ほど、深いものが残る」

 指先が、別のビルの項目へ移る。今度は商業施設。次は配信スタジオ。その次は小さいライブハウス。

 場所ごとに育つ怪異は違う。炎上で育つもの。残業で太るもの。足を取るもの。視線に寄るもの。だが、育て方の手つきは同じだった。

 ミストの指が、ライブハウスの項目で一瞬だけ止まる。その横には、新しく小さな印が増えていた。

観測済。

「三人」

 それだけ呟く。ギター。言葉。ビート。まだ粗い。まだ噛み合いきっていない。だが、だからこそ壊しやすい。

「まだ足りない」

 ミストは画面を閉じる。

「もっと大きい場所へ持っていくには、熱も量も」

 暗くなったモニターに、自分の顔がぼんやり映る。ミストはそれを数秒見て、それから静かに立ち上がった。

「育てるだけでは足りませんね」

 白いヘッドフォンを耳に当てる。ノイズの向こうで、低い音が返った。

「次は、形を選びましょうか」

 それは独り言のようでいて、誰かへの返答でもあった。

 画面の端、ライブハウスの項目にだけ、細い白線がもう一本引かれる。

 次は、偶然では終わらない。


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